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「黒い聖母」と中南米の民衆カトリシズム

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土着の宗教とカトリックが混ざった独自の信仰が生まれた中南米

「民衆宗教」とは、一般の人々に広まって信じられている宗教で、社会の支配層が定めた教義や儀礼ではなく、なんとなく広まっている、組織化されていない教義や儀礼を信仰する宗教のことを言います。

南米では、支配者のスペイン人によってカトリックがもたらされましたが、アメリカ原住民の土着の宗教と、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人の部族宗教が根強く、これらのローカルな宗教が土台にありその上にカトリック信仰がかぶさるという独自の信仰体系が生まれました。この南米の民衆宗教を「民衆カトリシズム」と呼びます。

 

 1. 南米の民衆カトリシズムとは

1492年のコロンブスの新大陸到達以降、スペインとポルトガルによって征服が進み、同時にカトリック信仰の南米への伝導活動も進んでいきます。伝導の仕方はさまざまで、初期の修道士や司教のような教育・経済・芸術的な伝導の形もありましたが、一方でかなり荒っぽくインディオにカトリックを強制するというやり方もありました。カトリック布教はスペイン人・ポルトガル人の征服活動と密接に結びつき、上から強く改変を迫るやり方で、インディオの社会・経済・政治・文化・慣習のすべてを変えてしまいました。

そのため表面上は組織によって定められたカトリックの制度を受容しているように見えますが、その実、民衆は植民地化や奴隷制の下で虐げられてきた下層階級の意識を繁栄した土着宗教やアフリカ宗教の伝統を維持しています。この、公認カトリシズムと民衆カトリシズムが併存しているというところに南米の宗教の特徴があります。

 

中南米のカトリシズムの特徴の一つが「聖母マリア信仰」です。

公認カトリシズムでもマリア信仰はありますが中南米のそれは比較にならないほど強く、後に出てきますが、メキシコのグアダルーペの聖母のように信仰のシンボルとなり、その人気はイエス・キリストをも上回るほどです。

特徴の二つ目がカーニバルや万霊祭、フィエスタなどの祝祭と、宗教的な舞踊、演劇、歌唱、音楽などの芸術です。これらの祝祭や芸術は抑圧にある日々の暮らしからの解放と、差別と抑圧への批判を現しています。

特徴の三つ目が呪術や薬草などを用いた宗教的治療

呪術師は薬草や幻覚剤を用いて呪いをかけたり解いたり、悪霊を退散させたり、病気を治したりといった力を有すると考えられています。

では、このような独自のカトリック信仰はなぜ生まれたのでしょうか。

 

2. キリスト教を盾にした南米植民地支配

16世紀の半ばまで、イエズス会を始めイベリア半島のカトリックの聖職者・伝道者は、旧大陸で失われた理想のキリスト教国家の実現を求め、新大陸で熱心な活動を行いました。

しかし、17世紀にはすでに大半の聖職者は上流階級の住む都市に住むようになり、農村地帯の公認カトリシズムの干渉は少なくなっていきました。必然的に、農村部ではミサへの出席率が低くなり、結婚や葬式などもカトリックに則った儀礼は少なくなります。聖職者は富裕な貴族に奉仕し、その金銭的な見返りを求め、農村部の下層階級の信仰などには無関心でした。こうして公認カトリシズムの介入が少なかった地域では、組織だった信仰の教えがなく、民衆が独自に信仰を発展させる民衆カトリシズムが強くなっていきます。

聖職者は農村地帯へのカトリックの布教に責任はあったものの、教会や儀礼の管理といった教会組織の運用コストを担いたがらなかったため、カトリックの影響を維持しつつ費用負担は住民に押し付けるという「カルゴ・システム」を作り出しました。これは村の行政・宗教の行事を遂行する役職を下層階級に与え、交代で就任する制度で、野心ある者が名望家として村での威信を高められるというメリットがありました。しかし諸々の費用負担も下層階級に求められることになりました。そのため、伝統的な村落共同体の秩序は温存され、伝統的な信仰を維持させることにも繋がりました

一方でペニンスラール(イベリア出身者)は、征服者中南米の民衆を絶対的に支配し、さまざまな自由を拘束し、反乱があっても確実に鎮圧しました。

白人の下層階級への絶対的な支配関係と人種優越主義は、両者の間に「パトロン・クライアント関係」を形成しました。これは慈悲深い上流階級が下層階級の哀れな生活を理解し施しを恵んでやる、といったもので、上流階級や聖職者たちはイエス・キリストの言葉「貧しき者は幸いである、神の国はあなたがたものである」を利用し、下層階級に従順であることを説き、被支配者であることを強いたわけです。

その結果、下層階級にとっては都市の上流階級や聖職者は、自分たちに慈悲を施してくれる権威者であり、貧しい自分たちは神の恵みをただ祈るしかない、といった奴隷根性が生じました。

