イタリアのお母さんの味・パスタの歴史
パスタほど万能な食品って他にないと思いませんか?
お金がない時は安いパスタを買っておけば何とか食いつなげるし、
ちょっとカッコつけたいときは具をゼイタクすればご馳走にもなる。
老若男女、古今東西、どんな人も食べられる。消費期限もあんま気にしなくていい。
どのご家庭にもパスタが一袋はしまってあると思います。
こんな素晴らしい食品を発明してくれて、本当にイタリア人には感謝しなくてはいけません。
日本人が醤油がないと生きていけないように、イタリア人はパスタがないと生きていけないわけですが、ではどのようにしてパスタが発達していったのかを見ていきます。
記事三行要約
- 昔はパスタは贅沢品でめったに食えなかった。
- 辛いパスタができたのは最近で、昔は砂糖や蜂蜜をぶっかけて食べていた。
- 19世紀以降の工業化や機械化に伴い、パスタは大衆食になっていった。
1. 多種多様なパスタの種類
我々が普段スーパーで買うパスタと言えばだいたいスパゲッティですが、専門店に行けばめちゃくちゃ種類があります。
歴史を見ていく前にいくつかパスタの種類を見ていきましょう。
ロングパスタ
1番よく見るタイプです。代表的なものが、スパゲッティですね。
最近はそれよりも細くてそうめんのようなカッペリーニが人気です。トマトの冷製パスタなんかはカッペリーニで作ったら美味しいのです。
個人的には、スパゲッティよりも太いブカティーニが好きです。パスタの真ん中に空洞があいていて、茹でると均等に火が通るので、モッチリふわふわした食感でクソ旨いです。マジでおススメです。
ショートパスタ
ペンネに代表されます。これもけっこうスーパーで見ますよね。
その他にもリボン形をしたファルファーレや、らせん状に巻いたフジッリなどがあります。
エッグパスタ
卵を使った平打ち麺。タリアテッレに代表されます。
きしめんのようにビラビラで、たっぷり食べ応えがあります。
美味しいのですが、ぼくはなかなか買おうと言う気にはなれません。ちょっと高いし。
タリアテッレを普段から食べてる人は何かカッコいいなあ。
ベイクドパスタ
その名の通り焼いて食べるパスタで、ラザニアが有名です。
上記写真は、コンキリエという種類で、貝殻の形をしており中に肉や野菜、チーズを詰めてで焼くのです。
その他、マカロニの大親分みたいなカネロニというパスタもあります。
空洞の部分にこれまた肉や野菜、チーズを詰めてオーブンなどで焼いて食べます。
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2. パスタのルーツは中国か?
2-1. マルコ・ポーロが伝えた?
さて、このように数多くの種類があるパスタですが、
一説によると、イタリアにパスタをもたらしたのは、ジェノヴァの商人マルコ・ポーロだそうです。彼ははるか中国への旅から帰国した際、中国の麺の作り方を教わってきたか、現物をイタリアに持ち込んでそれがイタリアに普及した、とのこと。
ただこれはあくまで俗説で、彼が中国に旅をした13世紀には既にイタリアではパスタが食べられていました。
最古のパスタの記録は、1140年代にシチリアの地理学者アル・イドリシーによって記された「ロジェルの書」。シチリア北西部の町トラビアでパスタの一種イットリーヤが作られ、周辺各地に積み出されている、と記されています。当時のイットリーヤはきしめんのようなピロピロした手打ちの乾麺だったようです。
2-2. パスタはどこからやってきた?
パスタやうどんのような「小麦粉を水で練って、茹でて食べる」食品が伝統食なのは主に東アジアと東南アジアであり、ヨーロッパの国々でパスタが広く食べられているのは、イタリア以外はほとんどありません。
古代ローマ時代には、小麦粉を水で練って肉で挟んで焼く、今で言うラザニアのようなものがあったようですが、それを茹でて食べるというのは中世になってからです。
その点を指摘し、パスタは中国から伝来されたとされる説があるようですが、ではなぜイタリアだけで発達し、中国とイタリアの間にある広大な地域には存在しないのか説明できません。
中国人が何らかの方法でイタリア人と接触し伝えた、という説も根強いですが、中国人が麺を発明したように、イタリア人も麺を発明したのではないか、とぼくは思います。
3. ごちそうのパスタ
3-1. パスタの発展
南イタリアから輸出されるパスタは、主に都市部で人気となりましたが、職人の手による少量生産の品物だったため、大きく普及することはありませんでした。
ところが、16世紀後半からグラーモラ(捏ね機)とトルキオ(押し出し機)が発明されると、次々とパスタ業者が出現し始めます。ナポリ、パレルモ、ジェノヴァ、サヴィオア、ローマなどでパスタのギルドができ、独自のパスタの規格を定めていく。
都市部だけではなく、海岸部や山の村でもパスタ生産が行われるようになっていきます。当時の田舎ではパスタはほとんどが「生パスタ」で、流通が発達していなかったので乾燥パスタはほとんど手に入りませんでした。
一方で南イタリアでは強烈な日差しと海からの風があるため乾燥パスタが主で、そのため現在でも北イタリアではラザニアやラビオリ、タリアテッレなどの生パスタが名物で、南イタリアではスパゲッティ、マカロニ、ペンネなどの乾燥パスタが名物である由であります。
