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『反知性主義』(新潮選書)−アメリカという国のかたちと「特殊性」について考える

本当の意味での反知性主義とは何なのか

反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―(新潮選書)』森本あんり著(新潮選書)を読みました。

2015年初版の本なので少し古いのですが、かーなり面白かったです。
反知性主義って日本では非常にネガティブな意味に使われますが、アメリカでは本来は非常に前向きな意味を持ち、実際に「平等社会」の実現を目指して社会改革を成し遂げてきたという歴史があります。アメリカ社会の根本にある思考が分かる大変素晴らしい本です。

 

1. 本来は前向きな意味を含む反知性主義

この本はタイトル通り「反知性主義」について述べているものです。反知性主義って、日本ではちゃんとした知識を学ばずにデマゴーグに扇動される人たちとか、知識人や権威を(屁理屈をこねて)「論破」して喜んでる人たちみたいな意味が多いです。

どっちかというと知識人やメディアの側が、知やアカデミズムが軽視されてるあまり好ましくない現象として「反知性主義」と呼ぶケースが多いと思います。

なので日本ではかなりネガティブな意味を含むのですが、著者によるとアメリカで生まれた反知性主義はそういうネガティブな意味では本来なくて、どっちかというとポジティブなもので、知性に付随する権力だったり、富だったり、怠惰・怠慢に対して反発するもので、社会の平等化やコミュニティの健全化など、非常に前向きな意図を含むと説明されます。

どういう理由で反知性主義がポジティブな意図なのか、という具体的な話になると、ここから先はアメリカのキリスト教史を見てみないとよくわからないということで、本書では第一章から第七章までアメリカのキリスト教の文脈を辿っていきます。

アメリカのキリスト教というのは同じキリスト教、具体的にはピューリタニズム、細かくいうとカルヴァン主義が主流ですが、ヨーロッパのそれとかなり異なっていまして、このアメリカで独自に発展したキリスト教というのが反知性主義の正体を解く大きなキーになります。

 

2. スーパー知識マウントされるアメリカ社会

アメリカのキリスト教とヨーロッパのそれとの大きな違いは、契約の概念です。

ヨーロッパのキリスト教では、人間は神の子であり、神は人間に試練を与え、人間は神から与えられた試練、貧困や死別など時には耐え難い試練があるわけですが、それに耐えて人の道にたがうことなく、より高い次元の存在になるべく努力をする、それが神の道だというものです。

一方でアメリカは、神と人間との間に契約があり、人間が神の言われた通りのことをしたのであれば、今度は神が人間に対して便宜や利益を与えるべきだと考えます。

極めて現世的で実利的な思考をするのがアメリカのキリスト教であります。

見よ、アメリカは繁栄している、それは我々が神の期待に応えて努力し、神がその努力に応えて祝福してくださったからだ。だから我々は正しい。我々のやることは正義である。

というわけです。

反知性主義はその名前の通り、知性主義への批判やカウンターです。もともと独立当初のアメリカはピューリタニズムの知性主義が非常に強い社会だったという点が、のちに反知性主義が現れる土壌となっています。

ハーバード大学やイェール大学をはじめ、いわゆるアイビーリーグと言われるアメリカの名門私立大学の大半は、ピューリタニズム的な神学を一般教養として教える大学で、これらの大学を卒業した人が人口比でかなりの割合を占めました。ピューリタン的な高度な神学的知識が支配層に加わるためには重要だったし、これら支配層は日曜教会を通じて知性を民衆に広めることを求められました。

民衆の側も、休みの日の日曜にかなり難しい神学的知識を教会で3時間も4時間も聞かなくてはいけなかったのです。アメリカはもともと、スーパー知識マウントというか、偉い人が宗教の教養で民衆をぶん殴るみたいな、ゴリゴリに堅苦しいピューリタン的社会だったわけです。

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3. アメリカの「熱病」リバイバル運動

アメリカが独立する前の18世紀から信仰復興運動、リバイバル運動が始まります。

本書の副題が「アメリカが生んだ「熱病」の正体」ですが、この熱病というのがリバイバル運動のことを指しています。

この運動は具体的には1734年に始まり、数人の伝道者による説教に人々が熱狂しこぞって神の救いを求めて会心を誓うようになり、その熱狂が街から街へと伝播していき集団ヒステリーのような状態になる現象です。

そしてこういった熱狂はアメリカの歴史の中で、第一次大覚醒、第二次大覚醒といった人々の宗教的覚醒が何回もあって、その都度ワーッと信仰心が盛り上がります。なんでリバイバル運動は起きたのかの原因は、いろいろな要素があります。

本書では人々の回心体験への強い希望や、人口の急増、メディアの発達が指摘されています。ちょっとここは全部説明すると大変なので、詳細は本書を読んでください。

とにかくアメリカには人々が信仰心を希求する風土があり、いくつかの外部要因があって宗教が盛り上がる機運が高まる流行りがあるということです。

本書では第二章以降、そういうリバイバル運動を発展させてきた人物がたくさん登場してきます。
まずは牧師で、英語がまったくわからない人も彼の説教に感動して涙を流したという演説の達人、ジョージ・ホイットフィールド。

何度もリバイバルを受けることを積極的に認めてリバイバルへの参加の敷居を下げ、女性や黒人の社会進出を応援したチャールズ・フィニー。

独立系教会のはしりで、大規模なリバイバル集会をひらいて大衆を動員しアメリカで社会現象を巻き起こしたドワイト・ムーディー。

貧しい出自で、粗野な言葉と大げさなアクションで神の福音を語るアウトロー的な言動で人気になり、巨万の富を築いたビリー・サンデー。

これらの人物が人々の信仰心を燃え上がらせ、宗教への関心を高め、現代でも異様に信仰心が高いアメリカ社会を作り上げました。

彼らの特徴は平易な言葉で神の教えを語る巧みな演説ができ、人の心の機微をすばやく嗅ぎ取って観客を魅了する点で、中には聖書や神学の知識がほとんどない者さえいました。

 

