歴ログ -世界史専門ブログ-

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他国の領土にある「民族の精神的故郷」

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外国にある「我々の土地」

特にユーラシア大陸の、時期によって主要民族が大きく移り変わった場所では、過去の主要居住地と現在の主要居住地が大きく異なっていることは珍しくありません。

日本だと、例えば天孫降臨神話がある高天原、古都の奈良や京都といった地は、そこに例え馴染みがなくても、自分たちのルーツがある土地として、精神的な故郷と感じることができます。

幸運なことに日本人の精神的故郷は国内にありますが、そうでない国もいくつもあります。仮に京都や奈良が中国大陸や朝鮮半島にあると考えたら、その感情を少しは理解できるかもしれません。

過去の民族の神話や歴史が整理し近代国家を形成する過程で、場合によってはそれを取り戻そうとする動きも高まり、戦争にまで発展したケースもあります。

 

1. フィンランド人の故地カレリア

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フィンランド人の心の故郷

カレリアは現在はロシアのレニングラード州とカレリア共和国、フィンランドの北カルヤラ県と南カルヤラ県にまたがる地域です。

19世紀半ば以降、ロシア統治下にあったフィンランドでは民族主義が高まっていくのですが、その中で「カレリア」は、芸術家・作家・作曲家がロマンティシズムをかきたる格好の題材で、インスピレーションの源として利用されていました。

例えばフィンランドの国民的叙事詩「カレワラ」や、作曲家ジャン・シベリウスの交響曲や楽曲、作家イルマリ・キアントの著作など、カレリアをフィンランド人の故地として描きました。

故地カレリアへの想いは領土拡張主義に発展し、1918年から1920年にかけてフィンランドはソ連へ遠征軍をたびたび送り、「故地回復」を試みました。この一連の戦争をヘイモソダット(Heimosodat)と言います。

1920年のソ連とのタルトゥ条約交渉では、フィンランドの東カレリアの増分とペッツァモ領有が認められました。

第二次世界大戦では、フィンランド軍は一時はカレリアの大部分を占領するも、戦後の講和会議で占領した地域の返還とペッツァモの割譲を余儀なくされました。

現在でもカレリアはフィンランド人にとっては心の故郷ではあるものの、政治的統合を目指す動きはありません。

 

2. ポルトガル人の故地ガリシア

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ポルトガルの発祥の地

ガリシアは現在のスペイン北西部ガリシア州にあたり、キリスト教の三大聖地の一つであるサンティアゴ・デ・コンポステーラがある土地です。

ガリシアは歴史的にポルトガルと言語・文化が近いことで知られます。もともとポルトガル語の起源は、ローマ帝国の属州であったガラエキアで話されていたラテン俗語にあり、それがドーロ川を挟んで南のルシタニア属州にも伝わり、ポルトガル語となりました。現在でもガリシア州ではガリシア・ポルトガル語が話されています。

もともとガリシアとポルトガルは政治的に統合していましたが、12世紀前半のアフォンソ一世によるポルトガル独立運動によって南部のポルトガルのみが独立し、ガリシアと分離しました。

その後はガリシアはスペインの支配を受け、ほとんど実権はないにせよ、ガリシア王国としての自治的な尊重は受け続けました。

 

3. セルビア人の聖地コソボ

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セルビア人の心の故郷

コソボは2008年に新ユーゴスラビアからの独立を宣言しました。

アメリカや日本を始め約100の国に承認されていますが、ロシアや中国、インドをはじめ未承認の国も多く、特にセルビアはコソボを自国の自治州とみなしています。

コソボの多数派はアルバニア系住民で、セルビア系は少数派ですが、かつて中世に栄えたセルビア王国はこのコソボの地を創業の地としており、また1389年にオスマン帝国に敗れ従属させられた地もコソボです。そのためセルビア民族の重要なイベントが起こったコソボはセルビア人の故郷とみなされました。

1980年代後半、ユーゴスラビア連邦末期にクロアチアやスロヴェニアなどの連邦加盟国が独立志向を強めた際に、コソボでもアルバニア系による自立志向が高まりますが、セルビア民族主義を強めたミロシェビチ政権により弾圧されました。この背景にはコソボをセルビアの支配から放したくないという民族主義的な意識が働いていました。

セルビア化への反発を強めたアルバニア系により暴動が起こり、それを鎮圧すべく新ユーゴスラヴィアの軍が動いたのに対し、NATO軍がアルバニア人勢力を支援するために介入したのが1998年から翌年まで続いたコソボ紛争でした。

紛争の結果セルビアは国際社会から制裁を受けて経済的に困窮した上、コソボの独立も許してしまいました。

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4. トルコ人の聖地スレイマン・シャー霊廟

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The Creative Commons Attribution-Share Alike 4.0 International license. Photo by Céline Rayne

トルコとシリアの紛争の種の一つ

スレイマン・シャー霊廟はトルコが唯一持つ海外領土です。

オスマン朝の始祖オスマン一世の祖父にあたる人物がスレイマン・シャーで、彼はモンゴルの侵入によって土地を追われ、一族を引き連れて西方に落ち延びていましたが、ユーフラテス川を渡る際に溺死してしまいました。一族はスレイマン・シャーが溺れた場所に近いところに墓を作り葬ったのですが、それが現在のシリアのラッカ県にあたります。オスマン帝国の時代から現在まで、「トルコの墓」として神聖な場所と見なされています。

