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「反穀物の人類史」書評 - やっぱ国家ってロクなもんじゃねえな

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世界史を見る視点が大きく変わる壮大な文明論

「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」ジェームズ・C・スコット著(みすず書房)を読みました。

紀元前4000年から紀元前2000年の時期に、我々の祖先が作り上げた「国家」という仕組みがどのように成立したか、その中で穀物がどのような役割を果たしたかを、考古学・人類学のファクトを元にし壮大で大胆な仮説が提示されています。

 その中で国家が民を支配していく中で、税が課され、兵役や労役が課され、疫病が流行り、ロクなもんは食えず、人間が自分たちをどんどん不幸な方向に追い込んでいく様が描かれます。

賛否はあると思いますが、「何だ、やっぱ国家ってロクなもんじゃねえな」という感想を持つ人もいるかもしれません。

 

1. なぜ国家は生まれたのか

本書の筆者ジェームズ・C・スコットはイェール大学の人類学者・政治学者。東南アジアをフィールドとし、地主や国家の権力に対する農民の抵抗戦略に焦点を当てる研究に特徴があります。

2013年に日本でも出版された「ゾミア―― 脱国家の世界史」では、社会は野蛮から文明に一方向に進むのではなく、文明から野蛮に戻る人々とその社会もあることを、東南アジアの山岳民族の事例を交えて紹介しました。山地に住む「野蛮人」は国家からの支配から逃れるためにわざと、便利な文字や通貨、農業など文明的なものを捨て、山地に入ったというのです。

そして本書もそのような、都市や農業といった便利で快適だが国家や権力に束縛される暮らしから逃げ出した人の視点も交えながら、現代の国家の基礎がどのように成立し、その過程で人間がいかに「家畜化」されてきたかを描きます。

 

そもそもなぜ、国家は生まれたのか。

筆者は紀元前3200年ごろに存在したメソポタミアの都市国家ウルとウルクを参照しながら、国家が形成されたのは「沖積層に穀物とマンパワーを集中させ、それを支配、維持、拡大したからだ」とします。

何をもって国家とするかの定義は人によって様々ですが、筆者は「税の査定と徴収を専門とし、単数もしくは複数の支配者に対して責任を負う役人階層を有する制度」としています。

つまり、「民の行動が支配者の命令によって制御される体制を築き、穀物の収穫を基礎にした経済活動に大部分のリソースを割く」ことが初期の国家の目的であると言います。

 

2. 穀物が国家を作らせた

初期の国家は農業を基礎としましたが、「農業の始まり=国家の始まりではない」と筆者は言います。

農業は国家が登場する4000年近く前の新石器時代に既に始まっており、チグリス・ユーフラテス川デルタにあるような湿地帯で穀物が育てられていました。狩りや漁労、採集による獲得する資源、人為的に自然をコントロールして獲得する資源、そして雑草や野生動物を「飼い馴らし」することによって獲得する資源、この組み合わせによって安定的な経済を獲得していました。

そして筆者は、穀物や家畜を我々人間が飼い馴らしたのか、それとも我々が彼らに飼い馴らされたのか、と問いかけます。本文中にあるヌエル族と家畜についての記述を引用します。

ヌエル族はウシの寄生虫ではないかといわれている。しかし同じ強さで、ウシがヌエル族の寄生虫なのだとも言えるだろう。ヌエル族の生活はウシの福祉を確保するために費やされている。ウシが居心地よく過ごせるように、小屋を作り、火を熾し、囲いを掃除する。ウシの健康のために、村から野営地へ、野営地から野営地へ、そしてまた野営地から村へと移動する。野生動物を寄せ付けないように保護してやる。装身具で飾ってやる。ウシは、ヌエル族の献身のおかげで、のんびり、だらだら、のろのろと一生を過ごしている。

穀物や家畜は人間の助けなしに暮らしていけないのだとすると、一方で人間は穀物や家畜に生殺与奪を握られてしまっている。NHKの動物番組的な表現だと「助け合って生きている」のかもしれませんが、「全財産を米ドル/円にブッこんでる状態」とも言えます。

 

ではどうして人間は、こんな極めてリスキーな穀物に依存する体制を作るに至ったのか。筆者はそれを気候変動に求めます。

紀元前3500年~紀元前2500年の時期には乾燥が進み、海水レベルが急激に下がり、ユーフラテス川の水量も減少しました。その結果、土壌の塩類化が進み耕作可能地帯が減り、人々が限られた地域に集中。多くのマンパワーを限られた土壌に集中投下し耕作を行うようになりました。そして集団を統制し役割を明確化するための階層を作り、その規模を拡大するために軍事力や人口の増大を図っていきます。

 

