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アメリカに移住した「元ナチス・ドイツの科学者」たち

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 大量のドイツ人科学者を移住させたアメリカ

第二次世界大戦後、ナチス・ドイツの優秀な科学者たちをアメリカに移住させ、軍の研究所や関連施設で研究に当たらるアメリカ政府の極秘プロジェクトが実行されました。

通称「ペーパークリップ作戦」と呼ばれ、JIOA(Joint Intelligence Objectives Agency)という軍の機関がリクルート活動にあたり、1945年から1959年の間にロケット技術者、電子工学者、物理学者など合計1,600人がアメリカに渡ったと言われています。

 優秀な頭脳をアメリカが入手するという目的もありましたが、敵国ソ連に流出させないという目的も一方でありました。

今回はアメリカに移住した人物の中でも特に著名な科学者たちをピックアップします。

 

1. ヴェルナー・フォン・ブラウン(1912-1977)

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「ドイツV2ロケット」と「アメリカ宇宙開発」の父

1912年、ドイツ東部(現在ポーランド領)で生まれたヴェルナー・フォン・ブラウンは若い頃から宇宙に憧れる青年でした。

大学でロケット工学を専攻し、卒業後1934年にはロケットの試験打ち上げに成功するまでになっていました。しかし当時はすでに軍用以外のロケットの開発は禁止されており、ヴェルナーはナチス体制で攻撃用ロケットの開発に着手。完成したのが、名高い「V-2ロケット」です。

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Credit: Sammlung Library of Congress (Bild 141), "V-Waffen; V2 vier Sekunden nach dem Abheben von Prüfstand VII, Sommer 1943"

しかしヴェルナーは軍用以外のロケットの開発の情熱もやまず、SSやゲシュタポに逮捕されてしまいます。ヒトラー自らの説得でようやく釈放されました。

戦争が終わりに近づくと、ヴェルナーはドイツを脱出して他国に移住することをチームと相談しはじめており、「ソ連は恐ろしすぎる。フランスはドイツ人を憎んでいる。イギリスはケチ」という理由でアメリカに亡命することに。

戦後、ヴェルナーはアメリカの民間人を通じてアメリカ軍とコンタクトを取り、秘密裏にV-2ロケットの部品と共にアメリカに移住しました。この時ヴェルナーと共にアメリカに渡ったドイツの科学者は126人にも登ります。

1945年にアメリカに渡った科学者たちは、テキサス州フォートブリスの陸軍の施設で働いた後、アラバマ州ハンツヴィルにあるレッドストーン兵器廠でロケットの開発を担当。そこで開発したロケットを改良し、名高い「ジュピターロケット」を開発しました。

その後、NASAの立ち上げにあたって、マーシャル宇宙センターのセンター長に就任。アポロ計画に参画し、人類初の月面着陸を成功させたのです。

1972年にNASAを退職した後は、宇宙への関心を高める活動を行い、1976年に死去しました。

 

2. ディータ・グラウ(1913-2013)

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 フォン・ブラウンの最側近の1人

ディータ・グラウは戦前戦中はロケット工学を専門とする若きエンジニアで、ヴェルナー・フォン・ブラウンのV2ロケットの開発プロジェクトに参画したメンバーの1人でした。

戦後、グラウはフォン・ブラウンら開発チームら約100名の一員としてアメリカに移住。テキサス州フォート・ブリスに数年間滞在した後にハンツビルに移り、NASAの初期メンバーとなりました。

グラウはアメリカに移住後もフォン・ブラウンのチームの一員として働き、「フォン・ブラウンの最側近の1人」として活躍。1969年のアポロ11号の開発、サターンロケットの開発にも携わりました。彼が何か意見を述べようとすると、チームの全員が耳を傾けようとした、と言います。

ペーパークリップ作戦で渡米した人物の中では最も長生きした1人で、2014年12月に101歳で亡くなりました。

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3. アルトゥール・ルドルフ(1906-1996)

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アメリカに入国するも戦犯として国外追放された男

アルトゥール・ルドルフも、かつてはフォン・ブラウンのチームのメンバーの1人でV2ロケットの開発に携わり、戦後アメリカに移住した人物。

国立航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration)の主要な施設の1つであるハンツビルのマーシャル宇宙飛行センター(Marshall Space Flight Center)に勤て、アポロ計画で最も重要なサターンロケットの開発プロジェクトマネージャーを務めました

