男もまた魔女の疑いで裁かれることもあった
史上悪名高い魔女裁判では、密告などで数万人の女性が裁かれた挙句殺害されたと考えられています。
「魔女」と言う通り、悪魔に通じる者は女性が多いと考えられていましたが、男性でも逮捕され殺害されることがありました。
1. トーマス・ウィアー(イングランド)
信心深いと尊敬されていた男の裏の顔
イングランド内戦の退役兵であったトーマス・ウィアーは、地元エディンバラでは「信心深く、人格者」であると有名で、人々に慕われていました。
しかし実は彼は性的な障害を抱えており、実の妹や息子の嫁、召使いと繰り返し寝ていた他、雌牛や雌馬とも行為をしていました。その事実が公にされた後、ウィアーと妹は逮捕され、彼らは自分たちが「魔女」であると自白しました。
ウィアーは「自分は悪魔と寝ている」と証言し、また持っている杖は「魔法の杖」であるとも主張しました。兄妹は共に罪を悔い改めましたが、結局二人とも死刑となりました。
2. ジョン・ウォルシュ(イングランド)
白魔術を使えると自ら主張した男
ヨーロッパでは古代から医療行為として魔術が使われてきました。 しかし魔女裁判の嵐が吹き荒れる中で、伝統の白魔術も迫害の対象となります。
1566年8月、イングランドのエセックスでジョン・ウォルシュという男が逮捕され警察の尋問を受けました。なぜかというと、ウォルシュは常々「自分は妖精と接触している」と主張していたからです。尋問の中で彼は、白魔術では生き物たちが魔法の力で自分を助けてくれると言い、犬や鳥たちが泥棒の居場所や盗まれたものの隠し場所を教えてくれるのだと語りました。
ウォルシュは魔法で誰も傷つけることはないと誓ったのですが、裁判の結果最終的にどんな判断が下ったのかは定かではありません。
3. トーマス・ローテン(フランス)
隣人たちの証言によって拷問を受け「自白」した老商人
1659年9月のある日、フランス・バイユールの町に住むトーマス・ルーテンという60歳の裕福な商人が隣人の少年にプラムをあげました。その数日後、少年は原因不明の理由で死んでしまいました。少年の家族はルーテンが与えたプラムは魔法にかけられていたと主張し、裁判所に訴えたのです。
ルーテンは少年の家族の主張は当たらないとして自らの無実を確信し弁護士を雇わなかったのですが、隣人は「ルーテンの体に悪魔の印がある」と主張。これが決定的な証言となりました。ルーテンはガロテロ(鉄環絞首刑)で拷問を受け、「安息日にはサバト(魔女の夜会)に出席しており、今まで得た富も全て悪魔から与えられたものである」と告白。
この証言により有罪となりましたが、証言をした翌日にガロテロによる傷によって刑務所内で死亡しました。ルーテンの財産はすべて市当局によって差し押さえられ売却されました。
4. ヨハンズ・ユニウス(ドイツ)
魔女と契約した疑いで死刑になったバンベルクの市長
1624年から1631年の間、ドイツのバンベルク市は魔女裁判の嵐が吹き荒れ、約300人が火刑となりました。人々はお互い疑心暗鬼になり、市長ですらその疑いの目が向けられる有様でした。
1628年6月、バンベルク市のヨハネス・ユニウス市長が「安息日にサバト(魔女の夜会)に出席した疑いで逮捕され、当初は無実であると主張しましたが、拷問の末最終的に魔女と契約したことを自白しました。
彼の自白によると、ある時ユニウスはヤギの姿に化けた悪魔の女に出会い、自分の男にならないと首の骨を折って殺すと脅されたそうです。一度悪魔の女は姿を消しましたが、再び現れた時には数多くの悪魔を引き連れており、身の危険を感じたユニウスは神を裏切り悪魔の崇拝を誓いました。ユニウスは「Krix」という新しい悪魔名をもらい、悪魔の女の男となりました。悪魔はユニウスに「自分の子どもを殺す」ように命じますが、彼はこれを拒否した、というお話です。
この自白がきっかけでユニウスは死刑となるのですが、亡くなる数週間前に刑務所から娘にこっそり手紙を送っており、それらの自白は「自分と家族を拷問から守るためのでっちあげ」であると書かれていました。
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5. ウィリアム・ゴッドフリー(イングランド)
関わった人を全て不幸にした農夫ゴッドフリー
