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肥料の歴史−農業の始まりから化学肥料まで−

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農業と切っても切れない存在・肥料

農業の歴史は肥料の歴史でもあります。

人類はより多く、より美味しく、より栄養のある食物を育てるために肥料を使い、研究して新たな肥料を開発してきました。

詳しく書けば本が一冊書けるくらいの膨大な歴史がある分野ですが、6000字程度に簡単にまとめていきます。

 

1. 肥料のはじまり

農業の起源は約1万2,000年前頃と考えられています。

農業が始まった地域は肥沃な土壌が河からもたらされる大河の流域。ナイル川中下流域、チグリス・ユーフラテス河流域、揚子江の中・下流域、インダス川下流域を中心として、農業技術はユーラシア大陸・アフリカ大陸各地に伝播していきました。

農業文明が発達すると都市が生まれ、神殿や住宅、農具の需要が増えるため、大量の木材が必要になってきます。都市は河川上流の木を大量に伐採。川を使って運搬しました。木材資源が枯渇してくると、森林が蓄えていた水分が直接川に流れだすようになり、大規模な洪水が多発。さらに、土地の塩類化と土壌の疲弊も発生しました。

このようにして、土地の地力のみに頼る初期の農業国家は今から4,500年前頃までに相次いで崩壊。都市は国家を維持するため、人為的に土地に栄養を与えることで、地力を永続的に維持しなくてはならなくなりました。

一方で人類は古くから森林を焼き払った後に農作物を受ける焼畑農業を行ってきました。当時の人は肥料という概念はなく、おそらく経験的に知っていただけと思われますが、植物の灰を栄養として農業に活用するのは立派な施肥であります。

何年か利用すると栄養が失われるのでその土地は休ませ、新たに森林を焼いて農地を作る必要があります。このような焼畑農業は小規模にやるぶんにはサステナブルですが、大規模に森林を焼いて農地を拡大すると環境破壊に直結してしまいます。実際にそうやって歴史上多くの森林が失われました。

 

2. 輪作の発展

焼畑以外にも、古代から地力を回復させる方法を人々は経験で知っていました。

その一つが、定期的に畑の作物を変えることで生産性が高い土壌を作る「輪作」です。紀元前6,000年頃の近東では豆類と穀物を交互に植える輪作を行っていました。

聖書では、レビ記第25章で、主がイスラエル人に「土地の安息日」を守るように指示しています。

主はシナイ山で、モーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『わたしが与える地に、あなたがたはいったときは、その地にも、主に向かって安息を守らせなければならない。六年の間あなたは畑に種をまき、また六年の間ぶどう畑の枝を刈り込み、その実を集めることができる。しかし、七年目には、地に全き休みの安息を与えなければならない。…(以下略)』

ある年に土地の半分を植え、残りの半分を休ませ知力を蓄える二圃式農業は古代世界では非常に一般的でした。ヨーロッパではこのような休閑による地力の回復の他にも、家畜の糞を藁と混ぜて発酵させてつくる厩肥(きゅうひ)が広く用いられました。 また、石灰肥料や緑肥(刈った植物を畑に混ぜ込む施肥)も行われました。

マメ科・イネ科・休閑を組み合わせる三圃式農業は、中国では東周時代(紀元前770年~紀元前256年)から、ヨーロッパでは1世紀ごろから始まりました。

16世紀初頭のヨーロッパでは、そこに根菜類などを入れた四圃式農業に進んでいきました。18世紀にはイギリスの農学者チャールズ・タウンゼントにより四圃式農業が普及し、小麦、カブ、大麦、クローバーの4種類の作物を連続して栽培し、飼料作物と放牧作物を加えることで、年間を通じて家畜を飼育することができるようになりました。

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3. 江戸時代の肥料

中国やヨーロッパでは一般的だった輪作でしたが、日本では主流にはなりませんでした。

日本は山岳地帯が多く、休ませるだけの充分な耕作地がなかったことと、水田農業が発展したことが理由としてあります。水田は水を溜めるため土の栄養分が流出せず留まり、連作をすることが可能というメリットがありました。

江戸時代の重要作物は関西の木綿と関東の桑(養蚕)で、品質と生産量を安定させるために多くの肥料を必要としました。当時重要だった肥料は菜種油粕と魚粕。菜種油粕は行燈の油として利用した菜種油の粕。魚粕はイワシなど採れすぎた魚の再利用法でした。

 

当時重要だった肥料の一つとして、人糞尿があります。

世界でもかなり特殊な事例ですが、江戸時代の日本では糞尿は貴重品で高値で取引されました。江戸や大阪などの都市で発生した人糞尿は、農作物を卸にきた商船に積まれて輸送され、農業用に利用されました。糞尿は肥溜めに溜めて熟成することで堆肥となります。

