世界中の人を虜にする甘いドーナツの誘惑
ドーナツの消費量は世界で増加傾向にあります。
世界のドーナツ市場は2021年で157億8000万ドル(2兆3354億円)に達し、2028年にかけて年間3.4%で成長すると見込まれています。
日本では、かつてはミスタードーナツがどこでもありましたが店舗数が減り、その代わりにコンビニやスーパーで気軽に買えるようになりました。
今回はドーナツの歴史を紐解いていきます。
1. アメリカ人とドーナツ
ドーナツの本場・本家はアメリカです。
2020年のアメリカのドーナツ消費者数は2億1002万人。国民の約64%がドーナツを食っていることになります。また、2022年のアメリカのドーナツ市場の規模は75億ドル(1兆1100万円)だそうで、冒頭の数字に照らし合わせると、世界の市場規模の約半分がアメリカにある計算です。
アメリカ人の3分の1以上(37%)が毎月少なくとも1個のドーナツを食べているというデータもあります。日本人の3分の1以上が毎月食べる食事を挙げよと言われてもなかなか難しいです。カレーとかうどんくらいでしょうか。
アメリカの映画を見ていても、ドーナツが実によく出てきます。
パッと思い浮かぶのは、ドーナツを食う警官です。
梅に鶯みたいな感じで、アメリカ人的にも警官といえばドーナツは「あるあるネタ」らしいです。
これにはちゃんと裏付けもあって、夜勤や早朝出勤も多い警官がいつでも食べ物を買える店は夜通し営業しているドーナツ屋くらいしかなかった点と、パトカーを運転したり、警備しながら食えた利便性もあった点にあったそうです。
また、特にあまり治安がよくない場所に立地するドーナツ屋は、警官が立ち寄ることで安全性を確保できたので警官の客を歓迎したというのもあります。それだけどんな田舎にもドーナツを提供する店があったという証左でもあります。
2. ドーナツの種類
本編に行く前に、少しドーナツの種類を整理しておきます。
ドーナツと一口に言ってもかなり多くの種類があります。
ケーキ・ドーナツ
ケーキ・ドーナツはパウンドケーキに似たタイプの生地で、代表的なものは「オールド・ファッション」があります。密度が高く、サクっとした食感で、喉につまる感じのドーナツです。
イースト・ドーナツ
パンと同じくイースト菌で発酵させた生地を使うドーナツです。ミスタードーナツでは「ハニーディップ」とか「エンゼルクリーム」がこの種類です。ふわっとして砂糖の甘さを感じられます。
クリスピー・クリーム・ドーナツの元祖商品である「オリジナル・グレーズド」はイースト・ドーナツです。
シュー・ドーナツ
フレンチ・クルーラーまたは単にクルーラーとも呼ばれます。中に生クリームが挟まったドーナツで、柔らかい食感の生地が特徴です。
クロナッツ
日本ではあまり一般的ではありませんが、クロワッサンとドーナツの生地が半々になったクロナッツという種類があります。2013年にニューヨークで生まれたドーナツで、バターの香るサクっとした食感とふわっとした食感の両方を楽しめるものです。
ポテト・ドーナツ
かなりマイナーですが、マッシュポテトに砂糖を混ぜて油で揚げるポテト・ドーナツは、古くからアメリカで作られていた伝統的なドーナツです。家庭で作られる田舎のお菓子といったもので、全国展開するチェーン店ではまず取り扱われません。最近ではアメリカ人でも若い人はまず食べないようです。
パーシング・ドーナツ
シナモンロールをドーナツ状にしたものです。シナモンロールにはレーズンが入っているものもありますが、パーシング・ドーナツには入っていないのも特徴です。
その他にも、メープルシロップとベーコンをトッピングした「メープル・ベーコン・ドーナツ」やラズベリー、ストロベリー、レモンなどのゼリーが中に入った「ジェリー・ドーナツ」、穴がなく棒状の生地をツイストして揚げた「ツイスト・ドーナツ」など様々です。これはイベリア半島が本家ですが、チュロスをドーナツの一種と見なす場合もあります。
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3. ドーナツの起源
パン生地を油で揚げて蜂蜜やシナモンなどで甘みをつけた現代のドーナツに似た食べ物は、実は古代ローマ時代からあり、中世ヨーロッパでも食べられていました。
デザートではありませんが、中国にも揚げパンの一種である「油条(ヨウティヤオ)」が存在しました。
ただ、現代における「ドーナツ」は18世紀、ニューヨーク(当時はニューアムステルダム)に入植したオランダ人が持ち込んだ「オリコーク(olykoeks)」が起源であるとされます。直訳すると「油ケーキ」という意味です。