4. 福音は大衆にあるべきもの

こうしたリバイバル運動の担い手たちは、同時にビジネスマンであったという点も非常に重要です。新聞やラジオ、テレビ、現代ではインターネットといったメディアの力を使って人を大量に集客し、そこで寄付を集めたり聖書などのグッズを販売したりしてお金を稼いでいました。

リバイバル集会はまるでサーカスやプロレスの興行が街にやってきたようなもので、音楽やダンスもある非常に楽しいものでした。特にアメリカの田舎の街なんか娯楽なんてないので、リバイバル一座がやってきたら歌って踊ってみなで心を一つにするエンタメだったわけです。

見ようによっては俗物的で、既存の教会関係者からはまったく認められていない異端のような人たちだったのですが、彼らが反知性主義の重要なファクターであります。

彼らは小難しい教義や難しい言葉を使わず、平易な言葉で身振り手振りも交えてわかりやすく神の言葉を語りました。

彼らは、教会関係者の非難「神学をちゃんと学んでないやつが神について語る資格はない」といったに対しても、「神の教えはあなたたちだけのものではない、一般民衆が理解できるような教えこそが真理なんだ」と返すわけです。

真理や福音は頭のいいやつのところにだけあるのではない。全員にあるべきであって、真理や福音に至る道は様々にあるのだ、というわけです。

この文脈は、ブッダの弟子である周利槃特(シュリハンドク)の逸話に近いものがあります。

自分の名前すら覚えられないほど頭の悪い周利槃特に対して、ブッダはほうきを与えてとにかく掃除をするように命じました。他の弟子たちが勉強や瞑想に励む中、彼は掃除をずっとやっていたわけですが、きれいにすべきは自分の執着心であるという点に気づき、弟子の中でいち早く解脱に達することができた、というお話です。

世の東西問わず、こういう無知な人間、ピュアな人間こそ真実に辿り着ける、辿り着けるべきという観念はあるようです。

 

5. 合衆国の理念「平等社会」に近づける努力

アメリカは、知的で文化的ではあるけど、既得権益層や古い考えに支配されているヨーロッパを脱して、新大陸でまったく新しい世界を作ったという文脈を持っています。

イエス・キリストが当時の権威を否定してみせたように、アメリカという地で古い権威を否定してキリスト教の本質を取り戻す、とします。独立宣言にも書かれている、アメリカの建国理念である平等というものは、反知性主義とものすごく相性がいいというわけです。
貧乏人でも努力を惜しまず働けば成功することができるという、アメリカン・ドリームの観念そのものです。

そしてアメリカ独立宣言では平等が掲げられてはいるけど、実際は当時も今も平等は達成されていません。真に平等な社会というのはおそらく無理なのではないかと思える大きすぎる理想です。

ただアメリカは独立宣言で平等を標榜して、またリバイバル運動によって「平等が達成されていない堕落した世の中」を問い直すことで、実際に平等にできるかぎる限り近づけようとする努力をしてきました。

例えば奴隷解放運動や女性の権利拡大、公民権運動などに大きな影響を与えています。

ブラックライブズマターやMe Too運動もこの流れと言っていいかもしれません。

そういう意味で日本ではアメリカ的文脈での反知性主義というものはなくって、リベラル派やリベラルメディアも行動や発言だけアメリカのものを輸入するのですが、アメリカのように社会の根っこに繋がってないので、どうも一般大衆の支持を得られない、うさんくささが拭えないということがあると思います。

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まとめ

現在のアメリカでは宗教ジャンルが今だにものすごく人気があって、ケーブルテレビにもキリスト教専門チャンネルもあるし、キリスト教集会は今もすごく盛んで、週末になると人々はシボレーに乗ってでかい体育館みたいな集会場にかけつけて、伝道者の話を聞いて、歌って踊ってビールを飲んでBBQを食うみたいなエンタメを楽しむ習慣があります。

もともとのアメリカのピューリタン的な文脈がありつつも、宗教をエンタメ化している点がアメリカのキリスト教の大きな特徴です。そんな形で本当によかったのか?という気がしないでもないですけど、現在のヨーロッパ諸国のキリスト教がほとんど形骸化していて、皆ほとんど宗教への興味を失っていることを考えると、キリスト教の教えを後世に引き継げているという点で、アメリカの方が成功していると言うことができるのかなと。

ただアメリカのキリスト教は、誰でも真面目にがんばれば神の救いがある、といったような、ある意味で自己啓発に近いもので、天国に受け入れてもらえるための現世の努力というよりは、現世で金持ちになって裕福な暮らしを送るためのマインドセットの一つになっています。

現世での利益を願うという意味で、日本の神道に近いものがありますが、ただそこに至る過程はまったく違うもので、最後の「じゃあ信者にどんな良い点があるんですか」は一緒かもしれませんが、ルーツやプロセスがまったく違います。

いま統一教会をきっかけに新興宗教がかなり問題になっていますが、日本でリバイバルが真に根付くかというとかかなり怪しいと思います。

結局は統一教会のように人の弱みに付け込んだ情弱ビジネス的に展開するしかなくて、金の力で政治家に食い込むことはできるかもしれませんが、山上容疑者をはじめ不幸な人間を多く生み出している以上、絶対に世間的なサポートを得られることはないです。やはりこう、歴史の積み重ねというものは非常に重いものだとつくづく思わされます。