メキシコの民族食から世界のファストフードへ
タコス食べたことありますか?
「はい!」とまっすぐ手を挙げられる人ってそんなにいないんじゃないかと思います。ナチョスとか、トルティーヤとか、ブリトーとか、それっぽいものは食べたことあるけど何を食べたかあまりよく覚えていない、という人も多いんじゃないでしょうか。
まだまだ日本人には馴染みの薄い食べ物ですが、健康食の人気が高まりでコーン100%グルテンフリーの食べ物としてタコスに注目する人もいます。
いつか来るであろう「タコス・ブーム」の前に、タコスの歴史をまとめておきます。
1. タコスの原型
日本では一般的には「タコス」と言われますが、アメリカやメキシコでは"taco(タコ)"と呼ばれます。
タコスは大きく分けると、ソフトタイプとハードタイプに分けられます。
ソフトタイプはとうもろこしの粉を溶かして焼いた柔らかいトルティーヤを使います。タコスの本家メキシコは主にソフトタイプです。日本のコンビニで「ラップ」という名で売っているのもこのタイプですよね。
Photo by ProtoplasmaKid
一方でアメリカは、トルティーヤを油で揚げたハードシェルドタコを使う場合が多いです。大手タコスチェーンのタコベルもこれです。よりスナック感が強いです。
このハードシェルドタコは後のタコスのグローバル発展に寄与するのですが、タコスの原型は前者のソフトタイプです。これはメキシコ先住民の食文化に起源があります。
メキシコ先住民が食べたトルティーヤ
タコスの具を巻く外のクレープ状の食べ物は「トルティーヤ」と言います。最も古いニシュタマリゼーション(トウモロコシをアルカリ水に漬けて挽き割りトウモロコシを作ること)の痕跡はチアパス州ソコヌスコで発見されました。紀元前1,500年頃のものと考えられています。
トウモロコシで作ったトルティーヤはマヤ・アステカ文明の人々の主食のようなもので、トルティーヤをまず手に広げ、そのまま肉や野菜や魚を掴んで丸めて食べていました。女たちはトルティーヤを家で作り畑で働く男たちに持たせ、男たちは畑仕事の合間に簡単に肉や魚を焼き、トルティーヤに包んで食べていました。
トルティーヤはそのままでも食べられるし、料理法によって油で揚げたり煮たりもできる。トルティーヤに肉や魚を巻いて食べるというタコスの原型のようなものは、メキシコ先住民の食文化の基本でした。
スペイン人の到来
スペイン人の新大陸到来で、トマトやじゃがいも、たばこ、唐辛子、カカオなどなど、数多くの食品・嗜好品がヨーロッパ経由で世界中に広まることになりますが、ヨーロッパから新大陸に持ち込まれた食品もありました。中でも新大陸の食文化に大きな影響を与えたのが「豚」。それまで新大陸に豚はおらず、スペイン人が初めて持ち込みました。
アステカ帝国を滅ぼすことになるコルテスと配下のスペイン兵たちは、トルティーヤに豚肉を巻いたものを常食としていたそうです。やがて原住民もその美味しさを知り、アメリカ大陸に豚の飼育が一気に広まることになりました。
2. タコスの成立
では、いま我々が言うところの「タコス」が発明されたのはいつなのでしょうか。
実は詳しいことはよく分かっていません。そもそも"taco"という言葉がどういう由来かも分かっていません。
ナワトル人起源説
"taco"はナワトル語の"tlahco(中間、間)"から来ているという説があります。
これは「トルティーヤの真ん中に置く食べ物」という意味で、トルティーヤに具を巻いて食べるものという意が超簡略化されたものという説です。
銀鉱山のダイナマイト説
smithonianにあった説が、"taco"はメキシコの銀鉱山に由来するというもの。
"taco"とはもともと銀鉱山で発破をする際に使うダイナマイトの火薬を包む紙片を意味する単語でした。それが転じて、辛いソースを浸けたトルティーヤで巻いた鶏肉を"taco"と呼ぶようになった、という説です。
"taco"が初めて辞書に登場したのは19世紀の終わりですが、その時は"tacos de minero"、つまり「鉱夫のタコス」と書かれているそうです。これが銀鉱山発祥説の根拠になっています。
「下層階級」の食べ物タコス
19世紀後半から独裁者ディアスの下で近代化・工業化が進み、メキシコの首都メキシコシティにはメキシコ各地から労働者が集まります。彼らは自分の故郷の料理のレシピを抱えてもってきたので、ある地方の料理が人気になったり、各地のレシピが融合したりして、体系だっていないものの今我々が考えるところの「メキシコ料理」の基礎がこの時期に出来上がりました。
しかしメキシコ社会の上層部を占めるスペイン系は、先住民の食べ物を見下し、ヨーロッパの食文化を以って至高とする傾向がありました。大土地所有者・保守派は熱心なカトリックが多く、カトリックにとってはパンを食すことこそが信仰の証であり、キリストの教えを受容することと同義でした。
