イエスが口にしていたものは何か
昔イチローが朝にカレー食ってるのがニュースになって、真似する人が続出しました。体が資本のスポーツ選手が普段何を食べてるか、確かに知りたくなります。
一方でキリスト教圏では、イエス・キリストが何を食べていたかが議論や考察の対象になることがあります。「世界を変えた大偉人は何を食べていたのか」という知的好奇心もありますが、「人類が食べることを許さる食事は何か」というややこしい宗教的議論に繋がり、目下菜食主義やヴィーガン主義が拡大する中で、「イエス・キリストは菜食主義者であった」と主張されることがあります。これって本当なのでしょうか?
1. イエスが口にした可能性のあるもの
Photo by AxelRohdeElias
イエス・キリストが何を食べていたのかは「そりゃ聖書を見れば分かるんじゃないの」と思います。
実際そうなんですが、実は直接イエスが何かを食べている描写はあまりありません。食べ物を持っていたり、分け与える描写はあるのですが、実際に食べている描写はあまりないのです。
例えば代表的な逸話に、イエスが奇跡を起こして水をワインを変えた「カナの婚宴」というのがあります。ヨハネによる福音書第2章1節〜11節。
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、 母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。(略) イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。 イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。 召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、 世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。 「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、 酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
ここでは直接イエスがワインを飲んだ描写はありません。婚宴なんで飲まないはずなかったと思うのですが、よく分かりません。
次に、イエスが奇跡を起こして復活させたベタニヤ村の娘ラザロと姉のマリヤが、イエスを感謝の食事に招くシーン。「ヨハネによる福音書」第12章1節〜2節。
過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
ここでも夕食に招待されたので、絶対に何か食べているはずなんですが、これも描かれていません。
当時のパレスチナの人々はこのようなお祝いの食卓には、豆やタマネギ、ニンニク、菜っ葉の入ったシチューにパンを浸して食べたと考えられています。シチューに添えられるのは、牛や山羊の乳から作られたバターやチーズ。食後は、アーモンドとやピスタチオといったナッツか、ナッツとはちみつ、ドライフルーツで作ったケーキを食していました。
いずれも当時のパレスチナで一般的に食べられていたもので、人間イエス・キリストもこれらのささやかなご馳走を楽しんでいたはずなのですが、聖書はイエスが何を食べたかまで、我々に詳しいことは教えてくれません。
数少ない飲食の描写に、イエスが磔刑になって死亡する直前にワインを飲んだシーンがあります。「ヨハネによる福音書」第19節28〜30節。
そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。それは、聖書が全うされるためであった。そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。
これは食事というより臨終の場面なので、食事の検証には適当なサンプルではありません。
ただここから分かるのは、イエスは「喉が渇いたらワインを飲んでいたかもしれない」ということ。当時のパレスチナでは、水の質はあまりよくなく、人々は喉の渇きにはワインを飲むのが一般的だったようです。実際、水は洗礼とか手洗いのシーンとかによく出てきて、人が水を飲むシーンはあまりありません。なのでおそらくになってしまうのですが、イエスはワインを飲んでいたのでしょう。
次にイエスが直接口にした描写ではありませんが、フルーツを食べようとしたシーンがあります。「マタイによる福音書」第21章18節〜20節。
朝はやく都に帰るとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
イエスがいちじくの実を枯らせたのは、これ以上いちじくの木が実を採られないようにというイエスの優しさなのか、腹が減ってたのに実を成らせてないいちじくの木に対する八つ当たりなのかよく分かりませんが、いつもこうやってイエスは移動中に生のいちじくの実を食べていたのでしょう、きっと。
2. イエスがパンを食べる描写はない
Photo from "Aish Baladi: Bread of Ancient Egypt" ARAB AMERICAN
さて、当時のパレスチナの主食はパンでした。
現在一般的な小麦パンではなく、大麦の粗挽きの全粒粉パンで、焼き上げたあとカビの発生を防ぐため天日干しにするため固く、ワインやスープなど液体に浸して食べることが多かったようです。
当然イエスもパンを食べていたはずなのですが、聖書の中にはイエスが人々にパンを与える様子は描写されていますが、自分がパンを食べてる様子は描かれていません。
「ヨハネによる福音書」第6章48節〜51節にはこうあります。
わたしは命のパンである。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。
聖書ではイエスがパンを人々に与える行為は、イエスが真理を人々に授けていることを表しているので、自分自身が食べる描写は必要なかったんだろうと思います。
ですが、普通に考えると、当時の普通の人と同様、イエスは村のパン焼き屋が焼いたパンを食べていたはずです。
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3. イエスは菜食主義者だった?