大阪では、家主は借家人の固形物の権利を持っていましたが、価値の低いとされる小便の権利は借家人が持っており、それぞれ仲買人に売ることができました。18世紀初頭では、一年の10世帯分の糞尿は、半両以上で取引されていました。

値段が高騰すると仲買人同士の喧嘩や論争も頻発し、貧農が糞尿を買えず盗みに走り罰せられるといった事件も頻発しました。

 

4. 「肥料の三要素」の発見

 18世紀~19世紀のヨーロッパで、現代では「肥料の三要素」と呼ばれる肥料が発見されていきます。

 

18世紀のイギリス、刃物の町シェフィールド。

この町では刃物の柄に動物の骨を利用しており、加工の時に削った骨くずが大量に生じて工場主は処理に困っていました。そんな時に誰かが骨くずを失敬して自分の畑に撒いてみたら、なんと作物がよく成った。それが噂で広がり皆が骨くずを欲しがるようになりました。こうして骨粉が誕生しました。骨粉はリン酸を多く含み、植物の生育を促す働きがあります。

▽1870年代アメリカのバイソンの骨

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1806年、南米探検から帰国したアレクサンダー・フォン・フンボルトはヨーロッパ世界にグアノを紹介しました。グアノは海鳥の糞や死骸などが蓄積して化石化したもので肥料として優れており、またたく間にヨーロッパ全土で利用されるようになりました。グアノには窒素を含むものとリン酸を含むものとあります。窒素は茎や葉の生育を促す働きがあります。グアノは現在では資源としてほぼ枯渇してしまいましたが、19世紀には産業資源としては欠かせないもので産業革命を支えた資源でした。

 

1856年にはドイツのスタッスフルトでカリ鉱床が発見され、これまでの草木灰に変わってカリ鉱石が使われるようになりました。カリ鉱石の主要素であるカリウムは、根の生育を促す働きがあります。それまでは草木灰や海藻灰でカリ肥料が利用されてきましたが、大規模に利用できるようになったのはこれが初めてでした。

なお、カリ肥料は第一次世界大戦までドイツの専売特許でしたが、その後はアメリカ、ソ連、イタリア、カナダ、イスラエル、イギリスなど各地でカリ資源の発⾒と開発が⾏われることになります。

こうして、「肥料の三要素」である窒素、リン酸、カリウムの肥料が出揃いました。 

 

6. 化学肥料の父リービッヒ

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理論的に化学肥料を発明したのはドイツの科学者ユストゥス・フォン・リービッヒ(1803〜1873)です。

リービッヒは1840年、『Die organische Chemie in ihrer Anwendung auf Agricultur und Physiologie(農業と生理学への応用における化学)』を出版し、化学的なアプローチを農業分野にも適応することで完璧な農業を築き「すべての貿易と産業の真の基礎」を作ることを主張しました。

リービッヒは土壌を分析し、当時主張されていた植物に含まれる炭素は主に葉のカビに由来するという主張するが誤りであることを提示しました。

一方でリービッヒは、厩肥は土壌中から微量のミネラルを供給することが主な役割であると考え、植物へ窒素を供給するには大気中のアンモニアや土壌中の硝酸塩の方が重要だと考えていました。リービッヒはミネラルを効率的に供給すると植物の生育はよくなると考え、1845年から「化学肥料」の開発に着手しました。

後にこの主張は誤りで彼の化学肥料は非効率的であることが判明しました。

しかしその後、リービッヒの弟子であるイギリス人のJ.H.ギルバートとジョン・ベネット・ローズが、骨粉を硫酸で分解してリン酸三石灰をリン酸一石灰と石膏との混合物にかえ「過リン酸石灰」を生成。1843年にテームス河畔のデットフォードの工場で生産をはじめました。これが人造肥料の始まりです。

当初は材料である骨が足りず、戦場や墓場から人骨をあさって物議をかもしましたが、19世紀後半にリン鉱床がフロリダで発見され供給が安定するようになりました。 

 

7. 20世紀の化学肥料革命

植物の生育に効率の良い化学肥料は農業の大発明だったものの、材料の供給は天然の鉱物に依存しており、グアノのように資源の供給量が減少したり枯渇してしまったら、化学肥料に依存した農業は深刻な危機に陥ることが懸念されました。

1898年9月、ブリストルで開かれたイギリス化学協会で会長のクルックスは、「人類を飢餓から救うには、空気中に無限にある窒素をアンモニアに変える技術を発明しなくてはならない」と説きました。

