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中南米の未確定国境

意外と揉めてる中南米の国境線

国境線をめぐる争いは、カシミール(インドとパキスタン)や九段線(中国、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、インドネシア)など、我々の身近なアジアに非常に多いです。

そのため見過ごされがちですが、中南米には我々の知らない係争地がいくつもあります。中南米の国々は19世紀から戦争をかなりやってきたので、未解決の国境がまだまだたくさんあります。

 

1.  ブラジレイラ島(ブラジル vs ウルグアイ)

現在は無人のウルグアイ川に浮かぶ島

ブラジレイラ島はウルグアイ川にあるブラジルとウルグアイの係争地です。

ブラジルはリオ・グランデ・ド・スル州のバラ・ド・クアライという自治体内にあると主張し、ウルグアイはこの島がアルティガス県のベラ・ウニオン自治体に属すると主張しています。

ですが特に両国ともこの島を実力で奪取するという意志はなく、軍隊を派遣するなどはしていません。この係争地の存在のせいで両国間の外交・経済関係が妨げられていることもありません。

1964年から2011年まで、この島にはブラジル人農夫のホセ・ジョルジ・ダニエルという男が住んでいましたが、2011年に健康上の問題を抱えたダニエル氏は島を出て近所の親戚と暮らし始め、まもなく93歳(あるいは95歳)で亡くなりました。 それ以来、島は無人島となっています。

 

2. アルティガスの角(ブラジル vs ウルグアイ)

どこが小川の名前かをめぐる解釈の違いから発生

ウルグアイとブラジルの間にもう一つある係争地が、ウルグアイ領のマソレル付近の土地で、アルティガスの角(Rincão de Artigas)と呼ばれます。

1851年のブラジル・ウルグアイ国境条約でこの地域の国境はアロヨ・デ・インベルナダ(Arroio da Invernada)という小川と定められましたが、その小川がどれを指すのか両国の意見が分かれていることから生じています。

今のところアルティガスの角はブラジルの実質的な支配下にあります。

ただしブラジレイラ島のように外交・経済関係に問題を起こしているというわけではなく、特に積極的なアクションを両国ともしていません。

 

3. 南パタゴニア氷原(アルゼンチン vs チリ)

水資源確保のため重要な国境線

チリとアルゼンチンの係争地として、両国にまたがるパタゴニア地方に広がる氷原の国境線があります。この氷原は極域外としては世界で2番目に大きなもので、水資源として非常に貴重です。

国境線の策定は1881年から続いているものの、アルゼンチン政府は基本的にアンデス山脈の最高峰に沿った境界線を、チリ政府は大陸分水嶺を主張しています。

1881年の条約と1893年の議定書の文言では定義が非常に曖昧で様々な解釈が可能な表現となっており、これに則っては合意ができないので、1992年以降の協議ではいかに妥協点を探れるかに焦点があたっています。

1998年12月に合意された協定で、サンタクルス川に流入・流出するすべての水は、アルゼンチンの水資源とみなされることが合意され、海洋フィヨルドに流入する水は、チリに属する水資源とみなされるものとされました。

しかし正確な地図作成は難航しており、アルゼンチン軍が「地図作成のため」と称して軍を駐留させていることにチリ側が反発するなどして、まだ両国が合意する地図は完成していません。

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4. グアテマラ・ベリーズ国境

ベリーズを領土と主張してきたグアテマラの係争

グアテマラとベリーズの国境線にも係争があります。

もともとベリーズは英国人植民者がスペインに勝利して獲得した地域で、1821年にスペインから独立したグアテマラはベリーズを自国領土と主張しましたが、イギリスはこの地を「英領ホンジュラス」としてジャマイカ総督領とし、その後正式に植民地となりました。

そのためグアテマラは長年ベリーズの領有を主張し、1981年にベリーズが独立した後もしばらく認めることはありませんでした。

1991年にグアテマラがベリーズの独立を認めたことで、問題は国境線の定義に移りました。2008年、両国間の合意により国際司法裁判所に提訴するための国民投票の組織が設立され、2019年までに両国での国民承認されました。2020年から国際司法裁判所での調整が始まり、2023年現在正式な調停作業の準備が進んでいます。

