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皆で「パクス・カレー(カレーによる平和)」を実現しようではないか
カレーって素晴らしいと思いませんか?
安いし腹いっぱいになるし、奮発すれば贅沢もできる。パン好き・ご飯好き、肉好き・魚好き、野菜嫌い、辛党甘党、誰でもひとつの皿に受け入れる。
スパイスの成分は体にもいいのは勿論、セロニトンが分泌されてストレス解消や精神安定に効果がある。
悪いことが何一つないんじゃないでしょうか。
カレーより素晴らしい食べ物ってこの世にないと思うんですよね、本当に。
インド人と日本人だけでなく、世界中の人が大好きな食べ物がカレーなのです。「パクス・カレー(カレーによる平和)」が実現できるのではないかとすら思います。
ということで、「パクス・カレー」を実現するために、いかに世界でカレーが受け入れられ愛されてきたかの歴史を見ていきたいと思います。
今回引用させていだく本は、カレーの歴史 (「食」の図書館) [コリーン・テイラー・セン著 竹田円訳 原書房]です。
1. 「カレー」とは何か
「インドではカレー料理というものは存在せず、インド人が身近にあるスパイスで作ったお惣菜を我々外国人が勝手にカレーと呼んでいるだけ」
というのを僕に教えてくれたのは、漫画「美味しんぼ」でした。
実際その通りで、インドでスパイスを使った料理は独自に名前があり、「カレー」などというものは存在しません。使うスパイスが違えば違う料理になる。
日本人はスパイスの味に鈍感なので、どんなスパイスが使われているかは全然わかりませんが、インド人は同じようなスープでも使っているスパイスの違いを見極めることができます(という実験を以前「所さんの目がテン!」で見ました)。
そのため、厳密にインド料理を定義しようとすると「カレー」などという括りは乱暴以外の何物でもないのですが、今やインド人も逆輸入的に煮込み料理全般を「カレー」と呼ぶことが多いらしいです。
インド料理の権威マドハール・ジャフリーという人は1974年には「インド料理をカレーと総称することは偉大なインド料理に対する冒涜である」と言っていたのが、2003年に出した著書のタイトルは「究極のカレーバイブル」だそうで、
いかに「カレー」という呼称が外国だけでなくインド国内でも普及してしまったことを示しています。
2. インド料理の成立
スパイスは数千年も前からインドで料理に使われており、「いつから使われてきたか」は厳密には分かりません。日本人が古来から魚を食べてきたように、インド人はスパイスを食べてきたのでしょう。
紀元前3世紀には、仏教の伝道と共にスパイスも東南アジア一帯に伝わりました。インド商人と伝道師を先頭に、物産と文明がセットになって周辺各国にもたらされ、スパイスの苗木が各地に伝わるとスパイスを使った料理も各地で発達することになりました。
8世紀、イスラム教徒がインドに侵入すると、ケバブ、ビリヤニ、コルマなどの元になる中東の洗練された肉料理が同時にインドに入ってきました。これらの中東料理はインドでローカライズされ、北部インドで洗練されたインド宮廷料理が発達することになりました。
時は降って1807年、大英帝国で奴隷貿易が禁止され、植民地のプランテーションで働く新たな労働力の確保が求められるようになりました。そこで白羽の矢が立ったのがインド労働者で、100万人を超えるインド人労働者が大英帝国各地、西インド諸島、南アフリカ、東南アジア、オセアニアに移住。
それらの地域にインド人移民がカレーを伝え、独自にローカライズされた新種のカレーが発達していくことになったのでした。
ということで、以降は諸地域でカレーがいかに定着していったかをまとめてまいります。
3. イギリスのカレー
イギリスで好まれるカレーは、キーマ、バルチ、マドラス、ダンサク、ローガンジョシュ、チキンティッカ・マサラなど。
Photo by Kelly Sue
