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深夜にじっくり見たい、世界史の「戦闘経過」の動画20本

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じっくり歴代将軍の大戦術を楽しもう

 動画サイトには数多くの歴史関連のコンテンツが上がっていますが、みんな見たいに違いないのが、戦闘経過の解説動画です。

ニコ動にはそれなりにあるんですけど、今回はYouTubeから英語圏の動画を20ピックアップしました。ぜひ帰宅後、寝る前の落ち着いた時間などにドリンク片手にじっくりお楽しみください。

できれば音声付きでご覧いただきたいんですが、状況によって音声を再生できないかもしれないし、再生しても英語なので、日本語の簡単な解説も記載します。

 

1. 古代

 実は戦闘経過動画で一番充実しているのが古代の戦闘動画なのです。

アレクサンドロス大王、ハンニバル、スキピオ、カエサルなど、偉大な将軍たちの戦いぶりはやっぱり興味ありますもんね。

 

1-1. イッソスの戦い(紀元前333年)

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イッソスの戦いは、アレクサンドロス大王がペルシア帝国のダレイオス3世の大軍を打ち破り、マケドニア軍の破竹の攻勢の始まりとなる歴史的な戦いです。

左翼のテッサリア騎兵がペルシア騎兵の攻勢に圧倒されながらもなんとか持ちこたえ、右翼のアレクサンドロス大王自らが率いる騎兵が敵左翼を打ち倒してペルシア中央軍を包囲し勝利した模様が手に取るようにわかります。

このように、歴代の大将軍の戦術を分かりやすく楽しめるのが、戦闘経過動画の醍醐味です。

さあ、どんどんいきましょう。

 

1-2. ガウガメラの戦い(紀元前331年)

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 ガウガメラの戦いはアレクサンドロス大王率いるマケドニア軍が、ダレイオス3世の軍に対し決定的な勝利を掴んだ戦いで、これがきっかけとなってペルシア帝国は総崩れとなり、伝統ある大国ペルシアはアレクサンドロス大王の軍門に降ることになります。

戦闘では、ペルシア軍は軍勢の多さを利用してマケドニア軍を包囲殲滅しようとしますが、アレクサンドロス大王はいったんペルシア軍の攻撃を受け止めた上で、大将・ダレイオス3世の本陣に向けて突撃。たまらずダレイオス3世は撤退し、ペルシア軍は総崩れとなっていきます。

 

1-3. エクノムス岬の戦い(紀元前256年)

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エクノモス岬の戦いは、第一次ポエニ戦争において共和制ローマとカルタゴがシチリア島南部の海域で戦った海戦で、船と戦闘員の動員数は古代世界最大と言われています。

戦闘では、カルタゴが横一線の陣形、ローマがくさび形の陣形をとりました。カルタゴはローマ軍を包囲しようと、突進してきたローマ軍に対し左翼・右翼を横に回り込ませ、中央はローマの突進を受け止めたのですが、中央軍がローマ軍の攻勢に耐えきれずに撤退したことで、左翼・右翼が逆にローマ軍に包囲されることになってしまいました。

 

1-4. カンナエの戦い(紀元前216年)

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カンナエの戦いは第二次ポエニ戦争において、カルタゴの名将ハンニバルが共和政ローマ軍を壊滅させた戦いとして非常に有名です。

軍略の天才ハンニバルが描き実行した芸術的とも言える包囲殲滅戦は、ローマ軍に6万人もの死傷者を出し、ローマ人に多大なショックを与えたのでした。

現代でも軍事の教科書に載る戦いです。ぜひご覧ください。

 

1-5. ザマの戦い(紀元前202年)

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カンナエの戦いから14年後、ローマの若き将軍プブリウス・コルネリウス・スキピオは、北アフリカに上陸して首都カルタゴを圧迫。とうとうハンニバルをイタリア半島から追い出し、北アフリカに呼び寄せることに成功しました。

そして、名将2人による最初で最後の直接の戦いとなったのがザマの戦い。

ハンニバルは戦象を先頭に立てて規律の取れたローマ軍を混乱に陥れようとしますが、スキピオは隊列行動で戦象の突進を回避し無力化してしまいます。その後は一方的な展開となり、ローマ軍は歩兵戦でもカルタゴ軍を圧倒。最後はローマ騎兵がカルタゴ軍の背後に回り、カンナエの戦いのような包囲殲滅戦が展開されたのでした。

 

1-6. トイトブルク森の戦い(9年)

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 ローマ総司令官ウァレス率いる2万3,000のローマ軍は、現在の北西ドイツにおいてゲルマン諸部族を平定する遠征を行なっていました。近辺は沼があちこちに広がる行軍しづらい土地で、しかも天候は雨風が吹き荒れ最悪。

