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孤高の島国・アイスランドの歴史

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大西洋の北に浮かぶ辺境の島国・アイスランド

アイスランドという名前からして寒そうなこの共和国は、面積10万3000キロメートルに対し人口28万人という小国です。

北海道と四国を足したほどの面積に、東京都目黒区ほどの人が住んでいる計算です。

産業は昔から牧畜・漁業が盛んでしたが、現在では金融産業が主力になっています。

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辺境にあったこともあり、世界史の主役に踊りでたことはありませんが、独特の興味深い歩みを見せています。

 

 

 1. ノルウェー人の植民

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実はアイスランドは長い間無人の地で、初めて人間が入植したのは870年から930年の間とされています。

アイスランド(氷の島)という名前は、この島を探検したノルウェー人が付けたもので、この寒々とした名前の島に初めて本格的に入植したのはインゴルブル・アルナルソンという男。

当時ノルウェーはハーラル美髪王による王国統合の時期にあたり、競争に敗れたり圧政から逃れた豪族や農民が次々にアイスランドに移住してきました。

入植した「アイスランド人」たちは、政の意思決定組織として「アルシンギ」と呼ばれる全島集会を組織しました。

島に住む農民たちは自らの居住区の代表者「ゴジ」を選出し、全島から集まった36〜48人のゴジがアルシンギに出席し、法律の制定や裁判を担いました。

このような民主主義的な統治形態は3世紀近く続き、全島を統治する王は存在せず、故に軍も警察も存在しない「自由国」でありました。

 

 

2. グリーンランドと北アメリカ進出

ノルウェーの西方進出はアイスランドに留まらず、さらに西へ西へと拡大し、グリーンランドと北アメリカにまで進出しました。

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10世紀後半にグリーンランドに入植したのは、赤毛のエイリークという男。

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元々ノルウェーの農民でしたが、殺人を犯してアイスランドに追放になり、そこでもまた殺人を犯して無法者として社会から半ば追放された存在。

人生一発逆転を狙ったのか、伝説の西方の土地を目指して航海を続けグリーンランドの土地を発見しました。彼はそこに妻と共に入植し、人を呼び寄せるために「緑が生い茂る豊かな島・グリーンランドを発見した」と大いに喧伝しました。

エイリークのキャンペーンによって数千規模の人が移住しますが、グリーンとは名ばかりでアイスランドよりよっぽど条件が悪い氷ばかりの島でした。にも関わらず、以降500年の間北欧出身者はグリーンランドに居住しつづけました。

 

アイスランド人はグリーンランドのさらに西方の北アメリカ大陸にまで進出しました。

コロンブスによるアメリカ大陸発見の500年も前のことです。

最初にアメリカ大陸に到達した人物はアイスランド人のビャルドニ・ヘルヨルフソンという男で、船でアイスランドに向かう途中に進路を外れて「西方の未知の土地」に漂着しました。

この時ビャルド二は上陸しませんでしたが、初めて上陸を果たしたのがエイリークの息子で「幸運なレイフ(レイブル)」という名の男。

レイブルはノルウェーからグリーンランドへの航海中に偶然西方の道の土地にたどり着きました。当時の記録によればこの未知の土地は3つに分かれており、北から「ヘッルランド(平石の国。バフィン島か?)」、「マルクランド(森の国。ニューファンドランドか?)」、「ヴィーンランド(葡萄の島。ニューヨーク周辺か?)」。

ヴィーンランドはもっとも居住に適していると考えられたため、ソルフィンヌル・ソルザルスソンと妻、彼らに従う数十名がグリーンランドから北アメリカに入植しました。

入植してすぐ、サガの中ではスクレイリング人と記載されているアメリカ先住民と遭遇し、当初はうまくやっていたもののやがて衝突が起き、アイスランド人たちは入植を断念し故郷に引き上げていきました。

この一連の話は長い間空想とされてきましたが、1960年代にニューファンドランドでヴァイキング時代の遺跡が発掘され、アイスランドのサガが事実であったことを裏付けたのでした。

 

 

3.  中世アイスランドの文化

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work by Vahram Mekhitarian

2-1. キリスト教化

 アイスランドは当初、オーディンやフレイ、フリッジなどのスカンジナビアの神々を信仰する多神教徒でした。

10世紀後半に最初のキリスト教徒がアイスランドに来島。南アイスランドの首長ギッスル・テイツソンが洗礼を受けると、彼と義弟のヒャルスティ・スケッギャソンは全アイスランド人がキリスト教に改宗するよう求める運動を始めました。

この運動によって大勢の人間がキリスト教に改宗しますが、旧宗教の抵抗も激しく、アイスランド人の分裂が起こり始めていました。

法の宣言人リョーサヴァフトヌ首長ソルゲイルは1日の瞑想の末、全アイスランド人がキリスト教に改宗する法律を宣言。その代わり、旧来の慣習である馬肉食と嬰児遺棄は認められるものとする妥協案を出し、旧宗教の擁護者を説得したのでした。

