歴ログ -世界史専門ブログ-

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ソ連時代のマッド・サイエンティストたち

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「進歩的国家」ソ連が生んだ狂った科学者

マルクス主義理論では、社会主義そして共産主義は人類が普遍的に向かうべき社会であり、成熟し堕落した資本主義が倒されるのは必然であるとされました。

そのため社会主義国であるソ連では、アメリカやイギリスといった資本主義国よりもあらゆる面で進歩的であるのが当然とされ、学術・産業・文化・芸術など科学的であることが尊ばれました。

確かにソ連時代は科学の進歩が著しく進んだ時代ではあるのですが、中には行きすぎてとんでもないマッドサイエンティストが出現しました。

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1947年トーキョー・怪獣パニック

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「海から現れた怪獣は現在、東京に向かって北上中!」

 1947年5月29日、日本占領軍の軍用ラジオ局WVTRが突然「東京湾に20フィートの怪獣が現れ、内陸に向かっている」という臨時ニュースを伝えました。

この放送に占領軍はパニックになり、マッカーサーも慌てて状況を確認するなど大混乱となりました。

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朝鮮王朝を揺るがした大論争「四端七情論」とは

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李氏朝鮮でもっとも議論となった朱子学論争の一連の流れ

 四端七情論とは、朝鮮朱子学を大成させた李滉(イ・ファン)と奇大升(キ・デスン)との間で行われた論争。

 この論争は1559年から8年にもわたり繰り広げられ、当時の朝鮮士族たちの話題の中心となりました。二人の論争が終了した後も論争は続き、李氏朝鮮末期まで続きました。

当時の朝鮮の人々の大きな関心ごとであった四端七情論とはどのようなものだったのでしょうか。

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未だに捜索が続く聖書の伝説的な遺物

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人々が未だに血眼になって探し求める遺物

キリスト教には聖遺物というものがあり、イエス・キリストや聖人など、奇跡を起こした人々の体の一部や、使った物が大変珍重されます。聖遺物はそれを保有する町を厄災から守り、繁栄をもたらすと信じられてきました。

聖遺物以上に人々が探し求める物が、聖書に記述される遺物。

聖書の時代から2000年近く経った現在ですら、霊験あらたかな遺物を探しもとめる人がいます。その執念には何か怨念のようなものすら感じます。

代表的な「未だに見つかっていない遺物」をピックアップします。

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1986年フィリピン・ピープルパワー革命

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フィリピンの独裁マルコス政権が倒された「エドゥサ革命」

 1986年、フィリピンの独裁者フェルディナンド・マルコスが、権力の維持を目指して政治的な陰謀を繰り広げた挙句、国軍と民衆の反乱を受けて失脚しました。

一連の模様はテレビを通じて全世界にほぼ同時中継され、それまであまり注目されなかった東南アジアの新興国の政治劇を、人々は固唾をのんで見守りました。

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レバノン移民の歴史

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多くの人材を輩出したレバノン系移民の光と影

ヨーロッパ系の人はレバノンと聞くと以下のようなイメージを思い浮かべると言います。

地中海リゾート、移民、美女、豪華で瀟洒な建物。 

日本人に同じ質問をしたらこのような答えが返ってくるかもしれません。

内戦、ヒズブッラー、カルロス・ゴーン、爆発事故。

いずれのイメージも一面的ではありますが、間違ってなく、レバノンという国の側面を表しています。 

そうしたイメージに寄与しているのが今回扱うレバノン移民です。レバノン移民は19世紀後半から世界中に拡散し国際的な影響力を高める一方で、レバノン本国に対しても影響力を与え「魔境国家」を形成しました。

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1942年ナチスがカナダを占領した「もしもの日」

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もしもナチス・ドイツがカナダの町を占領したら

新型コロナウイルスの世界的流行は、各地で悲劇や混乱を引き起こしていますが、一方で平時はとてもできない社会実験が行えているという側面もあります。

同じように、平時にはとてもできない実験が第二次世界大戦中という戦時に行われていました。実験というよりはショック療法やドッキリといった方が正しくはあるのですが。

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「敵前逃亡」の罪で処刑された兵たち

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軍紀違反で死刑になった20世紀の人物 

昔から敵前逃亡は軍事の世界では重い罪でした。

最前線で戦う兵士の後方には抜刀した指揮官が控えていて、前線から逃げてきた兵士を「逃げるな!腰抜け!」と罵りぶった切った、などという話は枚挙に暇がありません。

逃亡した兵士は重い罪に問われ、捕まると死刑となることもあったのですが、この慣習は20世紀まで普通にありました。第一次世界大戦では、例えばイタリア軍では750名が処刑されています。イギリス軍では306名が軍紀違反で処刑されました。

第二次世界大戦のアメリカやカナダでも、敵前逃亡の罪で死刑になった人がいます。

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