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『WEIRD「現代人」の奇妙な心理』書評―中世キリスト教会が「現代」を作った

「文化」を軸に"WEIRD"社会の発展を描くビッグ・ヒストリー

『WEIRD「現代人」の奇妙な心理』ジョセフ・ヘンリック著(白揚社)を読みました。

ご恵投いただいてから読了するのに1ヶ月以上かかってしまったのですが、かなり面白かったです。

上下巻あり、そこそこ値段はするのですが、本書の内容は通常の本の10冊ぶん以上の貴重な知識や内容がガッツリ詰め込まれているので、むしろ得なのではと思います。

こちらの記事では、本書がメインで描く「なぜ西洋が世界を支配するに至ったのか」を簡単いまとめていきます。

 

1. カトリック教会の教義が経済や技術の発展を促した

この本はジャンル的にはビッグヒストリーになるのかなと思います。

テーマはずばり、なぜ西洋は経済的・技術的に他の地域に先んじて高度に発展したのかです。

同じようなテーマで有名なのが、ピューリッツァー賞を受賞したジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』です。

ジャレド・ダイアモンドは、なぜ高度で複雑な文明がアメリカ大陸でなくユーラシア大陸で起きたのかの原因として、植物相や動物相を挙げています。

アメリカ大陸では主食になる穀物はトウモロコシしかなく、動物もリャマやアルパカといった動物しかいなかった。一方でユーラシア大陸では米、麦、大麦など多様な穀物がとれたし、馬、羊、豚、牛、ラクダといった多様な動物を家畜にすることができた。また、ユーラシアは東西に長く、緯線上で類似する気候があったため農業・牧畜技術の移転がしやすかった点も挙げています。

ただ筆者のジョセフ・ヘンリックが言うには、ジャレド・ダイアモンドの説では西暦1000年ごろまでしか説明されず、その後、なぜ経済と技術の中心はヨーロッパに移っていったのかを説明できないということです。

で、本書が何を主張しているかという点ですが、なぜヨーロッパが他地域に先駆けて発展したのか。その理由は、西方キリスト教(カトリック)の教義にあったというのが結論です

よく知られている説で、プロテスタント地域はカトリック地域よりも経済的に発展していて教育レベルも高いというのがあり、それは実際そういう傾向はあるのですが、筆者によると、中世キリスト教会によるヨーロッパ社会通念の改造が根本原因で、プロテスタント的発想はすでに中世キリスト教会に内在していて、プロテスタントの登場は必然的であったというのです。

 

2. WEIRD(ウィアード)な我々

タイトルに入っているWEIRD(ウィアード)、これはそのまま訳すと「奇妙な」とか「変な」みたいな意味ですが、本書では

  • Western
  • Educated
  • Industrialized
  • Rich
  • Democratic

の頭文字をとったものとしています。西洋の、教育を受けた、工業化された、富裕で、民主主義の地域。

具体的にはアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、ベネルクス、スイス、イタリア、オーストリア、イベリア半島、北欧諸国などを指しています。

筆者の課題意識として、大学や研究機関で意識調査や心理学調査をする時、サンプルとしてヨーロッパや北アメリカの大学生を選ぶことが多いというのがあります。

そこでなんらか優位性が出たとしても、結局それはWEIRDな人たちの嗜好でしかなく、例えばアフリカや中東やアジアの、特に高等教育を受けていない人たちには全く当てはまらない結論がでがちである、というわけです。

経済が発展し民主主義国に住むキリスト教文化圏の国民である我々(勿論日本人は「我々」の中に含まれていない)はむしろ世界の中でも例外であって、我々の当たり前を当たり前だと思うと、大切なことを色々見落としますよ、というのが筆者が唱えているメッセージです。

政治でも経済でも学問でも社会通念のギャップは世界の諸地域の間で非常に大きく横たわっています。これまでWEIRDな人たちは自分たちが正しいことを疑わなかったし、今でも大多数は

「だから俺たち西洋は偉いんだ、優れているんだ」

という感覚を持っていますが、筆者は

「いやそうではない、俺たちこそがむしろマイノリティなのだ」

「俺たちの感覚をまずは疑うべきだ」

ということを主張しているわけです。

 

