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タイの近代化と立憲革命の歩み

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独立を守ったタイの近代化の歴史

ご存知の通り、19世紀末から20世紀半ばまでの帝国主義の時代、東南アジアで唯一独立を守ったのはタイ王国だけでした。

タイが独立を維持した理由としては、イギリス(ビルマ)とフランス(仏領インドシナ)という列強の緩衝地帯にあったという点もありますが、何よりタイ人自身の積極的な近代化への取組みがあったためであります。

今回は現代タイへ直結するタイの近代化への歩みを追っていくエントリーになります。

 

 

1. 開国・英仏による領土の切り取り 

イギリス「Hello! シャム王国さん。開国なさい。我々と修好通商条約を結ぼうではありませんか」

 

モンクット王(ラーマ4世)登場

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モンクット王「不平等条約だが、長年我々を苦しめた隣国のビルマが簡単に敗れたのだ。ここは従わざるを得まい」

→ 1855年 バウリング条約締結

治外法権、全ての港での交易権、船幅税の廃止などを盛り込んだ不平等条約

同時に王室独占貿易が廃止される

 

タイ人「憧れのイギリス製品買うためにコメをたくさん作って売るんや!」

→ 自由貿易が可能になりコメの輸出量が飛躍的に増加する

 

イギリス商人「うはwww飛ぶように売れる!ガッポガッポwww」

→ イギリスの工業製品・繊維製品が国内に大量流入。

タイ経済は、コメを売って工業製品を買うという事実上イギリスの経済奴隷状態に置かれる

 

フランス「ボンジュール!シャム王国さん。我々にカンボジアを寄越しなさい。くれないと殺すよ」

シャム政府(タイ)「…くそ。ここも譲歩せざるを得ないのか…」

→ 1867年 タイ仏条約締結

シャム政府、カンボジアのフランスの主権を認める

 

フランス「トレビアーン!ついでにラオスも寄越しなさい。くれないと殺すよ」

シャム政府(タイ)「さすがにそれはダメ!ゼッタイNO!」

フランス「それは残念ね。ジェ・テ・トゥー(ぶっ殺す)」

→ 1893年 パークナーム事件勃発

フランス軍、メコン川流域に軍を展開。タイ軍の要塞に攻撃を加えバンコクの港を封鎖

 

シャム政府(タイ)「わ…分かった!降参だ!ラオスを割譲する!」

フランス「ついでだもの。シャム王国さん、あなたの土地全部いただいちゃっていいかしら?」

シャム政府(タイ)「なん…だと…?」

イギリス「ちょっと待て!黙って見てりゃあ好き勝手しやがって!」

フランス「あらぁ、イギリスさん。コマン・タレ・ブー(ご機嫌いかが)?」

イギリス「やかましい。このままだと英仏戦争になっちまう。シャム王国は両国の緩衝地帯としよう」

フランス「(チッ)…分かりました」

→ 1896年 英仏宣言発表

チャオプラヤ川流域を英仏の不可侵地帯とし、メコン川右岸をフランス、マレー半島をイギリスがそれぞれ割譲することを容認

 

2. 上からの近代化

チュラーロンコーン王(ラーマ5世)登場

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チュラーロンコーン王「どげんかせんといかん。このままでは我が王国は列強の食いもんたい。国が強くなるには、まずは国王であるワシが強くならんといけん」

→ チャックリー改革スタート

  1. 有力貴族や徴税請負人から行政権と徴税権を奪い中央集権化
  2. 官僚養成のための王立学校の設立
  3. 徴兵制による近代的軍隊の創設

チュラーロンコーン王「インフラ整備も進めるばい。バンコクを中心に全国を鉄道で繋げるとくさ、地方が政治・経済的にバンコクと密になるたいね」

→ 1900年 バンコク〜コーラート路線開通

東北部の商品が中央に集まるようになり、フランスによるメコン〜サイゴン路線の鉄道敷設の計画を頓挫させる

その後、1927年までに約3000キロの鉄道網が完成

 

ワチラーウット王(ラーマ6世)登場

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Taken from the copy on display at the Sirindhorn Building, Faculty of Medicine, Chulalongkorn University

