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世界史を揺るがした10の大飢饉

大量の死者を出し社会を混乱させた大飢饉

歴史上、何度も飢饉が起きてきました。

食えない人が大量に出現して治安が悪化したり、戦争や内乱が起きたり、場合によっては王国や王朝が転覆する場合もありました。

その原因は天変地異や気候変動だけでなく、政治や経済政策の失敗といった人為的な原因で起きたものもあります。

世界史を揺るがした大飢饉を独断で10選んでみました。

 

1. 536年 地球大寒冷

「人類史上最悪の年」と呼ばれる天変地異

ビッグ・ヒストリーの歴史家の中には、536年を「人類史上最悪の年」と呼ぶ人がいます。現在のエルサルバドルにあったイロパンゴ火山が大噴火を起こし、巻き上げられた二酸化硫黄と火山灰が、地球全体を寒冷化させました。

これだけでなく、彗星または隕石の衝突もあったらしく、複合的な要因で「異常気象」が起こったようです。

この噴火以降、10年にもわたって「冬の時代」が到来しました。

例えば、ビザンチン帝国では「太陽が光なく輝く現象」が観測され、アイルランドでは「パンの不足」が起き、中国では「8月に雪がふり収穫が遅れた」、中東やヨーロッパでは「濃く乾燥した霧」が観測され、ペルーのモチェ文化では干ばつが発生しました。

ヨーロッパでは平均気温が2.5℃も低下。541年にはエジプトでペストが発生し、ビザンツ帝国では人口の3分の1が死亡しました。

 

2. 1816年 夏のない年

全世界の農作物を壊滅状態にした大噴火

インドネシア・スンバワ島にあるタンボラ火山は、標高2851メートルと決して高くない山ですが、1815年4月の大噴火は世界中に影響を与えました。

歴史家のジョン・デクスター・ポストは1815年を「夏のない年」と呼びました。

その原因はタンボラ火山の噴火によって火山灰が大気圏に達し、日光を遮って地球全体の温度を低下させたためでした。この時巻き上げられた二酸化硫黄は、最大で1億2000万トンと推量されています。この時の異常冷夏は世界中で記録されています。

  • アメリカ・ニューハンプシャー州など5州で6月に下が観測される
  • アメリカ・ニューヨーク州で6月に雪が降り、農作物が壊滅
  • カナダ・ケベック近郊で6月に30センチの雪が降る
  • アイルランドでジャガイモが壊滅的な被害を受け飢饉が発生
  • ドイツでは食料価格が高騰し、19世紀で最悪の飢饉となり暴動・放火・略奪が発生する
  • ヨーロッパ南東部と地中海東部で発疹チフスが流行
  • ベンガル地方で季節外れの大雨が振りコレラ菌が蔓延
  • 清国では寒さのために稲作と牧畜が被害を受ける

噴火による直接的な死者は1万人とされていますが、噴火によって起こった冷夏により発生した飢饉によって、推定で7万人から12万人が死亡したとされています。

 

3. 1896年~1897年 インド大飢饉

Work by William M. Connolley.

インドに深刻な飢饉を起こしたエルニーニョ・南方振動

1896年から1897年にかけて、大飢饉が発生しています。

1895年秋から冬にかけてモンスーンの雨が降らず干ばつが起こり、1896年夏も雨がほとんど降りませんでした。作物が壊滅的な打撃を受け、飢饉はインド全土に及びました。この飢饉でインド全土で約100万人が死亡しました。

この干ばつを引き起こした原因はエルニーニョ・南方振動です。

貿易風の強さが例年と異なり、南太平洋東部の海水温が下がることで太平洋中西部の海水温が上がり、雨をもたらす積乱雲の発生位置が大きくずれてしまう現象です。

この飢饉は1897年の夏のモンスーン雨によって豊作になったことで解消されました。しかし一部の地域では雨が降りすぎ、今度はマラリアの流行を引き起こしました。

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4. 唐末大飢饉

Work by Zhuwq

黄巣の乱を引き起こした大飢饉

唐の末期には拡大した大帝国の辺境防衛を担う軍人が大量に出現し、その代表格の安禄山が755年に安史の乱を起こすなど、軍人が軍閥化し、その費用のため民衆の負担は重くなっていました。それを下支えしたのが両税法や塩の専売でした。

874年から中国では河南省を中心にイナゴの大量発生があり、食物に壊滅的な被害が生じたことで飢饉が発生。食えなくなった農民が盗賊となり、治安が悪化していきました。翌875年、塩の密売人・黄巣が政府の密売摘発強化に反発して反乱を起こしました。彼の軍には食い詰めた盗賊団が次々と加わり大反乱軍に膨れ上がり、880年には洛陽と長安が陥落。唐は滅亡の危機に陥りました。

黄巣の乱は、元・黄巣の部下であった朱全忠と唐軍の李克用によって鎮圧されます。しかしその後、実力をつけた朱全忠が皇帝に禅譲を受ける形で皇帝に就き、唐を廃し自らの王朝である後梁を建国。五大十国時代へと進んでいきます。

