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冷戦期ラテンアメリカの政治とポピュリズムの台頭

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中南米諸国が経験したポピュリズムという政治

ラテンアメリカは十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、繁栄を謳歌していました。

欧米向けの資源輸出が好調で、特にアルゼンチンは当時の十大国に数えられるほど経済力が高い国でした。しかし、世界恐慌の到来で資源輸出が不調になり、産業構造の変化が求められると、南米諸国は経済的な危機や都市部でのマルクス主義・労働運動の拡がりに対応するために、ポピュリズム体制が採られるようになります。

 

1. 寡頭制支配の破綻

 ラテンアメリカではスペイン植民地以来、政府や荘園主、教会が民に温情を施し教え導く、という伝統がありました。

国のリーダーも、声がデカくて腕っぷしも強く、金払いがよくて部下に慕われる「カウディーリョ(親分やボスといった意味)」が指導者に就くケースが多く見られました。

カトリック保守主義に基づく精神主義的な文化が長年支配的でしたが、20世紀ごろから人口が農村から都市に移動し、外国からの移民も都市に集まり第三次産業が発達するにつれて、自由主義・社会主義の影響が広まっていきました。

1910年には、メキシコで独裁者ディアスの専制政治を打ち倒すべく、自由主義者・農民指導者・地方の義賊が反乱を起こし、階級と地方の派閥争いの中で結局、カウディーリョ的な連中が指導権を握っていくのですが、一連の闘争の中で農地改革や労働者の権利の獲得、資源の国家所属などを勝ち取り、寡頭支配層の影響力は低下していきます。

さらに、1930年以降の世界恐慌でそれまでの天然資源に頼った外貨の稼ぎ方が完全に破綻。街には失業者があふれ、各国でストライキやクーデターが起きるようになっていきます。

 

2. ポピュリズム政権の登場

1940年以降、ラテンアメリカ諸国では中間層・下層階級中心の政治を唱えた政権が次々に誕生していきました。 

これらはラテンアメリカではポピュリズム政権と呼ばれます。国によって程度の差はありますが、おおむね「大衆の政治参加」「経済福祉の充実」を唱え、労働組合の合法化、普通選挙権の導入、社会保険制度の導入、食品や燃料、公共料金に対する政府補助などが設けられました

ポピュリズムの支持基盤は大衆で、大衆寄りの政策の実現を目指したことは同時期に強い影響力を持ったマルクス主義と似ていますが、ポピュリズムはプロレタリアート独裁や寡頭支配層の強制排除といったことは行いませんでした。

 

ポピュリズム政権下では産業の工業化が急速に進むことになります。

第二次世界大戦によってイギリス、フランス、ドイツ、イタリアといった主要工業国の製造業が壊滅状態になり、工業品の輸入が大幅に減ったことがラテンアメリカ諸国の国内向け工業が進んでいく要因となりました。

ポピュリズム政権は国内企業に免税や補助金を与えて支援を行い、輸入制限や外資規制を行うことで国内工業の成長を促しました。

ポピュリズム政権は民族主義的な政策を採ったことでも知られます。その支持基盤である大衆の土着的な文化を礼賛し、先住民文化や混血文化が優れた文化であるという言説が影響力を持ちました。

 

ポピュリズム政権の国々

アルゼンチンでは青年将校が寡頭支配層を打倒し、ペロン政権を樹立するに至ります。

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ペロンはイタリアのファッショ方式による国民統合を理想とし、食肉輸出により獲得した外貨を労働者問題の解決につぎ込んでいき、それまでマルクス主義やアナルコサンディカリズムの支配下にあった労働組合を自らの強力な支持者に組み込んでいきました。

 

ブラジルでは、ヴァルガスにより「エスタード・ノーヴォ(新国家)」が構築され、国家による経済の介入とナショナリズムと愛国主義を推進する体制となりました。その中で、主要輸出品であるコーヒーに頼らずに外貨を獲得できる構造を作るために、工業化とアマゾンの開発を推進。財政の健全化と労働者の雇用を確保を目指しました。