このように、武力によってではなく、半ば自発的にキリスト教が根付いたのは世界でもあまり例がないことです。

 

2-2. サガ

アイスランドの土地の指導者は旧宗教の神官でもあったため、彼らはそのままキリスト教の司祭となりました。

アイスランド社会には秩序を守る行政官は存在しなかったため、彼ら指導者=司祭の個人的な力量や人格によって配下の人を取りまとめ、秩序を維持させる必要がありました。

司祭はより民衆の側に近く、「我らの司祭さま」という感覚であり、特に人気のあった人物たちの活躍に人々は関心がありました。これらの英雄の活躍物語が12世紀ごろから皮紙に書かれた物語「サガ」として成立しました。

もっとも古いサガは12世紀ごろに成立し、アイスランドの国の起源をまとめた「アイスランド人の書」と「植民の書」で、ノルウェーとデンマークの支配下に入って以降は王のサガが加わり、歴代の王の物語がまとめられていくことになりました。

 

 

3. ノルウェー・デンマーク支配の時代

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3-1. 1264年 ノルウェー王の支配下に

12世紀後半からアイスランドは内乱の時代に突入しました。

その主要因はノルウェー王ホーコン4世が北大西洋の覇権獲得に乗り出し、豪族を使っての支配に乗り出したためです。

ノルウェー王の支援を受けたのはスノッリ・ストゥルドルングという男で、彼はノルウェー王に臣従する約束をしましたが、あまりヤル気のない男だったらしく王との約束を果たさず死亡しました。しかし彼の死から15年後、甥のストゥルドラ・シグファッソンが本格的な豪族征伐を開始。ストゥルドラと父のシグファットゥルは、豪族コルヴェドヌ・アルドノルソンと南部のギッスル・ソルヴァルドソンと闘い敗退してしまう。

その後一進一退の攻防が続きますが、ノルウェー王はギッスル・ソルヴァルドソンと接触して臣下を誓わせました。

そしてノルウェー王と結んだギッスルは、全国の首長と農民を説得してノルウェー王に忠誠を誓わせました。こうして1264年、アイスランドはノルウェー王の属国となりました。

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これにより、ノルウェー王国はスカンジナビア半島西岸からアイスランド、グリーンランドまで支配する北大西洋の覇権国にのし上がったのでした。

 

3-2. 1319年 デンマーク王の支配下に

マグヌス王の息子ホーコン5世は、娘のインゲビョルグとスウェーデン王ビルイェルの弟と婚姻させ、二人の間に生まれたマグヌス・エーリクソンはスウェーデン王位を継ぎ、1319年に彼はノルウェー王位も継ぎました。

さらに1376年、ホーコン6世の息子オーラヴはデンマークとノルウェーの王冠を引き継ぐことになり、ノルウェーは次にデンマーク王国と統合することになりました。

オーラヴはスウェーデン王家の一員でもあり、スウェーデンはフィンランドも支配下に置いていたため、緩い形で北欧は王国として統合されることになりました。

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この頃デンマークの海軍力は弱小で、グリーンランドまで船を出すことができなかったため統治が及ぶことはなく物資や人の補給ができなかったし、同時に当のグリーンランドでも気候の過酷さにより入植者が次々に死ぬか撤退しており、15世紀ごろに北欧出身者のグリーンランド植民地は消滅しました。

 

 

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4. 独立運動の始まり

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4-1. ナショナリズムの発展

アイスランド人は16世紀ごろから漠然と自分たちが他の国の民族とは違う独自の存在だと思っていたようですが、デンマーク王国の一部であることに特に違和感はなく受け入れていたようです。

 アイスランド人としての意識が独自の国家や文化形成への意識に向かったのは19世紀のこと。

1809年、本国デンマークはナポレオンに占拠されてしまいました。デンマークとの貿易は途絶えました。

当時イギリスはフランスと対立していたので、デンマーク領アイスランドに貿易特権を認めろと要求してきました。これはデンマークに対して与えた特権をイギリスにも与えることを意味し、当然アイスランドはこれを拒否しますが、イギリスはそれを口実にして総督を捕らえてしまう。

総督代理に就いたのは総督付の通訳だったヨルゲン・ヨンゲルセンで、彼は「アイスランドをアイスランド人による民主的な独立国とする」ことを誓いました。

しかし、2か月後にイギリス海軍がアイスランドに侵攻し、反乱者を拿捕しイギリスに連れ帰り、以前のようにデンマーク国王による支配が復活してしまったのでした。

 

その後、ノルウェー王国はカルマル同盟を離脱しスウェーデンと同君連合を結成し、アイスランドはデンマーク国王の元に取り残されてしまいました

1830年にフランスで7月革命が起きると、デンマーク王は領域内に4つの諮問議会を設置することを認めました。アイスランドはそのうちの一つに2議席を得た。その中でアイスランド代表は伝統の議会「アルシンギ」を復活させるように主張しますが認められずに終わりました。

