歴ログ -世界史専門ブログ-

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無法者より恐ろしいウエスタンの「悪徳保安官」

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無法者より無法者らしい荒くれ保安官

昔のB級ウエスタン映画は、北斗の拳みたいなヒャッハーな無法者が娘をさらったり農民をドヤしつけたりして暴れまわっているところを、正義の保安官が駆けつけて無法者を一掃!

どうもありがとうございます、あの、お礼を…

いや当然のことをしたまで。では私はこれにて。

みたいなコテコテの描写が多い気がします。

そういう正義の保安官もいたにはいたでしょうが、実際のところ保安官も無法者も素材は同じく乱暴者のゴロツキ。今回は名の知れた「悪徳保安官」を紹介します。

 

1. ビル・ティルマン(1854-1924)

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多数の無法者を逮捕する一方で不正蓄財に手を染めた人物

ビル・ティルマンは本名をウィリアム・マシューと言い、若い頃はカンザス州とオクラホマ州のガンマンとして名を馳せました。銃を片手に荒野を暴れまわり、5年で12,000頭のバイソンを仕留めたり、シャイアン族の勇者7人を殺したりしました。なおこれは当時法律違反ではなかったようです。

2年後にコロラド州グラナダで男性を殺害した時にしばらく行方をくらまし、カンザス州郡庁舎の戦争に参加して1875年にドッジ市の保安官となりました。彼はその腕を活かし、誰よりも多くの無法者を逮捕して多くの懸賞金を手に入れたそうです。

しかし彼は不正蓄財にも熱心で、アメリカ先住民にウイスキーを販売したり、売春宿を経営したりして私財を蓄え、また賭博場経営の容疑で数回逮捕されました。

汚職まみれだったにも関わらず、オクラホマ州に移り住んで州の連邦副保安官をも務めました。最期は1924年11月1日、汚職職員を逮捕しようとしたところを撃たれて死亡しました。

こういう矛盾が平気でまかり通っていたのが、開拓時代のウエスタンだったんですね…。

 

2. ウィリアム・デイビス・アリソン(1861-1923)

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テキサスで最も名の知れたキャリア保安官

 ウィリアム・デイビス・アリソンはその生涯を通じて保安官・レンジャー・警察官として現場で活躍し続けた「キャリア保安官」です。

27歳でテキサス州最年少の保安官になった後、アリゾナ州のアリゾナ・レンジャーズに所属し、その後テキサス・レンジャーズやニュー・メキシコ州警察を渡り歩きました。アリゾナ州時代は、有名な列車強盗「三つ指のジャック(Three Finger Jack)」を殺したり、札付きの悪党、オーウェン兄弟とトム・"ブラボー・フアン"・ボウズを逮捕するなどして名を馳せました。1915年には、メキシコ革命の指導者で無法者のパスカル・オロスコを逮捕して一躍英雄となりました。

保安官としてはすこぶる優秀だったようですが、彼は無類のギャンブル好きで、保安官という立場を利用し莫大な公的資金を不正に流用してギャンブルに使っていたそうです。彼が職や土地を転々としたのは資金の不正流用がバレて雲隠れしたからでした。

1923年、彼は裁判所に告訴した2人の牛泥棒にホテルのロビーで撃たれて殺されました。

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3. ハリー・ウィーラー (1875–1925)

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ストライキ中の労働者を大弾圧した保安官

ハリー・ウィラーはアリゾナ州コーチーズ群の保安官で、雇用主からストライキを敢行する鉱夫を守ったことで人々の信頼を得ます。彼は町民から「労働者の友」と親しまれ、信頼を得て1917年にアリゾナ保安官長に就任しました。

しかし同年、ビスビー(Bisbee)の鉱山労働組合員約2,000人が、フェルプスドッジ社に対してストライキを開始した時、ウィラーはマシンガンで武装した民兵を連れて早朝に労働組合のアジトを急襲して1,185人を逮捕。そのまま牛の運搬用トラックに詰め込み、ニュー・メキシコ州の砂漠に放り投げてそのまま帰ってきてしまいました。

