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ドイツ空軍の大失態・機密書類流出「メレヘン事件」

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とんでもないミスにより露呈したドイツ軍のベルギー侵攻計画

メレヘン事件とは、ドイツのベルギー侵攻計画に関する機密文書を運んでいたドイツ空軍所属のメッサーシュミットBf 108が、あろうことか誤ってベルギーに不時着。ベルギー当局に機密文書が渡ってしまったという、前代未聞の事件。

事件を知ったヒトラーは激怒し上官たちは罷免され、一から西部侵攻計画を見直さざる得なくなったのでした。

 

1. エーリヒ・ヘーンマンス予備少佐のベルギー不時着

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視界不良でルートを誤る

この事件は、ドイツ空軍エーリヒ・ヘーンマンス予備少佐のとんでもないミスから始まりました。

1940年1月10日早朝、ヘーンマンスはデュッセルドルフ近郊の町ローデンハイデからケルンまで、メッサーシュミットBf 108で移動しようとしました。

目的は、ケルンにいる妻に洗濯物を届けるため。

彼は一旦ローデンハイデから西に進み、ライン川に沿って南下しケルンを目指そうとしました。ところがこの日は濃霧により視界が悪く、しかもライン川は凍っていたため、ヘーンマンスはライン川を見過ごしてしまいました。そしてずっと西まで進み、国境を超えオランダまで達したところで、マース川に差し掛かりました。ヘーンマンスはマース川をライン川と勘違いし南下。ベルギーのマースメヘレンまで行ってしまいました。

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ヴヘトに不時着

午前11時半ごろ、エンジンが突然停止し飛行機はヴヘトという場所に不時着してしまいます。

中立国への不時着は通常であれば大した問題にはなりませんが、実はこの飛行機にはもう1人ドイツ軍の連絡将校ヘルムート・ラインベルガー少佐が同乗していました。

ラインベルガー少佐はケルンでの打ち合わせに出席しなくてはなりませんでしたが、昨晩飲み過ぎて寝過ごし、ケルン行きの列車に乗り遅れてしまった。そこで運良く飛行機でケルンへ向かうヘーンマンス予備少佐に頼み込んで、乗せてもらっていました。

問題は、打ち合わせで使う予定だった「ドイツ軍のベルギー侵攻計画」に関する機密書類をラインベルガー少佐が持っていたこと。

この侵攻計画は通称シェリーフェンプランと呼ばれ、まず西部戦線右翼でオランダとベルギーに侵攻し、イギリス海峡まで進んだ後に反時計回りにフランス北部に侵入し、ドイツ国境にいるフランス軍の主力を背後から包囲殲滅するというもの。

19世紀後半にシェリーフェンという軍人が考案したもので、第二次世界大戦でも基本的にはこの考え方が踏襲されるつもりでした。

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しかも、ドイツ軍のベルギー侵攻計画は、当初予定では事件の1週間後の1月17日に実行される予定だったのです。

 

2. 機密文書を巡る応酬

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ヘーンマンスがこの書類の存在を知ったのは不時着をした後のこと。

そして近隣の農家からここがベルギー領内であることを知ります。

きっと、めっちゃくちゃ焦ったことでしょう。ヤバイどころの話じゃない。

 

急いでライターで機密書類を燃やそうとしますが、運悪くライターが壊れてしまう。そこでヘーンマンスとラインベルガーは近隣の農家に走り、茂みで火を起こすように命令します。

しかしその時、地元のベルギー国境警備隊が自転車に乗って現場に駆けつけるところでした。彼らは現場の茂みの中から火が上がっていることを確認し、何か証拠隠滅を図ろうとしている可能性があるとして急いで現場に向かいました。

ヘーンマンスとラインベルガーは逃げようとしますが国境警備隊に捕獲され、機密書類を焼却できないまま国境警備所に連行されました。

 

ついに押収された機密書類

彼らはテーブルの上に焼け焦げた書類を置かれベルギー国境警備隊によって尋問されました。ヘーンマンスは機転を利かせ、トイレに行かせてくれとベルギー兵に頼みました。部屋で1人になったラインベルガーは薪ストーブに書類を突っ込み、完全焼却をしようと試みます。しかし、高温の薪ストーブの蓋を開けるときに火傷し叫んでしまったので、驚いたベルギー兵が部屋に戻りストーブから書類を取り出してしまいました。