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過去記事

reki.hatenablog.com

コスタリカでは経済不況の中で寡頭支配層政党である共和党から国民共和党が分離し、1938年に政権を取りました。この政権は以前から比べると左派的であり、政権安定のために共産党と同盟しますが、1948年に冷戦がはじまると支持者の中に左派への嫌悪を示す層が現れ、一時内戦状態に突入していきます。結局国民共和党は野党となりますが、その後の政権は中間層を支持基盤とするポピュリズム政権となります。

ウルグアイでは伝統的に、寡頭支配層の政党である親アルゼンチン派のコロラド党と、親ブラジル派のブランコ党が争っていました。1910年以降、コロラド党のバッジェ政権が社会労働立法を進め、中間層を党の中に統合し、徐々に寡頭支配体制が崩れていきました。

ベネズエラでは少し遅れ、学生デモや労働者反乱により1958年頃に寡頭支配が完全に力を失い、ボリビアでも1952年に中間層と錫鉱山労働者による暴動で、寡頭支配層の政党である保守党政権が瓦解しました。

 

ポピュリズム政権が起こらなかった国々

一方で、ポピュリズム政権が起こらなかったラテンアメリカの国もあります。

 

ニカラグア、パラグアイ、ハイチ、グアテマラ、エルサルバドルといった国々は、ポピュリズム政権の支持基盤である都市の発展が遅れたため、寡頭支配層による個人独裁体制が長く続きました

コロンビアでは寡頭支配層の政党同士が、中間層・下層階級を巻き込んだ抗争に発展し長引いたたためポピュリズム勢力が発展することはありませんでした。

ペルーではポピュリズム的政党であるAPRA(アメリカ革命人民同盟)が、ラテンアメリカで最も早く1920年代後半に広がりますが、1931年の選挙をめぐりARPA党員が兵士を虐殺した事件がきっかけで軍部により警戒され、APRAは軍部の度重なる介入で執権の機会を阻害されました。結局寡頭支配が長く続いた結果、1968年に軍部によるクーデターが発生し、軍事政権下でポピュリズム的な政策が実施されることになります。

 

キューバ革命の衝撃

キューバは特殊な例で、寡頭支配体制であるバティスタ政権を打倒したカストロは、1959年1月に政権を握ると農地改革や家賃凍結といった急進的なポピュリズム政策を進めようとしました。しかし、フルーツやたばこ、砂糖といった農園に多額の投資をしていたアメリカ企業とそれを支持するアメリカ政府と対立。カストロ政権は妥協なき大衆寄り政策の推進を進めようとする一方、アメリカ側はキューバ側の事情を理解しようとせず互いの非難がエスカレートしていきます。そうしてとうとうキューバは1961年に社会主義陣営入りをし、冷戦期のアメリカ大陸最大の火薬庫となっていきます。

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3. ポピュリズム政権の瓦解と軍事政権の成立

1950年代までは比較的順調に行っていたポピュリズム政権ですが、次第にその限界が露呈していくことになります。

先進工業国から輸入の代替としての国内向けの工業が興されたため、特定の領域を重点的に発展をさせるといった国家戦略などなく、軽工業から自動車工業まであらゆる種類の消費財工業が推進されました。しかも政府による自国産業の保護政策があったため、技術や価格による競争は起こらず、国内の消費者は「粗悪品を高い値段で買わされている」という状態でした。

当然国際的な競争力は低く、輸出による外貨獲得の手段とはならず、相変わらず農産品や天然資源が稼ぎ頭といった状態でした。それでも多くのリソースが工業に割かれるため、工業化を進めれば進めるほど国家財政は悪化していきました。それに拍車をかけたのが、大衆へのバラマキ施策、過度に保護された国営企業や公務員の増加。

虎の子である天然資源の国際価格の下落と、輸入資材のコスト増によって景気が後退するとインフレが発生し、ポピュリズム政権への不満が高まって反政府デモやストが増加していきました。キューバ革命に刺激された若者が過激なゲリラ活動を行うようになり社会が騒然となると、治安維持を目的に軍部がクーデターを起こしてポピュリズム政権を打倒。1960年代半ばから各国で軍事政権が成立していくことになります。