一方原住民やメスティーソは、タコスこそこの地の真の主人たる「メキシコ人の料理」と考えました。経済発展によってメスティーソがブルジョア階級として台頭してきて以降は特に、メキシコの主人は栄光あるアステカ帝国の末裔である我々であり、メキシコ人が食べる食べ物はタコスであるとして、支配者であるスペイン系の食べ物と自分たちの食べ物を区別して対立を深めました。
1910年から起こるメキシコ革命は独裁者ディアスを追放することに成功し、いくつかの反動や内乱を経て革命を制度化するに至ります。
メキシコ革命こそタコスがパンを放逐してメキシコ料理の主役に置かれるようになった契機と位置付けられるかもしれません。
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3. アメリカで人気となるタコス
タコスのアメリカ上陸
アメリカは本家メキシコに並ぶタコスの「本場」ですが、そのアメリカにタコスが伝わったのは19世紀の終わり頃のようです。
1905年の新聞にアメリカの新聞に「チリ・クイーン(Chili Queen)」という屋号の露天商がロサンゼルスにやってきてタコスを売っていると言及があります。彼らはメキシコからアメリカにやってきた炭鉱労働者や鉄道労働者で、お祭りの開催に併せてタコスを売って一儲けしようと企んだようです。この時チリ・クイーンが売ったスパイシーなタコスはアメリカ人には物珍しく、またこの時のメキシコ人の女性の売り子の「エキゾチックさ」と合間って人気となりました。
実際のところ、当時のアメリカ人はメキシコ人の若い女性を一夜の相手として「買える」と思っていたようです。西洋人が東洋人に感じる「オリエンタリズム」のようなものをメキシコ人にも感じていたのかもしれません。
アメリカ化するタコス
1910〜20年代に労働者としてアメリカにやってきたメキシコ人の移民2世は、英語を流暢に話し教育水準も高く、親世代に比べて所得も高い人が多くなっていました。また第二次世界大戦にも従軍しアメリカ人としての意識が高くありました。しかし、いかにアメリカナイズされようがメキシコ系はタコスが大好き。彼らがアメリカの主要社会に進出していくことにより、タコスの社会的な認知が高まっていくことになります。
牛の臓物や舌、唐辛子、ワカモーレなどを挟むのが定番だったタコスは、アメリカ人の舌の好みに合わせて、牛ステーキ、ひき肉、チェダーチーズ、レタス、トマトなどの材料を挟んで食されました。まるでハンバーガーですが、「メキシコ風のバンズで食べる一風変わったハンバーガー」的な感じで、当時のアメリカ人にとっては充分外国風の味を味わえたのではないでしょうか。
4. ファストフードとしてのタコスの拡大
Photo by Anthony92931
タコスを世界に広げた1番の功労者は、ファストフードチェーンの「タコベル」です。
タコベルは日本では2019年3月時点で東京に8店舗、大阪に2店舗のみあるだけで、まだあまり馴染みがありませんが、世界では6,000店舗を展開する巨大チェーンです。
タコベルの創業者はグレン・ベルという人物。
彼はもともと、ホットドッグやハンバーガーを販売するレストランを展開していましたが、1952年にカリフォルニア・ダウニーでタコスを提供するタコス・スタンドをオープン。ベルが作るタコスは瞬く間に人気になり、わずか5年で巨大ファストフードチェーンに成長し、1975年には全米で325店舗を持つまでに至りました。
タコベルがここまで成長できた要因は2つあります。
1つは「ハードシェルドタコ」。
これはトルティーヤを油で揚げたもので、以前からあったものですが、ベルは具を入れやすいように「U」の字に曲げて揚げて量産化することで、トルティーヤの日持ちを長くしてロスを限りなく少なくし、オペレーションを簡易化することに成功しました。アメリカのタコスと言えばハードシェルドタコですが、これはタコベルの影響が大きいのです。
2つ目が「アメリカ人向けに提供した」こと。
ベルが作ったタコスは先述の牛肉やチーズが入ったタコスのように徹底的にアメリカナイズされたもので、本場のメキシコ人からするととてもタコスとは言えない代物でした。ベルはメキシコ系が住む地区は避け、イギリス系やその他の人種が多く住む地区にタコベルを出店し「手軽に安く食べられるメキシコ料理」として提供したのでした。
実際にタコベルはメキシコにも進出を何度か試みていますがその度に失敗しているようです。アメリカの寿司チェーンが日本に進出するようなもので、そりゃ難しかろうという気がします。
メキシコ人からするとタコベルのような「まがいもの」がメキシコ料理のタコスだと思われるのは心外でしょうが、タコベルの世界進出によってタコス、そしてメキシコ料理の認知も上がっている側面もあるので、なかなか難しいところです。