ゲルマン諸部族のリーダー、アルミニウスは、直接の戦闘を避けてゲリラ戦を展開してローマ軍をじりじりと削っていき、雨風で疲労し組織的な連携ができなくなっていたローマ軍を大軍で包囲し殲滅しました。

 帝政ローマ時代でも伝説的な大敗北で、この敗報を知った皇帝アウグストゥスは「ウァレスよ、私の軍団を返せ!」と叫んだというのは有名なお話です。

 

2. 中世

 中世の動画はそんなに数は多くないんですが、その後の歴史を決定づけた重要な戦いの動画がアップされていて楽しいです。

 

2-1. コヴァドンガの戦い(722年)

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イベリア半島の征服を進めるウマイヤ朝軍が、東ゴート王国の残党ドン・ペラーヨが作ったアストゥリアス王国に一矢報いられた歴史的な戦いです。

300ほどの手勢で険しい山岳地帯にこもったドン・ペラーヨの軍は、ウマイヤ朝の武将ムヌザ率いる軍を待ち伏せして急襲。撃退することに成功しました。

 規模は小さな戦いでしたが、これはキリスト教徒によるイスラム教徒へのレコンキスタの始まりと位置付けられています。

 

2-2. トゥール・ポワティエ間の戦い(732年)

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トゥール・ポワティエ間の戦いは、フランク王国軍がウマイヤ朝のイスラム軍を撃退しヨーロッパへのイスラム教の侵入を防いだ戦いとして有名です。センター試験レベルです。

この戦いでは、イスラム軍が得意とした騎馬による突進攻撃がことごとくフランク軍の盾兵の防御によって跳ね返され、逆にフランク軍の餌食になって歴戦の兵がことごとく戦死していき、イスラム軍は大敗。大将アブドゥル・ラフマン自身も戦死し、イスラム軍は撤退しました。

この時代は武の世界ではイスラムがキリスト教諸国を圧倒的に上回っていて、数少ないキリスト教徒の勝利が大々的に取り上げられてネットでも流通してるのはあまり平等ではない気もしますが…。

 

2-3. ヘイスティングズの戦い(1066年)

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この戦いはノルマンディー公ギヨーム2世がイングランド王ハロルド2世に決定的な勝利を得てノルマン朝を開き、ノルマン・コンクェストを成し遂げる契機となった戦いです。

イングランド軍は丘の上に布陣する一方で、ノルマン軍は丘の麓に布陣する形で、圧倒的にイングランド軍が有利な形でした。ギヨーム2世は様々な策を繰り出すもイングランド軍の固い守備を突破できず、戦いは膠着しました。

 実はこの戦いの詳細はあまりよく分かっていないのですが、右翼を突破したノルマン軍の弓によってハロルド2世は右目を射抜かれて死亡。イングランド軍は徐々に形成が不利になって守備が崩壊し、兵たちは散り散りになって撤退した、と言われています。

 

2-4. 第一回十字軍エルサレム包囲戦(1099年)

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 第1回十字軍による攻城戦がいくつか行われましたが、エルサレム包囲戦は聖地解放を目的とする十字軍の最後の大戦でした。

十字軍はエルサレムの包囲を行いますがさすがに城壁は硬く、ジェノヴァの船を解体して作った2基の攻城櫓で城壁を乗り越えようするも、イスラム軍もギリシアの火などで抵抗し戦いは膠着します。

信心深い十字軍の兵たちは、デジデリウスという司祭に従って3日間の断食をし、城壁の周りを賛美歌を歌いながら練り歩くことで、士気を取り戻したそうです。

7日目に北の攻城櫓から兵士が城壁を乗り越えることに成功。扉が開けられ十字軍の兵が城内になだれ込み、エルサレムは陥落しました。

ちなみにこの時、十字軍はエルサレム市民を大虐殺しました。

 

2-5. アルジュバロータの戦い(1385年)

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1383年にポルトガル王フェルナンド1世が子を残さず他界したため、妃の母レオノールはカスティーリャ王フアン1世にポルトガル王位を渡そうとしましたが、国内の貴族は反発しフェルナンド1世の異母弟で庶子のジョアンを王位に擁立しました。

