歴ログ -世界史専門ブログ-

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深夜にじっくり見たい、世界史の「海戦動画」14本

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有名な海戦の動画を見ながら酒を飲もう

以前「深夜にじっくり見たい、世界史の「戦闘経過」の動画20本」という記事を書いて、この時は主に陸上の会戦の経過を説明した動画を紹介しました。
一方で、日本人には海戦ってすごく人気があるんですよね。

日清戦争、日露戦争、太平洋戦争でも大規模な海戦が多くあって、しかも日清・日露は結構痛快な勝ち方をしてるので、関心が高い人が多いのかもしれません。

 ということで今回はYouTubeで世界史の海戦動画を集めてみました。ぜひ、深夜に酒を飲みながらじっくりとご覧ください。

 

 1. デルタの戦い 紀元前1178年(エジプト新王国 vs 海の民)

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 記録が残る世界初の船同士の戦い

デルタの戦いは、東地中海を荒しまわる海の民が、ラムセス3世のエジプトの町を襲おうとしたところを、迎え撃ったエジプト海軍と陸上攻撃部隊によって倒された戦いです。これは記録が残る世界初の船同士の戦いであると言われています。時代は紀元前1178年のことです。

 ナイル川を登ってきた海の民の船をエジプトの船が妨害。上流側にあって優位なエジプトはうまくオールが漕げずに難儀する海の民の船を押して岸に近づけます。そして河岸からエジプト軍の弓部隊が攻撃をしかけ、前進も後進もできなくなって海の民は多数の死者・負傷者を出しました。残存部隊は退却し、エジプト軍が勝利を収めました。

戦いの詳細はこちら。

Battle of the Delta - Wikipedia

 

2. サラミスの海戦 紀元前480年(ギリシャ連合 vs アケメネス朝)

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風をうまくとらえたギリシャ連合軍の圧倒的勝利

ペルシャ戦争においてギリシャ連合軍が圧倒的に勝利を収めたサラミスの海戦は、アケメネス朝ペルシャのクセルクスの戦意を落とさせて撤退を促し、それまで破竹の勢いでギリシャまで攻め上っていたペルシャ遠征軍の士気を落とし、戦争の流れ自体をガラッと変えてしまいました。

伝えられるところによるとペルシャ艦隊は648隻と、アテナイ・スパルタを主力とするギリシャ連合軍の倍近い数。ギリシャ艦隊はペルシャ艦隊を認めると、敵とは逆の方向に舵を進めました。ペルシャ艦隊はこれを追いかけます。そして陸上に迫った湾の狭い範囲に押し込まれそうになったその時、風が突如ギリシャ艦隊の追い風に吹き始めました。ギリシャは初めからこれを狙って移動してきていて、追い風を受けたギリシャ連合艦隊は押し合いへし合いとなったペルシャ艦隊への突撃を成功させ次々に沈没させました。

戦いの詳細はこちら。

ペルシアの大軍を追い払ったサラミスの海戦 ギリシャ連合軍は如何にして勝利を掴んだのか - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

 

3. エクノムス岬の戦い 紀元前256年(共和制ローマ vs カルタゴ)

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 古代世界最大の海戦

エクノモス岬の戦いは、第一次ポエニ戦争において共和制ローマとカルタゴがシチリア島南部の海域で戦った海戦で、船と戦闘員の動員数は古代世界最大と言われています。

戦闘では、カルタゴが横一線の陣形、ローマがくさび形の陣形をとりました。カルタゴはローマ軍を包囲しようと、突進してきたローマ軍に対し左翼・右翼を横に回り込ませ、中央はローマの突進を受け止めたのですが、中央軍がローマ軍の攻勢に耐えきれずに撤退したことで、左翼・右翼が逆にローマ軍に包囲されることになってしまいました。

戦いの詳細はこちら。

エクノモス岬の戦い - Wikipedia

 

4. アクティウムの海戦 紀元前31年(ローマ内戦)