3-2. ハレの日のごちそう
生パスタだろうが、乾燥パスタだろうが、貴重な小麦をふんだんに使った食品に違いなく、たらふくパスタを喰らうのは庶民の夢だったようです。
実際、パスタはパンの3倍以上の値段がした贅沢品だったのです。
ボッカチオの代表作「デカメロン」第8日第3話
そこには、一山まるごとすりおろしたパルミジャーノ・レッジャーノでできた山があり、その上に暮らす人々のすることといったら、ニョッキとラヴィオリを作るだけ。それをチキンスープで調理して、下の方へところげ落とすんだ。そして、誰もがみんな食べ放題……
高級チーズの代表格であったパルミジャーノ・レッジャーノをまぶしたパスタを飽きるまで頬張るのが憧れだったことが分かります。
庶民は普段の食事は、パンとミネストラ(スープ)、野菜と塩漬け肉が基本。
ただし、庶民もハレの日にはたっぷりとパスタを楽しんだし、貴族も毎日パスタを食べるほどのパスタ好きがいたようです。
ただ当時のパスタは日常食と言うより多くの食事の中の1つにすぎず、市当局からもなるべくなら食わない方がいいとされ、戦争や飢饉の際にはパスタ生産が禁止されることもありました。
4. 500年前のパスタのレシピ
では、当時の人たちはどのようにしてパスタを食べていたか。
トマトソースをパスタにかけて食べ始めるのは19世紀に入ってから。
それ以前は基本的には、「チーズ・胡椒・その他香辛料を振りかけた」だけのものでした。
チーズの種類は地方によって様々ですが、最も高価で庶民の憧れだったのが、パルミジャーノ・レッジャーノ。日本では「パルメザンチーズ」と言われている、上品でサッパリとした旨みたっぷりのチーズです。
中南部では、羊から作るペコリーノチーズをおろしたものに、コンソメをかけて食べるのがポピュラーでした。
15世紀の「甘いパスタ」のレシピ
昔は甘いパスタが人気があり、シンプルなチーズ・パスタにも甘味料を入れて楽しんでいたようです。
15世紀の料理人マルティーノ師がまとめた「シチリアのマッカローニ」のレシピには、
それを小皿に入れ、充分な量のおろしチーズ、生のバター、甘い香辛料をかけなさい
とあり、砂糖やハチミツ、シナモンをかけるのが基本だったようです。
14世紀半ばのフィレンツェ貴族の料理人のレシピ「ヴェルミチェッリのトリア」は、「アーモンドミルクの中でパスタを茹でて、砂糖とサフランを加える」とあり、これまた甘くて歯に染みそうな代物です。
アラビアータとかアーリオ・オーリオのような辛いパスタが登場するのは20世紀に入ってからで、それまではほとんどずっと甘いチーズのパスタだったのです。
ちなみに、今は少し芯を残す「アルデンテ」が一般的ですが、16世紀〜17世紀では30分〜2時間もかけて茹でて、伸びまくったやつをズルリと食すのが好まれたそうです。
うーん…アルデンテの辛いパスタが好きなぼくは、絶対に馴染めなそうです…。
5. 大量生産と大衆化
5-1. パスタ食いのナポリっ子
15世紀からナポリはスペイン王家の支配下に入り、一時期フランス王家やオーストリア王家の傘下に入ることもありましたが、統一イタリア王国に統合されるまでスペイン王家のものでした。
当時のナポリっ子は「野菜喰らい(Mangiafoglia)」と揶揄されるほど野菜をよく食べており、ブロッコリ、キャベツ、菜っ葉、果物と肉の組み合わせが大好物だったと言います。
ですが17世紀に入り都市人口が増加し、充分な肉や野菜が供給できなくなると、ナポリっ子は足りない栄養分をパスタで補おうとしました。パスタだけではタンパク質が足りないから、チーズをたっぷりかけて補い、質素ながらも栄養満点な食事に仕上げていった。
徐々にナポリっ子は野菜中心の生活からパスタ中心の生活に移行していき、ナポリ近郊では小麦が植えられ大規模にパスタが生産されるようになっていきます。
5-2. 機械化・大量生産
18世紀半ばに入り、グラーモラ(捏ね機)とトルキオ(押し出し機)が蒸気、後に電気で動くようになると、一気にパスタ生産の効率は上がって大量生産が可能になり、価格がみるみる下がっていきました。ナポリは有名なパスタ生産地となり、南部伝統の乾燥パスタが瞬く間にイタリア全土に流通していきます。
19世紀末に温風式乾燥機が登場すると、今度は工業化した北イタリア諸都市がパスタ生産の一大拠点として台頭し、伝統の天日乾燥の業者は没落。
20世紀になると全てがオートメーション化されたパスタ工場が建設され、世界的なパスタの人気もあいまって、伝統のパスタ生産はまるで工業製品のようにどんどん大量生産されて海を渡り、世界中の人たちの胃袋を充たしていく。
とうとうパスタは世界中どこでも手に入る、貧乏人でもいつでも食べられる、安い大衆食となったのです。
まとめ
パスタの歴史を簡単に見るだけでも、産業化・効率化が果たした役割と、人の味覚の発展が垣間見えると同時に、今も昔も変わらない食への情熱と欲望が見えて面白いものです。
やはり、昔のパスタ職人や食通たちも、
「このワシに機械が打ったパスタを食えというのか!ええい、出て行け!」
とか
「温風乾燥したパスタなんて食えないよ。明日また来てください。天日乾燥の美味しいパスタを食わせてやりますよ」
とか言ってたんでしょうか。
参考文献
世界の食文化15 イタリア 池上俊一 農文協
食の歴史から世界地図を読む方法 辻原康夫 河出書房新社