様々な歴史や逸話があるアメリカの州旗
アメリカは「合衆国」なので、日本の都道府県に比べて州が持っている権限ははるかに大きいです。例えば州独自の軍を持っていたりします。
日本の都道府県旗なんて、県庁の庁舎くらいでしか見ないと思いますが、これだけ州独自の権限が強いのであれば思い入れも強いのではないかと想像してしまいます。
アメリカの州旗はそのデザイン性も独特ですし、その成立にまつわるおもしろい話をそれぞれ持っていたりします。
1. ユタ州
間違ったデザインが正式に採用されてしまった
ユタ州旗の意匠は「合衆国国旗と鷹」というアメリカの古典的なモチーフを取り入れています。ユタ州の住民の大部分を占めるモルモン教徒は長い間合衆国から追放された身で、19世紀後半に晴れてユタ州として合衆国の一員として認められた際に、国に対する感謝の印として表現したのでした。
さらに、プレートの中にはユタのシンボルで清純の象徴である「ユリ」、そして豊かさの象徴である「ミツバチの巣」が描かれています。
ところが戦艦ユタが建造されるときに、地元のグループが軍に旗のデザインを提出するためにコピーを作ったのですが、そのコピーは中央のプレートが着色され、さらに金のリングが追加されてしまいました。
ユタ州議会はすぐにこの誤りに気づきますが、
「既に戦艦につけられてしまったデザインを変更させるより、法律を変えてしまった方が早い」
ということで、この間違ったデザインの旗を正式に州の旗として採用したのでした。
さらに1922年に州が州旗を製造をメーカーに発注したところ、「1847」の文字が「1896」の真上に置かれる間違いがなされてしまい、しょうがないので州はそれを89年間も使い続けました。2011年にようやくデザインの再整理がなされ、「1847」の文字は従来の場所に戻されたのでした。
2. オハイオ州
日の丸に似ていると非難を受けたこともある州旗
オハイオ州の州旗の意匠は、南北戦争と米西戦争を戦ったオハイオ騎兵隊の旗に出自があり、真ん中の丸はOhioの"O"を表しています。
アメリカで黄禍論が盛んに叫ばれ反日機運が高まっていた1902年、オハイオ州の旗があまりに日の丸に似過ぎているとして非難の対象になりましたが、オハイオ州はこれに耐えて今も変わらずに使い続けています。
17の星は、アメリカの州に17番目に加わったということを示しており、左の13は元々のアメリカ13州、右の4つは追加になった4州を表しています。
形自体も非常にユニークで、「つばめの尻尾」のような形をしています。ただし「きれいに折りたたむのが難しい」そうで、その点では不評なようです。
3. カリフォルニア州
開拓民の気性の荒さをクマに例えた旗
もともとカリフォルニアは「アルタ・カリフォルニア州」と呼ばれるメキシコの一部でした。現在は世界でも指折りの富裕地域ですが、当時は無主地帯に近く、土地を求めてアメリカからの不法移民が押し寄せました。
不法移民は帰るどころか米墨戦争(1846-1848)の勃発に乗じて「カリフォルニア共和国」の独立を宣言し、逆にカリフォルニアを乗っ取ってしまいました。
すぐに国のシンボルが必要なことに気づいたウィリアム・トッドという男は、女性の赤いペティコートの一部を切り抜いて白い布の下に貼り、余った茶色の布をクマの形にして貼り、レンガのチリと油と塗料で赤の染料を作り、星を右上に描きました。
クマは西洋では「凶悪さ」「凶暴さ」の象徴であり、荒々しい開拓民を象徴するものでしたが、ウィリアム・トッドはあまり美的センスがない男だったようで、クマは「まるで豚のようだ」と酷評されました。
その後、米墨戦争後にカリフォルニアはアメリカに併合され、クマの旗ももっとセンスがある人によって改良され定着しました。
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4. カンザス州
議論が噴出しすぎて全然決まらなかった旗
カンザス州は1911年まで州旗がない数少ない州の一つで、州の旗を求める声は根強くありましたが制定は遅々として進みませんでした。
人口の大半を占める南北戦争の北軍の退役兵たちは、合衆国国旗に敬意を表し赤・白・青の色の旗とすべきと主張しましたが、そのようなデザインは国のカラーと不当に競争するようなもので受け入れがたいとして長年議論が続きました。