ワチラーウット王「不平等条約も一部解消されたし、順調に進んどるばい。ばってん、国民に愛国心がなか!国を愛する国民を作らないかんばい」

→ 国王自ら新聞紙の論説でタイ人のナショナリズム高揚を訴える

 

ワチラーウット王「中国人に注意せんといかんばい。あいつら、辛亥革命に触発されていつ国家転覆を図るとも知れん。しかもアイツらが儲けたカネは中国に流れとるけんね。中国人はタイ人の敵ばい」

→ 国王による反中国人論説が紙面上に展開される

 

1914年 第一次世界大戦勃発

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ワチラーウット王「チャンスばい!ここで戦勝国になって恩を売れば、不平等条約を改正できるかもしれんばい」

→ 1917年4月 アメリカの連合国の参戦を受け、7月にタイはドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告

 

タイ軍飛行部隊と自動車輸送部隊をヨーロッパ戦線に派遣

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ワチラーウット王よっしゃ!ワシらの国も晴れて戦勝国ばい!不平等条約撤廃を進めるけんね」

→ 交渉は難航するものの、1919年にアメリカ、1927年にフランスと不平等条約の撤廃を完了

 

ワチラーウット王「あ、それからこれから国旗を変えるよ。青と赤と白のラインのやつ。何か近代国家!って感じせん?するやろ?しない?」

→ 現在のタイ王国の国旗制定

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3. 立憲革命の勃発

プラチャーティポック王(ラーマ7世)登場

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Worked by Lady Phichaiyat (Keson Bunnak). The Coronation of His Majesty King Prajadhipok, King of Siam." (1925, 25 February – 3 March).

プラチャーティポック王「兄貴が死んで王になったけどくさ、わし王やりたくないっちゃけど」

→ 5人の有力王族からなる最高顧問会議を設置し集団指導体制で政権を運営

 

タイ人インテリA「確かに国をここまで引っ張ってきた国王の力は認めるけど、いつまで権力にしがみついているつもりだ!」

タイ人インテリB「そうだそうだ!国王が親政するなんて、クソ時代遅れじゃねえか!議会と憲法を作って、民主主義を達成するんだ!」

 

プラチャーティポック王「分かる。分かるばい。でもまだ早いと。いま議会開いたら、中国人に乗っ取られてしまうのは目に見えとるけんね」

所変わってフランス・パリ

 

陸軍留学生プレーク・ピブーンソンクラーム登場

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Upload by DracoRexus, media.photobucket.com ,Marshall Plaek Pibulsonggram.

 

ピブーン「ってか、オレらの国まぢヤベーって。国王が直接政治するって、どんだけ遅れてんぢゃんって話ぃ」

法務省留学生パノムヨン「ダリーよね。オレたちで政治変えねぇ?」

→ 1927年 パリで秘密結社「人民党」結成

※立憲革命によるタイの政治体制の改編により、独立の維持、国民の安全保障、経済活動の保障、国民の平等、自由権の付与、教育の拡大の6原則を達成すべきと定めた

 

1929年 世界恐慌発生

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タイ農民「コメの価格がアホみたいに下がっとる!何やこれ…」

→ コメの価格が暴落し輸出額が急落。農村の購買力が落ちたため全ての分野の経済状況が悪化

 

プラチャーティポック王「どげんかせんといかん。とりあえず人件費カットやるばい。いらない公務員は解雇!使えない公務員の給料は減俸!」

タイ人インテリA「はあああ?オレの兄貴もクビになって、オレが兄貴の家族も養わないといけなくなったぜ!ふざけるな」

タイ人インテリB「オレなんて給料40%カットだぜ!先月ガキが生まれたばっかなのによ」

→ 国王に対する不満が高まり、立憲革命の土壌が出来上がっていく

 

ピブーン「来てんぢゃん!革命の日、超ちけーよ。てか、軍で誰か賛同者いねーの?」

 

軍人プラヤー・パホンプラヤー・ソンスラデート登場

パホン「オレたちの仲間もクビ切られたんだ。国王の専制は許しがたい」

ソンスラデート「国を変えるのは今しかない。人民党に協力しよう」

→ 1932年6月24日 人民党によるクーデーター勃発

人民党、最高顧問会議の有力王族を人質にとり、保有地で滞在中のプラチャーティポック王に立憲君主となることを要求

バンコクではパホンが人民党の6大原則を読み上げる

 