2001年、当時のイギリスの外務大臣ロビン・クックが「チキンティッカ・マサラは真のイギリスの国民的料理だ。それは、いちばん人気があるというだけでなく、イギリスが外部の影響をどう吸収し、適応させるかを完璧に体現しているからだ」と述べたそうです。
イギリス人は日本人顔負けにカレーが大好きで、カレー専門店の数多くあるし、パブでもカレーを食えるし、スーパーマーケットに行けばインスタントや冷凍のカレーが売っている。もしあなたがイギリスに行って食事に馴染めなかったら、とりあえずカレーを食え、と聞いたこともあります。
18世紀末から19世紀初頭にかけてイギリスは東インド会社を先兵にインドを支配していくのですが、現地に駐在したイギリス商人たちは、インド人の料理人を雇って普通にインド料理を普段から食べていたようです。「イギリス風」の食材が手に入らないインドでは、必然的に駐在員たちはインドの食生活に慣れざるをえませんでした。
インドの食材を使ってイギリス風にアレンジした料理も多く発明され、例えば唐辛子と玉ねぎが入った「インド風オムレツ」や、カレー風味の「カツレツ」などは、アングロ・インディアン料理としてインドでもイギリスでも親しまれています。
1809年、ロンドンで最初のインド料理店が開店。
インド料理を紹介する専門書も相次いで出版されてインド料理に対する関心が高まっていき、19世紀末には上流階級でインド料理を食べることは一つのステータスになっていました。
インド帝国の女王でもあったヴィクトリア女王は、生涯一度もインドを訪れたことはありませんでしたがインドの文化をこよなく愛し、オズボーン・ハウス離宮を訪れた際は毎食カレーを食べたそうです。息子のエドワード7世はインド人コックがいるホテルに通い詰め、孫のジョージ5世はカレーとボンベイダック以外の食べ物には見向きもしなかった、とさえ言われています。
20世紀半ばには庶民にもカレーはすっかり定着。ヌーンズ・パサックスやS&Aといった食品会社がスパイスミックスの大量販売に乗り出し、庶民が手軽にカレーを作れるようになりました。
1971年、東パキスタンがバングラディシュとして独立し、新たな移民がイギリスに押し寄せると、各地に大衆カレー屋が林立するようになりました。
週末パブでたらふくビールを飲んだ後、からーいカレーを食らって帰るのがイギリス人の野郎どものライフスタイルになったのでした。
4. 北米のカレー
18世紀にイギリスからアメリカに渡った人は、当時イギリスで流行していたカレーのレシピを持って海を渡りました。
しばらくはスパイスはイギリス経由でしか手に入らなかったため高級品でしたが、1809年に東インド会社の独占体制が崩れると手に入りやすくなり、1820年のボストンではチキンカレーやロブスターのカレーが食堂で食べられるようになりました。
Image from Dan Costin
南部アメリカで人気があったのが「カントリーキャプテン・チキン」と言われる料理で、インドの香辛料を積んで南部を訪れた船長が、地元の温かいもてなしに感謝して女たちに伝えたのがはじまりという説がありますが、本当はアングロ・インディアン料理の一つだそうです。
フランクリン・ルーズベルトはこの料理が大好物だったし、パットン将軍も大統領に勧められて大層気に入ったそうです。
本格的なインド料理店がニューヨークにできたのは1920年代以降で、当時はインド移民自体の数も少なく食べられる機会もあまりなかったようです。ただし人々のカレーに対する興味は高く、フードライターたちは異国情緒に溢れたインド料理店を取り上げました。1941年のニューヨークタイムズの記事。
「アーモンド形の瞳のインド人シェフが、雪のように白いターバンをきっちりまいて」謎めいた微笑を浮かべている。記者が「刺激的な香りがする…見たこともない、スパイシーなごった煮」の「カレーと呼ばれる珍しい東洋のラグーがたっぷり入った湯気の大鍋」を覗き込むと、「インドの歌」がかすかに聞こえた気がした。
アメリカでインド料理の知名度が大きく上がったのは、1964年のニューヨーク万国博覧会。フードジャーナリストのクレイグ・クレイボーンはインド館の食堂を激賞してこう言いました。