3. ヒトと社会は文化によって進化する

さて、本書の構成ですが、先ほど申し上げた中世キリスト教教会がいかにヨーロッパ社会を改造してきたかを、多岐にわたる項目で、様々なゲーム実験や心理学実験を元にしたエビデンスを用いて、詰将棋のように説明していきます。

結論は比較的シンプルなんですけど、それに至る証明パートがえげつないボリュームです。もうちょい簡単にまとめられなかったのか、という気がしないでもないですが、学術的な批判に対応するためにはこれくらい細かくエビデンスを用意し冗長に説明しないと耐えられないのかなとも思います。

まず本書の本題に入る上で重要な前提条件となるものが、「ヒトと社会は文化によって進化する」というものです。

 

簡単にいうと、文化によって社会の制度や規範は作られるし、ヒトの脳の神経回路さえも変容させるほどの力が文化にはある、ということです。

ここでいう文化とはかなり広い意味で用いられていて、人間が作り上げてきた有形無形の事柄全部を言います。宗教も、言語も、政治制度も、道徳も、産業技術も、全部文化の中に含まれます。そして文化とは蓄積されるもので、ヒトは他者が学習した事柄を学ぶことで、膨大な量の情報を獲得するように遺伝的に進化してきました。ここが人間と他の動物との決定的な違いです。

一部の動物は、例えば温泉に入るニホンザルのように、文化継承を行う場合がありますが、ヒトは文化を継承するだけでなく、相互に組み合わせたりして加速度的に発展させることができます。

上巻P102を引用します。

このようにして他者の信念、習慣、技術、動機をフィルターにかけたり、新たな組み合わせを試みたりする中から、累積的文化進化と呼ばれるプロセスが生じてくる。累積的文化進化のプロセスが何世代にわたって作用するうちに、高度な技術、複雑な言語、心理に強く働きかける儀式、効果的な制度、そして、道具や家屋、武器、船舶を作るための複雑な手順といったものがだんだんと生まれてくる。どうしてその習慣、信念、手順に従うとうまくいくのか、誰一人として理解していなくも、また、こうした文化的要素が何かを「やっている」ことさえ知らずにいても、このようなことは起こりうるし、しばしば実際に起きている。

そして文化が進化していくと、同じ文化を有する集団の中で制度が生じます。

例えば結婚制度や家族制度です。そして規範が生じます。例えば兄妹間で結婚はしてはいけないとかです。そして制度や規範の存在により、ヒトは食料獲得や共同体防衛などで相互に依存し合うようになり、セーフティーネットを形成し集団の発展を目指すようになります。それが発展して氏族や部族、究極的には国家になっていくわけです。

上巻120ページの引用です。

遠方とのつながりがあると、干魃、洪水、負傷、襲撃、その他の災難に見舞われたときに、安全な避難場所を提供してもらうことができる。同様に、食のタブーによって、獲物の肉の広範な分配が促され、不猟が続いたときの脅威が軽減される。共同体儀式は、バンド内にも、バンド間にも社会的調和をもたらす。このような諸制度が、多様なセーフティネットを形成し、新たな取引の機会を開くとともに、同盟を強固なものにしていくのである。

そして相互依存のための制度や規範は、ヒトの心理にも大きな影響を与えます。ヒトは5歳になるまでに経験したストレスやその他の環境要因によって、成人してからの行動や心理、リスク受容、ストレス耐性、人間関係などに大きく影響も与えるそうです。

ここまでが前提となる議論です。

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4. 婚姻・家族プログラムが解体する家族制度

本書の最も重要なポイントです。それがキリスト教の「婚姻・家族プログラム」、通称MFP(Marriage Family Program)です。

MFPの導入を中世キリスト教会が推進したことによって、ヨーロッパはWEIRDになっていったと筆者は主張します。

先ほどの引用の通り、ヒトの社会制度はまずは最小の社会である家族から始まります。それが拡大して氏族社会が生じます。

上巻P156の引用です。

氏族という仕組みは、ある人物の血筋の一方を他方よりも高めるとともに、親族関係の捉え方を、各個人を中心としたものから、共通祖先を中心としたものへと変化させるのである。したがって、同世代のものは全員、ある共通祖先との遺伝的距離が等しく、全員が同じ一連の親族をもっている。