 

5. 1315年~1317年 ヨーロッパ大飢饉

ヨーロッパ全体に影響を与えた小氷河期の異常気象

10世紀から14世紀にかけては「中世の温暖期」と呼び、ヨーロッパの気温が温暖で、農業生産力が高く、経済発展が著しく、人口が増え、文化も発展しました。14世紀以降、地球は小氷河期に入っていくのですが、その予兆のような異常気象が14世紀初頭にありました。

1315年に始まった悪天候は、1316年から1317年の夏の収穫時期まで続きました。作物の不作だけでなく、羊や牛の数が80%も減少し、ロシアからイタリアまでヨーロッパ中で大規模な飢饉が発生しました。

飢饉によって食い詰め者が大量発生し、犯罪数が著しく増加し、強盗、殺人が多発。騎士や領主同士の争いも頻発し、ヨーロッパでは人々がより戦闘的になりました。1337年には英仏百年戦争が勃発しています。

また、モンゴルの西進によりロシアや東ヨーロッパは大打撃を受けた上、黒死病(ペスト)が大流行し、当時のヨーロッパの人口の三分の一が死亡するなど、この飢饉以降ヨーロッパは破壊の時代に入っていきます。

 

6. 1601年~1603年 ロシア大飢饉

ロシア大動乱時代を招いた大飢饉

1600年2月19日に起こったワイナプチナ火山の噴火は、これまで南米で起こった噴火で最大のもので、少なくとも2週間は噴火が続き、最初の2日で噴出された大量の火山灰で12平方キロメートルは埋め尽くされました。

1600万〜3200万トンの二酸化硫黄が吹き出し、その一部は大気圏まで到達しオゾンを破壊すると同時に、火山灰は空一面に広がり太陽光を遮りました。

その結果、1600年〜1602年はヨーロッパで冬の気温が史上最低を記録し、北欧や東欧では飢餓が発生。スウェーデンでは記録的な雪量に見舞われ、春には大洪水が起きて甚大な被害が出ました。

ロシアではこの寒さによって1601年に大不作に陥ります。穀物の価格は倍増し、ライ麦1/4あたり60-70コペイカに達したため、翌年多くの農民は畑に蒔くための十分な種を得られず、1603年は天候に恵まれたものの、植え付け数自体が少なく飢饉が激化しました。

当時のツァーリ、ボリス・ゴドゥノフは、国庫が枯渇するまで穀物を半額で販売したり、都市の貧困層に穀物とお金を配ったりしたものの、うまくいきませんでした。当時の人口の3分の1に相当する200万人が死んだとされます。

この混乱によりボリス・ゴドゥノフの求心力は失われ偽皇帝が乱立。ポーランド=リトアニア王国に国を占領される「動乱時代」に突入し、その混乱の中からロマノフ王朝が誕生します。

 

7. ジャガイモ飢饉

アイルランドの反英感情を決定的にした人災

イギリス併合時代、アイルランドの主産業は農業で生産された小麦の大半は本国ブリテン島に輸出され、農民の主要な食べ物はジャガイモでした。

1844年頃、アイルランドにジャガイモ疫病が上陸し、1845年秋には1/3のジャガイモが被害を受けました。これに対し、ロバート・ピール首相はインド産の小麦を送るなど支援を行いますが、1846年夏にピール内閣は倒れ、ジョン・ラッセルが新たに首相に就きました。

ラッセルはアダム・スミス風に「国家は経済活動に介入すべきでない」「市場の力で解決すべき」として、食糧支援などを行わないばかりか、これまで通りアイルランドから本国への食料輸出を継続させました。

1846年には再びジャガイモは壊滅的な被害を出し、人々の食料備蓄が尽き恐ろしい飢餓が始まりました。飢餓が起きると、次は熱病、チフス、赤痢、壊血病が流行し、健康な人も倒れていきました。ジャガイモ疫病は1848年まで猛威を振るい、この間に約100万人が死亡。約100万人が海外に逃亡しました。

この時にアメリカに渡った人物の一人が農民パトリック・ケネディで、彼の子孫が大統領や上院議員を輩出する名家ケネディ家となります。

アイルランド人はこの時のイギリス本国がした仕打ちを「虐殺」と呼び、反英感情が決定的なものとなりました。

 

8. 1943年 ベンガル大飢饉

戦争が起こした人災

1943年、イギリス領インドのベンガル地方で大規模な飢饉が発生し、栄養失調や病気で約300万人が死亡しました。

1942年、英領のビルマとシンガポールが日本軍によって占領されると、これらの国からの米の輸出が停止されました。さらに、1942年10月のサイクロンで秋の米が不作となり、翌年の作付けを圧迫することになりました。

しかし1943年は豊作で、ベンガル地方の人々を養うのに十分でした。しかし、日本軍のインド進出、そしてドイツ軍の中東進出を恐れたイギリス軍は、ベンガルの米を軍用に備蓄し、中東のイギリス軍にも相当量を輸出しました。

