Photo by Zinneke
なぜその場所は共同地域となったのか
数は非常に少ないですが、現在の世界でも複数の国の共同主権にある地域というのがいくつか存在します。
基本的に特定の地域は明確にどこか一つの主権によって統治されるのが一般的だし、そちらのほうが統治が容易なのですが、どのような経緯で複数の国の統治になったかを見ていきたいと思います。
1. モーゼル川とその支流(ドイツ&ルクセンブルク)
Photo by Zinneke
ドイツとルクセンブルグの国境線の9割になる共同主権地域
ルクセンブルクとドイツの国境はモーゼル川と支流のザウアー川とそのまた支流のウール川が流れており、ルクセンブルク・シェンゲン付近を南端とし北に118キロまでの川と、その中にある約15の中洲(増水で消えたりするため)は両国の共同主権地域となっています。
特に制限はなく、誰でも立ち入ることができます。
この共同主権地域は1815年のウィーン会議にてプロイセン王国とネーデルラント王国との間で締結されたもので、「川が国境線になっている場合は、隣接する両岸の国に主権がある」という規定に基づいています。
1930年代にナチス・ドイツが政権をとったときに、ヒトラーはこの協定の破棄をルクセンブルクに通告しますが、ルクセンブルクは「ウィーン条約の全ての国に許可が必要である」と抗議しました。
1884年、ドイツの裁判所は「両国にまたがる橋の中間地点から東がドイツで西はルクセンブルク」とする判決を出し、100年近くドイツ内ではこの解釈が続いていましたが、1984年のドイツ・ルクセンブルク国境条約で正式に「橋も共同主権である」ことが定められました。
ただし、仮に橋の上で犯罪が起きた場合、どちらの国の法律で裁くのか?など曖昧な部分も多く、その時は個々の事例に基づき適宜判断する、ということになっているようです。
2. ボーデン湖(ドイツ&オーストリア&スイス)
「ヨーロッパにあるブラックホール」の異名を持つ湖
ボーデン湖は別名コンスタンツ湖とも呼ばれ、中央ヨーロッパで3番目に大きい湖です。この湖はオーストリア、スイス、ドイツとの国境にあり、昔から重要な交易・漁業地域で各国の商人・漁師が行き交って交易圏や漁業権を巡る争いが絶えない地域でした。余計な紛争を回避するため、ボーデン湖は湖上の島を除き、湖はすべて共同主権地域に定められました。
ただし各国により微妙に解釈が異なり、スイスは「湖の中間に国境がある」と考えていますが、オーストリアは「湖全てが共同主権」と考えています。ドイツは特に公式解釈を出していません。なので、スイスから遊覧船に乗ると、中間地点まで行って引き返してしまうそうです。
その曖昧さから、ボーデン湖は「ヨーロッパの中にあるブラックホール」などと言われています。
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3. フェザント島(スペイン&ポルトガル)
Photo by Ignacio Gavira
現存する世界最古の共同主権地域
大西洋にほど近いビダソア川にあるフェザント島は、フランスとスペインの共同主権地域です。この島には一般人は立ち入ることは許されていません。
この小さな島は伝統的に、フランス王家とスペイン王家との間の婚姻において、花嫁を相手方に初めて紹介する儀式が開かれていた場所でした。
1615年、フランスのルイ13世が妻アンヌ・ドートリッシュと、スペインのフェリペ4世が妻イサベル・デ・ボルボンと初めて会ったのもこの島だし、後にはフランスのルイ14世が妻マリー・テレーズと、スペインのカルロス2世が妻マリー・ルイーズと初めて会ったのもこの場所です。
その歴史的意義を両国で評し、1659年にフェザント島は共同主権ということになり、現在に至っています。現存する世界で最も古い共同主権地域です。
なお、統治は両国が代わる代わる行なっており、6ヶ月フランス、6ヶ月スペインという感じで、主権が半年ごとに変わるという大変珍しい統治形態となっています。
4. ブルチコ行政区(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦&スルプスカ共和国)
3民族の和解を象徴する地区
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、1992年〜1994年の内戦後、クロアチア人とボシャニャク人が統治するボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦と、セルビア人が統治するスルプスカ共和国の2つの国家の連邦共和国となりました。
上記地図の通り、2つの国の統治地域は飛び地だらけで、赤のスルプスカ共和国の領土と青のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦の領土が飛び飛びになっています。北部にあるブルスカ行政区(緑)は住民の多数派はセルビア人なのですが、この地域は政治・経済的な要衝であり、ここを抑えた民族が他の民族に対して極めて有利に立ちます。仮にセルビア人がブルチコを支配したら、隣国との国境の大部分をセルビア人が支配することになってしまい、クロアチア人とボシャニャク人が極めて不利な立場になってしまいます。
