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古代の人々が夢中になった7つのボードゲーム

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古代から人々の暇を潰してきたボードゲーム 

ボードゲームの人気がずっと続いてますね。

ちょっと前までは、ボードゲームといえば、伝統的な将棋や碁、麻雀、チェス以外には、オセロ、ドンジャラ、人生ゲーム、モノポリーくらしかありませんでした。

今や、海外製のユニークなボードゲームがたくさん入ってきて、子ども向けの分かりやすいものから、大人が眉間にしわ寄せて考える戦略的なものまで様々あります。

 ボードゲームは古代から様々な種類があり、碁やチェス、バッグギャモンのように古代に生まれて現代まで遊ばれ続けているものもあります。

今回はあまり日本では知られていない古代のボードゲームを紹介しようと思います。

 

1. セネト(古代エジプト)

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世界最古のボードゲーム

 セネトは古代エジプトで人気のあったボードゲームで、その歴史は紀元前3100年ごろとも言われるエジプト第一王朝にまで遡ります。エジプトではかなり普及していたゲームで、王族から一般庶民まで楽しんでいました。王族は宝石や貴重な石を使った豪華な盤を用いて楽しみ、庶民は石で盤を作ったり、木の床に線を引いたりして楽しみました。

 セネトの盤は横3×縦10の合計30のマスから成り、手持ちの駒は5〜7。棒や骨を投げて出た目に従って駒を動かし、全ての駒が相手の最後のマスにまで到達すれば勝ちというものです。どういう目が出るかの運も大きいですが、戦略的に駒を動かし、相手の進路を妨害したり、わざと進ませたりしながら、いかに自分が有意なポジションを作れるかが楽しみどころだったのではないか、と考えられます。

というのも具体的にどういうルールだったかは謎に包まれており、現代版のルールは存在しますが、おそらく古代エジプトのそれとは違うはずです。

古代エジプトではセネトはあまりにも人気すぎて、単なるゲームを超えた宗教的・呪術的な意味すら付与されました。駒が最後のマスに到達し勝利することは、カー(魂)がラー(太陽神)の元に加わることを意味しており、魂が無事に地上を離れて来世に行けることを占う儀式のような意味をも持っていました。

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Senet

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2. ウルのゲーム

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 プレイの仕方が詳しく分かっている古代ゲーム

セネトのルールはあまりよく分かっていませんが、約4500年前にプレイされていた「ウルのゲーム」はどうやってプレイをするのかが楔形文字の読み取りの結果分かっています。

ウルのゲームの盤には20個のマスがあり、4×3パネルのブロックと2×3パネルのブロックを2つの正方形の「ブリッジ」でつなげたもので、ダンベルのような形をしています。プレイヤーは獣の趾骨(しこつ)でできたサイコロを振り、出たマスに沿ってコマを進めて敵陣の一番奥にまで進めるのが基本です。花柄のマスは「ラッキー・ゾーン」で止まるともう一回進むことができました。

 YouTubeを見るとプレイの仕方の動画がいくつか上がっています。 

www.youtube.com

ウルのゲームはこれが最初に発掘されたメソポタミアの都市ウルから来ていますが、同じゲーム盤はイラク、イラン、イスラエル、シリア、ヨルダン、エジプト、トルコ、キプロス、クレタ島など各地で100以上出土しており広く人気のゲームだったようです。

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3. メヘン(古代エジプト)

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Photo by Anagoria

どういうルールだったか謎に包まれている古代エジプトのゲーム

メヘンとはエジプトの蛇の神に由来する名前で、その名の通り盤は蛇がとぐろを巻いた形をしています。このゲームは紀元前3100年~紀元前2300年の間に古代エジプトで人気があったもので、特徴は最大6人のプレイヤーが参加できるマルチプレイゲームだったこと。プレイヤーは球体の形をした駒を螺旋状の盤の上を動かし「蛇の頭」にあるゴールを目指します

しかし分かっているのはこれだけで、エジプト古王国の衰退に伴って人気が衰え、ルールを書いた記録も残っていないため、その詳細なルールは一切分かっていません。

すごろくのように各マスに駒を乗せて進めていたのかもしれないし、 あるいは駒の円形状の部分を溝に置き転がして動かしたのかもしれません。

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4. ナイン・メンズ・モリス(ローマ帝国)

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中世ヨーロッパで人気のあったゲーム

 ナイン・メンズ・モリスはスマホのゲームもあったりするので、プレイされたことがある方もいらっしゃるかもしれません。

このゲームはローマ帝国時代に発明されたと一般的に言われていますが、その歴史はもっと古く、紀元前1,400年の古代エジプトに遡ります。ルクソール近くのクルナ神殿の天井裏には、当時の建設作業員が描いたと考えられるナイン・メンズ・モリスの盤が見つかっており、当時からプレイされてたことが分かっています。