 

ラテンアメリカ軍事政権

ブラジルでは、1961年8月に民主社会党(PSD)とブラジル労働党(PTB)の連立でジョアン・グラールが大統領となりました。

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 この時ヴァルガス後のポピュリズム政権であるクビシェッキの輸入代替工業は限界に来ており、経済成長率は落ち込み悪性インフレ、失業率の増大によって社会不安が高まり始めていました。グラールは1964年3月に「急進的民族主義路線」への転換を表明。民間製油所の国有化と農地改革の実行などを含む、急進的左派政策に取り組み始めました。危機感を強めた軍部はアメリカの了解を取り付けたうえでクーデターを敢行。ブラジルのポピュリズム政権は瓦解しました。

 

アルゼンチンではペロン政権期に1955年と1962年に軍事クーデターがありましたが軍事政権は長続きせず、1973年の選挙で正義党が勝利し再々度ペロンが大統領に返り咲きます。しかし翌年ペロンは病死し、副大統領から大統領となったペロンの妻イサベル・ペロンは経済危機を克服できず、再度の軍事クーデターが発生。しかし軍事政権はペロン派(ペロニスタ)を大弾圧したことで都市ゲリラによるテロが多発。「汚い戦争」と呼ばれる拷問・暗殺による治安維持回復に乗り出しました。

 

チリでは1938年に人民戦線政府が発足しポピュリズム政権が始まりました。1970年に社会党と共産党の連立であるアジェンデ人民連合政権が発足し、外資銅鉱山企業の国有化、農地改革、貧困地区の改善などの急進的政策を進めました。しかしより強力な左派的政策を求める学生・労働者の要求と、反動政策を求める大企業・保守派・アメリカ政府との間で経済は混乱状態に陥り、1973年9月にピノチェト将軍によるクーデターが勃発。軍部による徹底的な左派壊滅政策が始まり、恐怖政治時代に突入していきます。

その他にもペルーやパナマ、グアテマラ、ニカラグアを始め1960年代から1970年代にかけて大部分のラテンアメリカ諸国が軍事政権や権威主義体制に突入しました。

しかし、例外もあります。それがコスタリカとメキシコです。

 

軍事政権に移行しなかった国

コスタリカではポピュリズムの党派同士の対立が内紛になり、数千人の犠牲者を出す未曽有の人災となりました。その反省から、後継のポピュリズム政権は常備軍を廃止し、軽武装の警察隊だけを残すといった特殊な体制となりました。そのため、経済不振や政治混乱で軍部がクーデターを起こすというラテンアメリカの典型的な道を歩むことはありませんでした。

もう一つ、メキシコは1929年にメキシコ革命を戦った改革派が大同団結。1946年に制度革命党(PRI)を設立し、革命を文字通りに制度化してしまいました。PRI政権下では労働組合や農民団体に対する大規模なバラマキによって安定的な政権が維持されてました。メキシコはアメリカの隣接し早くから安価な労働力を求めてアメリカ企業が大勢進出しており、歴代のPRI政権も柔軟に外資の投資を受け入れたことで、他のラテンアメリカ諸国のように経済的に困窮することはなく、求心力を維持することができました。

 

4. 自由主義体制への移行

軍部を背景とした権威主義体制も長続きはしませんでした。

各国の事情は一様ではありませんが、おおよその軍事政権はポピュリズム政権時代の負債を受け継ぎ、債務を累積させて自滅するのが関の山でありました。もともと文民政権でうまくいかなかった経済問題、軍人が解決できるかというとそりゃ厳しいと思われます。 

チリやアルゼンチンは大衆福祉政策を転換するばかりか輸入代替工業化路線をも撤回し、脆弱な自国の工業を国際競争にさらして国際競争力をつけさせようと試みました。しかしあっけなく国内工業は外資の前に敗れ去り、外資の投資が無秩序に流れ込んだことで金融バブルを生みだしました。

ブラジルは軍事政権による極めて厳しい治安対策により都市ゲリラが壊滅。メヂシ政権とその次のガイゼル政権下で外資の進出が進み、年率10%の極めて高い経済成長が実現しました。

