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ローマ帝国に抵抗したケルト族の指導者たち

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 ローマによる侵略からケルトを守るための戦い

現在の「ヨーロッパ」という地域概念の母体は、ご存知の通りローマ帝国にあります。

共和制ローマそして帝政ローマは、ケルト人が住む地域を制圧し、そこに文化的・経済的・社会的な統合をもたらしました。

後に様々に解体され国境は書き換えられ独自の文化が構築されていくものの、かつて統合された過去があるために、ヨーロッパという曖昧だけど何となく輪郭が見える地域として認識されるに至っているのですが、征服される側の先住民ケルト人の抵抗は凄まじいものがありました。

 自分たちの社会が他国に制圧され、システムの一部に組み込まれ、文化や宗教のみならず、連綿と受け継がれた血統が絶やされていくのは我慢がならなかったでしょう。

今回はそんなローマの侵略に抵抗した伝説的なケルトの族長たちをピックアップします。

 

 1. カッシウェラウヌス(ブリタニアの王)

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Photo by Colin Riegels

 カエサルに抵抗して敗れたブリタニア人の王

カエサルがガリア諸部族を平定させるガリア戦争中、現在のベルギー近辺のベルガエ族の征服にあたっていたカエサルは、海を渡ったブリタニアのケルト人がベルガエ族を支援している様を目の当たりします。

ガリアの安定のためにはブリタニアも征服が必要と考えたカエサルは、紀元前55年にローマ軍をブリタニアに上陸させるも、装備も兵力も不充分であったため、ブリタニア人の抵抗によってすぐに撤退を余儀なくされました。

紀元前54年、今度は前回の2倍以上の兵力で再度上陸したローマ軍は、沿岸部を制圧し内陸部へと侵攻。テムズ川北部を領域とする部族の族長カッシウェラウヌスは、組織だったローマ軍とまともに戦うと勝ち目がないと判断し、土地を活用したゲリラ戦を展開します

しかし、ローマ軍団の侵攻を止めることはできずにカッシウェラウヌスの支配地に侵入され、しかも敵対するトリノウァンテス族の王マンドゥプラキウスがローマに協力したことで、ローマに降伏する部族が相次ぐようになります。

カッシウェラウヌスは最後の抵抗のために、カンティウムの同盟部族4部族と協力してローマ軍に総攻撃をかけるも失敗。

カッシウェラウヌスはカエサルに降伏して協定を結び、人質と毎年貢物をローマへ送ることに同意し、戦いは終了したのでした。 

 

2. アンビオリクス(エブロネス族)?~?

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Photo by ArtMechanic

ローマ軍団1個半を壊滅させた男

ガリア戦争5年目の紀元前54年、カエサルはかねてより反乱の兆しのあるエブロネス族を抑えるため、ローマ軍団1個半をサビヌスとコッタに預け冬営させていました。

アンビオリクスは定期的にカエサルに遣いを送り、表面上は友好的な関係であることを装っていましたが、カエサルはアンビオリクスは信用ならぬと考えていました。
アンビオリクスはローマ軍冬営地に偽情報を流して陣営を引き払わせ、細い谷間を移動中のローマ軍に総攻撃をかけました。戦列が伸び、ローマ軍団はまともな戦いができずに虐殺に近い殺され方をし、1個半の軍団が壊滅

復讐を誓うカエサルは翌年、エブロネス族の土地を徹底的に破壊し、アンビオリクスを捕えようと何度も軍勢を送りますが結局捕えることができませんでした。

その後アンビオリクスがどうなったか不明なのですが、ライン川を超えてゲルマン人の土地に逃げ匿われていたとも言われています。

 

3. ウェルキンゲトリクス(アルウェルニ族)紀元前82年~紀元前46年

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Photo by Fabien1309

カエサルをあと一歩まで追い詰めたケルトの英雄

ウェルキンゲトリクスは現在のフランスにいたアルウェルニ族の支配層の息子。ウェルキンゲトリクスとは「百戦錬磨の勝者」みたいな意味で、その名の通り好戦的で勇気があり野心的な男でした。

ガリア戦争において、わずか20歳の族長ウェルキンゲトリクスはパリシイ、ピクトネス、カドゥルキなどの諸部族をまとめあげローマに対する一斉蜂起を敢行しました。

ウェルキンゲトリクスは焦土作戦でローマ軍の兵站を分断したり、親ローマ部族であったゲルゴウィア族を寝返らせローマ軍を窮地に陥れるなど、カエサルを散々苦しめました。しかし、ローマ軍の粘り強い戦いに「長期戦の苦手」なガリア人は徐々に勢いを失っていき、ルテティアの戦いの敗北、そしてアレシア包囲戦で敗れ、カエサルの捕虜となり、ローマに連行されたウェルキンゲトリクスは6年の間牢獄に繋がれた後に処刑されました。

ウェルキンゲトリクスは現在のフランスでは、ガリア解放の英雄とみなされています。彼の戦いの記録は、敵将カエサルが書いたガリア戦記に詳しいです。

 

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4. ウィリドマルス ?~紀元前222年

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 ローマ将軍マルケルスと一騎打ちして敗れた男

ウィルドマリスはガリア・キサルピナ(アルプスのこちら側のガリア)とガリア・トランサルピナ(アルプスの向こう側のガリア)にまたがって居住したガエサタエ族の族長。もともとガエサタエ族はアルプス以北に住んでいましたが、共和制ローマの北部への入植に伴い、他のガリア部族に呼びよせられてアルプス南部に定住するようになりました。