米不足の不安が高まると市民の間で買い占めや投機を引き起こし、米価が暴騰し、ベンガルの多くの労働者は基本的な生活さえままならない状態に陥りました。こうして約300万人の犠牲者を出す大惨事となりました

イギリス軍は1億1千万食以上の食事を無料で配給するなどしましたが、この努力は飢餓に苦しむ人々の必要をほとんど満たせませんでした。

 

9. ソビエト大飢饉

大飢饉に便乗したウクライナ人の大量虐殺

1932年から1933年にかけて、当時のソ連、現在のウクライナ、北コーカサス、ヴォルガ、南ウラル、西シベリア、カザフスタンなどで大飢饉が発生しました。

大飢饉の原因は、天候不順、農家の集団化、急激な工業化・都市化、ソ連によるエスニック集団迫害などさまざまな説があり、どれが原因かは議論がありますが、結果2年間で推定570万〜870万人が死亡しました。

天候不順だと、1920年代後半から30年代前半にかけて、断続的に干ばつに見舞われ、1931年の春には寒波によりソ連全土で寒さと雨に見舞われたことがあります。

集団化は、スターリンの第1次5カ年計画の重要な部分で、効率的な農業収穫を目指すものでしたが、蓋を開けてみると全くの非効率なものでした。農民は工業化した都市に移り住み、政府は計画達成のため農村への強制収奪を強化せざるを得なくなりました

また、この飢饉で大きな被害を受けたのはウクライナ人です。

飢饉に先立つ数年間は、ウクライナ語の使用や正教会への信仰など、ウクライナの伝統文化が復活しつつありました。ソ連指導部にとって、こうした民族的・宗教的帰属意識は、「ファシズムとブルジョア民族主義」への同調を意味し、ソ連の支配を脅かすものでした。

1932年、ソ連政府はウクライナの家畜や食料の強制差し押さえし、国外に逃げ出そうとする人々を国境封鎖で封じ込め、応じない人を容赦なく逮捕・処刑しました。当時のソ連政府は意図的にウクライナ人を餓死させる政策を実行し、約390万人ものウクライナ人が死亡しました。
ウクライナ語で飢餓を意味する「ホロド」と絶滅を意味する「モル」を組み合わせて「ホロドモール」と呼ばれます。

 

10. 中国大飢饉

人類史最大規模の大飢饉

1959年から1961年にかけて中国、特に安徽省、四川省、貴州省、湖南省で起こった大飢饉は、一説によると約4,500万人が犠牲になった、人類史上でも最大規模の大飢饉です。

1962年、当時の中国国家主席であった劉少奇は、飢饉の30%を自然災害、70%を人為的ミス(三分天灾、七分人祸)と表明していますが、人によっては「人災」と言い切ります。

飢饉の主な要因は、毛沢東の大躍進政策、人民公社による国家計画経済内での非効率な食料分配、前時代的な農業技術の使用、農民の鉄鋼生産への強制徴用、鳥類を害獣として駆除を命じた四害駆除運動などがあります。

ここで細かい話をしだすときりがないので、詳しくは書籍をご覧になってください。

ガーディアンの記事にはこのような証言が載っています。

家族の中で誰か死んでも、食糧配給が受けられなくなるから埋葬せず、死体をベッドに寝かせて覆った。死体はネズミに食べられた。人々は死体を奪い合って食べた。甘粛省ではよそ者が通ると、殺して食べたと聞いた。自分たちの子供も食べた。恐ろしい。あまりにひどい。

またこの記事によると、楊斌氏らの研究によって、当時の北京の指導者たちは1958年の時点で飢饉の存在を知っていたが無視したと指摘しています。毛沢東は

「資源を均等に分配することは、大躍進を台無しにするだけだ」

「食べるものが足りなくなれば、半分の人を殺して、他の人が食べられるようにした方がいい」

と語ったそうです。

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まとめ

今回挙げた例以外にも、人類史はどこの時代もどの地域も飢饉が起きています。

ほぼ全員死に絶えたため記録されなかった事例もあるはずです。

地球規模の事象もあれば、局地的な異常気象、バッタの異常発生、それに加えて人間の失策があります。今回の事例を見ると、適切に被害者を支援をできず、またあえて無視するなど、人間側の不手際の方が被害を拡大させる要因になっていうように思えます。

 

参考文献・サイト

"Volcanoes, plague, famine and endless winter: Welcome to 536, what historians and scientists believe was the ‘worst year to be alive’" The Conversation

Indian famine of 1896–1897 - Wikipedia

"エルニーニョ/ラニーニャ現象とは" 気象庁

"Ending an Era:The Huang Chao Rebellion of the Late Tang, 874-884" Adam Fong

Russian famine of 1601–1603 - Wikipedia

"Bengal famine of 1943 famine, Bengal, India" Britannica

"What Caused the Soviet Famine of 1932-1933?" Historyhit

「図説アイルランドの歴史」 リチャード・キーレン著 鈴木良平 訳 彩流社 2000年10月30日初版第一刷

"China's Great Famine: the true story" The Gurdian