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ローマ内戦終結の契機となった戦い

ローマの第2回三頭政治崩壊後、カエサルの養子オクタヴィアヌスとカエサルの部下アントニウスが戦ったローマ内戦。アントニウスはプトレマイオス朝エジプトのクレオパトラ7世と結んでオクタヴィアヌスに挑戦します。オクタヴィアヌス自身は軍事の才能がなかったため、盟友のアグリッパが戦いを主導しました。

アントニウス&クレオパトラ艦隊はイオニア海のアクティウム沖アンブラキア湾に進めました。アグリッパ艦隊は敵を上回る量の船でアンブラキア湾を包囲し、陸上とも連動し敵軍の補給路の封鎖を図りました。

アントニウス&クレオパトラ艦隊はアグリッパ艦隊に攻撃をしかけますが、衝突後すぐにクレオパトラ艦隊が脱出。クレオパトラを追いかけてアントニウスも脱出をしてしまったため、指揮官を失った艦隊はアグリッパ艦隊によって撃破・拿捕されました。

戦いの詳細はこちら。

Battle of Actium - Wikipedia

 

5. プレヴェザの海戦 1538年(オスマン帝国 vs キリスト教連合)

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オスマン帝国の地中海覇権確立を確かなものにした戦い

 北アフリカのサラセン海賊を母体とするオスマン帝国海軍は、ヴェネツィアが保有する東地中海の島々を落としオスマン帝国の海上の覇権を確立せんとしていました。

通商路を破壊されたヴェネツィアやジェノヴァを中心に、キリスト教の国々が連合してオスマン帝国の海軍に会戦を挑んだのがプレヴェザの海戦です。しかしキリスト教連合軍は戦う前から足並みが揃わず、特にヴェネツィアとライバルのジェノヴァ人の司令官アンドレア・ドーリアの間で対立が深まります。ドーリアは雇われ司令官で、雇い主の神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)から損害をなるべく少なくしろという指令を受けていました。そのため、オスマン帝国軍の攻撃を受けたドーリアは、わずかな損害にも関わらず全面撤退を指示。これによりキリスト教連合軍は不名誉な敗北を被り、オスマン帝国の威信はますます上がり地中海の覇権を確かなものにしました。

戦いの詳細はこちら。

Today in Mediterranean history: the Battle of Preveza (1538) – and that's the way it was

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 6. トラファルガーの海戦 1805年(フランス vs イギリス)

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戦史に残る伝説の作戦「ネルソン・タッチ」 

トラファルガーの海戦は、ナポレオン戦争中に起こったイギリスとフランス&スペインの間で起こった海戦。この戦いでナポレオンのフランス海軍は貴重な主力戦艦を失い、重要な人材も死なせてしまって、念願だったイギリス侵攻を断念せざるを得なくなりました。

フランス・スペイン艦隊は陸軍のイギリス上陸をサポートするはずでしたが時を逸して失敗。スペインのカディス港からジブラルタル海峡を超えてイタリア方面に向かおうとしていました。そこに襲いかかったのがネルソン提督率いるイギリス艦隊。二列の縦陣で航行中のフランス・スペイン艦隊に、ネルソン隊とコリングウッド隊の二隊が横陣で突入。いわゆるT字戦というやつで、敵の猛烈な砲撃をかいくぐって戦艦による体当たりと白兵による切り込みが実行されました。フランス・スペイン艦隊も抵抗しますが主力艦の降伏と拿捕により士気が落ち、指揮官ピエール・ヴィルヌーヴは撤退しました。

戦いの詳細はこちら。

トラファルガーの海戦(ナポレオン戦争) ネルソンタッチなる戦法がやば過ぎて - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

 

7. サンチャゴ・デ・キューバ海戦 1898年(アメリカ vs スペイン)

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 逃げ回るスペイン艦隊をアメリカ艦船が容赦無く轟沈

サンチャゴ・デ・キューバの海戦は、アメリカがスペイン領キューバの確保を目指した米西戦争において、キューバのサンチャゴ・デ・キューバにおいてアメリカがスペイン艦船を殲滅し、米西戦争のアメリカ勝利を決定づけることになった戦いです。