この頃には北欧神話の復興運動やアルシンギの再評価が積極的になされており、アイスランド人としてのナショナリズムが芽生えようとしていました。

1840年には、デンマーク王クリスチャン8世は、「偉大なるスカンジナビアの古き言語と伝統を受け継ぐアイスランド」を讃え、アルシンギをアイスランドの諮問議会として復活することを認めたのでした。

 

4-2. ヨーン・シングルソンの独立運動

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1848年、デンマーク王フレデリク7世はオルデンブルグ朝の終焉と憲法の成立を受け入れました。この時、アイスランドの学者ヨーン・シングルソンは「デンマークのアイスランド支配も共に終焉した」と主張しました。

なぜならば、アイスランドは1262年にアイスランド人と王との間に交わされた誓約によって臣下になっていたのであって、王朝の終焉はデンマーク支配の終了を意味する、というわけです。

しかしデンマークとしては到底アイスランドを手放す気はなく、一方でアイスランドはヨーン・シングルソンの独立論を支持し、統治に関する議論が20年間に渡って続いたのです。

結局、統治権と立法権の地方的特権が認められデンマーク領に残留することで妥協がなされ、アルシンギはアイスランドの立法機関となり、そこからデンマーク議会に「アイスランド大臣」を出すことで合意がなされたのでした。

 

 

5. 自治と独立

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 5-1. 自治権の拡大

限定的な立法権を持っていたものの、アルシンギが決めた法案を審査するのはデンマークの大臣だったし、司法もいまだにデンマークにありました。

1885年、アルシンギで新憲法に関する法案が採択され、「副総督と3人の閣僚からなる内閣を持つ」ことを定めていました。当然デンマークはこれを認めず妥協案を提示し、国内でも強固な自治権拡大派とデンマーク妥協派とに分かれて政治的抗争が続きました。

ですが、1918年に第一次世界大戦が終わると「民族自決」が国際的な潮流となり、アイスランドも独立国となりデンマーク国王を戴く同君連合を形成することになりました。

 

5-2. 第二次世界大戦中に独立

1939年に第二次世界大戦が勃発すると、アイスランドはすぐに中立を宣言しました。

地理的に遠いため、戦禍はアイスランドにまで届かないだろうという判断からでした。

デンマークがドイツに占領されて以降もアイスランドはイギリスからの軍需物資の受け取りを拒否するほど。

既にノルウェーがドイツの占領下にあり、アイスランドにドイツの橋頭保が築かれたらたまらぬと考えたイギリスは、1940年5月アイスランドに軍事侵攻し占領

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その後、中立国アメリカがイギリスに代わってアイスランド防衛を引き受けることになり、アメリカ軍約6万人が駐屯し大陸反攻のための大規模な空港の建設を開始しました。

この出来事は1941年7月でアメリカが戦争に参戦する以前のことであり、明確な中立違反でした。このことからもアメリカの参戦は周到に準備されていたことが分かります。

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さて、アメリカの占領下に入ったアイスランドは、本国デンマークがドイツの占領下に入ったことをいいことに「デンマークとの政治的連合」は断ち切られた、と判断し即時の独立を主張しました。

1944年5月、連合条約の破棄をめぐった国民投票が実施され、99.5%の賛成で破棄が可決され1944年6月17日にアイスランドは正式に独立を果たしました。

デンマークは1945年5月に連合軍によって解放されましたが、もはやアイスランド独立が既成事実化してしまっており、アメリカの賛成もあって「何も言えずに」追認するしかなかったのでした。

 

 

 

まとめ

 だいぶ端折りましたが、大まかにアイスランドの政治的な動向が分かるかと思います。

アイスランドは古きノルディックの伝統を受け継いでいるという自負があり、ヨーロッパとの一員いう感覚があまり高くないそうです。

そのため、欧州自由貿易協定(EFTA)には加入しているもののEUには加入してないし、独自の道を歩んでいる印象です。

小国ならではの悲痛もありつつフットワークの軽さと、伝統に裏付けされた「腹の座り」を感じる歴史です。

今回は書きませんでしたが、1961年と71年にはタラの漁業権を巡ってイギリスと本物の戦争までおっぱじめており(しかも国際仲裁で勝利している)、どっかで「自分たちは大丈夫だ」と信じているような気がします。

自然に恵まれない過酷な大地では、そのような堂々たる人格が育つものなのでしょうかね。

  

 参考文献

アイスランド小史 グンナー・カールソン著 岡沢憲芙,小森宏美訳 早稲田大学出版

アイスランド小史

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  • 作者: グンナーカールソン,Gunnar Karlsson,岡沢憲芙,小森宏美
  • 出版社/メーカー: 早稲田大学出版部
  • 発売日: 2002/09
  • メディア: 単行本
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