聖母マリアの「老後の人生」とは
聖母マリアはキリスト教の宗教絵画に頻繁に描かれます。
天使から神の子を授かったとお告げを受ける「受胎告知」、イエスが馬小屋で生まれた「キリストの降誕」、幼いイエスを抱いた「聖母子像」、磔刑で死んだイエスを抱いて嘆き悲しむ「ピエタ」あたりがメジャーどころ。そのほか、妊婦の時や食事のシーンなどさまざまなシーンが描かれています。
聖書の主要キャラクターの一人の印象すらありますが、実際のところマリアはあまり聖書には登場しません。大部分が聖書の記述を元に想像で描いたシーンです。中には「マリアの死」というモチーフの絵画もあります。ベッドに横たわりイエスの弟子たちに囲まれる姿が描かれるのが常ですが、これも想像。聖書にマリアの死は描かれていません。描かれていないのでマリアはイエスが死んだ後どういう人生を送ったか不明ですが、2つの説が存在します。
1. 聖書に記述のあるイエス死後の聖母マリア
イエスがゴルゴダの丘で磔刑となって死亡した後のマリアについての記述は、具体的なものは一つしか存在しません。復活したイエスが天に上り、11人の使徒たちと共にオリーブ山を降りて祈りをささげるシーンです。使徒列伝第1章12節~14節。
それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。
彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。
彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。
使徒列伝はイエス死後の弟子たちの布教の様子を描いた書です。登場するのは第1章の早いタイミングで、それ以降マリアは一切出てきません。なので、これが聖書が描くマリアの最後の姿となっています。使徒が主役の書とは言え、マリアはモブキャラ同然の扱いとなっています。
しかし、後世にマリアの重要性が高まっていくと、5世紀の前半にはマリアが「被昇天」したと考えられるようになり、6世紀の東ローマ皇帝マウリキウスの時代に正教会の公式見解となりました。
マリアは8月15日に被昇天したとされ、8世紀ごろにローマ教皇セルギウス1世とレオ4世の時代にカトリックでも公式に祝われるようになりました。現在でもイタリアは8月15日は「フェッラゴスト」と呼ばれ国民の祝日となっています。
マリアの被昇天も好んで絵に描かれています。
ルーベンス "Assumption of the Virgin" (1626)
ティツィアーノ "Assunta" (1516-1518)
マリアは何歳で死んだのかというのも不明ですが、簡単な推測が可能です。
当時のユダヤの慣習では女性は12歳で結婚したので、イエスを生んだのは13歳ごろと考えられます。イエスは33歳で死亡したので、当時マリアは46歳。7世紀の作家でテーベのヒュポリトゥスという人物は、マリアはイエスが死んで後11年間生きたとしているので57歳で死んだことになります。ヒュポリトゥスはAD41年にマリアは死んだと言っていて、イエスが生まれたのは紀元前4年のことと考えられているので、だいたい辻褄があう計算です。伝説上の辻褄なので、実在の人物の生年・年齢はまた別の議論があるのですが。
マリアの誕生:紀元前17年(0歳)
イエスの誕生:紀元前4年(13歳)
イエスの死亡:紀元後29年(46歳)
マリアの死亡:紀元後41年(57歳)
ではイエスの死後11年間マリアは何をやっていたのでしょうか。
2. エフェソスで聖ヨハネと暮らした説
一般的によく知られている説が、現在のエフェソスの地で余生を過ごしたというものです。現在のエフェソスはトルコにある内陸の遺跡ですが、当時は海が近く大型の船が寄港できる国際貿易港でした。
そして現在の観光地エフェソス近くのコレッソス山には、「聖母マリアの家」なるものがあります。
Photo by Rita1234
もちろんこの家は本物ではなくレプリカですが、世界中からマリアを慕う人々が巡礼に訪れています。この家にやってきた巡礼者は、祭壇でマリアに祈りを捧げ、癒しの効果があると信じられる、家の下から湧く泉の水を飲むのだそうです。
このエフェソスにマリアを連れてきたのは使徒の1人であるヨハネ。聖書には死ぬ直前のイエスが「愛弟子」に母をよろしく頼む描写があります。「ヨハネによる福音書」第19節25~27節。
さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。
イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母にいわれた、「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」。
それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった。
