偏見か、合理的な理由か
イスラム教徒が豚を食べないのは、一般的に広く知られていますよね。
じゃあ、なんで?
と聞かれると、具体的には答えられないと思います。
当のイスラム教徒もよく分かってないっぽく
「だってコーランに書いてあるから」
が豚肉を食わない理由になっています。
我々からすると、あんな旨いものをもったいないと思いますが、
イスラム教徒からすると余計なお世話でしょう。
じゃあ、なんでコーランに「豚肉禁止」と書かれるに至ったのか、その歴史を調べてみたいと思います。
1. コーランには何と書かれているのか
コーラン第五章の「食卓」の章には以下は食べてはならないとされています。
死獣の肉、血、豚肉、それからアッラーならぬ邪神に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、墜落死した動物、角で突き殺された動物、また猛獣の喰らったもの
また六章の「家畜」の章にも
死肉、流れ出た血、豚の肉、これはまったくのけがれもの
とあり、その扱いは最低のレベルを下回って軽蔑の対象にすらなっています。
聖典にこう書いてあるんだから、それを信じている者ならば本当に食ってはならないんだろうな、と思わせる迫力がありますよね。
2000年にインドネシアで味の素に豚の成分が使われている、と報道され現地法人の社長が逮捕される騒ぎにまでなりました。
材料に豚が用いられていたわけではありませんでしたが、発酵菌を作るための触媒に豚の成分が使われていたのでした。
間接的でも「ダメ、ゼッタイ」なのです。
2. イスラム教が参考にしたユダヤ教
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実は豚を食わないのはイスラム教徒だけでなく、敬虔なユダヤ教徒も一切口にしません。
ユダヤ教徒の聖典・旧約聖書の「レビ記」「申命記」の中で豚は食べてはいけないものとされています。
イスラム教の開祖ムハンマドは、教団を立ち上げる際にユダヤ教について研究したそうなので、「豚を食っちゃダメ」というのもユダヤ教からの影響が大きいものと考えられます。
蛇足ですがユダヤ教は食べては行けないものが最も厳しく複雑。
- 反芻するがひづめは分かれていない、または反芻せずひづめが分かれたもの(ラクダ、ブタ、ウサギ等)
- 反芻しないし、ひづめも分かれていない(ウマ等)
- 四本の足で歩くが、足の裏のふくらみで歩く野生の生き物(ネコ、オオカミ等)
- ヒレ、ウロコのないもの(貝、タコ、ウナギ、サメ等)
- 猛禽類、雑食性の鳥(ハゲワシ、カラス、フクロウ等)
- 羽毛はあるが地を這うもの(ダチョウ等)
- イナゴ以外の昆虫全て
- 四本の足で地上をはうもの(ネズミ、トカゲ等)
これらはぜーーーんぶ食ってはいけません。
上記に加えて、牛肉と牛乳を同時に食べてはいけません。乳加工品もダメなので、つまりユダヤ教徒はチーズバーガーの味を知らないわけです。
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3. 汚らしい動物 "豚"
実は豚と言うのは非常にキレイ好きな動物。
ちゃんと育てれば食べ残しは食べなかったり、清潔な場所でしか寝なかったり、糞尿の匂いを嫌う性質があるのだそうです。
にも関わらず不潔な生き物とされるのは、何でも食う雑食なところと、大食漢なところから来ているのかもしれません。
豚を育てるためには、大食漢だから、大量の飼料が必要になる。
だけどそんなに家畜にタンマリと食わせてあげるほど余裕があったわけではないから、飼料の他、人間の食い残しや糞を充てがうこともありました。
豚は豚で腹が減ってたら、糞でも何でも食ってしまう。
それを見た人間は「何てデリカシーのない生き物なんだ」とでも思ったのでしょう。
卑しい人間を「豚野郎」などと罵る言葉は世界中で見られるため、豚を不潔で卑しい生き物と見なしたのは万国共通のようです。
4. 環境・経済面からの理由
環境面からいくつか理由が考えられます。
まず中東は暑く豚肉は腐敗しやすい。
また豚は涼しく風通しのよい場所を好むため、中東ではそのような場所を探すのが難しいし、遊牧生活には適さない。
さらに経済的な面から見ると、豚は
育てるのにかけたコストに比してリターンが少ない
というのがあります。
牛はミルク、羊は羊毛、鶏は卵が肉以外にとれますが、豚は肉しかとれない。
他の家畜に比べれば、育てるのに高いコストがかかるのに最終的に得られるお金が少ないから、必然的に選択肢から外れていったことは考えられます。
ただ、中東と一口に言っても砂漠ばかりじゃなく、肥沃な土地は数多くありますし、イスラム教以前は広く豚が育てられて食べられていたことが発掘調査から分かっていますし、シリアやレバノン、エジプトといったキリスト教徒が多く暮らす地域では、伝統的に豚肉が食べられています。
それに腐敗しやすいということであれば塩漬け肉や干し肉にでもすればいい。
ヨーロッパや中国でも、牛や鶏に比べて得るものが少ない豚を、それでも人々は好んで育てては食っていましたから、
やっぱり経済・環境面というよりは、「食ってはダメ」という神の教えを人々が忠実に守ってきたというのが1番大きいようです。
まとめ
食の文化と風習は些細なようでいてなかなか難しいものです。
何かの本で読んだのですが、国際援助団体が飢餓が起きたアフリカのある地域にトウモロコシを援助した。しかしその地域は「白いトウモロコシ」しか食べないため、援助された「黄色いトウモロコシ」に一切手をつけずに人々はどんどん餓死していったそうです。
我々からすると意味不明ですが、彼らからすれば「ダメなものはダメ」なんでしょう。
クジラやイルカもそのように「ダメなものはダメ」という国際圧力に押され、そのような非論理な考えが浸透してしまったあまり、
「食べると反感買うし、値段も高いし、食べない方が合理的」
に変わろうとしています。
非論理的な文脈が合理的に変わるのも、人間的で面白いところではあるのですが…。
参考文献・引用:食の歴史を世界地図から読む方法 辻原康夫 河出書房新社