パホン「王による政治はクソだ。時代錯誤のポンコツだ」

プラチャーティポック王「ワシの政治がクソだって?そんなのは事実無根ばい。しかしここで戦ってしまうと色々マズいけん、人民党の要求に従うばい」

→ プラチャーティポック王、バンコクに戻り臨時憲法に署名

人民代表会議が開かれ、初代首相に法律家のプラヤー・マノパコーンを選出

 

プリーディー・パノマヨン登場

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プリーディー「経済はいま流行ってる共産主義のトレンド取り入れた政策やろうぜ。企業・土地の国有化と労働者の国家管理ね。ほら、いま世界で流行ってるヤツ」

マノパコーン「アホか」

ソンスラデート「ボケカス」

→ プリーディー、フランスに追放される

 

ピブーン「なあパホンっち。マノパコーン追放してオレたちで政治やろうぜ」

パホン「よし、乗ってやろう」

→ ピブーン、パホンによるクーデーター勃発

マノパコーン内閣が倒れ、パホン内閣成立

 

パホン「プリーディーさん、内閣はいってよ」

プリーディー@フランス「え、いいの?じゃあ入る」

→ プリーディーがフランスより帰国しパホン内閣に入閣

 

プラチャーティポック王「共産主義者が帰国しやがったばい!ワシは許さん!」

 

ラーマ4世の孫で陸軍元帥のボーウォーラデート親王登場

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ボーウォーラデート親王「もう見てられん!王による親政を復活させるぞ」

→ ボウォーラデート親王が率いる反乱軍が東北部コーラートで挙兵

 

プラチャーティポック王「反乱軍がんばれ!」

パホン「王族だろうと容赦しない。ぶっ潰す!」(ドカバキグチャ

ボーウォーラデート親王「に、にげろーーー」

→ ボーウォーラーデート親王、仏印に亡命

 

プラチャーティポック王「…………やばい、殺されるかも」

→ 病気治療のために赴いたヨーロッパで退位宣言

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4. 勝ち馬に乗ろう!

ピブーン「っし!邪魔者消えたしよぉ、オレたちの時代だぜ!」

→ 1937年 ピブーン内閣成立

 

ピブーン「いま世界でナショナリズム流行ってんぢゃん?ガンガン取り入れるぜ?」

→ 1939年「国家信条(ラッタニヨム)」発布

  • 国名をシャムから「タイ」に変更
  • 毎朝8時と夕方6時に国旗掲揚と降納に敬意を払うよう命令
  • 中華学校や華語新聞を廃校・廃刊に追いやり、中国人のタイ化を推進

 

第二次世界大戦勃発

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Photo by Fremke, Heinz. June 1940. Propagandakompanien der Wehrmacht - Heer und Luftwaffe (Bild 101 I)

 

イギリス「ちょっ、東南アジアどころじゃねえ。タイさん、不可侵条約結ぼう」

フランス「やばい。こっちも頼むぜ」

→ 不可侵条約を締結後すぐにフランスが降伏し、ヴィシー政権成立

 

日本「フランスさんよぉ、ちょっくら仏印に軍を置かせちゃくれんかねえ?あんたの領土が中国への補給ルートになっとるんだが」

ヴィシー政権「え、いや、ちょっと待って」

日本「うるせえ、ド頭に一発ぶちまけたろか?」

→ 日本、援蒋ルート遮断のために仏印に軍を進駐させる

 

ピブーン「フランスが弱体化した今!領土を取り戻すチャンス来たゼ!」

→ タイ政府、ヴィシー政権にラオスとカンボジアの領土返還を要求

 

ピヴーン「国民のみんな!フランスは悪いヤツ!領土を取り返せ!タイ万歳!」

→ 国内世論を動員して失地回復運動を盛り上げる

※芸術局長ルアン・ウィチットは、タイ族が漢民族よりも古い由緒ある民族であると宣伝。領土割譲の歴史教育や、タイ民族の歴史書籍が出版された

 