食堂の優美な造作、店員たちはうっとりするほど礼儀正しく、料理は実に美味しく、スパイスがしっかり効いているが、インド料理についてよく間違って言われるように、どうしようもなく辛いわけではない
1975年にインド移民の制限が撤廃されると、全米各地にインド移民が居住しインド料理店を開いたり、インドの食材を販売するようになり、アメリカの庶民にもカレーやスパイスが一気に身近なものとなっていきました。
5. ヨーロッパのカレー
ヨーロッパでインド料理や派生した東南アジア料理の影響を最も強く受けたのは、当地に植民地を持っていたオランダとポルトガルです。
1950年代までオランダ人の食事といえば、パンと肉、チーズとポテトが中心でしたが、インドネシアから駐在オランダ人やインドネシア系オランダ人が引きあげてくると、スパイスを使った様々なインドネシア料理がオランダで紹介されるようになりました。
インドネシア人移民や中国人移民は、インドネシア料理店や食材店を各地に開いたので、昔インドネシアに駐在していた人たちは、当地で食べたインドネシアの味が忘れられずに、家庭で作ったり料理店で食べたりしてなつかしの味を楽しむようになりました。
ポルトガル料理のスパイスの歴史は古く、日常の料理の中でかつて支配下に置いていた世界中の地域の料理や食材が溶け込んでいます。
様々な料理の味付けにショウガ、コショウ、ターメリック、クローヴ、オールスパイス、トウガラシが用いられるし、家庭料理にスープカレーが普及しています。
また、首都リスボンにはポルトガルの最後のインド植民地・ゴアの料理を食べられるレストランがいくつかあるようです。
ドイツで最も人気がある屋台メシが「カレー・ヴルスト」。ソーセージにケチャップとカレー粉をまぶしたやつで、ぼくもこれ食べた事あります。想像通りうまいです。
ドイツ人の食生活に欠かせない存在にまでなっていますが、その起源は「ベルリン説」と「ハンブルグ説」の2種類あり、オリジナルをめぐって2都市が争っているのだそうです。
普通のソーセージにカレー粉まぶしたものだから、オリジナルも何も…って思っちゃいますが、それほどドイツ人にとって身近な存在だからなのでしょう。
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6. アフリカのカレー
17世紀にオランダ東インド会社は南アフリカ・ケープタウンに蘭領東インド(インドネシア)の中継基地を設けました。
移住者のオランダ人やドイツ系プロテスタント、フランス系ユグノーを、農園や家庭で働く労働者としてスマトラ島からマレー人を連れてきて働かせました。彼ら「ケープマレー人」が作るスパイシーなケープマレー料理は、南アフリカの白人にこよなく愛され、生活に欠かせないものになりました。
Photo from Bli
特に今でも南アフリカの代表料理と言われるのが「ボボディ」と呼ばれる料理。
ひき肉、カレー粉、玉ねぎ、にんにく、レモンリーフの上に、甘くないカスタードをかけてオーブンで焼いたものです。
その他にも、トマトと羊肉のシチュー「ブレディー」にもたっぷりとスパイスが入っています。
カレー自体も人気があり、白人だけでなく先住民のズールー族も大好物。果物が入っているためインドのカレーよりもマイルドで甘いのが特徴です。
Photo by EricEnfermero
この甘いカレーを用いた人気料理は、「バニーチャウ」と呼ばれるもので、食パンをくり抜いた中にカレーを入れたもの。うーん、旨いに違いないがちょっと見た目が…。
アパルトヘイト政策時代、黒人はカレー屋に入店することを禁じられていましたが、カレー屋のインド人店主がパンに詰めたカレーをこっそりと裏口で黒人に売りはじめたのが始まりだそうです。
カレーの魅力は人種差別にも打ち勝つのだ。
7. 東南アジアのカレー
東南アジアはインドに次いで世界で最も長く洗練されたカレーの歴史を持ちます。
インドと中国の交通の要所であったため、両国の文化が入り混じって複雑で豊かな食が花開きました。
Photo by Takeaway