シリアがオスマン帝国の領土にあった時は問題がなかったのですが、1920年にシリアがフランスに割譲された時に問題が生じました。トルコとフランスとの間の交渉の結果、特別にトルコの飛び地として認められました。以降はトルコの警備兵が常駐していました。

ところが2015年にイスラム国(ISIL)がラッカ県を制圧しスレイマン・シャー霊廟の周辺を包囲。スレイマン・シャー霊廟がイスラム国の権威付けにされることを恐れたトルコは、軍を派遣して霊廟を破壊、スレイマン・シャーの棺を運び出し、トルコ国境から250メートル南にあるシリア領内を確保し移動させました。この作戦はシリア政府に無断で行われたため、シリア政府はトルコの行為を「言語道断の侵攻」として非難しました。

これはシリア内戦でのトルコ軍の介入とも絡んでおり、トルコの首相がシリアの許可なく霊廟を慰問に訪れたこともあり、シリアとトルコとの紛争の種の一つになっています。

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5. 韓国人の聖地・白頭山

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朝鮮民族の発祥の地とされる山

白頭山(ペクトサン)は韓国・朝鮮人にとっては特別な存在の山です。

13世紀末にまとめられた「三国遺事(さんごくいじ)」によると、古朝鮮の初代王である檀君は、人間になった熊のメスと、天から降臨した恒雄の子で、白頭山で生まれ平壌で国を興したとされています。この檀君神話はおそらく高麗時代に作られたものですが、韓国・朝鮮では古代から伝えられた神話であると信じられ学校でも教えられます。

現在は白頭山は中国と北朝鮮の領土の中間点にあり、韓国の領土にはないものの、民族のルーツとみなされ重要視されています。北朝鮮では、抗日ゲリラが白頭山の周辺を拠点にしたことが民族的な偉業として語られ、さらには二代目の指導者である金正日は公式では白頭山で生まれたとされています。本当はソ連領内で生まれたそうですが、民族の象徴的な存在であることの証左であります。

中国は白頭山のことを「長白山」と呼んでいるのですが、韓国はこの呼称自体を歴史歪曲であり、朝鮮の歴史を自分たちの歴史の一部にしようと企んでいると非難しています。

 

6. イスラエル人の「約束の地」

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旧約聖書に記述のある「神がイスラエルの民に与えた土地」

旧約聖書の創世期15章18節には、主が預言者モーセにナイル川からユーフラテス川までを与える、という記述があります。

その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。

これを現在の地図に当てはめると、イスラエル、パレスチナ自治区、レバノン、シリア、ヨルダン、イラク、アラビア半島の一部、トルコのハタイ県、エジプトのナイル川東岸からシナイ半島までとなります。

イスラエル建国の運動がおこった際、強硬派は現在のイスラエルとパレスチナ自治区、ヨルダンの領有とパレスチナ人の追放を主張しましたが、イスラエル初代首相のダヴィド・ベン=グリオンは、現実路線を採ってイスラエルにアラブ人が居住することを認めました。

イスラエル建国後に起こった四度の戦争で、イスラエルはシナイ半島、ゴラン高原、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区を占領し領土を拡大させました。

しかし、1978年にキャンプデービッド合意で右派リクードの首相メナハム・ベギンがシナイ半島をエジプトに返還し、その後進んだユダヤ人のガザ地区への入植活動も2005年に撤退しました。

現実的に考えるとこれらの地域をイスラエルが領有することは不可能なのですが、特にユダヤ教の教えに忠実な超強硬派は、神が言われた約束の地を少しでも拡大することが神の道であると考え、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区への積極的な入植を試みています。

 

7. ロシア人の故地キエフ

ルーシの国の始まりの地

現在のウクライナの首都キーウ(キエフ)は、ルーシ民族にとっては特別な存在です。

ルーシ民族はロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人で構成されるとされます。このルーシ民族の国家の祖とされるのが、882年に建国されたキエフ・ルーシ(キエフ大公国)です。

キエフ・ルーシでは、ビザンツ帝国との交易によって国力を高め東スラブ族国家の盟主となり、10世紀のウラジミール大公の時代には正教を受容し、現代のロシア人の文化的の祖先です。

現在、キエフはウクライナの首都であり、ウクライナはロシアの庇護下にあるよりはEUやNATOといった西側諸国との連携を求めています。ロシアのプーチン大統領は、「ロシアとウクライナは切り離せない」「そもそもウクライナは国家ですらない」としてロシアとウクライナの一体性を根拠にして2022年3月に軍事侵攻を始めました。この不条理で時代錯誤的な戦争は、ウクライナの土地、そしてルーシの故地のキエフが「西側」の手に渡ってしまうことのロシアの感情的な焦りが、要因の一つとしてありそうです。

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まとめ

冒頭に述べましたが、民族の心の故郷と呼べる土地がよその国にあって自分たちの土地にないというのは、日本人には想像がつかないですが、感情的にもどかしいものがあるのだと思います。

ただそれは物語として「言われている」だけで、そのルーツがあるという伝承を乗り越えることは、私は可能なんじゃないかと思っているのですが、ユーラシアの民の、ちょっと隙を見せたらすぐ刺されて骨までしゃぶられてしまう厳しい世界だと、あまい考えなのでしょうか。