歴ログ -世界史専門ブログ-

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【女兵士】世界のジャンヌ・ダルクたち(一般兵士篇)

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男に混じって武器を振るった女たち

三国無双とかプレイしてると、さも当然のように女性キャラクターが出てきます。

剣で戦うのはまだわかりますが、楽器とか扇で敵を吹き飛ばすのは、ありゃ何なんでしょう。

波動拳とか気功拳よりはまだ現実味あるけどさ。いや、ないか。

ゲームの話はさておいて、二次元作品には男性に混じって戦場で大活躍する女性兵士・女性戦士がたくさん登場します。

じゃ実際に、そのような女性兵士はいたのか。

日本史だと巴御前や鶴姫あたりがパッと思い浮かびますが、世界史ではどうだったのでしょうか。

今回は世界史に登場する「女戦士」をピックアップしてみます。

 

 

 1. ハウラ・ビン・アル=アズワル(イスラム帝国)  

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 イスラム教団の伝説的な女性兵士

ハウラの一族はムハンマドが存命の時期からイスラム教団に帰依していました。

イスラム帝国の拡張期には一族を挙げて軍事キャンペーンに参加し、ハウラは女性ながらシリア・ヨルダン・パレスチナの戦役に従軍し活躍しました。

有名な逸話が、ビザンチン帝国とのアドナインの戦い。

兄弟のディラルが敵に捕まってしまったのを知ると、ハウラは甲冑をまとって剣を振りかざし、緑のスカーフを被って敵軍目指して突撃

その戦いっぷりは鬼気迫っており、ムスリム軍の兵士たちはハウラのことを大将のハリド・ビン・ワリドだと勘違いしていたほどでした。

ようやく大将のハリドが駆けつけた際ハウラは流血しており、ハリドはハウラにスカーフを脱いで正体を見せるように命じますが、ハウラは何度か拒否しますがとうとうスカーフを脱ぎ、自分は女だとハリドに明かしました

ハリドはその場にいる兵士全員にビザンチン軍への一斉攻撃を命令。ビザンチン軍は退却してムスリム軍は大勝利を飾り、捕虜たちは無事解放されたのでした。

 

2. チャンド・ビビ(インド)

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ムガル帝国に抵抗した王族の娘

チャンド・ビビは、16世紀の中西部インドにあったアフマドナガル王国のスルタンの娘。

彼女は幼王バハドゥールの摂政としてアフマドナガル王国の実権を握っていました。

1597年、ムガル帝国のアクバル帝はアフマドナガル王国に恭順を求めてきましたが、王国はこれを拒否。

アクバル帝は征服を決定し、マルワのカーン・カナンとグジャラートのスルタン・ムラトの軍に命じアフマドナガルに侵攻させました。

ところが、チャンド・ビビ自ら先頭になって戦うアフマドナガルの軍勢は手強く、なかなか陥落しない。被害が拡大したため、スルタン・ムラトはチャンド・ビビに使者を送り講和して撤退しました。

アクバル帝はその後1599年、息子のダニヤルとカーン・カナンに再度アフマドナガルを攻めさせます。この時もチャンド・ビビは激しく抵抗しますが、2度目の攻撃は耐えきれなかった。心が折れたチャンド・ビビは宦官のジタ・カーンに降伏しようとする旨を伝えました。最後まで徹底抗戦をするつもりだった兵士たちは激怒し、チャンド・ビビの宮殿を襲って殺害してしまいました。

その後、アフマドナガルはすぐにアクバル帝の手に落ちました。

 

3. ムービング・ローブ・ウーマン(スー族)

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カスター将軍を刺したスー族の女性兵士

ムービング・ローブ・ウーマンはアメリカ兵士が名付けたアダ名で、本名をターシナ・マーニ(Tȟašína Máni)と言います。

1876年にカスター将軍率いるアメリカ軍がインディアン連合軍に惨敗した「リトルビッグホーンの戦い」において、兄弟の仇を討つべく戦いに参加。

ラコタの戦士ファースト・イーグルがカスター将軍ともみ合いになっている時に、彼女は背後から近づきその背中を刺した

その後、複数の戦士が寄ってたかってカスター将軍を刺したため、実際のところカスター将軍を殺害したのが彼女かどうかは不明なのだそうです。

 

4. カラミティー・ジェーン(アメリカ)