パン生地を油で揚げて砂糖で甘みをつけるという、ヨーロッパ伝統の揚げパンの子孫です。当時はまだ穴は空いてませんでした。
では誰が揚げパンに穴をあけて「ドーナツ」にしたのか。
もっとも有名な説が、アメリカ人の船乗りであるハンソン・グレゴリーが1847年、16歳のときに石灰貿易船に乗っていた時に発明したというものです。
グレゴリーは常々、揚げパンの油っぽさと、時には中にちゃんと火が通っていないことに不満を募らせていました。
そこでブリキの胡椒箱を使って生地の中心に穴を開けることを思いつきました。中心に穴があることで、生地全体に均等に火を通すことができ、揚げ時間も短くなって、軽い食感に仕上がったというわけです。
グレゴリーは作り方を母エリザベスに教えました。
エリザベスは息子とその仲間が長い航海で壊血病や風邪になったりしないよう、パン生地の中にシナモンやナツメグ、レモンピールに加え、ヘーゼルナッツやクルミなどを混ぜて揚げました。そしてそれを「Dough Nuts(ナッツの生地)」と呼んだそうです。初期のドーナツはナッツ入りであったわけです。
現在ドーナツのスペルは「Donuts」ですが、このスペルが定着したのは1950年代で、それまではさまざまな綴りがあったそうです。上記の通りオリジナルは「Dough Nuts」です。
19世紀にトーマス・ディムズデール男爵夫人が書いたレシピと家庭の秘訣の本では「Dow Nuts」と書かれていました。
「Donuts」という現在の綴りは1920年代、ニューヨークに本社を置くディスプレイ・ドーナツ・マシン・コーポレーションが、自動ドーナツ製造装置を発売する時に作ったそうです。
この会社は機械を海外用にセールスする際に、外国人が発音しやすいように「W」を抜いて簡略なスペルにしました。
このあたりから「Dough Nuts」「Dow Nuts」「Donuts」のスペルが併存していました。
ドーナツのスペル問題はメディアにも取り上げられ、1929年8月10日付けのロサンゼルス・タイムズの記事では「スペルの衰退」が嘆かれ、皮肉混じりに「wel-dun donut(Well-Done Dow nuts)は飲み込めない」と書かれています。
1948年に創業したオープンケトル社が1950年に「ダンキン・ドーナツ」と社名変更した際、「Donuts」表記を採用しました。
その後、ダンキン・ドーナツが全米に拡大していく中で、Donuts表記が一般的になっていきました。
ちなみにもう一つの大手、クリスピー・クリーム・ドーナツは「Krispy Kreme Doughnuts」と表記します。
4. ドーナツの大量生産化
1917年、第一次世界大戦の西部戦線では、キリスト教団体の救世軍がフランスに女性ボランティアを派遣し、揚げたてのドーナツを兵士たちに提供しました。
ホームシックにかかったアメリカ兵(ドーナツ・ボーイ)は、懐かしい故郷の味を求めて「ドーナツ・ガール」の小屋に殺到したそうです。
救世軍はこれを記念し、1938年から毎年6月の第一金曜日を「ドーナツの日」としてさまざまなチャリティを行っています。
兵士たちが故郷を懐かしむくらい、すでにドーナツはアメリカ人に食べられていたわけですが、当時はまだドーナツは全て手作りでした。
ドーナツ製造のオートメーション化に成功した人物が、アドルフ・レビットです。
△アドルフ・レビット
彼は革命ロシアからアメリカに亡命してきた人物です。
ビジネス感覚のあった彼は、自分の店でドーナツを売っていた時、劇場の観衆が幕間や幕後に腹を空かせてドッと出てくるのを見て、より早く大量に出来立てのドーナツを売ることで儲けることができると思いつきました。
そこでレビットは、生地を自動で油揚げする機械を開発しました。
流れるスロープに乗った生地が、自動で穴があけられ、油の海に放り込まれ、ひっくり返され、一列になって出来上がってくる。人々はガラスの向こうで繰り広げられるドーナツ製造の様子に夢中になりました。
大量にたくさんの人に売るという当初の目論見も大成功し、アドルフ・レビットがおこした会社は年間2500万ドルを稼いでいました。
1934年にシカゴで開催された万国博覧会では、ドーナツは機械で自動的に作られる食品として喧伝され、「人類の発展と未来」の象徴となりました。
実際に、オートメーション化によりドーナツの価格は下がり、1個5セント以下で買えたため、世界恐慌の時代でも人々が口にすることができる食べ物の一つでした。
5. 大量生産で実現する秘伝の味「クリスピー・クリーム・ドーナツ」
アメリカを代表するドーナツ・チェーンの一つ、クリスピー・クリーム・ドーナツが創業したのはシカゴ万国博覧会の3年後の1937年のことです。