陸上でも海上でもスペイン軍が苦戦する中、スペインのセルベラ艦隊(巡洋艦4隻・駆逐艦2隻)は、陸上部隊を支援すべくサンチャゴ港に入りますが、アメリカ海軍に港湾封鎖を受けて脱出できなくなってしまいます。このままではジリ貧と、アメリカ海軍の意表をついて強行突破で港から脱出しようと試みます。逃げるスペイン艦船にアメリカ艦船は容赦無く砲撃を浴びせ、スペイン船は6艦全部が轟沈。アメリカ側は死者1名で艦船の被害は一切ないという一方的な展開となりました。

もうやめてあげて!スペインが可哀想!と叫びたくなる悲しい動画です。

戦いの詳細はこちら。

Battle of Santiago Bay

 

 8. 日本海海戦 1905年(日本 vs ロシア)

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 日本人が大好きな日露戦争のクライマックス

これはもう、歴史好きなら説明不要の超有名な海戦です。日本人に海戦好きな人が多いのはこの戦いがあったからじゃないかとすら思えます。

バルト海から喜望峰、インド洋、マラッカ海峡を経て、ウラジオストク港を目指したロシアのバルチック艦隊が、日本海軍の連合艦隊の待ち伏せを受け21隻が沈没するという戦史に残る大敗北を喫した戦いです。

この動画は単に艦隊の動きや戦術がわかるだけでなく、かなり綺麗なグラフィックで迫力のある海戦を再現しているので、ぜひご覧ください。

戦いの詳細はこちら。 

https://www.jacar.go.jp/nichiro2/sensoushi/kaijou_08_detail.html

 

 9. ユトランド沖海戦 1916年(ドイツ vs イギリス)

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 第一次世界大戦最大の戦艦同士の海戦

ユトランド沖海戦は第一次世界大戦中最大の海戦で、イギリス軍とドイツ軍の主力艦同士が砲撃戦を行った戦いです。ユトランド半島西方沖で、ビーティー、ジェリコー両提督の率いるイギリス艦隊とキール軍港を出港したシェール、ヒッパー両提督指揮のドイツ艦隊が遭遇。250隻の軍艦が激しく打ち合う海戦でした。双方とも痛み分けで終わったのですが、この経過動画を見ると、大艦隊とのさらなる決戦を恐れたドイツ軍が引き返して終わっているように見えますが、実際のところ死者と損失はイギリス軍の方が多かったのでした。

この動画は途中に挟まれるゲーム映像が臨場感をかきたてます。

戦いの詳細はこちら。

https://sabage-archive.com/blog/archives/16895

 

10. ラプラタ沖海戦 1939年(ドイツ vs イギリス)

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 逃げるドイツ艦、追うイギリス艦隊

第二次世界大戦のドイツ海軍はイギリス軍に比べて劣っていたため、ドイツ海軍は大西洋やバルト海、インド洋などでの通商破壊を中心に活動していました。

南大西洋で活動していたドイツ海軍のポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペーが、イギリス海軍の巡洋艦3隻に発見され、中立国ウルグアイのモンテビデオ港まで逃げ戻ろうとして3隻と死闘を演じます。なんとかアドミラル・グラーフ・シュペーはモンテビデオまで到達するも、艦は再起不能だったため自ら自沈しました。

戦いの詳細はこちら。

Battle of the River Plate - Wikipedia

 

 11. メルセルケビール海戦 1940年(イギリス vs ヴィシー・フランス)