フアン1世はカスティーリャ軍とフランス軍を率いてポルトガルに侵攻。ポルトガルはイングランド軍の支援を得て、アルジュバロータで両軍が激突しました。

ポルトガル軍は丘の上に陣取り、堀を設置するなど防御を固めていました。カステーリャ軍はこれを察知し、丘をぐるっと回った南方から重騎兵部隊を繰り出すも、弓隊の攻撃によって崩壊。フアン1世は歩兵隊を前進させますが、ポルトガル軍もしぶとく両軍ともに多くの犠牲が出て戦線は膠着しました。そんな中、前線のカスティーリャの旗が倒れるのを見て多くのカスティーリャの兵はフアン1世が死んだと勘違いし戦場から次々に逃亡。ポルトガル軍は逃げるカスティーリャ軍の追い首を取り、勝利を確実なものにしました。

 

2-6. アンカラの戦い(1402年)

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アンカラの戦いは、アナトリア半島を制覇しヨーロッパに本格的に進出しようと画策するバヤズィット1世率いるオスマン帝国が、中央アジアの新興勢力ティムールに打ち負かされ、バヤズィット1世も捕虜になり後に死亡したことで崩壊状態に陥ることになった戦いです。

戦いでは、右翼のオスマン皇太子スレイマンがティームル騎馬隊左翼の攻撃に耐えきれずに撤退し、オスマン側に立って参戦したセルビア王国の皇太子ステファン・ラザレヴィッチの本体がスレイマンを守ろうと軍を一部引いたことで戦線が崩壊。

オスマン軍は各個撃破され、バヤズィット1世は捕虜となりました。

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3. 近代

近代だと何と言ってもナポレオンです。

ワーテルローやアウステルリッツなどのナポレオン戦役での重要な戦いはかなり動画が充実しています。

 

3-2. フロドゥンの戦い(1513年)

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1494年にイタリア戦争が勃発しイングランドとフランス との間に戦端が開かれ、イングランド王ヘンリー8世がフランスに侵攻すると、スコットランド王ジェームズ4世はイングランドとの平和条約を破棄し、イングランドへ侵攻を開始しました。

スコットランド王ヘンリー8世と、イングランドの貴族ノーフォーク公トマス・ハワードの会戦は1513年にイングランド国境のフロドゥンで勃発。

会戦は両軍の大砲の砲撃で始まり、スコットランド左翼がイングランド右翼の突撃し、ついで互いの中央軍が衝突。戦線はスコットランド優位に進んでいましたが、駆けつけたイングランド援軍の弓隊の攻撃でスコットランド右翼が崩壊。イングランド弓隊は中央軍にも攻撃を仕掛け、スコットランド軍は大混乱に落ちいります。その中でジェームズ4世が戦死。スコットランド兵は戦場から逃亡し、イングランド軍が勝利しました。

 

3-2. アウステルリッツの三帝会戦(1805年)

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アウステルリッツの戦いは、フランス皇帝ナポレオン1世、オーストリア皇帝フランツ1世、ロシア皇帝アレクサンドル1世が参戦したことから、「三帝会戦」と言われています。 

この戦いでは、ナポレオンはダヴー元帥率いる軍をわざと遅刻させて右翼軍を非常に手薄にさせて、オーストリア・ロシア同盟軍に右翼の攻撃に集中させました。

そうしてナポレオンはスルト元帥の中央軍に同盟軍への総攻撃を命令。同盟軍の中央を崩壊させた上で、フランス軍左翼も同盟軍右翼への攻撃を開始して同盟軍を後退させ、重要拠点プラッツェン高原を占領。そうして同盟軍の右翼と中央を黙らせたフランス軍は、同盟軍左翼を包囲し殲滅しました。

この動画は日本語字幕をつけられます。PCだと歯車のアイコン、スマホだと右上の点々アイコンにて設定ください。

 

3-3. ワーテルローの戦い(1815年)

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 ワーテルローの戦いは、エルバ島に流されたナポレオンが帝位に復帰して革命を継続せんとし、それを防ごうとイギリス、プロイセン、ロシア、オーストリアの連合軍がフランス軍と衝突した戦いです。

 ナポレオンはまずフランス軍右翼に命じてウーグモンを確保すべく前進しますが、イギリス軍とハノーファー軍の頑強な抵抗に会い、攻略ができません。予定では、ウーグモンの援護のために連合軍の中央軍が薄くなったところを一気に突く予定だったのですが、ウーグモンはこの会戦で最後まで陥落しませんでした。

フランス軍は中央の歩兵、次いで騎兵を突撃させて大激戦の末にラ・エ・サントーを攻略し、ここから砲撃を浴びせて連合軍に大打撃を与えたのですが、北東から来たプロイセン軍の支援部隊がフランス軍の左翼部隊を突き、戦線が拡大。

中央軍は兵数が足りなくなり、皇帝親衛隊まで突撃をするも跳ね返されます。そしてフランス軍全体に動揺が広がり、パニックになって撤退しました。

この動画は日本語字幕をつけられます。

 