初期国家の主要農産物は穀物で、小麦、大麦、ヒエ、アワ、コメ、トウモロコシです。主要作物を一つ二つに限定することは極めてリスキーなのですが、なぜ古代国家はこれらを選び、マメやイモ、木の実を主要作物に選ばなかったのか、という点も面白い説が述べられています。

それは「穀物のみが容易に課税できる」というものです。

穀物は地上で育ち、おおよそ収穫期が同じである。徴税役人は一定の時期に管理する地域にいけば収穫した作物を容易に徴収できる。また、乾燥させたり粉にすると長期間の保存が可能となる。軽くて輸送にも都合がよかった。

一方で、イモや木の実は地下や地上にあるので、隠すのが非常に容易だし、徴収するのに時間がかかる。すぐに腐ってしまうし、穀物に比べてキロ単位のカロリーは低い。

穀物の利点は他にも、税収予測が立ちやすいというのがあります。農地の広さが分かればどの程度の収穫量があるかの見込みも計算できる。もし少なそうなら他国から買い付けることを考えないといけないし、多そうならどれだけ収入が得られそうかも予測できる。

このような特質があるため、初期国家の領土の範囲は「穀物が栽培・輸送できる範囲」にとどまりました。国家が拡大するには、農業技術や輸送技術の発展を待たねばならなかったのです。

穀物国家の領土の外には、狩猟・漁労・採集・遊牧などで生計を立てる「野蛮人」の世界が広がっていました。当初、穀物国家はこれらの人々を支配するメリットは一切ありませんでした。彼らは常に移動しているし、収穫は季節によって変わり、まとまりがない。管理コストにまったく見合わなかったわけです。

ではそのような「野蛮人」の暮らしはどうだったかというと、実のところ定住した都市住民よりもはるかに良い暮らしをしていました。

 

3. 豊かな「野蛮人」の暮らし

国家という仕組みの枠外には、その統制下に入らない自由民が暮らす地域がありました。彼らは都市民と違って国家に属していないため、税金を払う必要はない。属する集団の総意による集団労働や戦闘はあったでしょうが、基本的には自由である。

自由というのは農民のような、一つしか生計の手段がないような生き方からも自由である、という意味もあります。

彼らはすでにいくつかの農作物を育て、家畜も保有する一方で、豊かな自然がもたらす季節の恵みから食物を得ていました。季節ごとに採れる木の実や果物、野菜。近くに周遊してくる小動物や鳥類、魚類。穀物のみに依存することはなかったため、都市住民よりもはるかに食料の確保には柔軟でした。そのためいくつもの食物網から獲得する栄養を得ていた狩猟採集民は、農民よりも栄養状態が良かったのです。穀物食に依存していた農民は必須脂肪酸や鉄分、ビタミン、プロテインを欠き、極めて栄養不足でした。当時の人間の骨格を見ると、狩猟採集民の方が平均5センチ以上も背が高いそうです。

さらに農民は腰を曲げる農作業を続けることで骨に負担がかかり身体の不調が起きがちで、集団で暮らしていることもあり感染症にかかりやすく、特に幼児と女性の死亡率は非常に高かったのです。一方で狩猟採集民は運動とプロテインやビタミンを含む適度な栄養の摂取により、非常に健康体でした。

農民が不健康で狩猟採集民が健康、というのは、現代でもアラブの遊牧民が持っている価値観と同じです。

アラブ人遊牧民族は自分たちのことを「アアラーブ」と呼び、都市住民である「アジャム」を蔑んで一段下に見ています。都市は展望も効かず、空気もよどんで汚い。外国の文化や言語が入ってきて「アラブらしさ」が失われている。人びとは富を蓄え美味いものをたらふく食って肥え太っている。一方で砂漠はどこまでも遠く広く澄み渡っている。アラブらしさは古来のまま失われることなく、質素なテントと食事は都市で供されるどんな贅沢よりも素晴らしい。人びとは醜く肥えることなく健康的で、颯爽とラクダを乗りこなす。

これは恐らくイスラム以前からのアラブ人の価値観で、現代でも都会を蔑み、田舎(砂漠)を尊ぶ感覚は生き続けています。

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4. 都市と感染症

アラブ遊牧民が「空気がよどんで汚い」と言ったように、都市は伝染病のリスクが非常に高い場所でした。

 コレラ、天然痘、おたふく風邪、インフルエンザ、マラリアなどの疾患。さらには腸チフス、アメーバ赤痢、トラコーマ、ハンセン病、住血吸虫症、フィラリアなど菌や虫の寄生によって起こる病気もありました。

 極めて初期の頃からこれらの伝染病は罹患者から別の人に移ることが理解されており、患者が確認されると隔離され接触を避けられていました。伝染病を運んできやすいのは、旅行者や交易商人、兵士であることも理解されていました。罹患者が使っていた衣服やコップなども処分されました。しかしこうした努力も叶わず流行を止められなかった場合は人々は都市から逃げ出しました。しばらくして流行が抑えられたら戻ってきたのでしょうが、多くの人が戻らずそのまま滅びた都市も多かったことでしょう。

