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朝鮮の飲酒文化の歴史

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Photo by OpenCage

マッコリだけじゃない、多様な朝鮮の酒

一般的に朝鮮の酒というと、焼肉屋で飲むマッコリか、あるいは夜のお店で出てくる眞露とか鏡月みたいな安い甲類焼酎をイメージします。韓国旅行や出張で飲んだ(飲まされた)アルコール度が高い焼酎を思い浮かべる人もいると思います。

正直どうでしょう?朝鮮の酒に好意的な印象ってありますでしょうか?

正直言うと、ぼくはあまりいい印象がありません。アルコール度数が高く、雑味が多くて上品じゃないイメージです。

李朝時代の釜山に駐在していた江戸時代の日本人も同じような印象だったらしく、

朝鮮側の役人が勧める酒を「拙者は強い酒は苦手なもので」と言い訳して逃げる者が多数いた、と記録があるそうです。

日本各地に旨い酒がたくさんあるから、わざわざ朝鮮の酒なんか飲まなくてもいいやという思いもありますしね。

ただし「朝鮮には酒文化が発達しなかった」というのは大間違いで、古代から受け継がれる濃い酒文化を持っています。

 

 

1. 朝鮮の酒の酒類

歴史に入る前に、朝鮮半島で飲まれている伝統的な酒の酒類を挙げていきます。

現代ではビールやウィスキー、ブランデーなどに押されて人気を失いがちですが、伝統的な酒類を見てみましょう。

 

1-1. 濁酒(タッチュ)

日本で言うところの「どぶろく」に近いもので、有名な「マッコリ(막걸리)」は濁酒のことです。マッコリは少し時間が経つと小麦の麹と米の濁りが沈殿し、透明の上澄みができる。現代では混ぜて飲みますが、本来はこの濁った部分を「濁白」、透明な部分を「濁酒」と言い、分けて飲むのが正しい飲み方らしい。

 

マッコリはほとんど家庭で作られるもので、農民が野良仕事の休憩時間に飲むものでした。

作業が一段落し、やれやれ一休みしようかってんで、木陰に座ってどんぶり椀にマッコリを注ぎ、グイッと一杯。シュワシュワした炭酸がのどごしよく、わずかなアルコール分が疲れを癒やす。小麦粉や米で作るためカロリーが高く、肉体労働者のかっこうのエネルギー源でした。

 

 

1-2. 薬酒(ヤッチュ)

薬酒は分かりやすく言うと「清酒」のことで、「良質な酒」のことを意味します。

別に薬用成分が入っているわけではなく、わずかにしか生産されない上質な酒を特権階級が「薬酒」と称して飲んだことが始まり。

これは16世紀の仕官で除ショウという男がソウルの薬峴(ヤッキョン)というところに住んでいて、彼の母親が作る酒が上質で旨かったから、上流階級で飲まれた酒を「薬酒」と呼んだとか、

食料飢饉の時に政府が飲酒を禁止したが、特権層は「これは酒ではなく薬だ」と強弁して酒を飲み続けたところから来た、とか言われています。

 

基本的には日本酒とと作り方が似ています。

米と麹を合わせて温水で仕込み「ミッスル(下酒)」を作り、これに「トッスル(添酒)」と呼ばれる米と麹と水を混ぜたものを酒瓶に加え、数日後にまたトッスルを仕込み、アルコール度数を高くしていく。

薬酒の中にも色々酒類があり、添酒に小麦粉を使う・使わないとか、米を粒でなく粉にして使うとか、餅状にした米を使うとか、作り方の違いで様々な銘柄の薬酒が生み出されてきました。

免税店に行くと、仰々しいボトルに入った「法酒(ポプチュ)」なるものが売ってますが、あれも薬酒の一種です。

 

 

1-3. 薬用酒(ヤギョンジュ)

薬用酒は正真正銘「薬用成分の入ったお酒」で、漢方や民間療法の素材が入っており、薬を服用するために酒を使ったものです。

日本でも健康酒というジャンルは存在するし、「赤ワインのポリフェノールは体にいい」とか、焼酎に漢方薬とか毒虫を漬けた怪しげな酒が売ってたりとか、健康と酒は切っても切れない関係ですが、朝鮮ではこれがかなり人気のあるジャンルであります。