3-4. イギリス・ザンジバル戦争(1896年)

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イギリス・ザンジバル戦争は、40分ほどで終了した「史上最も短い戦争」として有名です。戦闘自体は、イギリス軍戦艦による一斉砲撃でザンジバルのスルタンの王宮が被弾し、ザンジバル側の唯一の戦艦も抵抗を試みてすぐに沈没し、国王ハリド・ビン・バルガシュが逃亡したことで終わりました。

 

4. 現代

古代の次に人気があるのが、第一次世界大戦と第二次世界大戦です。

特に欧州戦役の動画はかなり充実しています。

 

4-1. ソンムの戦い(1916年)

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ソンムの戦いは第一次世界大戦中で最も凄惨な戦いと言われた戦いで、ドイツ軍の鉄壁の防御網にイギリス軍・フランス軍が突撃攻撃を挑み、イギリス軍は1日での損害が5万7千人、うち1/3が戦死という大戦の1日の戦闘で最大の被害を出しました。

戦術というよりは、いかに当時の塹壕戦が無謀で残虐かがわかる動画になっています。

この動画は日本語字幕をつけられます。

 

4-2. エストニア独立戦争(1919年〜1920年)

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エストニア軍、ソ連赤軍、ドイツ軍の三つ巴の戦い。これめちゃくちゃおもしろいので絶対見てください。

ロシア革命が勃発してソ連が成立すると、エストニアは独立を宣言。すると赤軍が東から攻めて来て、瞬く間にエストニア軍は崩壊し首都タリンが陥落寸前に陥ります。すると、フィンランド軍、ロシア白軍、デンマーク軍、スウェーデン軍が支援に訪れ巻き返しをスタート。一方、南ではラトヴィアが独立を宣言し、こちらにも赤軍が殺到し首都リガが陥落。しかしこちらはドイツ軍が赤軍を駆逐し首都を取り返す。

支援を得たエストニア軍は南へ進撃し、ラトヴィア駐留のドイツ軍と出くわし戦闘が勃発。ラトヴィア軍は首都からドイツ軍を駆逐すべくエストニア軍と共同戦線を張る。

一方で北西ではロシア白軍とエストニア軍がロシア帝国の旧都ペトログラード陥落を狙って攻勢を強めるも、赤軍によって国境線まで戻される。そこで平和条約が締結され、とうとうエストニアは独立を達成しました。

 

4-3. 第二次世界大戦の東部戦線(1941年)

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ドイツ軍がソ連に宣戦布告してからモスクワにまで迫り、冬将軍の到来でソ連が息を吹き返すまでの部隊の移動の過程を地図上にマッピングしたものです。

これはうだうだ説明するより見ていただいた方がいいです。ドイツ軍の包囲殲滅戦術の見事さと、あれだけ破竹のドイツ軍の勢いを止めた冬将軍ってやっぱすげーなと思います。 

 

4-4. ハンガリー動乱(1956年)

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 1956年10月23日にハンガリーの首都ブダペストで反ソ連の抗議活動が勃発。抗議活動は暴動に発展し、民衆はスターリンの像を引き倒して破壊するなどしました。戦車を中心としたソ連の治安部隊がブダペストに入り、ブダペスト市民との戦闘が始まり、市民は火炎瓶を投げたり道路に油をまくなどして抵抗。ソ連軍は集まった群衆に一斉射撃をして多数の市民が死傷しました。

ハンガリー首相ナジ・イムレとソ連特使ミコヤンとの間に話し合いがもたれ、1週間後にソ連軍は撤退します。この時、戦闘を止めたソ連兵をハンガリー市民は多数リンチしたと言われています。11月4日に再びソ連軍15万が侵攻。再び市民は抵抗しますが、ソ連軍を撤退させることはできませんでした。

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まとめ

古代から現代まで様々な「戦闘経過動画」を紹介しましたが、お気に入りの動画は見つかりましたでしょうか?

こうして俯瞰して戦闘経過を見ると、文章で読むよりもわかりやすいですよね。

YouTubeには他にも面白い戦闘経過動画を紹介しているチャンネルがあります。それを紹介してこの記事は終わりにします。

 

・Baz battle

アレクサンドロス大王の遠征やヴァイキング、十字軍、さらには日本の戦国時代の戦闘経過動画が充実しています。

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・Epic History TV

アレクサンドロス大王と第一次世界大戦が充実しています。

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・King and Generals

古代から現代、西洋から東洋まで幅広い戦闘経過動画があります。

www.youtube.com

 

・Imperial Scribe

近代イギリス軍の戦いが中心のチャンネルです。

www.youtube.com