東南アジアで最も有名なカレーがタイの「ゲーン」です。グリーンカレーとかイエローカレーなどとも言いますが、辛いだけでなく、甘さとしょっぱさ、酸っぱさのバランスがとれており複雑で繊細な味わいです。
ゲーンの色を決めるのは使うペーストの種類の違い。
例えばグリーンだと「青唐辛子、バジルの葉、ライムの歯」がベースで、肉によく合います。
イエローは「ターメリック、コリアンダー、クミンシード」がベースで、シーフードに。レッドは「トウガラシ、コショウ、ライムの果皮」がベースで、肉魚野菜なんでも合う。
※タイ料理全体の歴史は以前の記事をご覧ください。
ミャンマーも中国とインドの食文化の影響を強く受けています。イギリスの植民地時代に人口の半分にもなるインドから大量の移民者が押し寄せましたが、現在ではほとんど存在しません。しかし彼らが残したインド料理の文化は現在もミャンマーの庶民の台所に影響を与えています。
人気があるのが、ナマズのスープ「モヒンガー」。
Photo by Wagaung
ひよこ豆、焼いた米、にんにく、玉ねぎ、レモングラス、バナナの花、魚のペースト、魚醤のスープで、そこに米の麺とライム、トウガラシ、パクチーなどを混ぜて食べます。これ絶対旨いわ。
インドネシアは1万5000近くの島々からなる多民族国家ですが、それぞれの地域で土地に応じたスパイスを使った料理が存在します。
我々の感覚でいうカレーとはちょっと違いますが、スパイスを使った独特の料理です。
Photo by Midori
ジャワ島西部のパダンで人気があるのが、「ルンダン」と呼ばれる料理。
これは牛肉をココナッツミルクとスパイスペーストで煮詰めたもの。
ジャワ中部で人気があるのが、「ソト」というスープで、牛肉や魚、野菜が入った甘くて酸っぱくて塩気の効いたスープ。上記はジョグジャカルタで食べたやつですが、本当に美味しかった。
Photo by Midori
インドネシア料理でカレーっぽいものといえば、「グレ」と呼ばれるココナッツミルクとターメッリク、コリアンダー、コショウ、ショウガ、レモングラスなどで煮込んだもの。具材は肉でも野菜でも魚でもなんでもOK。
カレーはいかようにでも現地の食材や既存の料理と入り混じって発展させられるだけのポテンシャルを持っているのがよくわかりますね。
まとめ
ぼくたち日本人もカレーが大好きですが、世界中の人たちがカレーを愛しているのがよくお分かりいただけたかと思います。
何が言いたいかというと、カレーは世界をつなぐ架け橋になる可能性があるということです。
違う国・地域の人同士、一緒のものを食べてその美味しさを分かり合えると、少し距離が縮まった気がする。自分の好きなものを相手も好きだったら、好感がわく。一緒のものを食べて育ったことがわかると、仲間だと思うようにもなる。
実際に、イタリアは「ポテトとトマト」が全国に普及したことで国家統合が成し遂げられた歴史があります。
国連やWFPあたりが「食卓におけるカレー普及率」を各国に課して、例えば各国国民がカレーを年平均で30%くらい食べるようにする。
世界中の人がカレーを食べるようになり、子供達はカレーで育ち、深い愛情を持つようになる。それが世界中で起こる。
世界料理としてカレーが確立されると、人は皆「俺 = カレー = 地球」のアイデンティティを持つに至る。
同じカレー・アイデンティティを持つ隣人同士、凄惨な紛争は起こりにくくなるだろう。
起こっても「魚のカレーにナツメグを入れるあいつらは許さん」とか「ジャガイモをカレーに入れることを世界中に普及する聖戦(ジハード)を開始せねばならぬ」とか、極めて平和な戦争に終始するのではないでしょうか。
「パクス・カレー」実現の第一歩としてご自宅の「カレー登場率」を是非とも増やして頂きますようお願いします。
※ この文章は、「世界カレー伝道団」団長兼歴ログの人により書かれました。
参考文献 「食」の図書館 カレーの歴史 コリーン・テイラー・セン著 竹田円屋久原書房
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