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俺様イギリスによる一方的な攻撃が行われた海戦

ナチス・ドイツの電撃戦によって降伏したフランスは、休戦条約を結んでヴィシーにペタン元帥を首班とする親独政権ができていました。降伏したとはいえヴィシー・フランスはかなりの規模の軍を温存しており、海軍力も侮れませんでした。イギリスはヴィシー・フランスが保有する艦船がドイツに渡ることを恐れて、フランス政府に「保有する戦艦をイギリスによこすか、自沈させろ」と要求してきます。さすがにフランスはこんな要求は飲めるはずはなく、明確な回答をしなかったところ、メルセルケビール軍港に停泊するフランス艦隊にイギリス海軍H部隊が攻撃を仕掛けました。フランス艦隊は散発的には抵抗するものの、一方的にイギリス軍が暴行を加えるという酷い内容で、この戦いでフランス海軍は戦艦1隻が沈没し約1,300名の水兵が死亡しました。

戦いの詳細はこちら。

Operation Catapult: Naval Destruction at Mers-el-Kebir

 

12. 珊瑚海海戦 1942年(日本 vs アメリカ)

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日米の空母同士の爆撃合戦

 ポートモレスビー攻略を目指して珊瑚海の制海権を握ろうとする日本海軍とそれを阻止せんとするアメリカ海軍による戦いで、史上初の空母同士の激突となった戦いです。

戦艦同士の打ち合いではなく、お互いの空母が見えないところから爆撃機で攻撃をしあうという、これまでにない新しい海戦の形が示されました。

この戦いでは日米ともに空母を1隻ずつ失い、痛み分けとなりました。動画を見てても、ノーガードで殴り合ってお互い出血多量みたいに見えます。

戦いの詳細はこちら。

珊瑚海海戦 - Wikipedia

  

13. 第一次ソロモン海戦 1942年(日本 vs アメリカ) 

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アメリカ海軍の初動の悪さがもたらした大敗北

この戦いは、ガダルカナル島に上陸中のアメリカ軍を妨害するために日本海軍第八艦隊が支援に駆けつけ、夜襲でアメリカ海軍の重巡洋艦4隻を沈没、巡洋艦と駆逐艦を1隻ずつ大破させた戦いで、アメリカでは「アメリカ史上最悪の海戦の敗北」と言われることもあります。何が最悪だったかというと、アメリカ海軍は日本海軍の侵入を警戒して警備体制を整えていましたが、警備船の循環運動がちょうど手薄になったタイミングで日本海軍の侵入を許し(これは動画を見たらよくわかります) 、あわてて対抗するも全く対応が後手に回ってやられっぱなしにやられてしまうのです。

確かに、アメリカ海軍もこれはちょっと気が緩みすぎ、という感想です。

戦いの詳細はこちら。

第一次ソロモン海戦~第八艦隊が夜襲に成功。日本軍が大勝利 | WEB歴史街道

 

14. 北岬沖海戦  1943年(ドイツ vs イギリス)

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イギリス軍のレーダーの勝利 

北岬沖海戦は、ノルウェー北方の北極海近くでイギリス軍とドイツ軍が衝突した戦いで、ドイツ海軍の戦艦シャルンホルストが1隻のみで、イギリス本土からソ連に向かう船の護衛船団の攻撃を図った戦いです。

この時の北極海は視界が悪く、ドイツ軍は逆探知を恐れてレーダーを作動させませんでしたが、イギリス軍の高性能なレーダーはシャルンホルストを捉えていました。ドイツ軍は敵の居場所も数もわからないまま感覚で攻撃も移動もやっており、敵勢力が予想よりも多そうであると思ったバイ提督は作戦の中止と帰還を命じ南下しますが、待ち伏せしていたイギリス戦艦の奇襲を受け、あわてて東に向かって逃走。激しい砲撃を受けて沈没しました。

戦いの詳細はこちら。

Battle of the North Cape — The North Sea Clash - History

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まとめ

海戦の経過動画って実は陸戦より数が少ないです。艦隊行動は単調だし、陸戦みたいな複雑な動きがなくって面白みに欠けるからかなと思います。特に近代以降は船の性能に左右されるし、周辺情報含めて見とかないと、艦隊の動きだけでは戦いの全体を把握するのはなかなか難しいです。

いちおう簡単に背景や結果も書いておきましたが不十分だと思うので、周辺情報はリンク先の戦いの詳細を見ながらご覧になるとよろしいかと思います。