ただ、メキシコ料理であるタコスの「懐の深さ」がタコスの発展をもたらしているのであって、寿司が世界中で人気になってカリフォルニアロールなど新たな発展を遂げて親しまれているように、タコベルのタコスはグローバル料理としてのタコスの進化に貢献していると言えるのではないでしょうか。
5. 発展するタコス
タコスの懐の深さを表すように、実際のところタコスの具は「なんでもあり」です。
パッと思い浮かぶのは、ひき肉、レタス、玉ねぎ、トマト、チーズあたりですが、 牛、豚、鶏、ヤギ、臓物、シーフード、キノコ、卵、数々の野菜などなど、考えられる食材はなんでも入ります。代表的なタコスを挙げてみます。
メキシコ人のソウル・フード、カルネ・アサダ(牛肉のステーキ)が入った「タコス・デ・アサダ」。
Photo from "Varieties of Tacos" Beef 2 Live
1930年〜1960年代にメキシコに流入したレバノン移民が持ち込んだシュワルマ(ケバブ)をメキシコ風にアレンジした「タコス・アル・パスツール」。中西部の町プエブラの名物です。
Photo by William Neuheisel
炒めたエビを入れた「タコス・デ・カマロネス」
Photo from "TACOS DE CAMARONES A LA MEXICANA" tacogurublog
牛タン煮込みが入った「タコス・デ・レングア」。
Photo from "Taquitos de lengua ¡completamente caseros!" Cocina Delirante
煮るか焼くかした豚肉に、パクチー、トマト、玉ねぎ、ワカモーレ、豆のソースなどが入った「タコス・デ・カルニタス」。
Photo by Mike McCune
これ以外にも、チキンの入った「タコス・デ・ドラドス」、舌・頬・唇・脳など牛の頭部の肉を使った「タコス・デ・カベサ」などなど、ここでは挙げきれないほどたくさんあります。地方ごと、家庭ごとに名物があります。
日本人がおにぎりの具材に何でも入れてしまうように、メキシコ人はタコスの具材に何でも入れてしまいます。
それこそ例えば、アナゴとキュウリを巻いた「アナキュウタコス」とか、すき焼き風のタレで牛肉を煮た「すき焼きタコス」とか、日本風のタコスのあれこれが思いつきます。これこそグローバル料理の形であります。
6. なぜタコスは日本では広がらないのか
タコベルは何度も日本の本格進出を試みていますが、その都度失敗しており、全国展開できていません。店舗のロケーションの問題、値段の問題、量の問題、そもそもの認知の問題など色々要因があるはずですが、個人的には「ジャンクでもないし、ヘルシーでもない」という中途半端さにあるんじゃないかと思います。
メキシコ料理自体はたっぷり野菜が入ってヘルシーで女性好みの料理なのですが、タコスはチーズとか肉とかたっぷり。一方でガッツリ食いたい男子にとっては物足りない。もっと肉を食わせろという感じです。
高カロリーなものをよく食べてるアメリカ人にしてみたら、タコスは健康食の類に入るのでしょうが、日本では決してそうは見られない。
ヘルシーフードとしてのタコスか、あるいは高カロリージャンクフードのどちらかに振り切ったほうが、日本人には受けるんじゃないかと思うのですがどうでしょうか。
最近は各地にメキシコ料理店があって、本場の美味しいタコスを食べることが可能になってもいますが、まだまだこれからといったところでしょうか。
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まとめ
タコスは日本人にとっての「おにぎり」のようなものであり、なかなか体系的な歴史の叙述が難しくまとまりのないものとなってしまいました。
しかし大きくは、先住民によって食べられていたトルティーヤの料理が、産業化と都市化によって「タコス」という名前で括られるようになり、支配者との戦いの中でメキシコ大衆のアイデンティティを象徴するものになり、国民食となったという流れのようです。そしてアメリカ人によって世界中に広まり、グローバル料理として発展を続けています。
まだ食べたことのない方。今度タコス屋さんを見つけたらぜひ食べてみてください!
バックナンバー:料理と歴史
ケチャップの歴史 - 英国流オリエンタルソースからアメリカの味へ
コシャリの歴史 - エジプト発のジャンクフードは日本で流行るか?寿司の歴史 in アメリカ
参考サイト
"Where Did the Taco Come From?" Smithonian
"The History Of The Taco: Where And How This Mexican Icon Was Born" VALLARTA EATS FOOD TOURS