紀元前222年に、ウィルドマリス率いるガエサタエ族は、ローマ執政官マルクス・クラウディウス・マルケルスの率いるローマ軍と衝突。

ウィルドマリスはド派手な鎧を着ており、執政官の証である紫のマントを羽織った馬上のマルケルスを見つけると決闘を申し込んできました。マルケルスはこれを受けると、ウィルドマリスを槍で屠り、遺骸を槍に刺して高く掲げ、敵将討ち取ったり、とアピールしました。

この戦いの勝利でマルケルスはローマ軍人として最高の栄誉であるスポリア・オピマを獲得したのでした。

 

・関連記事

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5. カタラクス(カトゥベラウニ)10年(?)~50年

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 クラウディウスのブリタニア征服に抵抗した男

カタラクスの叔父エパティックスは、イングランド南東部のカトゥヴェラウ二(Catuvellauni)の男で、近隣する西のアトレバテス族の領土を征服しカトゥヴェラウ二の領土を西に拡大させました。

叔父エパティックスの死亡後、アトレバテス族は旧領土回復を図りますが、王位を継いだカタラクスは再度征服してしまいました。アトレバテス族の王ウェリカはローマに逃げ、皇帝クラウディウスに支援を求めます。クラウディウスはこれを口実にして、紀元後43年から始まるブリタニア遠征がなされることになります。

カタラクスは彼の兄弟トゴドゥムヌスと連携し、約4万とも言われる兵を主にゲリラ戦術を使用してローマ軍に抵抗しました。しかし、メドウェイ川とテムズ川の戦いという2つの重要な戦いで敗北し、本拠地のカトゥヴェラウ二の地域の多くを失い、しかも弟トゴドゥムヌスも殺されてしまいました。

カタラクスはウェールズに逃げ現地の部族を糾合して戦うも再び敗れて北に逃れ、現在のヨークシャー地方にあったブリガンテス族の領土に向かいますが、ここで女王カルチマンドゥアによって束縛され、ローマ軍に引渡されてしまいました。

ローマに送られたカタラクスは捕虜の身でありながら、元老院の議員の前で滔々と演説をぶち、すっかり皆を感心させて縄を解かせてしまいました。その後はローマで自由に暮らしたそうです。

 

 

6. ベヌティウス(ブリガンテス族)1世紀ごろ~?

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妻の親ローマ政策に反対し反ローマに立った男

 ベヌティウスはカタラクスがブリガンテス族の土地に逃げてきた時に王だった男で、妻はカタラクスをローマに突き出した女王カルチマンドゥアです。

ベヌティウスは妻の親ローマ政策に反対し、カタラクスをローマに突き出すことについても強固に反対し、とうとう離縁してカルチマンドゥアに対する反乱を起こしました。

ローマ軍はカルチマンドゥアを支援しベヌティウスの反乱を鎮圧し、再びブリガンテスの土地を二人で統治させます。

しかしベヌティウスの反ローマの立場は変わりませんでした。68年に皇帝ネロが自殺に追い込まれ、その後4人の皇帝が相次いで立つローマ内戦が始まりますが、ベヌティウスはこの混乱に乗じて再び反カルチマンドゥアの軍を起こし、カルチマンドゥアをブリガンテスから追い出すことに成功します。

その後、ローマ内戦はウェスパシアヌスが帝位に就くことで安定しますが、その後ベヌティウスとカルチマンドゥアがどうなったか定かではありません。

 

 

7. ブレンヌス(セノネス族)3世紀後半~4世紀前半

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 ローマを陥落させ略奪した男

 ブレンヌスはセノネス族の族長。セノネス族は現在のパリ東部のセーヌ=エ=マルヌ付近を出自とするガリア部族で、安住の地を求めて移動しイタリア半島北部にまで進出してました。

紀元前387年、ブレンヌスはイタリア半島北部のガリア人を率いてローマ軍と戦いました。アッリアの戦いです。

これに勝利したガリア連合軍は、ローマに入城し略奪を始めました。ローマの町が荒らされていく様を見て絶望したローマ人は、1000ポンド(327キロ)の金を支払うことを認めました。ブレンヌスの立ち合いの元、竿秤に黄金が乗せられていくのですが、この時にブレンヌスは竿秤の上に剣を投げ、ローマ人に対し「Vae victis!(征服された者に災いあれ!)」と吐き捨てたと言います。

別の伝説では、追放されていた独裁官マルクス・フリウス・カミルスが軍を起こしてローマにいたガリア人を追放し、ちょうど黄金の重さで揉めていた現場に割って入り、竿秤の上に剣を投げ「Non auro, sed ferro, recuperanda est patria!(黄金ではなく鉄で測る、ローマは解放されたのだ!)」と言い放った、というものです。

いずれによせ、カミルスによってローマは救われ、セノネス族は追い払われてしまったのでした。

 

 

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まとめ

 かなり強力でカリスマ的な族長がたくさん出現してたびたびローマを打ち負かしているのですが、やっぱ凄いのがローマが幾たびのは敗北にも関わらず、必ず立ち直って諦めずにケルト人を平定しようとし、実際に平定してしまったことです。

 カエサルによって平定されたガリアは、その後カエサルの強力な後援者となり、内戦を戦うためにカエサルとその配下の軍団がオリエントに向かった時も反乱を起こすことはありませんでした。

ケルト人の自らの文化や社会を守ろうとする抵抗の意志にも敬意を表したいのですが、ローマ人の「絶対に平定する」という継続を続ける意志も同じく称賛されるべきものかと思います。 

 

 

参考サイト

"10 Lesser-Known Celtic Leaders Who Fought The Romans" LISTVERSE

Caratacus - Wikipedia

Viridomaros (Gésate) — Wikipédia

Brennus (4th century BC) - Wikipedia