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【世界史】古代の有名な女性戦士とその逸話

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 古代世界で活躍した女傑たち

古代社会では、地域によって女性の社会的な役割が大きい地域が結構多くありました。

王などの国家の要職を務める場合もあれば、今回ご紹介するように将軍や現場の戦士として活躍するケースもありました。

 女性戦士という名前だけで結構ときめくものがありますが、どのような活躍をした人物なのか見ていきましょう。

 

1. ペルシアのロードグネ

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 髪を洗わなかったダレイオス1世の母

アケメネス朝ペルシアを開いたダレイオス1世は、内乱に明け暮れるペルシアを統一し、ギリシア方面に侵略戦争を起こしペルシアの領土を拡大させたどえらい男です。

英雄の母もなかなかの傑物で、その名をロードグネと言います。

ロードグネの夫はバクトリア太守ヒュスタスペスで、当時のペルシアはキュロス大王の死後の混乱状態で、暴動や内乱鎮圧に明け暮れてしました。

妻ロードグネはパルティア王の血を引く人物で軍を動かせるだけの地縁があったため、夫と共に軍を率いて自ら戦いをしていました。

伝説によると、ある日ロードグネが水浴びをしていると反乱勃発の知らせが舞い込んできた。ロードグネは直ちに自ら飛び出し、

「奴らの息の根を止めるまでは二度と髪を洗わぬ」

と宣言し、数年続く反乱軍との戦いの間一切髪を洗いませんでした。

最終的に反乱を鎮圧した後、思う存分髪を洗ったそうですが、その心意気に敬意を表し、彼女の彫像は「髪ボサボサ」で表現されていたそうです。

 

2. キュナネ

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偉大な女戦士だったアレクサンドロス大王の姉

マケドニア王フィリッポス3世の長女で、アレクサンドロス大王の異母姉はキュナネと言い、若くして戦場で戦う女戦士でした。母もイリュリア地方出身の女戦士だったので、血だったのでしょうか。

伝説によると、キュナネはイリュリア遠征に従軍し自らイリュリアの女王を討ち取ったとされています。

アレクサンドロス大王はキュナネを遠くの部族長の妻に嫁がせようとしますが、その部族長はキュナネが嫁ぐ直前に不可解な死をとげてしまいました。結婚を嫌がったキュナネが将来の夫に毒を盛ったと噂され、以降大王はキュナネの意志に反した婚姻をまとめることはなかったそうです。

大王の死後、異母兄のピリッポス3世が大王の後継者となるのですが、キュナネは娘のエウリデュケを王の妃に就けようと子飼いの軍の武力を背景に迫りました。ピリッポス3世は精神が弱く、キュナネは娘を通じて実権を握ろうとしました。

これを王国の混乱の種と危険視したアレクサンドロスの忠臣ペルディッカスは、将軍アンティパトロスに命じてキュネナの軍を排除しようとしますが、逆にキュネアの軍はアンティパトロスの軍を打ち負かした。あせったペルディッカスはキュネアの友人アルセタスに命じ、会議の途中でキュネアを暗殺してしまいました。

大王の姉が暗殺されるという異常事態にマケドニア軍は混乱し、事態収集のためにエウリデュケとピリッポスの結婚に賛成しました。

 とうとう死ししてキュネナの悲願が叶ったのでした。

 

 

3. アラブ部族長マヴィア

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 ローマ軍を打ち負かしたアラブの女性指導者

4世紀のウァレンス帝の治世の間、セミナメド族のアラブ部族連合軍がローマ帝国領パレスチナを大軍で攻めました。この軍はシリア南部出身の半遊牧民のアラブ部族で、首領はマヴィアという名の女性でした。

ローマ軍は当初女性がリーダーの軍を侮り、将軍はパレスチナ駐留軍司令官は将軍を職務から外しますが、マヴィアの軍はパレスチナからエジプト国境までを席巻しパレスチナ駐留軍を完全に打ち負かしました。マヴィアの軍は占領した街の住民も懐柔してしまい、アナトリア以東のローマ帝国東部はマヴィアの手に落ちるのではないかと危惧されたほどでした。

なすすべなくローマ軍はマヴィアと交渉のテーブルに付きました。なんと彼女の要求は

「キリスト教のアラブ地区司教を、モーセという名の修道僧に任せてほしい」

というだけ。領土や経済的な要求ではなく、宗教的な要求だったのでした。

ローマ軍はそれ以降マヴィアと良好な関係を構築し、ゴート族の反乱が起きるとマヴィアに助けを求め、それに応じてマヴィアもアラブ騎馬隊をバルカン半島まで派遣しています。

 

 