氏族はある種バーチャルな観念ですが、共通の祖先やファミリーがあることで、内部的な協力行動が促進され調和が維持できる可能性が高まるわけです。

そしてこのような氏族が結合して部族が生まれます。それを生じさせるのが文節リネージ制で、近隣する地域を支配する氏族同士が同盟を結ぶ、具体的には一族のメンバーが婚姻を行うことでですが、そうして大きな氏族同士の同盟ネットワークが生まれていきます。

これは現代でも見られるもので、例えば中東やアフリカではまだこのような部族の結束が強く、部族間同士の抗争が国家間戦争に発展する場合もあります。

上巻163ページには「世界各地で起きているイスラムのテロの性質も、文節リネージ制によって醸成された心理で説明ができる」とあって面白いなと思いました。高野秀行さんの『謎の独立国家ソマリランド』なんかを読んでると、まさにこういう文脈なんですよね。部族というのが個人の帰属対象となっている。

で、この氏族・部族という家族を単位にした社会を解体したのがキリスト教、具体的にいうと西方教会(カトリック教会)の「婚姻・家族プログラム」、通称MFPだというわけです

上巻P228を引用します。

いろいろと複雑な理由はあったにせよ、教会が大成功を収めるに至った最大の要因は、婚姻や家族に関する禁止、指示命令、優先事項を定めた極端な政策パッケージにある。キリスト教の聖典には(あったとしても)希薄な根拠しかないにもかかわらず、これらの政策はしだいに儀式の覆いに包まれていき、説得、陶片追放(オストラシズム)、超自然罰の脅威、世俗的処罰といったあの手この手を組み合わせて、可能な限りあらゆる地域に普及していった。

こうした習慣が少しずつ、カトリック教徒の心の中に取り込まれて内面化され、当たり前の社会規範として代々受け継がれていくうちに、人々の生活や心理に極めて重大な変化が生じるにようになった。これらの政策によって、個々人が自分を取り巻く社会(すなはち緊密な親族ベース制度のない世界)に適応し、それを再構成していかざるを得なくなったことで、ごく普通の人々の生活が徐々に変貌を遂げていったのである。

 

5. MFPがWEIRD社会を推進した

ではその極端な政策パッケージとは何か。

まず血縁者との婚姻の禁止。具体的には、遠縁の親族であるむいとこまでが含まれます。また、近新婚には夫が他界しても夫の兄弟とも結婚できなくなりました。

次に一夫多妻制の禁止。第二夫人を禁止すると同時に、売春施設を利用することも禁止されました。

養子縁組を禁止し子供の養育の義務は実母が持つようになったこと、もし無理な場合は教会か代父母が肩代わりを行うようになったこともあります。そして代父母と代子でも親族関係となれる制度も作られました。

また、自由意志による婚姻が奨励され、親同士が決めた結婚は抑制されたこと。それに伴い、独立した世帯を持つことや財産を個人で所有すること、自分が死んだ場合、財産を誰に渡すか個人が決めることができるようになったこともあります。

 

本書の最も重要なポイントは、これらの制度、MFPをカトリック教会が徹底的に推し進めたことによって、伝統的な家族制度が破壊され、都市化が推進され、商業と交易が盛んになり、富の蓄積、技術の発展、集団よりも個を優先し見ず知らずの他人を信頼し公益性を重視する価値観が生じてきた、というわけです。

この本では、統計データを用いて、例えばカトリック教会が導入された時期が長ければ長いほど、個人主義傾向があること、社会規範を遵守する傾向があること、忍耐力があることなどを証明していきます。

このあたり、ものすごいページ数を用いて様々な実験とその結果を踏まえて裏付けをしていっており、全部紹介すると大変なのでざっくりカットします。興味ある方はぜひ本を手に取ってください。

 