1930年代、ジョセフ・ルブーフというフランス人がニューオリンズからケンタッキー州パデューカに移住し、ドーナツ店クリスピー・クリームを開きました。
ところがうまくいかず、彼はイシュマエル・アームストロングという地元の店主に秘伝のレシピとクリスピークリームという屋号の店を売ってしまいます。
イシュマエル・アームストロングは甥のバーノン・ルドルフと共に秘伝のレシピを受け継いで1937年にクリスピー・クリームを再オープンしました。
当初ルドルフはドーナツの訪問販売・配達に力を入れ、地道に販路を拡大していきました。次第にその美味しさが評判になるようになり、店にはファンがつくようになっていきました。
ルドルフは配達をやめ、店でドーナツを作るところを通行人や客に披露することで売り上げを伸ばしていきました。
第二次世界大戦が勃発すると前線では第一世界大戦のように、赤十字の女性たちが兵士たちにドーナツを配って周りました。帰国した兵士たちは、青春の味であるドーナツをより消費するようになっていきます。
ルドルフも軍に従軍していましたが帰国し、ドーナツ・チェーンの拡大に尽力していきます。その秘策がドーナツ製造マシンでした。
1950年代後半までに29のクリスピークリームの店舗工場では、製造マシンが1時間に75ダース(900個)のドーナツを製造していました。
1950年代にはマサチューセッツ州クインシーで創業を始めたダンキン・ドーナツとは激しい競争をし、特にアメリカ北部、西部、南部で店舗を拡大していきました。
2023年時点で、アメリカ国内に359店舗。日本では68店舗あります。
6. 顧客第一主義「ダンキン・ドーナツ」
クリスピー・クリームのライバル、ダンキン・ドーナツの歴史は1948年、マサチューセッツ州クインシーにあったドーナツとコーヒーの店 「オープン・ケトル」にあります。
創業者のウィリアム・ローゼンバーグは、ドーナツを5セント、プレミアムコーヒーを10セントで提供していました。
幹部との議論との結果、ローゼンバーグは1950年に店名を「ダンキン・ドーナツ」に変更しました。
コンセプトは「近代的で品揃えの良い店舗で、新鮮で最も美味しいコーヒーとドーナツを素早く丁寧に作り提供する」こと。
1955年、ダンキン・ドーナツのフランチャイズ1号店がオープンし、わずか10年で店舗数は100を超えるまでになりました。
ダンキン・ドーナツは創業当時のコンセプト通りに、顧客を飽きさせない様々な味やフレーバーのドーナツとコーヒーをを常に提供し続けてきました。アメリカでは10年連続でコーヒーチェーンの顧客満足度1位を維持しています。
アプリを活用したデジタル施策やネットを活用したオーダーを取り入れるなど、顧客のニーズに応えるだけでなく、需要を掘り起こす点でも非常に積極的です。
7. ドーナツの発展と今後
ドーナツはアメリカだけでなく、世界でも消費量が拡大している食品です。まだドーナツが一般的ではない国・地域でも、潜在的な需要はまだまだあると思われます。
というのもこれまで見てきた通り、ドーナツには「こうしないといけない」という明確なルールがなく、非常に融通無碍であるからです。
ドーナツといえば穴が空いてるものですが、別に穴が空いてなくてもいいし、塩辛いものを挟んでもいいし、焼いてもいいし、小麦粉の代わりに米粉や豆を使ってもいい。
ドーナツっぽいものであれば、なんでもドーナッツを名乗ってよいのです。
日本でも、おからドーナツとか、生ドーナツとか、蒸しドーナツとか、本場アメリカ人が思いもつかなそうな材料や手法のドーナツがたくさんありますよね。
アメリカでも、流行り廃りはあるものの、冒頭で述べたようなクロナッツやメープル・ベーコン・ドーナツのような新しい種類のドーナツが登場してきています。
日本のミスタードーナツで生まれたポン・デ・リングのような新しいドーナツがアジア圏で人気になっているように、アメリカ以外で生まれた新たな味がドーナツの可能性を広げています。
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まとめ
オランダ人、ロシア人、フランス人など色々な人種が関わりつつ、機械化・効率化、市場戦略などビジネス的に発展してきている点など、極めてアメリカ的ですね。
「形」にはめれば、どんな材料や手法で調理されたものでもドーナツと名乗れる点も、アメリカ流民主主義を別の国にインポートするのと似てるような気もします。
世界で様々な「ドーナツ」が発展していくのをもっと見てみたいものです。
参考サイト
"28 Donut Consumption Statistics To Go Nuts Over Donuts 2024" SPECIAL