ここで言う「愛弟子」とは一般的にはヨハネのことだと言われています。この描写があるのは「ヨハネによる福音書」のみで、マルコによる福音書やルカによる福音書には書かれていません。なので、ヨハネがマリアを引き取って共に暮らしたのだ、というのは広く認められています。
ヨハネはイエスの死後にエフェソスに移り小アジアやエーゲ海沿岸を中心に伝道を行い、パトモス島に幽閉されその際に黙示録を書き、釈放された後福音書を書きました。なので、マリアもヨハネと一緒にエフェソスに行ったに違いない、というのがマリア・エフェソス移住説の骨子です。
この地でマリアは静かに祈りの日々を過ごし亡くなったそうです。
実際に4~5世紀のキリスト教の時代には、エフェソスがマリアの終焉の地ということはよく知られていたようで、5世紀の世界でマリアに捧げられた教会は唯一「エフェソス教会」のみでした。
431年のエフェソス公会議においては、マリアは「Theotokos(神の母)」であることが認められ、エフェソス教会はヨハネとマリアが最初にエフェソスの地にたどり着いた場所であることが認められました。
ところがその後、小アジアへイスラムやモンゴルの侵入が相次ぎ民族が大きく入れ替わる中で、この話はエフェソスで長い間忘れ去られることになってしまいます。
この話は19世紀にドイツ出身の修道女アン・キャサリン・エミリッヒ(1774年~1824年)という人により「再発見」されました。その後1891年にフランス出身の修道女マリー・ド・マンダ=グランスによって、4世紀に建てられた教会の遺跡とともに、1世紀前後の家の跡が発見されました。彼女はこの家こそマリアが晩年を過ごした家であると主張しました。
歴代のローマ法王はこの家の正当性の是非について特に公式な見解を出していません。しかし、1896年に教皇レオ13世がこの家を訪れたことがきっかけで、半ば公式に認められた存在になり、世界中のキリスト教徒が訪れるようになりました。教皇ヨハネ23世はこの地を訪れこの家を「聖地」の地位に格上げし、ますます巡礼者が増えることになりました。
現在トルコ政府はこの地をエフェソス観光の目玉の一つとして活用しようとしており、「巡礼ツアー」に力を入れています。
一方で、マリアは故郷から遠くに離れるのを嫌がったので、ヨハネはマリアの被昇天を見届けた後エフェソスへ移住したという伝説もあります。その場合は、もしかしたら下の「エルサレムに住んだ説」のほうが正しいのかもしれません。
3. エルサレムの聖母マリア被昇天伝説
All about religionというサイトにあった説が、「マリアはエルサレムの郊外に小さな小屋を建てて一人で祈りながら暮らした」というもの。
この説によると、オリーブ山から市内に戻ったマリアはしばらく使徒たちと暮らしましたが、やがてエルサレムの中心街から離れた人もまばらな郊外の丘に落ち着き、ヨハネが建てた石造りの小さな家に住んだそうです。
家の周辺にはユダヤ人やキリスト教徒の貧しい者たちが洞窟の中に住んだり、皮のテントや木製の小屋で居を構えていて、頑丈な石造りの家はその周辺ではマリアの家のみでした。
マリアはここに落ち着いて間もなく、家の裏に十字架を立てて、その周りにヘブライ文字を刻んだ12個の碑石を立てました。家は小さく、真ん中に暖炉があるのみ。手の届かないところに丸い窓があり、部屋に光を照らしました。暖炉の裏には小さな礼拝所があり、そこから寝室につながるドアがありました。
マリアは必要な時に必要な食事を採る以外は、静かに祈りの中で日々を送っていました。
死期が近づくと使徒たちはマリアの家に集まり最後を看取りました。マリアが息を引き取った後、ペテロが身体に油を注ぎ、没薬を脇の下、胸、肩、首、あごと頬の間に置きました。遺体は体は墓布で包まれ、枝で編んだ棺の中に置かれ、洞窟の中に埋葬されました。
なんかやたら描写が具体的ですが、エルサレム郊外の谷にある1世紀の家の跡が「マリアの家ではないか」という説から、想像を働かせてこのような伝説が出来上がったっぽいです。
マリアの埋葬地には別の説もあります。使徒とマリアがイエスの被昇天を見送った「オリーブ山」の近くに建てられた教会がそれで、正教会はこの地をマリアの墓地とみなしています。
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まとめ
お話的にはイエスの愛弟子とエフェソスに移住したという方が、「イエスとの約束を公私両面で守った偉い男ヨハネ」という感じで面白いのですが、もうすぐ50歳に手が届きそうな女性が、故郷から遠く離れたエフェソスくんだりまで移住するのは難しい気もします。
どれが本当か分かりませんが、いずれにせよどれを信じるかは人それぞれで、自由なのではないでしょうか。
場所がどこであれ、息子を失った哀れな母親が、安息できる場所で祈りの中で静かに暮らして最期を迎えることができた、という方が価値がある気がします。
参考サイト
"Death of Virgin Mary" All about religion
"MARY'S LAST EARTHLY HOME?" Kim A. Lawton