ヴィシー政権「やかましい!これでも喰らえ」

→ 1940年11月 フランス軍がタイ側を空爆。タイ仏印紛争勃発

 

ピヴーン「それ行け!領土を取り返せ!」

タイ軍「おらあああ、フランス野郎死ねえええ」

→ タイ軍、仏印に侵攻。カンボジア北西部まで侵攻。

タイ国民「うおおおお!勝った勝った!大勝利だああああ」

 

1941年1月17日 チャーン島海戦でタイ海軍がフランス海軍に壊滅的敗北

日本「(やべえ。タイ負けるじゃん)ちょ、ストップ!ストーップ!停戦せよ!」

ヴィシー政権「もうちょっとで勝てるところなのに!」

日本「黙れ!いいからタイに譲れ。いいな?」

→ 日本の仲介で停戦。タイにメコン右岸全域と西北カンボジアを割譲することで合意

タイ国民「ばんざーーーい!勝った勝ったあああ!」

 

5. 戦勝国への道

日本「タイさんよぉ、この間の戦争の恩を忘れちゃいねえだろな?我が国に協力してもらうからな」

ピブーン「ええ、まあ、どしよっかねえ…」

 

1941年12月8日 太平洋戦争勃発。日本軍バンコク上陸開始

日本軍「日本軍のタイの通過を認めろ。あと、軍事協定を締結して我が軍に協力せよ。あと連合国軍に宣戦布告せよ」

プリーディー「宣戦布告?わあった。わあった。けど、おれ今地方視察行っててサインできねえから」

→ 摂政3人のサインが必要なところ、プリーディーは署名から逃げる

後の「連合国軍宣戦布告無効宣言」の布石

 

ピブーン「もうこうなったらしゃーねえ。日本軍の勢いに乗じてタイの領土を拡張するべ」

→タイ軍、ビルマ・シャン州に軍事侵攻し併合。後に日本によって拒否される

 

ピブーン「オレら、散々日本軍に協力してやってんのに、全然リターンねえぢゃん。やってらんねえ」

→ タイ、大東亜宣言欠席。蒋介石と抗日共同戦線を張るべくコンタクトを取る

 

プリーディー「もう日本はオシマイや。早いとこアメリカ・イギリスと接触しないと」

→ プリーディー、連合国軍と密かに連絡を取り、抗日組織・自由タイの活動を促進させる

 

1944年7月 ピブーン内閣総辞職、アパイウォン内閣成立

アパイウォン「日本との同盟は以前と変わりませんよ」(ニコニコ

→ アパイウォン、建前ではそう言いつつ、裏で自由タイの活動に加担

自由タイの工作員がタイ国内に次々と侵入。

 

日本「おいこら、お前たちまさか、自由タイに加担してはいねえだろな?」

アパイウォン「まさか、そんなことあるわけないじゃないですか〜」

→ 日本とタイ、一触即発になるものの衝突が起こる前に日本がポツダム宣言受託

 

プリーディー「戦勝国のみなさーーーん!タイは強制的に日本に戦争に参加させられたんです!本当です!嫌だったんです!その証拠にほら、宣戦布告書のサインが1つないでしょう?だから我々は戦闘状態になかったんです!

 

アメリカ「Oh, そうだったのですネーOKデス」

イギリス「ウソつけこの火事場泥棒が。奪った土地返してもらうからな」

→ 戦争中にタイが占領した旧英領を全て返還

フランス「同じく。ヴィシー政権と結んだ条約なんて嘘っぱちだぜ」

→ タイ仏印紛争で獲得した領土を全て返還

結局1905年に確定した領土で現在に至る

 

 

まとめ

なかなかの激動っぷりですね。

しかしうまく強者におもねったり、情勢を見極めて勝ち馬にのったり、ダメだと分かったらすぐさま乗り換える柔軟さは、タイ人の世渡り上手っぷりを垣間見えて興味深いです。

その世渡り上手で柔軟なところが、タイが独立を守りきった要因であり、東南アジアでずば抜けた経済大国に成長した理由なのでしょう。

 

 

参考文献:物語タイの歴史 柿崎一郎 中公新書 

物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)

物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)

 

 

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