1609年、イングランド・ニューロムニーに住む農夫ウィリアム・ゴッドフリーは、ジョン・バーバーとスーザン・バーバーの夫婦に家を貸しました。
しかし、そこに住み始めてからというもの、バーバー夫婦は不可解な水滴音やノックの音などに悩まされ、この家は呪われていると毎日恐れながら過ごしました。神経衰弱になったスーザンは、赤ん坊が生まれた後はゴッドフリーの親戚が彼女から赤ん坊を盗もうとしているという妄想に取り憑かれ、とうとう我慢できずにバーバー夫妻は家を去ってしまいました。
次に家を借りたホルトン夫妻も心霊現象を体験しました。心霊現象はパワフルになっていたのか、家の隣人も現象を見聞きするようになった上に、1614年にホルトン夫妻の息子は病気になってしまったのですが、ゴッドフリーが家に訪れた1時間後に死亡してしまう。新しい家に引っ越したバーバー夫妻も悪運が続き、夫婦は全ての元凶はゴッドフリーだと信じたのでした。
とうとうゴッドフリーの家の隣人が1617年4月に彼を裁判所に訴え、証言者の1人ウィリアム・クラークは、ゴッドフリーが飼っているアヒルに魔法をかけたと証言しました。その他ゴッドフリーの家の隣人たちが次々と証人として連れて来られましたが、最終的に裁判所は1618年2月にゴドフリーを無罪となり、ウィリアム・クラークはゴッドフリーの名誉を毀損したとして罰金を課せられました。
6. コンラッド・シュテクリン(ドイツ)
魔女を告発した男が魔女として逮捕される
ドイツ・オーベルストドフルに住んでいた馬丁のコンラッド・シュテクリンは、1579年に「守護天使」に出会い、数回「奇妙で遠い場所」へ一緒に旅行したそうです。
旅には「夜の幻影(The night phantoms)」という同伴者がいて、この人物(?)はシュテクリンを治療者にしてくれて、誰が魔女かを特定する方法も教えてくれました。
特殊能力を得たシュテクリンは1586年に、「夜の幻影」のアドバイスに基づいてアンナ・エンゼンスベルゲリンという女を魔女であると非難。
アンナはすぐに警察に逮捕されましたが、同時にシュテクリンも逮捕されてしまいました。
なぜなら、アンナが魔女である根拠が「夜の幻影が教えてくれた」という怪しさ極まりない理由だったからです。
シュテクリンが語る「夜の幻影」とは魔女であり、「奇妙で遠い場所」はサバト(魔女の夜会)であると判断されました。
シュテクリンは拷問を受け、「夜の幻影は魔女であり、魔女の夜会に参加した」ことを自白。1587年1月に火刑で殺されました。
7. ルイ・ガウフリディ(フランス)
魔女の疑いがかけられた神父と修道女のスキャンダル
1609年、フランスの司祭ロミーヨンは、マドレーヌとルイーズの2人の修道女が悪魔に憑かれていると確信。ロミーヨンは彼女らの体に憑いた悪魔を除霊しようとしたのですが、突如として恐ろしい痙攣に陥り泣き叫んだそうです。そしてマドレーヌは、9歳の時にルイス・ガウフリディという司祭にレイプされ、悪魔の呪文を体に刻まれたと証言しました。
数ヶ月後、修道女の体調が回復した後、ガウフリディへの非難の証言が別の司祭から相次ぎ、1611年2月に彼は逮捕され、拷問されました。
その結果、彼は自分は魔女であることを認め、叔父の所有物の魔法の本をうっかり開いて悪魔を召喚してしまったと語りました。ガウフリディは悪魔と契約し体と魂を与える代わりに、悪魔はガウフリディに「教会での出世」と「彼に夢中になる女」を与えたと主張しました。
その告白からマドレーヌも魔女の疑いをかけられ拷問され、彼女はガウフリディと一緒にサバト(魔女の夜会)に参加したことを証言。同年4月にガフリディは絞首刑になり、マドレーヌは終身刑を言い渡されたが、10年間服役した後に出所したそうです。
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まとめ
何か不道徳・異常なことがあれば全て魔女のせいにして、拷問→告白で罪を証明し殺害という流れです。精神疾患とか異常性愛とか、あるいは単なる偶然や個人的な恨みなどもあったようにも思えます。
地域によっては魔女の疑いで逮捕されても裁判次第では無罪になることもあったようですが、拷問されたらもう告白して殺されるしかなかったのかもしれません。
参考サイト