そうして採用されたのが、何をどうこじらせたのか、縦にかけるタイプの旗。
だがこれにも
「ひまわりは農業の敵、有害植物だからシンボルなどにしてはいけない」
という意見や
「水平にぶら下がった旗は非合理的だ」
などといった意見が噴出。
結局通常の旗と同じように横向きの旗にレイアウトをしなおし、ひまわりは上に添えるだけにして、1927年正式に採用されました。
5. ネブラスカ州
アメリカ&カナダの州旗で2番目に人気がない州旗
ネブラスカ州の州旗は1963年に制定されましたが、この意匠自体はかなり古くから使われているものだそうです。
モノトーンの背景色に木版印刷風のグラフィックをあしらったこの古典的デザインは、「シール・オン・ベッドシート」と言われ、第三者から見たらこれはこれで味わいがあるじゃないと思いますが、アメリカ人からしたら「創造性に欠け、退屈で、オリジナリティのかけらもない」と散々に叩かれるようです。
2001年に「アメリカとカナダの全州の州旗人気ランキング」が作られたのですが、ネブラスカ州は堂々ワースト2位に選ばれました。
ちなみに1位は2001年に制定されたジョージア州旗。
伝統的な紋様の下になぜか「ジョージアの歴史」と歴代の州旗と合衆国旗をあしらうという情報過多なデザインにしてしまい、あまりの不評っぷりにわずか2年後に再度変更を余儀なくされました。
2002年にネブラスカ州議会で州旗の変更について議論する委員会の発足が議論されましたが、特に何も進展なく解散。
2017年には州議会で掲げられていた州旗が、10日もの間逆さまになっていて、誰も気づかなかった事件も起こりました。
ネブラスカの人々は州旗というものに本当に興味がないのかもしれません。
6. コロラド州
デザイン素人の女性たちが作った旗
コロラド州旗は1907年に一度制定されますが、例のネブラスカ州旗のごとく「シール・オン・ベッドシート」でした。しかも州議会のメンバーは制定した旗を公で使うことなくしまいこんでしまい、そのまま時が経ちました。
3年後、コロラド州愛郷団体の女性メンバーが、既に州旗が存在していることは知らず、コロラド州旗の策定をスタートさせました。
彼女らは、「合衆国への忠誠」と「コロラドの郷土愛」を盛り込むデザインを目指し、「青・白・赤」の合衆国カラーを基調にしつつ、「コロラドのC」を入れたモダンなデザインを思いつきました。
しかしなにぶん素人だったので、Cの級数がデカく太く、また色の濃淡の調整が甘いものになってしまい、モダンというよりは間抜けな仕上がりになってしまいました。
「これはひどい」とプロのデザイナーからいくつもの異議申し立てが議会に来るも、議会はデザインの美しさにこだわらないことにして、素人女性が作った旗が1964年に正式にコロラド州旗として認められました。
7. メリーランド州
南北戦争で対立したメリーランド人の和解の象徴
メリーランド州旗は見てると目の錯覚を起こしそうなデザインですが、こうなった原因は南北戦争時代に遡ります。
戦争中、メリーランド州の人々は奴隷制反対派と賛成派とで分裂。
反対派はアメリカ植民地創設時からの名家・カルバート家の「黄色と黒の旗」の元に集まり、賛成派は分家のクロスランダー家の「赤と白の旗」の元に集まりました。
フロントロイヤルとゲティスバーグの熾烈な戦いでメリーランド人同士が殺し合いを演じ、戦争が終わった後もその傷は深く残り、両派の対立が続きました。
1870年代後半ごろから相互尊重を求める声が支配的になっていき、メリーランド統合を象徴するものとして、1880年のボルチモア市制定150周年を記念するタイミングで、カルバート家とクロスランダー家の家紋を組み合わせた統合旗が公開されました。
1904年にこの旗は正式にメリーランド州旗と認められ、現在に至っています。
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まとめ
国旗に比べてあまり注目度の高くない州旗や市旗ですが、国旗に負けず劣らず色々な背景があって面白いですね。
日本の都道府県旗ももう少し注目が集まればいいんですけどね。「サムライの家紋のようでカッコいい」と海外で定評があります。(Wikipediaの一覧ページはこちら)
もう少し僕らも都道府県旗を注目してあげたほうがいいんじゃないでしょうか。
参考サイト