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未だに捜索が続く聖書の伝説的な遺物

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人々が未だに血眼になって探し求める遺物

キリスト教には聖遺物というものがあり、イエス・キリストや聖人など、奇跡を起こした人々の体の一部や、使った物が大変珍重されます。聖遺物はそれを保有する町を厄災から守り、繁栄をもたらすと信じられてきました。

聖遺物以上に人々が探し求める物が、聖書に記述される遺物。

聖書の時代から2000年近く経った現在ですら、霊験あらたかな遺物を探しもとめる人がいます。その執念には何か怨念のようなものすら感じます。

代表的な「未だに見つかっていない遺物」をピックアップします。

 

1. 契約の箱

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十戒が納められた箱

 旧約聖書「出エジプト記」には、神がモーセに「作らなければならない物」を具体的に指示するシーンがあります。純金の贖罪所と燭台、アカシヤ材の机と祭壇、やぎの毛糸とアカシヤ材でできた幕屋など。何の色の糸を使うかや、木材の長さ、使う油の種類までかなり細かい指示があり、神がうるさい性格だと分かるのですが、その中に箱を作るように指示をするシーンがあります。

出エジプト記 25章 10節

彼らはアカシヤ材で箱を作らなければならない。長さは二キュピト半、幅は一キュピト半、高さは一キュピト半。あなたはこれを純金でおおわなければならない。すなわち内外ともにこれをおおい、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。(略)さおは箱の環に差して置き、それを抜き放してはならない。そしてその箱に、わたしがあなたに与えるあかしの板を納めなければならない。

ここで言う「あかしの板」とは十戒を刻んだ石板のことであるとされます。

イスラエル人がエジプトから脱出し荒野をさまよっていた時代は祭祀が担いでいましたが、カナンを征服した後、箱はシロの町の神殿に置かれていたそうです。

 

ソロモン王の時代(約3,000年前)には、エルサレムにユダヤ教の最も神聖な場所である最初の神殿が建設され、契約の箱のタバナクル(幕屋)の中の聖なる場所に置かれ、贖罪の日であるヨム・キプールに大祭司のみが見ることができました。

新バビロニアがエルサレムを征服した紀元前587年まで神殿内に保管されていましたが、神殿を含む街の大半が破壊されてしまい、その後、契約の箱がどうなったかは定かではありません

一説によると、バビロン人が神殿に到達する前に埋められ、現在も「神殿の丘」に埋まっているそうです。

掘り起こされて別の国に持ち去られたと考える人々もいます。ソロモン王とシバの女王の息子であるとされるメネリク1世の末裔が治めるエチオピアが持ち去ったという伝説や、11世紀ごろに十字軍の兵士がエルサレムを占領した際に契約の箱を手に入れフランスに持ち去ったいう伝説もあります。

 

2. 聖十字架

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 現代でも人々が探し欲す遺物

聖十字架とはその名の通り、イエス・キリストが磔刑された時に使用された木の十字架のこと。

十字架は細かく砕かれ、その木片はローマやコンスタンティノープル、北アフリカ、シリアなど各地に散りました。現在のヨーロッパには、「聖十字架」を聖遺物として収める教会が数多くあるのですが、そのほとんどはコンスタンティノープルからもたらされたものであるそうです。コンスタンティノープルは1204年に第4回十字軍によって占領されたのですが、この時に聖十字架の一部が発見され、ヨーロッパの司教らによって切り分けられ祖国に持ち帰られ、地元の教会や修道院に寄贈されました。しかし現在、聖十字架であると称される遺物がすべてこの時のものであるかというとそれは大変怪しく、ヨーロッパだけでも何百も存在します。

16世紀のフランスの神学者ジャン・カルヴァンは「聖十字架のかけらとされるものをすべて集めれば、船一隻分の貨物室を埋め尽くす」と皮肉を言ったほどです。

現在でも聖十字架は人気があり、Live Scienceは聖十字架の破片がeBayで500ドルで売られているのを見つけています。

現在のところ、学者が本物だと認めたホンモノの十字架のかけらは存在しません。

当たり前ですが、十字架は木で出来ているし、死刑囚を括りつけるものなので消耗品の安いものを使ったに違いなく、どんなに厳重に保管してもとっくにボロボロに朽ちてしまっていると思われます。