ローマ帝国時代から中世ヨーロッパでポピュラーなゲームとなり、盤が西ヨーロッパからバルカン半島、ロシアに至るまで各地で出土しています。

このゲームは二人プレイで、互いに白と黒のコマを9個ずつ保有します。互いのターンごとにコマを置いていき、3つのコマが縦横連続で並べば、相手のコマをどれか一つ退場させることができます。9個全部置き終わった後はまだマスが残っているので、コマを隣に動かすことができます。こうして3連続並びを目指してコマを動かし、相手のコマを減らしていきます。残りのコマが3つになったら「フライング」と言って、隣に限らず好きなマスに移動させることができるようになります。こうやって相手のコマをすべて退場させたら勝利です。

YouTubeにプレイ動画がありました。これは分かりやすいです。

www.youtube.com

 

 

5. タフル(北欧)

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 ノルディックで人気のあったボードゲーム

 タフルはスカンジナビア半島で400年ごろに生まれたボードゲームと考えられ、ヴァイキングが盛んに行き来したブリテン島、アイルランド、アイスランドで人気となりました。しかし11世紀~12世紀ごろからチェスに人気の座を奪われて衰退してしまいました。

スコットランドではタフルの盤は修道院や教会などで発掘されており、盤は高価で王族や貴族など金持ちだけが使うことができたようです。

 さて、タフルですがいくつかバリエーションがあるのですが、最も人気のあるネファタフルの遊び方です。

プレイヤーは2人で「攻撃」と「守備」に分かれます。守備は中央にコマがすべて集まり、攻撃は東西南北から攻めていきます。守備にはキングのコマがあり、キングが盤の四隅にある「避難所」に到達すれば守備側の勝ち。キングが取られたら攻撃の勝ちです。

The Viking Game (Hnefatafl)

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6. ルダス・ラトルンカロルム(ローマ帝国)

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Photo by Wolfgang Sauber

軍事スキルを育成のための戦略ゲーム

ルダス・ラトルンカロルムは古代ローマで作られたボードゲームで、軍事スキル育成のために発明されたと考えれています。最大で17マス×18マスの盤でプレイする2人用のゲームで、古代ギリシアのボードゲーム「ペッティア(Petteia)」の変型版であると考えられています。

ルダス・ラトルンカロルムについて最初に言及した文書は、紀元前1世紀にローマの作家ヴァッロが書いたもので、ガラスや石出来たコマの色について記述しています。

その200年後に書かれた「Laus Pisonis」では、ゲームのルールについて「敵の陣地が分裂し、(あなたの)陣地が分裂していない状態で勝利を収めた状態か、一人か二人を失っただけで(あなたの)両手が捕虜を捕らえて手一杯になった状態でスタートする」と説明しています。

しかしながら、実際にどういうルールだったかはよく分かっていません。過去140年間に渡って研究者が様々な説を出してきました。

ドイツ人考古学者のUlrich Schädlerは1994年のエッセイで、プレイヤーは孤立した敵のコマを自分のコマ2枚で囲むことを狙って動かしたのではないかという説を唱えました。

 

7. パトリ(アステカ)

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皇帝から庶民までアステカの人々を夢中にしていたゲーム

パトリはアステカ帝国で人気のあったボードゲーム。

盤の形は十字をしており、2人のプレイヤーはダイスを振って、対角上にある端を目指してコマを進めていきます。しかし、ダイスやコマによってどのように進み方が変わるかと、ゲームスタートのコマの配置については当時のルールはよく分かっていません。

アステカの首都テノチティトランでは特に人気があり、人々はパトリ狂とでも言うくらい熱狂していました。モノやカネを賭けるだけでなく、時には自分の全財産や負けたら奴隷や死刑になる契約すら賭け、人生を賭けたギャンブルに熱狂していたと、ドミニコ会修道士のディエゴ・デゥランは書き記しています。

平民も貴族も同様にパトリをプレイし、16世紀の歴史家フランシスコ・ロペス・デ・ゴマラによると、モンテスマ帝でさえもこのゲームを楽しんでいたそうです。

スペイン人征服者によってアステカ帝国が滅ぼされると、スペイン人はパトリを全面禁止し、盤やコマなどをすべて焼却してしまったので、どのようなルールであったかは永久に分からなくなってしまいました。

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まとめ

 ほとんど詳細なルールが分かっていないのが残念なところです。

しかし、トランプゲームの大富豪ですら様々なローカルルールが存在するので、当時のボードゲームも色んなルールがあったはずで、昔のルールを推測するのもいいですが、現代の我々がルールを作ってしまってもいいのではないでしょうか。

いくつかのゲームは買えたり、オンラインプレイができるので、ぜひお試しになってください。

 

参考文献・サイト

 "THE BEST BOARD GAMES OF THE ANCIENT WORLD" smithonian magazine