6. WEIRDをドライブさせたプロテスタンティズム

ここで下巻194〜195ページを引用します。

中世盛期から後期にかけて、ますます多くのヨーロッパの共同体が、時間や金銭、さらには労働、仕事、効率についての考え方に適応していった。人間関係や親族ベース制度の重要性が低下するのに伴って、あの人は熱心に効率よく働き、自制心や忍耐力があって、時間に几帳面だ、という評判を得ることがますます重要になっていった。ギルド、修道院、都市のような任意組織は、構成員の差別化を図って他集団との違いを際立たせるために、成員一人ひとりに、こうした属性を伸ばそうという意欲をもたせる方法を編み出していった。人々はしだいに、こうした特質をもっているかどうかを神が気に掛けておられる、あるいは少なくとも、もっていれば神の恩寵を受けられる、と信じるようになっていった。これが、新しいプロテスタントの教義に流れ込んだのである。

プロテスタントが現代の資本主義を作っていったというのは、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神 』という非常に有名な本があるので、ご存知の方も多いと思います。

プロテスタントは聖書を読むことで個人と神が直接契約するという教えです。カトリックみたいに、誰か偉い人の話を聞いておけばOKとか、祈っておけばOKとか、生ぬるいことは許されず、自分で努力して文字を読まなくてはいけません。

また、死後天国にいけるかどうかは本人の精神状態です。例えば妻がいる男性が街で美人をみかけて「おっいいな」「お相手したいな」と一瞬考えたとします。そこは通常自制心が働いて実行なんてしないわけですが、プロテスタントでは例え行動に移さなかったとしても、「お相手したい」と思ったこと、それ自体が悪となります。

カトリックでは、思ったことは別に咎められず、行動しなかったからOKと考えます。

なのでプロテスタントの社会規範の中で育つと、社会的な善を実行することはもちろん、純粋に嘘偽りなくプロテスタント的善の思考をすることを求められるわけです。

ただプロテスタントに特有とされる、個人主義志向、勤勉さ、自己制御、自己研鑽の精神、親族以外の他人も平等に扱うオープンな姿勢などは、もともとは中世のカトリック教会が進めてきたことをよりラディカルに行ったことであり、WEIRD的な性質を持つ社会や人の出現をドライブさせただけに過ぎないというわけです

カトリック教会もプロテスタントもそうですが、その教えを推し進めると最終的には自己否定になっていくというか、合理化した人はそもそも宗教から離脱していって、キリスト教自体に見向きもしなくなっていくという欠点があります。

MFPを作ったカトリック教会も、別に高度な経済発展を望んだわけではなく、純粋に神の国の実現を求めただけだったわけですが、こうなったというだけに過ぎないんです。

19世紀末から20世紀にかけて、教会や修道院が持つ資産や土地が国に没収され、特権が奪われていくわけですが、そもそもそれをやった共和主義者や無神論者を作ったそもそものきっかけはカトリック教会自身が作ったというわけです。

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まとめ

内容自体はこれまで解説してきた通りなのですが、読んで思ったのは、果たして筆者が言いたかったことは実現できてるのかって点です。

冒頭、筆者の課題意識として、WEIRDな西洋は世界の例外だと言いたいためにこれを書いた、といってますが、読んでいくと「であるからして西洋文化は世界を支配するに至ったのだ」というふうに読めます。

例えばWEIRDと非WEIRDの人口比を交えながら論じたら少し違ったのかもしれませんが、最初に「我々はマイノリティなのだ」と言った後、論説はいかに西洋的価値観が発展してきたかに終始しているので、これを読んだ西洋の人が、WEIRD的な価値観を相対化できるのか、と思いました。そもそもこう本を読む人は西洋でもインテリでリベラルだから十分伝わるのかもしれませんが、正直よく分からないです。

とはいえ、内容はめちゃくちゃ面白いです。『銃・病原菌・鉄』を読んだ人はぜひ読んでみてください。

今回かなりざっくりと本書の内容をまとめていますが、今回紹介していないけどかなり面白いデータや内容はてんこ盛りにあります。

例えば戦争や大災害が人々を糾合して公共心を高めていくとか。商業の推進が人々の利己心を低くするとか。めっちゃ面白い内容が盛りだくさんです。

興味ある方はぜひお手に取ってご覧ください。

上巻

 

下巻