 

3. 聖杯

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 イエスの血を受けたとされる杯

 聖杯とは、イエス・キリストが最後の晩餐でワインを飲んだ杯です。その後、イエスが磔刑になった時にロンギヌスの槍で突かれて流れた血を受けたとされます。

 ただし聖書には、イエスの血を杯で受けたという記述はありません。

伝説によると、イエスの遺体を引き受けたアリマタヤのヨセフが、聖杯を持ってイスラエルを出て旅に出て、イギリスのグラストンベリに到達しここに修道院を建てたそうです。この伝説を下敷きにしたのが「聖杯伝説」で、アーサー王物語に登場する円卓の騎士、ガラハッド卿、パーシバル卿、ボールス卿が聖杯を手にしたとされます。

そもそもイエス・キリストが使った聖杯というのがあったのかも不明ですし、アリマタヤのヨセフがイギリスに向かったというのも伝説なのですが、聖杯はまだどこかに隠されていると信じて探し求める人がいます。

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4. 「銅の巻物」の財宝

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死海文書に記述された金銀財宝の行方 

「鋼の巻物」は、クムラン洞窟の近くで発見されたいわゆる「死海写本」の中でも珍しいもの。その名の通り金属、具体的には銅に文字が刻まれた巻物であります。

この巻物には膨大な量の財宝の隠し場所が記されています。お宝は金や銀で、約1,280タレントの金貨と65本以上の純金の棒、銀貨の容器600個以上と、ヘブライの神を崇めるために捧げられた銀と金の聖なる容器600個以上が含まると記されています。

ただし、宝のの隠し場所の説明は暗号のようで非常に難解です。例えば、宝物の一部は「小列柱の中庭にある大貯水池にある」また、「東側にある、入り口が2つある柱の洞窟」にあるとも書かれています。

宝の存在を信じる人は、当時のユダヤ人はローマ人から宝をあちこちに隠し、すぐに発見されないように暗号のように書いた、と信じています。宝物はエルサレム周辺、死海やエリコ周辺の洞窟、約60か所に分散して埋められているとされ、トレジャーハントをする人物もいます。

実際これらの宝物が存在したかどうかは、学者たちの間で議論されています。70年にエルサレムがローマ軍に占領される前に隠されていたのではないかと考えている学者もいれば、架空のものではないかと考えている学者もいます。

 

5. Q資料

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未発見の新訳聖書の仮説的テキスト

Q資料(Q Document)とは、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の出典元であると考えられている文書です。

新約聖書にはイエス・キリストの生涯や言説を記録する福音書が4つあります。マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネがそれですが、最古のものはマルコ福音書であると言われています。マタイによる福音書とルカによる福音書はマルコ福音書を出典元にして書かれたと考えられていますが、もう一つ参考にしているテキストがあるはずであると考えられており、その幻のテキストが「Q資料」です

記述の類似性から、マタイとルカに何かしら同じソースが使われているのは多くの聖書学者が認めるところですが、内容が未発見のため、Q資料の存在に疑問を呈す学者も少なくありません。

例えば、実は最古なのはマタイであり、ルカがマタイを出典元にし、マルコがマタイとルカを出典元にしたとする説。マルコが最古としながらも、ルカはマタイを参考にしたとする説。元になる話はあったが共通になる口頭伝承であったとする説もあります。

 

6. 聖骸布(せいがいふ)

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 イエス・キリストの遺体を包んだ布

イエスの遺体をひきとったアリマタヤのヨセフは、イエスの遺体を亜麻布に包んで墓に納めました。

「マタイによる福音書」 第27章 59~60節

ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入り口に大きい意志をころがしておいて、帰った。

この時に使った亜麻布がどうなったか聖書にはいっさい書かれていないのですが、この布は「聖骸布」と言われます。ヨーロッパを中心に聖骸布の贋作がいくつかあり、イエス・キリストとされる男性の姿が投射されています。