そうした上でウィラーは町を封鎖し、事前に配っておいた「パスポート」なしでは町に入れないようにし、労働者が町に帰還しても暴行を加えた上で再度町から追放してしまいました。

こうして労働問題は強制的に解決させられたわけですが、このウィラーの強引すぎるやり方はアメリカ中で論争になりました。ウィルソン大統領が設置した調査委員会は、1917年11月6日に公布された最終報告書で「強制送還は完全に違法であり、法律では州または連邦のいずれも認められなかった」と結論付けました。

 

4. ヘンリー・ニュートン・ブラウン

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元保安官の銀行強盗

ヘンリー・ニュートン・ブラウンは、若い頃は「少年義賊」として有名なビリー・ザ・キッドの一味でした。

しかし1878年にニュー・メキシコ州で保安官を襲撃し殺害しまい、しばらく姿をくらまし、短期間の契約保安官として食いつないでいました。テキサス州に戻った後は、再び保安官の職を得て働き始めました。

そのまま堅気の仕事をすればよかったのですが、悪漢の虫が抑えきれなかったようで、保安官の身分でありながら時々銀行強盗や牛泥棒などを働いていました。

1884年4月、メディックロッジの銀行でブラウンは仲間3人とともに銀行に押し入り、数人の銀行員を撃って殺害。逃げようとしましたが駆けつけた保安官に囲まれてしまいました。地元の人々は泥棒の正体が現役の保安官であることを知って激怒し、ブラウンを絞首刑にすべきと訴えました。

刑執行の朝、怒った群衆は刑執行を待ちきれずに刑務所に殺到し、警備員をはねのけて監獄をあけ放ち、ブラウンを死刑台に引っ張り上げようとしました。ブラウンはこの混乱の隙に逃げようとしますが、見つかって撃たれ、死亡しました。

  

5. ジム・カートライト(1848-1887)

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恐ろしい「ヤクザ保安官」

ジム・カートライトは「ロングヘアー・ジム」というあだ名で知られた射撃の名手で、バッファロービルで開かれる射撃ショーで腕前を披露しテキサス州で名が知れた存在でした。

彼の職業は保安官でしたが、その腕前をチラつかせて賭博場や酒場の「用心棒」になってカネをせびっていました。あるサロンや賭博場のオーナーは「警護してやる」という彼の申し出を断ったがために殺害されたという噂もあり、恐ろしくて彼の申し出は断れないのでした。

ある時には牧場主から牛泥棒を撃退するように依頼されますが、ジムはその牧場主が気に入らなかったのか、牛泥棒を銃殺したついでに牧場主も銃殺してしまったそうです。

さすがに悪事が過ぎて保安官をクビになってテキサスを追放され、南部諸州を流浪しながら用心棒をして食いつないでいました。

ジムは1887年、友人で賭博場経営者のルーク・ショートと決闘して殺害されました。

ルークはジムを用心棒として雇っていましたが、ある時に喧嘩をして「地獄へ行け(go to hell)」と度を超えた罵りをしてしまい、青ざめたジムは正式に決着をつけるべく決闘を申し込みました。ジムはルークの指を吹き飛ばしますが、ルークはジムの胸に撃ち込み即死させました。

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まとめ

 我々日本人は「警察官は真面目に市民の平和と安全を考えるもの」と思っているので相当な違和感がありますが、法があまり拘束力がなく、独自の倫理観が働いていたウエスタンの世界では、このような存在もあまり珍しくなかったのかも知れません。

食いっぱぐれて保安官になるも、何かの拍子で強盗団に逆戻りしたり。そういう「正義」と「悪」の境界線が極めて曖昧な世界が開拓時代のアメリカ西部でした。

行政機関が正常に働き法が倫理観を駆逐し秩序を支配するようになった時、正義と悪の境界線がキッチリと定まり、「西部開拓時代」は終わりを告げたのでしょう。

 

参考サイト

"William Davis “Dave” Allison – Lifetime Lawman" legend of america

"Henry Newton Brown" Kansaspedia

"10 Wild West Lawmen Who Were More Dangerous Than The Outlaws" LISTVERSE