 

よく韓国土産でもらう「朝鮮人参酒」は薬用酒の一種。

この他にも、枸杞(クコ)の実を漬けた枸杞酒(クキジュ)、

桃の種、桑、蓮の花、緑豆、キュウリ、竹の葉などを混ぜた東陽酒(トンヨンジュ)、

雉の肉を刻んで混ぜた雉黄酒(チェファンジュ)、

効く効かない以前にそれって旨いの?と思わせるようなラインナップです。 

 

 

1-4. 旬内酒(スンネジュ)

朝鮮では酒は家庭で仕込まれており、大部分がパッと作ってサッと飲む「早づくり」の酒でした。仕込みから飲むまで1周間くらいでできるので、近日中に何かイベントがあるときに女たちが料理と一緒に作っていました。どんな酒類があるかというと、

蒸米に麹、水、強い酒を合わせて温かい場所に1日置くだけの「一日酒(イルリジュ)」、上記の代わりに濁酒を合わせて温かい場所に3日置く「時急酒(シグプチュ)」など、出来合いの酒をミッスルにしてさらにボリュームを増やすことが目的だったようです。これから家庭でもできそうですね。

 

1-5. 果実酒

果実酒には2酒類あり、1つ目が果実そのものを醸造の原料として使ったもの、2つ目が香りづけに果実の香味成分を酒に足すもの。

李朝時代には「葡萄酒」が流行ったようですが、当時の葡萄酒はワインのようなものではなく、「濁酒を作る時に足す水の代わりに葡萄汁を足す」といったもので、「葡萄マッコリ」とでもいうべきもの。どんな味なんでしょうね。気になる。

 

果実の香りを酒につけたものは「加香酒(カヒンジュ)」と言われるもので、仕込み段階で香り成分を足すか、酒自体に香りを添加するかの2通りありました。

桃の花の香りを足した「桃花酒(トウンフアジュ)」、蓮の葉の香りの酒「蓮葉酒(ヨニヨプチュ)」、菊の花の香りの酒「菊花酒(クッカジュ)」などがあります。確かに香りは良さそうですね。

 

 

1-6. 焼酎(ソジュ)

朝鮮で最も人気のある酒は焼酎です。

日本の焼酎と基本的には同じで、ウイスキーやブランデーなどと同じ蒸留酒。

蒸留という技術を発明したのはペルシャ人で、Aragと言います。これがヨーロッパに伝わり、Alchol(アルコール)になります。トルコやアラブ圏、中央アジアの国々では、現在でもラクとかアラックという蒸留酒が飲まれているし、朝鮮でも焼酎のことを「阿刺吉(アラギ)」と表します。

 

 さて、初めて朝鮮に「阿刺吉」が入ってきたのは高麗王朝時代、朝貢国の元からもたされました。当時は王や特権階級しか飲めない超高級品でしたが、その酔い心地の良さからすぐに大人気に。宴会や祝祭であまりにたくさんの焼酎が飲まれたため、費用がかさみすぎてたびたび王から禁令が発せさられましたが効果が出ませんでした。

また16世紀初頭の官庁では、新たに登用された新人役人に「先輩の厳しさを教える」と称してしこたま焼酎を飲ませて酔い潰す「新来侵虐」という習慣が大流行したそうです。

いまと何ら変わっちゃいねえ。

 

 

2. 古代〜三国時代

古朝鮮時代から酒は飲まれていたようですが、記録はなくどのようなものだったかは分かっていません。

新羅・百済・高句麗の三国時代になると、酒に関する文献が現れはじめます。

新羅の新羅酒は銘酒として有名だったらしく、唐の詩人李商隠が新羅酒をたたえた詩が残っています。

…一盞新羅酒凌恐左鎖…

「おお、一杯の新羅酒の酔いが覚めてしまうよ」みたいな意味で、当時からアルコール度数が高い清酒があったことが分かります。

百済は古来から農耕が盛んで、酒づくりも進んでいたそうです。百済から来た須須許理(ススコリ)なる人物が酒を作って応神天皇に献上し、それを飲んだ天皇が歌に詠んでいます。