絶望したラインベルガーはベルギー兵の拳銃を奪って自決を図ろうとしますが、怒ったベルギー兵によって殴られ打ち倒されてしまう。

ラインベルガーは涙を流しながら

「その拳銃で自殺させてくれ!」

と叫んだそうです。

2時間後、ベルギー軍諜報部が到着し、午後遅くに上層部の手に渡りました。

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3. ベルギー側の偽装工作

ドイツ側が機密書類の流出の可能性を知ったのは同日深夜。

ヒトラーが事件を知ったのは翌日のこと。怒り狂ったヒトラーは第2航空艦隊司令官ヘルムート・フェルミー大将と参謀長ヨーゼフ・カムフーバー大佐をクビにし、ベルギー側が計画をどこまで漏洩したかの把握するよう命令しました。

一方ベルギーは、一部焼けているものの機密書類に書かれた中身はほぼ全て把握に成功していましたが、機密書類が充分に焼けて内容がよく分からなかったとドイツ側を偽装しようとしました。

まずラインベルガーをに対し「この書類の中には何が書いていたのだ!」と尋問し、燃えて断片となった書類を見せました。

そして次にラインベルガーとヘーンマンスを、在ドイツ空軍武官ヴェニンガー中将とパッペンハイム大佐に面会させました。この時ラインベルガーはベルギー側の思惑通り、「私を尋問したベルギーの担当者が持っていた書類は断片だけだったし、焼却に成功できていた」と説明。二人はこの証言を信じ、ベルリンに電報を打ちました。

「計画が漏洩していない」ことが分かりドイツ軍上層部は安堵しますが、作戦の再立案と実行時期の延期を余儀なくされたのでした。

 

4. マンシュタイン計画へ 

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Attribution: Bundesarchiv, Bild 183-H01757 / CC-BY-SA 3.0

ヒトラーは2月17日にエーリッヒ・フォン・マンシュタイン中将と面会し、マンシュタイン中将が提案した計画を受け入れました。

この計画は敵主力を避けてアルデンヌの森からイギリス海峡に向けて機甲師団を迅速に進撃させることで敵を混乱させて包囲し補給線を分断するというもの。

5月10日、ドイツ空軍の空襲によって「ベルギーの戦い」が勃発。

ドイツ軍はまずはベルギー方面にB軍集団を向かわせます。連合軍は「シェリーフェンプラン」の通りこの軍をが主攻であると思い、主力の師団をベルギーに向かわせましたが、主力を避けA軍集団が電撃的にアルデンヌの森を突破してイギリス海峡へ向けて進撃したことで、連合軍は包囲されベルギーは1940年5月28日に降伏することになりました。

 

ちなみに、事件を起こしたラインベルガーとヘーンマンスは、ドイツがベルギーへ侵攻してくる前に裁かれスパイ容疑で死刑判決を受けました。

しかし実刑されることなく、ホイの強制収容所に滞在した後、イギリス次いでカナダに移されました。

洗濯を頼まれるはずだったヘーンマンスの妻はゲシュタポによる尋問を受け、ストレスからか間もなく死亡しました。彼の2人の息子は軍に就役することを許可され、戦死しました。

ヘーンマンスは1943年、ラインベルガーは1944年に捕虜交換でドイツに帰国し、裁判にかけられますが、ヘーンマンスは部分的に赦免され、ラインベルガーは無罪となりました。

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まとめ

いろんな偶然が重なった間抜けな事件ですが、計画がバレてもドイツのベルギー侵攻を止めることはできなかったし、逆に連合軍は想定していた当初の計画よりも鮮やかな戦いをドイツ軍にさせることになってしまったのは本当に皮肉な話です。

しかしもし自分がヘーンマンスやラインベルガーの立場だったら、もう本当に死んだ方がマシという気持ちになったかもしれません。

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参考サイト

"Mechelen incident" world war gravestone

Mechelen incident - Wikipedia