最も有名なのは中世に作られた「トリノの聖骸布」です。

1354年に初めて注目されたこの聖骸布は、約4.4×1.1メートルの長方形で、亜麻の繊維でできており、両手を股間に組んだ裸の男性の正面と背面がプリントされています。1389年に地元トロワの司教によって贋作であると批判されますが、1578年から北イタリアのトリノ大聖堂の王室礼拝堂に保管されています。

1988年の放射性炭素年代測定により、この聖骸布は1260年から1390年の間に作られたものであることが確認されましたが、これが本物であると信じる人も大勢います。

 

7. ノアの箱舟

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 現在もアララト山の地中にあると信じる人もいる伝説の船

旧約聖書「創世記」第6章~9章には、人間があまりにも邪悪になってしまったために、神が全世界を洪水にさらしたという話があります。神は「正しく全き人」であるノアにヒノキでできた巨大な箱舟を作り、その中にノアの妻と子供、そしてすべての生き物のオスとメスのペアを入れるように命じました。

箱舟が作られ、生き物が箱舟の中に入れられた後、地球は150日間にわたって洪水に見舞われます。陸地で動くものはすべて殺されました。洪水が引いたとき、箱舟は「アララトの山」に止まりました。

「創世記」第8章 3節~5節

それで水はしだいに地の上から引いて、百五十日の後には水が減り、箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。水はしだいに減って、十月になり、十月一日に山々の頂が現れた。

アララト山は現在のトルコ東部、アルメニア西部、イラン北西部の国境が交わる地域にありますが、周辺の国々は伝統的にこの山をアララトと呼んでいません。トルコではアーウ山、アルメニアではマシス山と呼びます。中世にヨーロッパ人がこの山がノアの箱舟がたどり着いた山に違いない考え、勝手にアララト山と呼んでいるだけです。

アルメニアでは古くからアララト山を「世界の母」として崇拝し、ペルシアの伝説でも「人類揺籃の地」とされ、この周辺の人々の信仰の対象となっている山であったことは確かなようです。

ノアの箱舟の残骸がアララト山の地下に眠っているという伝説は長年多くの探検家たちを魅了し、多くの人々が探索に執心してきました。1980年代には元宇宙飛行士でキリスト教福音教会の牧師であるジェームズ・アーウィンが2度も発掘隊を派遣しましたが発見はできませんでした。2010年には香港のキリスト教団体がアララト山の頂近くで4800年前の木製の物体を見つけたと主張。2017年には米大学教授のポール・エスペランテが、「木製の構造物の痕跡を発見した」と発表しました。

真面目に考えれば、ヒノキで出来た船なんぞ10年もすれば朽ちてボロボロになってしまうと思うのですが、執念というのもは凄いものです。

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まとめ

 ユダヤ教徒・キリスト教徒の聖なる遺物を探し求める情熱は、ちょっと傍から見たら理解しがたいほどです。聖書に書いてることはすべて真実であり、聖性を帯びていると考えるので、霊的にはもちろん、物理的にも永遠と考えるのかもしれません。

理解はしがたいですが、ワクワクする話ではありますし、このように長い間人々を引き付けてきたこと自体が歴史であり、そちらのほうが価値があるとぼくは思います。 

 

 参考サイト

"ノアの箱舟、契約の箱、エデン… 謎の現場を探る" National Giographic

"Mystery of the Copper Scroll: How biblical relic could lead to secret $3TRILLION treasure" EXPRESS

"Q SOURCE" BIBLE ODESSEY

"7 Biblical Artifacts That Will Probably Never Be Found" LIVE SCIENCE

True Cross - Wikipedia

"Noah’s Ark FOUND? Researchers believe THIS mountain is biblical ship’s final resting place" EXPRESS