ビールが大好きなバルト海の海賊
クラウス・シュトルテベッケル(1360 - 1401)は、バルト海を荒し回った海賊の首領。とにかくビールが大好き。
飲めないヤツは男じゃないとして、ビールを飲めなかった捕虜の首を切り落としたほどの酒乱。その飲みっぷりは「がぶ飲み野郎」という異名を持ったほどでした。
シュトルテベッケルは、デンマーク・ノルウェー軍に包囲されたスウェーデンに複数回に渡って食料を輸送しスウェーデンの英雄となります。
しかし最後は敵対するハンザ同盟の討伐隊に捕まり、首を切られてしまいました。
伝説的ながぶ飲み野郎の生涯です。
船乗りから海賊に転向
右へならえで海の男に
シュトルテベッケルの出身は、バルト海の港湾都市ロストク。現在のドイツ北部にあり、当時はハンザ同盟の中心都市でした。
青年シュトルテベッケルは他のロストクの青年がそうであるように、右へならえで交易船に乗り込んで船の男に。バルト海各都市を行き来し、主にニシンの輸送に携わります。
海賊へ転向
ところが1380年、船乗りの待遇が酷いことに加えて、雇用主から侮辱を受けて我慢がならなくなり、船長と雇用主を船から叩き出して乗っ取り、そのまま海賊になってしまいました。
シュトルテベッケルは航海の腕は確かで武勇もあり、荒くれ男たちをまとめあげるだけの指導力・組織力を持ち、指導者の資質が充分。
そんな彼の元には荒くれ男たちだけではなく、いろんなタイプの男を引きつけました。
部下の中でもヴィクバルトという男は、リベラル・アーツ(文法、修辞、論理、算術、幾何、天文、音楽)の修士であったインテリで、 シュトルテベッケルの参謀を務めました。
劉備と諸葛孔明のようですね。
ビール一気飲み伝説
シュトルテベッケルはビールが大好きで、いつも浴びるように飲んでいたそうです。
仕事終わりには、4リットルのビールを息継ぎなしで一気に飲み干したと言われます。
捕虜を捕まえると、牛の角に並々と注いだビールを強要。
4杯以上飲めば許す。飲めなければ殺す。
飲めなかったらマジで首を切り落としていたらしいです。恐ろしい。。
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ノルウェー&デンマークとスウェーデンの対立
1364年、スウェーデン王であったマグヌス・エーリクソンが追放され、ノルウェーに亡命する事件が発生。スウェーデンの貴族は北ドイツのメクレンブルク公子アルブレヒトを国王に選出しました。
デンマーク兼ノルウェー女王マルグレーテは、ライバルのハンザ同盟とスウェーデンが結びつくのを恐れて内政に介入。
デンマーク・ノルウェーのスウェーデンに対する優越性を認めさせるべく、スウェーデンの首都ストックホルムを包囲しました。
ストックホルムへの食料輸送作戦
シュトルテベッケル海賊団による食料輸送
ノルウェー&デンマークに包囲されたストックホルム。
ハンザ同盟の盟主リューベックに助けを求めますが、すぐに手配できる船がない。
そこでハンザ同盟の首脳たちは、憎き敵である海賊シュトルテベッケルにストックホルムに食料を供給するように依頼。
これまで敵対していたハンザ同盟と海賊の協力は歴史的で画期的なもの。
カネを寄越すとか死刑囚を釈放するとか、何らか裏取引があったものと思われますが、記録は存在しません。
さっそくシュトルテベッケルとその一味は、デンマーク・ノルウェー海軍の包囲網をくぐって食料をストックホルムに運び込み、市民の大歓迎を受けます。
その後数回に渡ってハンザ同盟の依頼で食料を輸送したシュトルテベッケルは、スウェーデン人から「ヴィタリエンブリューダー(食料補給隊)」という異名を付けられ、シュトルテベッケル海賊団は以後その名を名乗って堂々と海賊行為を働くようになりました。
ハンザ同盟による討伐隊の組織
1396年以来、シュトルテベッケルは東フリースランド(現在のオランダ、ドイツ国境付近)のマリエンハッフェ、オストフリースランド両諸侯からの庇護を受けていました。有り体に言えば「みかじめ料を払えば、ちょっとの乱暴くらい目をつむってやろう」くらいの関係です。それらの諸侯は、略奪品の何割かを上納させる一方で、海賊たちに錨を下ろす港を提供していました。
まあ、ウィンウィンな関係ではあったわけです。
ところが、ストックホルムの一件以来、ますます堂々と海賊行為を働くようになったシュトルテベッケル海賊団の被害は増す一方。ハンザ同盟はフリースランドの諸侯に圧力をかけ、海賊の港の入港を拒否させます。
行き場を失い水や食料が欠乏した海賊船団。右往左往するうちに、ハンザ同盟が組織した討伐部隊の急襲にあいズタボロに敗北。
捕まった際シュトルテベッケルは討伐隊の隊長にこう言ったそうです。
なあ、頼むよ、いま船を結んでいるこの縄。
この縄と同じだけの金をお前にやろうじゃないか。どうだ?見逃してくれよ。
しかし隊長は取り合わず、シュトルテベッケル以下73人は、全員縛られてハンブルクに連行されてしまいます。
死刑の際のエピソード
11歩伝説
1401年、ほとんどあってないような裁判の結果、シュトルテベッケルと海賊団は全員死刑が確定。
シュトルテベッケルは真っ先に首を斬られることになりますが、ハンブルグの市長にこのように直訴します。
俺は甘んじて首を斬られよう。しかし、斬られたあと俺は立ち上がって歩いてみせる。その歩いた歩数に応じて、俺の部下を釈放してやってくれないか。
同意する市長。そしてシュトルトベッケルは首を斬られます。
血しぶきと共に、むくりと起き上がる身体。そして、1歩、2歩と歩み、11歩でバタリと倒れた。
見物人から大歓声がわき起こる。
ところが約束したのに関わらず、市長は11人も含め海賊一味の首を全員斬ってしまったそうです。
これはどこまで本当か分かりませんが、それほどシュトルテベッケルが超人的なパワーを持っていたという伝説ではあります。
まとめ
ビールや最期のエピソードなど、豪儀で蛮勇、部下思いで男気に満ちていて、実に面白いです。
日本で清水次郎長や国定忠治のお話が人気なように、ヨーロッパでは海賊のお話が人気なようです。
きっとこのような「 仁義」や「侠」といった文脈が通じるから、北野映画が人気があるのかもしれませんね。