そのようにして各国が大量の外国債務を累積させたタイミングで第二次オイルショックと国際金利上昇が襲い掛かり、債務の返済が不能になり財政危機に陥ります。

各国政府は国際機関や先進国政府らと協議し、通貨の切り下げと緊縮財政に舵を切らざるを得なくなりました。真っ先に直撃を食らったのが庶民が当たり前だと思っていた公共サービスの値上げで、さらに不況も招いたので国民の権威主義体制に対する支持は低下することになりました。

アルゼンチンの軍事政権は支持回復を目指し、唐突にフォークランド諸島に軍事侵攻。しかしイギリス軍にコテンパンにやられ、無条件降伏を余儀なくされ、完全に権勢を失い政権を文民に譲らざるを得なくなりました。

こうして1990年のチリのピノチェト政権崩壊を最後に、ラテンアメリカ諸国では軍事政権が相次いで消えました。

 

厳しく不人気の市場経済政策

これまでポピュリズム政権と軍事政権の間で優遇されてきた中間層と下層階級は、補助金削減や公共料金の値上げといった家計を直撃する政策には激しく反発するため、軍事政権以降の民主政権も不人気な緊縮政策は採れず、いわゆるヘテロドックス政策を採用するのが常でした。

ヘテロドックス政策とは、物価、賃金、公共サービス価格、為替レートなどあらゆる価格を凍結させることで、これ以上の上昇を強制的に防ぐことで市場の安定を保たせ投資を促すというもの。しかしほとんどの国でこれらの政策は失敗に終わり、インフレが加速する結果に終わりました。

各国政府は最後の手段として、IMFや世界銀行が求める市場経済化政策を受け入れ、貿易の自由化や外貨導入の自由化、国営企業の民営化など、相次ぐ経済活性化策を解禁していきました。

当然ながら、外資の参入でこれまで保護されていた中小工業資本が次々と倒産。企業の民営化や競争原理の導入により「役に立たない」とされた社員が次々とレイオフされ、失業率は悪化。経済格差が拡大していきました。

メキシコはアメリカ経済と一体化しており、アメリカ市場向けの製造業が拡大することで工業生産は維持することができました。ブラジルも比較的製造業が生き残っていますが、他の国々では20世紀初頭と変わらず主要な稼ぎ頭は農産物や天然資源。技術革新によりこれらの産業は雇用吸収力が非常に弱くなっており、ラテンアメリカ諸国は慢性的な失業率の高さが問題になっています。

職がなく政府からの援助もない状態で、家庭を支えるために犯罪に手を染める者が出てくると治安の悪化につながっていきます。このように見えるとラテンアメリカの経済問題は国全体が抱える構造的な問題で、一中一夜には片付かない深刻な問題です。

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まとめ

 かなりざっくりと粗く、ラテンアメリカの政治史を眺めていきました。

2020年5月23日、アルゼンチンが2014年以来9回目となるデフォルト(債務不履行)が確定しました。こうしてみると、ラテンアメリカは過去も今も結構厳しそうに見えるのですが、「幸福度」という別の指数でみてみると、結構多くの国が日本より高かったりします。

以下、2019年度のデータです。

 

1位:フィンランド

2位:デンマーク

3位:ノルウェー

4位:アイスランド

5位:オランダ

12位:コスタリカ

23位:メキシコ

26位:チリ

27位:グアテマラ

31位:パナマ

32位:ブラジル

33位:ウルグアイ

35位:エルサルバドル

45位:ニカラグア

47位:アルゼンチン

50位:エクアドル

58位:日本

出展:World Happiness Report 2019

 

国としての集団はボロボロでも、国民が幸せであればそれでもいいのかもしれない、と思ったりします。

とはいえ、世界経済が発展してどこかの国が達成した利便性や幸福を、何も努力しないでタダで与えられるほど甘い世の中でないことも確かであるように思えます。

 

 

参考文献

「岩波講座 世界歴史26 経済成長と国際緊張」ラテンアメリカの工業化と政治変動 垣川恵市 1999年4月12日第一刷発行