 

5. ベネズエラ・ガイアナ国境

ガイアナの領土の2/3を自国領と主張するベネズエラ

ベネズエラは1830年の独立当時から、イギリス統治下ガイアナ(1831年からは英領ガイアナ)の領土の半分以上を領有していると主張していました。ガイアナは1899年の仲裁裁定で国境は明確になったと主張しましたが、ベネズエラはこれに反発し、 1962年に仲裁裁定の不履行を宣言。1967年にはガイアナの米州機構(OAS)加盟に拒否権を発動したり、1969年には係争地での反乱を支援するなどしました。

係争地では金などの鉱物資源に加え、ガイアナの排他的経済水域では石油が採掘できるため、ベネズエラは軍を動員して騒乱を起こしたり破壊を行うなどの活動を繰り広げてきました。

この紛争は2018年に国際司法裁判所に持ち込まれたが、ベネズエラは2020年6月に開催された審理に参加せず、「国際司法裁判所には管轄権がない」と主張。アメリカや国連も介入していますが、まだ解決には至っていません。

 

6. ガイアナ・スリナム国境

クーランタイン川の源流はどちらかという論争

もともとガイアナはイギリス領、スリナムはオランダ領で、1814年の両国の条約で国境はクーランタイン川と定められました。しかし1871年にクーランタイン川の源流のクタリ川とニューリバーが発見されると、ティグリ地区、またはニューリバー・トライアングル紛争が起きました。オランダはニューリバーが、イギリスはクタリ川がクーランタイン川の源流であると主張し、論争は平行線をたどりました

イギリス政府は、英領ガイアナが独立する前に国境問題を終結させるべく、1961年に交渉を再開し、「コレンティーン川に対するオランダの主権、ニューリバー・トライアングルに対するイギリスの主権」を主張しますが、オランダはニューリバー・トライアングルの主演を譲らなかったため、ガイアナは国境が未解決のまま独立することになりました。

1966年のガイアナ独立以降、ニューリバー・トライアングルではガイアナ軍とスリナム民兵の小競り合いや、ガイアナの武装警察によるスリナム人労働者の逮捕などの争いが多発。1970年11月、スリナム政府とガイアナ政府トライアングルからの軍撤退に合意しましたが、現在も両国の国境問題は解決していません。

 

7. スリナム・仏領ギアナ国境

いまだに解決していない川の源流はどこかの論争

スリナムと仏領ギアナの国境線問題も、植民地時代の川の源流をめぐる論争がまだ解決していないものです。

1860年、フランス側がマロウィネ川の2つの支流のうち、どちらが源流なのかという問題が提起されました。この問題を検討するために、フランスとオランダの合同委員会が任命され、測量の結果、ラワ川がマロウィネ川の源流であることが判明しました。

ところが1885年、ラワ川とタパナホニー川の間の地域で金が発見されすると揉め始めます。

1915年と2021年に締結された国境に関する議定書では、マロウィネ川の源流がラワ川でありラワ川が国境であることが確認されましたが、どちらの議定書もどの川がラワ川の源流であるかは決定していません。

オランダはマラニ川がラワ川の源流とみなし、フランスはさらに西に位置するリタニ川をラワ川の源流とみなし、この問題は未だに解決されていません。

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まとめ

伝統的な境というものがなく列強が引いた国境線の定義が曖昧だったこと、資源が絡む上に、自然国境の定義の難しさも問題をややこしくしています。

しかし国際司法裁判所への仲裁に積極的なケースが多い点は、アジア諸国は南米を見習ってもいいのではないかと思います。

 

参考サイト

Férias do Clark: As atuais disputas territoriais brasileiras

Rincón de Artigas - Wikipedia, la enciclopedia libre

Southern Patagonian Ice Field conflict - Wikipedia

Frontera entre Belice y Guatemala - Wikipedia, la enciclopedia libre

"Guatemala’s Territorial, Insular and Maritime Claim (Guatemala/Belize)"  INTERNATIONAL COURT OF JUSTICE

Guyana–Venezuela relations - Wikipedia

"Guyana–Suriname" Sovreign Limits

Borders of Suriname - Wikipedia