イエスはお肉は食べなかったのか?
これは現在の菜食主義者やヴィーガン主義者にとっては大問題で、中にはイエス・キリストは菜食主義者であったと信じている人もいます。イエス=ヴィーガン説を信じる人々は、イエスは野菜や豆のみを食べ肉は一切食べなかったと考えているようです。
確かにこれまでの描写を見てみると、タンパク質はほとんど摂取してないような印象を受けます。
しかし、イエスがお肉を食べていたことが伺える描写があります。有名な「最後の晩餐」です。「ルカによる福音書」22章3節〜22節。
そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれていたユダに、サタンがはいった。すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した。彼らは喜んで、ユダに金を与える取決めをした。(略)
さて、過越の小羊をほふるべき除酵祭の日がきたので、イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい」。(略)
時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。(略)
食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
直接お肉を食べる描写はありませんが、過越の祭には子羊を潰して食べるのが通例だったのが分かります。具体的に食事に子羊が供されたかまでは書いてませんが、子羊をほふるべきと書いてあるので、食べた可能性が高いと思います。
そして、 数少ない食事シーンの一つに、イエスが復活し弟子たちの元に現れた時に「焼いた魚」を食べた描写があるのです。「ルカによる福音書」24章41節〜43節。
彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。
これはイエスが復活した後であって、生前は肉食はしてないのだ!と主張できるのかもしれませんが、「復活」とは「生きている状態なのか、死んでいる状態なのか」という横道にそれた議論に突入してしまう可能性があります。
ただ普通に考えると、生き返ったイエスが魚を食べたわけであって、イエスは菜食主義者ではない、と断言できるんじゃないでしょうか。
ちなみにこの魚は何の魚かというのは特に言及されていませんが、「聖ペテロの魚」と呼ばれる魚だった可能性があります。「マタイによる福音書」17章24節〜27節。
彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。ペテロは「納めておられます」と言った。(略)イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。
ここで言う「海」とはガリラヤ湖のことで、「つれた魚」とはティラピアのことであると言われています。
ティラピアはエジプトが原産の川魚で、現在は世界中に養殖されて食されています。中国や東南アジアではごく一般的に食される庶民の味です。日本でも、アメ横や中国食品店などに行けば買うことができます。
さてさて、これも憶測に過ぎないのですが、イエスが「いなご」を食べた可能性もあります。
イエスは洗礼者ヨハネによってバプテスマを受けるのですが、ヨハネは「いなごと野蜜を食っていた」とあります。「マルコによる福音書」第1章4節〜9節。
バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。(略)
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
もしイエスが洗礼者ヨハネの教団の下でしばらく修行をしていたなら、イエスもいなごを食べていた可能性があります。
ですがこれらは全て憶測にすぎず、聖書はイエスの食べたものはイエスが何を人々の教えたかの象徴でしか語ってないので、我々の関心を充分満たすような情報を与えてくれはしていません。
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まとめ
神であるイエス・キリストが食べたものと同じものを食べたら、信仰に忠実であると同時に正しい身体に浄化できる、という理屈は理解できます。
ですが実際のところ、イエスが何を食べたかは聖書はほんの一部しか教えてくれないし、分かったとしても現在世に流通しているものと全然違うものであるはずです。
同じ「いちじく」でも、いまスーパーに売ってるものと当時のものは全然品種が違うでしょうし、パンもパンだったら何でもOKなのかといったら違うでしょうし。
イエスと同じ食生活をしたいなら個人の好き勝手ですが、真に正しい教えを守るには、イエスが食べていたものを全ての人を全ての人は食べるべきだ、と主張するのは却って人々の分断を招くので、結局のところ身近で手に入るもので好きなものを食べるのがイエス様も喜ぶと思うのですが、どうでしょうか。
参考サイト
"So, what did Jesus eat?" CHURCH TIMES