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歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

【抵抗者】スペインを追いつめたインディオの若き才能・ラウタロ

中南米・カリブ海

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南米チリの先住民族の英雄

ラウタロ(1534?〜1557)は、南米チリの南に住む原住民マプチェ族の軍事指導者。

当時、チリを征服しはじめていたスペイン人征服者に抵抗。

わずか23年の生涯の中で散々スペイン人を苦しめ、彼の死後300年間に渡って戦われるアラウコ戦争において、マプチェ族の伝説的指導者として仰がれました。

早熟の天才・ラウタロの生涯を追っていきましょう。

 

1. スペイン人に捕われるも脱出 

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 ラウタロはマプチェ族の指導層の生まれ。

ラウタロが生まれたころのチリは、スペイン人征服者によってサンティアゴやコンセプシオンなどの町が作られ、本格的なスペインによる南進が始まっていました。

ラウタロは少年にして、敵に勝つためには敵を学ばねばならないと考え、わざとスペイン人の捕虜になります。

チリ南部の征服を目指すペドロ・デ・バルディビアの馬丁となり、おおよそ3〜4年で火器の使い方、馬の乗りこなし方、スペイン人の戦い方などをひと通りマスターしてしまいます。

18歳にして、もうスペイン人から学ぶことはないと思い、脱出し故郷に帰還。

マプチェ族の男たちを集め、対スペイン人との戦いの準備に入ります。

 

2. トゥカペルの戦いでスペインを打ち破る

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スペイン、アラウコへ侵攻

1553年12月、バルディビアは55人のスペイン兵と2000人のヤナクナ(元インカ兵)を率いて南部チリ・マプチェ族の領域であるアラウコへの侵攻を開始。 

ラウタロはヤナクナの中にスパイを忍び込ませており、侵略軍の動向を手に取るように把握していました。

そして、バルディビアが到着する前に、トゥカペル城塞のスペイン駐屯軍50人をあらかじめ襲撃・殲滅します。

包囲、殲滅

翌日早朝、バルディビアの部隊がトゥカペル城塞で発見したのは壊滅した駐屯軍の遺体でした。バルディビアは遺体を埋め、ここで城塞を強化してマプチェの襲撃に備えることに決定し、準備に取りかかります。

と、突然周囲の森から槍で武装したマプチェの大部隊が襲いかかる!

スペイン兵は、この段階ではまだ陣を作り火器を準備する時間があったため、第一波は何とかしのぎます。

休む暇なく、今度は鉤縄で武装したマプチェ部隊が襲いかかってきます。

たまらず後ろに後退するスペイン兵。何とその背後には、ラウタロ自ら率いる部隊が。

たちまち挟み撃ちにされ、スペイン軍は壊滅。バルディビアを除き全員殺されます。

捕まったバルディビアもその後、拷問の上殺されたと言います。

この戦法は、ラウタロが馬丁時代にスペイン人から学んだ西洋流の戦闘方法でした。

 

3. マリフェヌの戦いで再び勝利

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ラウタロは休むことなく、今度は8000のマプチェ兵と合流し、マリフェヌにてフランシスコ・ド・ビジャグラの兵を襲撃。

ここでラウタロは兵を4部隊に分けます。

2部隊は突撃隊。

1部隊は予備隊で、状況を見て加勢する係。

残りの1部隊は後ろに回り込み、スペイン兵の退路を断つ係。

スペイン兵は2部隊の突撃には耐えますが、予備隊からどんどん送られてくる兵力を見て戦意を失い徐々に後退。わずかな兵のみが逃げ出し、駐屯地があるコンセプシオンに逃げ込むほどの惨敗でした。

 1555年にはラウタロは4000の兵でコンセプシオンを包囲し一斉攻撃。

わずか38人のスペイン兵のみが逃げ出すことができたそうです。

 

4. マタキートの戦いで戦死

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 ラウタロは中心都市サンティアゴを攻略するためにわずか600の兵とともに出発。

途中、ペテロアにてディエゴ・カノ率いるスペイン人部隊と遭遇しこれに勝利。

 ビジャグラの兵が付近にいることを聞き一旦兵を退却させますが、これが別のスペイン部隊と合流しに戻った情報を受け、急遽サンディエゴを急襲!

不意を突かれたこともありますが、それよりもマプチェの攻撃は激しく、堅いと思われていたサンティアゴも危うくなってきます。

そこで、サンティアゴの首長は急遽ビジャグラの兵に救援を求める伝令を出します。

 ビジャグラは驚き、急遽反転しサンティアゴにとって返します。そしてこっそりとラウタロの軍の裏側に周り、急襲をかけます。

動転したのは今度はマプチェ軍のほうでした。想定していなかったスペイン兵の登場に取り乱し、その混乱の中でラウタロも討ち死に。23歳でした。

首はサンティアゴで晒されたと言います。

 

 

5. ラウタロの死後

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ラウタロの死後300年間、マプチェの抵抗は続きます。

ラウタロの死後に指導者となったカウポリカン(?-1558)など、優秀な指導者が現れて戦争を指揮。彼らの精神的指導者はラウタロでした。

1810年、チリがスペインから独立するにあたって、チリとマプチェは協力しスペインに抵抗。

チリ独立後は、ビオビオ川を境界線にしてチリとマプチェの交易は盛んになり、混血も進んでいました。

ところが、1861年からチリ政府の開拓政策の一環で、ブリエト大統領はマプチェの土地を奪うために軍事侵攻を開始。マプチェは抵抗しますが、兵の数や火力の量も桁が違い過ぎ、マプチェの軍は次々と玉砕。

1883年の大規模な掃討作戦で1万人近くのマプチェが戦死し、300年以上に渡って続いた戦争は終結しました。

「抵抗者」バックナンバー

第1回:ジャラールッディーン(イラン)

第2回:ペラーヨ(スペイン)

第3回:ヴラド3世(ルーマニア)

第4回:チュン姉妹(ベトナム)

第5回:ラウタロ(チリ)

第6回:テカムセ(アメリカ)

第7回:スカンデルベグ(アルバニア)

第8回:シモン・キンバングー(コンゴ)

第9回:ティプー・スルターン(インド)

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