月面を目指すロケットは最困難。部品が非常に多いため、約10万人の専門の技術者が働き、数千もの請負業者にてパーツを製造。それら全ての工程に目を通し品質管理や全体設計を行わなくてはいけませんでした。考えただけでぞっとします。

ルドルフはこれをやりきり、約150億ドル、計15個のロケットを完成させました。

ルドルフはアメリカ入国時に「ナチス心酔者」として分類されていましたが戦犯としては区分されていませんでした。

しかし後にナチスによる戦争犯罪を調査するためにアメリカ司法省に特別調査室が設置された際に「ルドルフがV2ロケットの極秘生産工場ミッテルヴェルケを稼働させる際に、強制労働を課していた」という証言が浮上。

ルドルフはこれを否定しますが、司法省は刑事責任は問わない条件で「アメリカ市民権の剥奪」を迫り、彼はこれに同意。1984年にルドルフはドイツに帰国しました。ルドルフはアメリカ市民権の復帰を求め続けるも、1996年にドイツで死亡しました。

 

4. マグナス・フォン・ブラウン(1919-2003)

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ヴェルナー・フォン・ブラウンの兄弟で化学エンジニア 

 マグナス・フォン・ブラウンはヴェルナー・フォン・ブラウンの弟で化学エンジニア。戦前と戦時中は、兄ヴェルナーの求めでV2ロケットの開発に携わり、ジャイロスコープやサーボモーター、ターボポンプを設計しました。

 1943年からはアルトゥール・ルドルフと共にV2ロケットの極秘生産工場ミッテルヴェルケの建設に携わりますが、1945年のドイツ降伏後に兄とともにアメリカに渡りました。

経済的に困窮したマグナスはエルパソの宝石店で盗んだプラチナを売ろうとして見つかり、兄ヴェルナーにぶん殴られたというエピソードが残っています。

すぐにテキサス州フォートブリスで働き始めるも、フォートブリスのアメリカ陸軍防諜部隊はマグナスはミッテヴェルクの強制労働に関与した「危険なナチのシンパ」だとみなしており、裁判になったり国を追放されることはありませんでしたが、陸軍の研究所からは追放され、1955年からクライスラーのミサイル部門で働きはじめました。

その後自動車部門に移りクライスラーUKの輸出責任者として働いていました。1975年に引退してアリゾナに定住し、2003年に死亡しました。

 

5. フーヴェルトゥス・ストゥルホルト(1898-1986)

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「宇宙医学のパイオニア」の暗い過去

フーヴェルトゥス・ストゥルホルトはベルリン生まれの宇宙科学者。宇宙医学のパイオニアと賞されています。

戦後ペーパークリップ作戦によりアメリカに移住した後に宇宙飛行士が着用する圧力服を開発し、初期のアメリカの宇宙進出に多大な貢献をしました。

1949年からはテキサス州ランドルフの空軍基地にある航空医学部・宇宙医学部のディレクターとして勤め、宇宙医学という全く新しい分野を開拓した功労者です。

この功績が認められ、1977年にフーヴェルトゥス・ストゥルホルトの名を冠する図書館が作られたのですが、後にナチス時代の彼の過去が問題視され削除されています。

というのも、ドイツ時代のフーヴェルトゥス・ストゥルホルトは民間の研究者ではあったものの、SS(親衛隊)所属の医師として悪名高いジクムント・ラッシャーによる強制収容所の囚人に対する人体実験の計画に参画していたのです。具体的には、氷を活用することで麻酔剤を使わずに外科処置に耐えることができるかという生理学的検証です。本人はそのようなことがあったとは知らなかったと証言しましたが、ニュルンベルク裁判で有罪判決となっていました。

 

6. ヴァルター・ドルンベガー(1895-1980)

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アメリカ移住後に宇宙偵察機の開発を主導

ドイツのギーセンという町に生まれたヴァルター・ドルンベガーは、第一次世界大戦に従軍しますがフランス軍の捕虜となり、2年間を過ごします。

1925年に大学で弾道学を学び学位を取得し、陸軍より依頼され、固形燃料ロケットの開発に着手。シャルロッテンベルクでロケット工学を選考する若き学生だったヴェルナー・フォン・ブラウンと出会い、1932年よりドルンベガーは彼を陸軍兵器局にスカウト。彼こそが後にV-2ロケット開発を主導することになります。 