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4. クシュ女王アマニレナス

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ローマ軍と対等に戦った隻眼の女王戦士 

アマニレナスは現代のスーダンにあった、メロエ文明の王国クシュの女王。

彼女の夫はヌビア出身のテリテカス王で、彼はローマ支配下のエジプトの統治を目論見て侵攻。当初は勝ちを続けますが、次第にエジプト総督ガイウス・ペトロニウスが率いるローマ軍に押し戻され始め、夫テリテカスも病死してしまう。

王の死で混乱状態にあるクシュ軍を取りまとめたのが、王位に就いたアマニレナス。

彼女は夫以上に勇敢で統率力があり、瞬く間に軍をまとめあげてローマ軍の包囲状態にあったナパタ要塞から撤退し、しばらく軍を育てた上でプレミニス要塞の奪取に乗り出しました。対するローマ軍も一歩も引かず、戦いは長く続きますがとうとうローマ皇帝アウグストゥスの方が折れてアマニナレスの要求を受け入れる形で平和条約が結ばれました。

この勝利でアマニナレスはクシュ王国の独裁的な王となり、紀元前40年から紀元前10年までの30年もの間支配を続けました。

 

5.平陽昭公主(へいようしょうこうしゅ)

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Work by 柳笛, From: 大紀元 文化網

 父・兄弟の軍と共に戦った若き女傑

随王朝皇帝・煬堅・煬帝の側近であった李淵と息子の李世民の反乱によって、随王朝は滅び唐王朝が成立しますが、李淵の娘も父や兄弟に似て軍事的才能があったようで、軍を率いて随の討伐軍を率いています。彼女の本名は知られていません。

彼女は随の軍人・柴紹(さいしょう)に嫁ぎますが、父・李淵が反乱を起こすと夫婦は家財を売って兵を集めて政府軍との戦いに参加。西安一帯の支配を確立し、次いで約1万の軍を率いて陝西省に向かい、ここでも随軍を撃破します。彼女の軍は「娘子軍」と呼ばれ、兵に乱暴狼藉を禁じたため統率の取れた部隊だったそうです。

李淵の軍が黄河を渡ると、彼女の軍は李世民の軍と合流し、首都長安(大興城)を制圧。唐王朝が成立すると、功績を認められ「平陽公主」に封ぜられました。

そのため彼女は一般的に平陽昭公主と呼ばれます。

しかし23歳で若くして亡くなりました。

  

6. シオーネのハイドナ

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Photo from "Storia dell'Archeologia Subacquea"

 サラミスの海戦のギリシアの勝利に貢献したスイマー

シオーネのハイドナは幼い頃から父スキリウスに遠泳の技術を叩き込まれ、シオーネの町で有名なスイマーでした。

当時は長きに渡るペルシア戦争が継続されている中で、ギリシア軍は劣勢に陥っていました。紀元前480年、ペルシア艦隊が制海権を握ろうとギリシア艦隊に襲い掛かってきました。ペルシア軍は684隻もの大艦隊で、対するギリシアは400隻未満。この戦いに敗れるとギリシア本土が決定的にペルシアに侵されることになります。

ギリシアの歴史家パウザニウスの記述によると、ハイドナと父スキリウスは嵐の中10マイルも泳いでペルシア艦隊が停泊する港に侵入。船の下に潜ってロープを切り艦隊を漂流させてペルシア艦隊を混乱に陥れました。

彼らの活躍はギリシア中に広く知られるところとなり、ペルシア戦争後にデルファイに親子の像が建設されたそうです。

 

7. 婦好(ふこう)

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Photo by Chris Gyford

 古代中国で最も偉大な女性戦士

婦好(ふこう)は、殷王朝第22代皇帝武丁の妻で、当時殷は周辺の部族や国家に対して戦争を繰り返していた時代でした。

婦好は数多くの軍事遠征を自ら率いていており、何世代にも渡って戦いを続けてきた異民族の王・Tu-Fangを打ち破りました。彼女は妃でありながら約13,000人の規模の軍団の長で、当時最も強力な将軍の1人でもありました。漫画みたいな話ですね。

当時の甲骨文には彼女が祭祀を行い、政治の中枢にいたことも示唆されています。

1967年に河南省安陽市で婦好の墓が発掘され、巨大な「バトルアックス」を含むおびただしい数の武器が発掘されました。

戦闘に明け暮れた偉大な女性将軍らしい墓です。

 

 

 

まとめ

 現代では「女性は子を産むから不利」だとされていますが、考えようによっては「子を産めるから有利」でもあるわけです。

 歴史に登場する女傑は、女性である長所を発揮して権力者に取り入ったり、子を傀儡にしたりして暗躍しました。

現在でも、倫理的に憚れるから表には出ないだけで、きっと多くの「女戦士」がいるんじゃないでしょうか。

戦闘技術の歴史1 古代編

戦闘技術の歴史1 古代編

 

 

 

 参考サイト

"Ten Noble and Notorious Women of Ancient Greece" HISTORY ENCYCLOPEDIA

"10 Forgotten Female Warriors Who Shocked The Ancient World" LISTVERSE