これにより空中窒素固定の研究が加速し、1913年に「ハーバー・ボッシュ法」が確立されました。

<左>フリッツ・ハーバー <右>カール・ボッシュ

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これは1910年代のフリッツ・ハーバーの理論的研究に基づいてカール・ボッシュが実用化したもので、窒素と水素の混合気体を約250気圧に加圧し、酸化鉄を主体とした酸化アルミニウム、酸化カリウムを添加した触媒を400〜450℃で通し、発生するアンモニアを冷却して分離するというもの。

生成されたアンモニアは窒素肥料だけでなく、工業用にも広い需要があり、ハーバー・ボッシュ法は20世紀の化学工業の中核的技術となりました。

 

塩化アンモニウムと尿素製造技術の確立

20世紀後半から日本で窒素系肥料の主流となったのは塩化アンモニウム肥料(塩安)です。

塩化アンモニウムは作物の生育に欠かせない塩素を含んでおり、根腐れを防いだり、光合成を促したり、栄養価を高めたりなど優れた特長があります。
イギリスのロザムステッド農業試験場では、すでに1933年から「すべての穀物作物に対して(当時の主流だった)硫化アンモニウムよりも収量増加が大きく安定している」と報告がなされていました。

塩化アンモニウムは戦前の朝鮮半島で試験的に生産されていましたが、戦後に輸入した原料塩を効率よく利用するため、炭酸ナトリウムと塩化アンモニウムの両方を併産する方法が開発されました。

 

窒素系肥料で重要な尿素の工業的生産は戦後日本で始まりました

第二次世界大戦後、北海道の砂川にあった硫化アンモニウムの工場の硫酸製造装置が占領軍によって接収されてしまったたため、アンモニアを硫酸以外で肥料塩にする必要が生じ、アンモニアと炭酸ガスを化合させて尿素を生産する技術が開発されました。

尿素肥料は葉や茎の生育を促す効果があり、窒素系肥料の中でももっとも多くの窒素を含むため即効性があります。

 

化学肥料への批判

 1960年代以降、日本や欧米では「科学万能主義」に対する不信感から、体に取り入れる食品に化学的な物質が含まれているのは良くない、という言説が根強くあります。

化学肥料を使わない有機農法が良いとされ、化学肥料が体に悪いものと考える人も多くいます。

特に日本で大きな影響を与えたのは、1974年に朝日新聞で連載された有吉佐和子の著作『複合汚染』だとされています。

この連載では農薬や科学肥料による環境汚染・環境破壊、人体への悪影響が強調され、そのセンセーショナルな内容からベストセラーとなりました。

化学肥料を使えば土がカチカチになりミミズが死に土壌が死ぬ、農薬の影響で農民が神経系の疾患に苦しんでいる、化学肥料で育てた野菜は栄養が少ない、といった内容です。

『複合汚染』が出た当初は公害が社会問題になっていたタイミングで、農業の分野にも「効率や儲け重視で人間性が失われている」という文脈が持ち込まれた点が画期的でした。叙述が過激であるものの、完全に化学肥料を否定しているわけではなく、「使い方と量の問題」であるとしている点は、多くの人に共感されるところだと思います。

化学肥料は少しの量で大きな増収効果が見込めるものの、使いすぎると土壌の酸性化や環境汚染を引き起こす。

有機肥料は土壌を柔らかくしたり保水機能を上げたりする効果があるものの、効率が悪いので多量に与える必要があり単価が上がる。過剰に与えすぎるとこれまた環境汚染を引き起こしてしまう。

どちらだけでもダメで、化学肥料と有機肥料をうまく組み合わせることが、産業としての農業にも、環境保全にも効果的であると考えられます。

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まとめ

肥料にまつわるあれこれをまとめてみました。

土壌の地力が落とさずに農業ができる技術を追い求め、効率の極みに到達したらそれが環境汚染を引き起こしてしまう可能性が生じるというのは皮肉です。

 適切な量とタイミング、それぞれの環境に応じて肥料を使っていかないといけないし、農業をする人はそういう効果効能を知っておかなくてはならず、それこそ「知らなかったでは済まされない」のだと思います。

 

参考文献・サイト

「肥料の歴史-人間活動とのかかわり合い-」 高橋 英一

"化学肥料Q&A" 日本肥料アンモニア協会

"肥料の種類と分類 肥料の歴史" ⼟壌作物栄養学 14-1

 "A History of Human Waste as Fertilizer" JSTOR DAILY

"Justus, baron von Liebig" Britannica

"塩安系肥料のおはなし" セントラル硝子

"化学肥料の功績と土壌肥料学" 独立行政法人農業環境技術研究所

"有機農業運動の魅力編「1970年代に一つのムーブメントが始まった!」" 食農チーム/食を見つめなおす