須須許理が 醸みし御酒に われ酔ひにけり 事和酒咲(ことなぐしゑぐし)酒に われ酔ひにけり

ところが百済の王は酒にハマりすぎて、武王(600〜641年)、義慈王(641〜660年)もたびたび大規模な酒宴をひらいて国庫を圧迫し、民心の離反を招いて国を滅ぼしてしまった、とされています。

 

 

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3. 高麗時代 - 酒造りの基礎の成立

高麗時代は、薬酒、濁酒、焼酎の3酒類に分類され李朝時代の酒文化の発展の基礎が作られた時代でした。

この頃は国の公式の行事に使う酒をつくる部署が作られ、王が飲むための酒が公的に作られていました。当時王が飲んでいたのは「法酒」と言われるもので、「法律によって定められた手順で作った酒」という意味を持ちました。いわゆる「官用の酒」であったわけです。一方で庶民は濁酒を家庭で作って飲んでおり、現在のマッコリはこの時代から始まったものと考えられています。

 

貨幣の流通と酒

1102年には、ソウルに2店舗の「居酒屋」がオープン。

庶民も気軽に酒を飲める場所として評判になり、さらに店舗数は増えていきました。

居酒屋の目的は「貨幣の流通」。高麗王朝では物々交換が主流で、経済の活性化のためには貨幣の流通が必須でありました。そのため政府は居酒屋を設置し、支払いを貨幣に限定することで、貨幣の使用を国民に促進させようとしたわけです。それだけの魅力が酒にあると判断したのでしょう。

ところが居酒屋の力だけでは不充分だったようで、10年もすると貨幣は使われなくなって倉庫に眠ってしまうことになった。ですが一度解禁した酒の文化は継続され、仏教寺院製の酒が広く庶民に出まわることになります。

 

酒造所としての寺院

高麗王朝は仏教を厚く保護していたので、寺院は免税対象だったし、多くの所領と奉公人を抱えていました。この頃の旅行者というのも僧侶で、これらの寺院は旅行者を宿泊させ食事を供する役割も担っていました。

そのため寺院では、法事用や旅行者に供する酒を作っており、僧侶や尼僧も所領内でおおっぴらに酒を飲んでいました

想像するに、まあ、風紀は乱れまくっていたんでしょう。 

1065年に文宗王が発した令には、いかに当時の僧が酒に狂っていたかが分かります。

今や徭役は避けて働かないならず者たちが、名を僧とつけて生産業につき、肩にかけた袈裟は酒がめの蓋がわりになり、梵唱を念ずる場はねぎやにんにくの畑と化した…市井人の場に平気で出入りし、俗人と喧嘩しては血を流すものが出ているようだから、戒行を守らないものは法で厳しく取り締まるように

 

 

4. 李朝時代 - 酒文化の黄金期

初代国王・李成桂は、高麗王朝を滅ぼし李朝を建ててすぐに、国民に酒を飲むことを禁止しました。

高麗王朝の末、旱魃が続き人々が食うのに困っていたのにも関わらず、高官たちや寺院は酒をたらふく飲んでいた。そのため李成桂は飲酒時代を禁止し、仏教寺院の特権を廃止しました。この禁酒令は28年間続きましたが、高官だけでなく民衆でも酒を飲む習慣がなくなった。ですが、酒が解禁された後は、高麗時代に出来た酒をベースとして、酒文化が花開いたのでした。

 

儒教儀礼と酒

特に家庭での酒製造はこれまで以上に盛んになり、酒の作り方の本が多く書かれ庶民に普及していきました。

李朝は儒教を重んじたため、生活の中で冠婚葬祭を始めとした儀式がたくさんあり、そのやり方はかなり厳格に決められています。儀礼と酒は欠かせないものであったため、どの儀礼にどの酒を作ればよいか、という「儀礼マニュアル」がとても大切だったわけです。