民衆は自分たちを導いてくれるカウディーリョ(領袖)を求め、家父長的リーダーに頼り、自分たち自身で変革していくという意欲をなくし、これが守護聖人と信者という信仰関係を生み、中南米の民衆の精神構造を形成しました。

中南米の民衆にとって、イエスやマリアは自分たちに施しを与えてくれる守護聖人にしか過ぎないのです。

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3. メキシコのグアダルーペの聖母

 メキシコのキリスト教信仰で重要な役割を果たしているのが、グアダルーペの聖母です。

伝説によると、コルテスがアステカの首都テノチティトランを征服した10年後の1531年に、テペヤクの丘で聖母マリアがインディオのホワン・ディエゴにナワトル語で語りかけ、その地に教会を建てて聖母を守るように命じたそうです。そしてディエゴが司教スマラガの前で持ってきたマントを開くと、インディオ女性の顔をした聖母像が現れた、と言われています。

このテペヤクの丘はアステカの月の女神であり大地母神であるトナンツィンの神殿があった場所で、インディオにとってグアダルーペの聖母はトナンツィンの再来であり、征服者スペイン人の圧政に苦しむ民衆を救う恵みの神に他なりませんでした。

テペヤクに建てられた聖堂は巡礼の地として人気になり、次第にクリオーリョ(現地生まれの白人)やメスティーソ(白人と原住民の混血)も巡礼に訪れるようになっていきます。グアダルーペの聖母は1754年に教皇ベネディクト14世により「ヌエバ・エスパーニャの守護聖人」であると宣言されました。

現在でもメキシコの信仰を象徴する場所で、巡礼者が絶えません。

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Work by Sebastian Wallroth

グアダルーペの聖母は、インディオのローカルな守護聖人が人気を博し、とうとう公認カトリシズムにも認められ、国家レベルでメキシコ国家の統合の象徴とされました。この過程で他のローカルな守護聖人は次第にグアダルーペの聖母に吸収されていきました。

 

4. 南米の黒い聖母

このように南米のカトリシズムは、下層階級の信仰を母体にカトリックの教えの衣を着て、教会や国に認められて民衆の統合のシンボルになるケースがあります。また、その途中段階にあるものもあります。

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ブラジルの「アパレシーダの聖母」も同じように国家公認レベルに到達しています。

この聖母は伝説によると、1717年にサンパウロ州北部のバライバ川で三人の漁師の網に木造の黒い聖母の像がかかり、この像を祀る聖堂が建てられて巡礼地になりました。1980年にヨハネ・パウロ二世はこの聖堂を聖別(聖的に特別なものとして区別する)し、ブラジルの守護聖母と定められました。

他にも、アルゼンチンとウルグアイには「ルハンの聖母」。

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 Photo by  Photo-Monique

 

ペルーの「コパカバーナの聖母」。

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Photo by Dennis Jarvis

 

エクアドルの「グァルプロの聖母」、パラグアイの「カアクペの聖母」、ベネズエラの「コロモトの聖母」など、南米諸国の独自の聖母を持っています。これらの聖母はまだ地方の守護聖人の域を超えておらず、まだ国家レベルには達していません。

これらの聖母像は「黒いマリア」であることが多いです。黒いマリア自体はヨーロッパでも見られるもので、元々の像の材質が黒い木だったり、煙に長い間いぶされて黒ずんだりして、黒くなっているのにはさまざまな背景があります。

南米ではマリア像が黒いということ自体が重要で、上流階級で信仰される白人のマリア像ではなく、自分たちと同じ褐色の肌のマリア像であることが、自分たちのことを理解し、恵みを与えてくれる守護聖人であることを感じさせるのです。

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まとめ

 

もともと白人支配以前にあったインディオの信仰体系や、アフリカから来た黒人の宗教を覆う形でカトリックの教えが受容し、民衆は白人の支配に反発し悲しみを表現しながらも、自分たちから積極的に変えることはなく恵みをただ祈るメンタリティが一般化して、南米独自の社会体制や信仰体系が生まれてきました。

南米の民衆の「パトロン・クライアント関係」は、南米の歴史のかなり重要な要素です。「強いリーダーが登場して民衆に施しを与える」という政治的なスタイルは広く見られ、独裁者や地方のカウディーリョが勃興しやすく、南米の政治的・社会的な「安定さと不安定さ」をもたらしてきました。

南米の歴史を学ぶ時には、このような視点を頭に入れておくと理解が早いと思います。 

 

参考文献

シリーズ 世界史への問い10国家と革命 中南米の宗教と民衆運動 藤田富雄 

国家と革命 (シリーズ世界史への問い 10)

国家と革命 (シリーズ世界史への問い 10)