内戦後、その帰属は両国によって争われてきましたが、1999年にアメリカ外交官ロバート・オーウェンの仲介により、ブルチコは共同主権地域と設定されました。
共同主権ではありますが、ブルチコ行政区は両国から半ば独立した主権を持ち、独自の警察・教育・保健制度を有します。市長はクロアチア人ですが、市長代理はボシャニャク人で、市議会議長はセルビア人と、それぞれの民族が平等に議会勢力を分け合っています。
建前上は民族和解が謳われていますが、実際のところ各民族はそれぞれ別の地域に住んで溶け合うことはなく、内戦の傷はまだまだ癒えていないようです。
5. フォンセカ湾(ニカラグア&エルサルバドル&ホンジュラス)
大金に大化けする可能性のあった内湾
フォンセカ湾は、中米ホンジュラスの西部の太平洋岸に面する内湾。
西はエルサルバドル、東はニカラグアにも面する湾で、3国の共同主権ということになっています。確かにこれは揉めそう。
1522年、フォンセカ湾はスペインの探検家ヒル・ゴンサレス・アビラにより、スペインの聖人フアン・ロドリゲス・デ・フォンセカにちなんでつけられました。
フォンセカ湾はアメリカ大陸の丁度真ん中にあり、太平洋への基地そして地政学的に重要な地点でした。パナマ運河建築前はアメリカはカリブ海からフォンセカ湾を横断する運河の建設を検討していました。
それ故、フォンセカ湾は「ビッグマネー」に化ける可能性が高く、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグアは長年、湾自体と湾内の島々の主権を巡って争いを続けてきました。
ところが1917年、ニカラグアは他の2国に全く断りなくアメリカと交渉し、ブライアン・チャモロ条約に基づきアメリカ海軍の建設を認可してしまいます。
ホンジュラスとエルサルバドルは強く反発。国際法廷に持ち込まれ、中央アメリカ司法裁判所はニカラグアの決定はフォンセカ湾の共同保有権に違反しているとエルサルバドル寄りの裁定を下しました。
その後も境界の論争は続いていましたが、1992年に国際司法裁判所により、フォンセカ湾全体は3国共同主権とされ、エルサルバドルはメアンゲーラ島とメアンゲリータ島、ホンジュラスはエル・ティグレ島の主権が認められました。
6. 国際宇宙ステーション
アメリカ、カナダ、EU、ロシア、日本の共同主権
国際宇宙ステーション(ISS)は、宇宙上の実験や研究を長期間行い、科学・技術を発展させることを目的に、1984年のロンドンでの国際会議に発案され、1998年に宇宙での建設が始まり、2011年7月に完成しました。
参加国は、アメリカ、日本、カナダ、EU11カ国(イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイス、スペイン、オランダ、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン)、ロシアの計15ヶ国。2000年11月からは常時6名体制で運用を行っています。
基本的には、アメリカ、カナダ、EU、ロシア、日本はそれぞれ開発した装置をそれぞれ運用しており、実験モジュールも各地域別にそれぞれ分かれています。また、国際宇宙ステーションと地上の通信は基本的にはアメリカの中継衛星を使用するのですが、ロシアだけは独自の衛星を用いています。
そういう形で、全部が全部共同というわけではありませんが、各国による共同で運用されています。宇宙のような未知な場所だと、むしろ共同管理しないと怖い気もしますよね。
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まとめ
極めて平和的に生まれたものから、血の対立を避けるために設定されたものまで様々です。
狭い土地なのにどちらに主権があるかという点だけで争いになり、血が流れる可能性があるのであれば、共同主権にしてしまったほうが争いがなくて済む、というやり方も「大人の解決方法」としてありそうな気もします。が、言うは易し行うは難しで、実際の運用は極めて難しくなりそうな気もします。
こういうのを見ると、例えば竹島など共同主権にできなかったのだろうか、など思ってしまいます。とはいえ、両国の政府と国民がそれを許すだけの器量があるのであれば、そもそも歴史や領土を巡る醜い争いはないはずで、有り得ない「IF」だよなと思ったりします。
参考文献・サイト
"The World’s Most Exclusive Condominium" The New York Times
"The Borderless Black Hole in the Middle of Europe" Condé Nast Traveler
"Welcome to Brčko, Europe’s only free city and a law unto itself" The Guardian