筆者は、古代の都市である日突然住民が姿を消したケースの大部分は伝染病であると断言して間違いないだろうと言います。

農民は長い時間をかけてこのような伝染病を数多く経験し、その都度免疫を獲得し、病気への耐性に強くなっていきました。しかし初期の頃は悲劇的でした。さらに人間だけでなく、穀物が病原菌や害虫に襲われると、一切の食べる物がなくなるという悲劇的な状態に陥りました。

 

このように農民は狩猟採集民と比べて死亡率が高かった一方で、非常に繁殖力が高く死亡率の高さを補い、人口はロングスパンで見ると確実に増えていきました。

農民は定住するため子を移動させる必要がなく育てることが容易だし、農業には人手がいる。さらに初潮も早く生殖寿命も長かったのです。

こうして感染症に対する免疫を獲得し人口の増えた農民は、狩猟採集民を確実に圧迫していくことになります。感染症への免疫がない狩猟採集民は病気にかかって容易に死んでいったと考えられます。南米先住民がスペイン人が持ち込んだ病気によって大量に死んでいったように。

「歴史」は国の権力者によって作れてきたため、こういった自由民を「野蛮人」とみなし、彼らを征服し国の支配下に収めて「文明化」することを正義とみなしてきました。自由民が暮らしていた資源豊かな湿地帯や森林地帯は、農業のための整備され破壊され、野蛮人は奴隷となり国家の底辺に組み込まれていきました。

一方で遊牧民や山岳民の一部は、武力で国家を圧倒し、匈奴やフン族のように農耕民族と妥協し共生関係を築いていくのです。

こうしてみると、歴史の見方がまったく違うものに見えてきませんか?

 

5. 国家崩壊は民にとっては良いこと?

初期国家の農業は基本的には、河川が上流から運んできた豊かな栄養分に依存したものでした。しかし人口が増え分業化が進み技術の集積が進むと、材木や燃料の巨大な需要が生じました。製鉄、レンガ造り、造船、食器製造、巨大建築物の建造などなど。これらの木材は大河下流では採れず、河を遡った上流でとれ、人々は森林の木を盛んに切り、採りつくすまで採りました。その結果、森林が蓄えていた水分が直接川に流れだすようになり、大規模な洪水が多発するようになったと言います。

古代世界の神話で洪水の物語が数多くあるのは、このような背景があるのかもしれません。

さらに、土地の塩類化と土壌の疲弊も発生しました。灌漑用水には溶解塩が含まれており、時間がたつにつれて塩が土壌に蓄積していき、深いところにまで染み込んで、植物が育たなくなってしまう。メソポタミアはただでさえ雨が少ないので土壌の洗浄も行われず、紀元前2400年ごろに初期国家は崩壊してきました。

しかしここで筆者は、このような国家の崩壊は、国の指導層にとっては悲劇だっただろうが、民の側からすると単に逃散すればいいだけであり、大した問題ではなかったはずであると言い切ります。むしろ、強力な王権が崩壊し、権力の空白期間になった間は、多くの国家の臣民にとっては「束の間の自由と人間福祉の向上を意味していた」と主張します。

国家の民は圧制を受けたり、無茶な労役や兵役を受けた場合は簡単に逃げ出して、近隣の国に行ったこともあっただろうし、「野蛮人」である狩猟採集民の世界に逃げることもできました。当時はむしろ「野蛮人」の世界の方が食料が豊かで、自由が保障されました。

 

文明は指数関数的に未開地や「野蛮人」を開拓し・啓蒙していったという考え方はおそらく間違いで、もっと文明と野蛮の間の人の動きは活発であったのは間違いありません。

 また、文明や政治・経済の発展で成功を語るのだけではなく、人間に普遍的な「幸福」や「自由」という視点で歴史を見ていく必要がある、という筆者の考え方には大いに感化されるものがあります。

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まとめ

 本書は一行一行情報がミッチリ詰まっており、じっくりかみ砕きながら読んでいきたい本です。話の重複や正確でない認識、話の飛躍も時折あるものの、メッセージは明確、主張はダイナミックで、非常に興奮させられます。

筆者が投げかけた「 穀物や家畜を我々人間が飼い馴らしたのか、それとも我々が彼らに飼い馴らされたのか」というメッセージは、国家と臣民にも言えるのではないでしょうか。「国家が臣民を飼い馴らしているのか、臣民が国家を飼い馴らしているのか」。おそらくその両面があるでしょう。

本書は我々が当たり前に思っている社会や国というものを、今一度見直してみるきっかけにもなるかもしれません。