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アメリカ西部開拓時代の女性ガンマン

カラミティ・ジェーンはアメリカで人気のある女性ガンマンで「平原の女王」と称されています。

家族とともに西部アメリカに移住しますが、厳しい環境の中で家族は次々と病に倒れてしまう。ジェーンは6人兄妹の長女として、家族を食わせるために斥候の仕事に従事。

自伝によると、ジェーンはラッセル砦に配属されてカスター将軍の下で働き、またアリゾナでのインディアン掃討作戦にも参加したそうです。

ただ、彼女の自伝にはかなり誇張や嘘が多いらしく、どこまで本当かよく分からないのだそう。

除隊した後は、宿屋を経営したり曲芸ガンマンとしてショービジネスに参加しました。

彼女が書いた自伝「カラミティー・ジェーン」は、アメリカで大ヒットし、1953年に映画化もされています。

www.youtube.com

 

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5. デボラ・サンプソン(アメリカ)

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男装して市民軍に加わり独立運動を戦った

デボラ・サンプソンはアメリカ・マサチューセッツの生まれ。

22歳の時に独立戦争が勃発すると、生まれつき体が大きかったデボラは、男装して市民軍に入隊することに成功。

母はそんな娘を心配して結婚するように言いますが、彼女は拒否して従軍を続けたそうです。

デボラはマサチューセッツ第4連隊に配属になり、1782年ターリータウンの戦いで初めての銃撃戦を経験。

ここで彼女は2発のマスケット銃の弾丸を受けてしまう。

1発目はももに命中して弾が体内に食い込み、2発目は額を大きくえぐった。

デボラは病院に運ばれ治療を受けるも、ももに命中した弾は取り出せず、再び戦場に戻ることはできませんでした。

結局、最後までデボラは女性であることを仲間にバレることなく、17ヶ月従軍し除隊。故郷に戻り結婚し、退役軍人年金を受給して暮らしました。

 

6. トリング・スマイリー(アルバニア)

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アルバニア独立戦争に参加した女性ゲリラ

トリング・スマイリーは、1880年に東南モンテネグロのカトリック司祭の家に生まれます。

父親や兄弟は反オスマン帝国運動の闘士で、独立闘争の最中に相次いで死亡しています。

トリングは1911年、北アルバニア諸侯がオスマン帝国に反旗を翻したデチーキーの戦いで活躍し、アルバニアが独立宣言をする1912年11月までゲリラ闘争を続けました。

彼女は生涯独身を貫き、子どもも持たなかったそうです。家族の復讐が彼女の人生の全てだったのしょうか。

1917年に37歳で死亡しました。

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彼女は反オスマン帝国運動の広告塔としてもてはやされ、彼女の偉業や英雄伝を讃える歌や物語が作られたのでした。

同年にニューヨークタイムズ紙がトリングを「アルバニアのジャンヌ・ダルク」として紹介したことがきっかけで世界的にも有名になりました。

現在でもアルバニアとモンテネグロの民族的英雄です。

 

7. マリア・キーテリア(ブラジル)1792-1853

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ブラジルのジャンヌ・ダルク

マリア・キーテリアは1792年にブラジルのポルト・ダ・カショエイラの農民の子として生まれます。

1822年に対ポルトガル独立戦争が勃発すると、マリアは髪を切り落とし、男装して砲兵連隊に入隊。その後ブラジル皇帝の近衛兵となりました。

勇敢な戦いぶりが仲間からも評価され、その時には既にマリアは男装兵士だということが知られていたそうです。

ブラジルは1822年9月7日に独立宣言をしますが、その後もマリアは戦い続け、パラグアス川の戦いではマリアは女性兵士を率いてポルトガル軍の撃退に貢献。

独立後にマリアはブラジル皇帝から活躍を評価され、ナイトの称号と中尉の位を授かっています。

 

 

まとめ

いやあ、かっこいいなあ。

男装して従軍ってパターンが多いですね。本当に分からないものなのかなあ。

たまに、男だか女だか分からない人いますけど、ずっと一緒に生活していて気づかないというのも不思議な話です。戦友というものはそれだけ特殊な人間関係なのかもしれません。

次回は「指揮官篇」をお送りします。

 

参考文献

Khawla Bint Al Azwar - The Islamic Heroine

Last Conquest - Ahmednagar - History of India

ALBANIAN JOAN OF ARC.; Handsome Heroine Takes Father's Place and Vanquishes Turks.

Mary Crawler - american-tribes.com

DEBORAH SAMSON -Canton Massachusetts Historical Society

A História e Biografia de Maria Quitéria

 

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