ドルンベガーは陸軍兵器局で部長に就任してロケット開発の責任者となり、1944年の実戦導入までこぎつけました。

戦後ドルンベガーはアメリカ軍に逮捕され、イギリスにて2年間監獄生活を送りました。1947年にミサイル技術の獲得に乗り出したアメリカによって入国が許可され、オハイオ州ライト・パターソン空軍基地でアメリカ空軍の顧問を務めました。

その後ベル・エアクラフト・カンパニーに転職し、友人宇宙偵察機X-20(通称Dyna-Soar)の開発を担当。後に西ドイツに帰国し、1980年に死去しました。

 

7. ヘルベルト・ヴァークナー(1900-1982)

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誘導ミサイル開発のパイオニア

ヘルベルト・ヴァーグナーはオーストリアの出身で、第一次世界大戦ではオーストリア海軍の司令官を務めました。

戦後、23歳のときにベルリン工科大学で空気力学で博士号を取得。博士論文は「翼の動的揚力の起源」と題するもので、これは後に「ヴァーグナー作用(Wagner's function)」として知られるようになりました。

卒業後は航空メーカーに勤務し、ユンカース社で初期のジェットエンジンの設計を担当。その後、競合であるベルリンのヘンシェル社に転職し、遠隔操作の航空機の開発に取り掛かり、1940年7月からは装甲艦と商船を攻撃するための滑空爆弾の研究に着手。

これは後にHs 293誘導ミサイルに進化し、1943年から戦後にかけて連合軍に大きな被害を与えました。

戦後、ヴァーグナーはペーパークリック作戦でアメリカに移住。引き続き誘導ミサイルの研究にあたり、戦後のアメリカ軍の誘導ミサイル技術の発展に貢献。1980年5月28日に82歳で亡くなりました。

 

8. カート・H・デブス(1903-1983)

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ケープ・カナベラルの発展に多大な貢献をした人物

カート・H・デブスは航空力学の専門家としてNASAの発展に多大な貢献をした人物です。

1908年にフランクフルトに生まれ、大学で工学博士号を取得。熱心なナチ党党員で、SA(突撃隊)(SA)とハインリヒ・ヒムラー率いるSS(親衛隊)の隊員でもありました。ヒトラーに任命され、デブスはVロケットの飛行試験責任者となり、V-2ロケットの開発に従事しました。

戦後、ヴェルナー・フォン・ブラウンのグループはアメリカ軍とコンタクトを取りドイツを脱出しますが、デブスらペーネミュンデ陸軍兵器実験場の科学者たちはアメリカ軍に拘留されました。

1945年にテキサス州フォートブリスの陸軍基地で弾道ミサイルシステムの開発プロジェクトに従事し、後にケープ・カナベラルにてロケットと宇宙開発に携わります。 NASAが設立されてからは、ロケット発射のオペレーションセンターの司令官となりました。

デブスがオペレーションセンター司令官を務める間に、最初の友人飛行からアポロ11号の月面着陸、そして初の宇宙ステーション「スカイラブ」の成功と、20年あまりでとてつもない進歩を遂げました。

デブスのもう一つの貢献は、ケープ・カナベラルの宇宙センターを取り巻く自然環境の保護を考慮し、野生動物保護区を設定したこと。彼の努力のおかげで、現在でも14万エーカーの広さを誇るメリット島の野生動物保護区が存在します。

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まとめ

かつての敵であろうが 、自国の役にたつ人物は根こそぎリクルートしてくるアメリカ人の合理主義と意思決定の速さには頭が下がる一方で、技術を持っているというだけで、他の人たちとは違って「罪」を許されて高待遇で向かい入れるのは果たしてどうなの?という思いもあります。

いい話なのかもしれませんが、なんかこう、もやもやするのです。

 

参考サイト

"Dieter Grau, one of the last members of Wernher von Braun's German rocket team, dead at 101" al.com

"10 Nazi Scientists Who Survived The War" LISTVERSE

"Strughold, Hubertus (1898–1987)" David Darling

"Arthur Rudolph, 89, Developer Of Rocket in First Apollo Flight" The New York Times

" Walter Dornberger" Spartacus Educational

Herbert A. Wagner - Wikipedia

"Dr. Kurt H. Debus: The Father of Kennedy Space Center" NASA