予想されるイベント(正月、結婚、出産、法事、秋の収穫祭など)のために仕込む酒もあれば、予想できないイベント(葬儀、急な来客など)のための酒もあり、それぞれ作り方が違うし、家庭によっても微妙に違う。またそれぞれの酒に合う肴の作り方など、かなり高度でウルサイ決め事があったのでした。

 

泊まれる居酒屋「酒幕(チュマツ)」

また、酒は家で飲むだけでなく外で飲む酒屋「酒幕(チュマツ)」もあちこちに出来始めました。酒幕とは、田舎の街道沿いに作られた、メシと酒と宿泊所を兼ねた場所のこと。高麗時代からこのような形式の酒屋はありましたが、大同法によって流通が促進された李朝時代に各地にたくさん作られるようになりました。

(大同法についてはこちらをご覧ください)

reki.hatenablog.com

酒幕では入り口に板が敷かれ、牛の頭と豚の足の茹でたものが置いてあり、屋根の上に長い竿をたててそこに酒漉し用のザルを掛けた。

「メシあり〼、酒あり〼」

みたいな意味でしょうね。

酒幕ではそれぞれ自分のところで酒を作っており、酒の味はもちろんのこと、酒を供してくれる女性の接客がどうかが流行るかどうかの鍵を握りました。 

酒瓶の前には酒婆(チュパ)と呼ばれる女性が座っていて、彼女が酒を客に汲んでくれる。酒婆が座っている横には湯が沸かされていて、杯が温められている。注文が入ると、湯の中から杯を取り出して酒を注いで客に渡す。

薬酒(清酒)なら約三杓(54cc)、焼酎なら約二杓(36cc)、マッコリなら一合五杓(270cc)が一般的でした。

酒婆は文字通りのババアだけではなく若い女性の場合もあって、若くて愛嬌の良い酒婆の店は評判になったそうです。

いいなあ。楽しそう。すごく行ってみたい。

 

 

5. 日本併合時代 - 伝統文化の衰退

大韓帝国時代の1909年、韓国政府は日本に倣い初めて「酒税法」を導入しました。 

その1年後、日韓併合により朝鮮半島は日本と併合されますが、酒税法はそのまま継続されました。酒税法とは現在でもあるように、酒に課す税金のこと。

朝鮮の伝統では酒は家庭で作られて飲まれるものでしたが、酒税法により自由に酒を作ることができなくなってしまい、連綿と受け継がれてきた伝統酒が作ることができなくなってしまった。このことに朝鮮の民衆は、自分たちの伝統を抑圧する新たな支配者・日本に対する怒りを募らせるわけです。

日本政府と朝鮮総督府は朝鮮からの税収をコントロールするために、流通が管理できない酒、特に家庭で作られて飲まれる酒は禁止し、実際に日本併合期に伝統酒は次々と消えていきました。

近代国家において税収を厳密に管理することは軍事・教育・内政の近代化にとって必須であり、その中でも酒税は重要な税収。実際に明治政府の財政の1/3は酒税によって賄われており、大正時代になっても1/6もの割合を占めていました。

とはいえ、朝鮮の人が政府の言うことを聞いて酒作りをやめたかと言えばそうではなく、特にマッコリなどの速成酒は酒税法など無視するかのように作っては飲まれました。

政府は「朝鮮には正月と秋の収穫時期に酒を製造する習慣があるので、制限付きで製造を許可する」として、税金を課した上で家庭での製造を許可しました。

ところが生産量をごまかしたり、そもそも申請しなかったり、家庭での醸造という文化は根強くあり、日本併合期になくなった酒も多くありましたが、朝鮮の酒文化自体は現在まで連綿と受け継がれているのです。

 

 

まとめ

朝鮮には日本とはかなり異なる、とても濃い飲酒文化が受け継がれています。

焼肉や韓国料理を食べにいった時にはぜひ、ビールだけでなくマッコリや焼酎などの朝鮮の伝統酒を飲んでみてはいかがでしょうか? 

 

参考文献 朝鮮の酒 鄭大聲 築地書館

朝鮮の酒

朝鮮の酒

 

  

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