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100粒で奴隷が買えた!?メソアメリカ文明のカカオ豆経済

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メソアメリカ文明ではお金だったカカオ

今ではスーパーやコンビニで100円たらずで買えてしまうチョコレートですが、原産国のメソアメリカでは、それもう大変な貴重品だったそうです。

王侯貴族の飲み物であり、庶民には到底手が届かないもの。

アメリカ大陸に進出したヨーロッパ人は、原住民が金貨や銀貨を使わずにカカオで買い物の支払いをしているのを見て、非常に驚いたそうです。

チョコレートを飲むということはお金を飲むということなので、そりゃ超ぜいたく品になりますね。万札でお尻を拭くようなもんですからね。

メソアメリカ文明の「カカオ本位経済」を、チョコレートの文化誌 八杉桂穂 世界思想社から抜粋して 紹介します。

 

 

1. 大変な貴重品だったカカオ

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Photo by Luisovalles

メソアメリカとは現在の中米、メキシコの南半分からグアテマラ、ベリーズ、エルサルバドル、ホンジュラスの西半分の領域を指します。

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Work by Yavidaxiu

メソアメリカ文明は紀元前1000年以上の古い歴史を持つのですが、カカオに関する石碑や土器は非常に少なく、またカカオ自体が植物で土に還ってしまうのでいつから利用されてきたかはっきりとは分かってないようです。

現在のベリーズの北部の遺跡クエリョで、紀元前400年のカカオ豆が出土しており、少なくともこの頃にはカカオが用いられてきたことが分かっています。

紀元前200〜紀元後200年後rに描かれた石碑群の中にも、カカオらしき実が描かれているし、5世紀ごろのマヤ文明の入れ物の中からは、カカオの成分が確認されています。この入れ物には「kakawa」と書かれており、5世紀ごろから「カカウ」という言葉が存在していたことが分かっています。

 

メソアメリカの人たちがどのようにカカオを加工して飲んでいたのかは、16世紀以降にヨーロッパ人が記録した内容のみで以前にことは詳しく分かっていません。

1541年から1556年まで新大陸を旅行したイタリア人、ジロラモ・ベンツォニの記述。

その実はアーモンドに似ている。そしてスイカくらいの大きくて分厚いヒョウタンのようになる。一年で成熟する。収穫のとき、果実をもぎ取り、実を取り出す。そしてござの上に置き、日に乾かす。飲むためには、土鍋に入れて火で炒って、パンを作るのと同じ挽き臼で挽いて、インディアスのどこにでも見られる気になるヒョウタンの器に入れる。そして少しずつ水に溶かす。ときにはトウガラシを少し加える。そして飲む。どちらかというと人間のためというより豚のための飲み物と言ってよい。

ベンツォニは「豚のための飲み物」とさえ言っており、ヨーロッパ人にとってカカオがいかに嫌悪感のあるものに見えたかがわかります。ただしベンツォニは実際に飲んでもみたようです。

葡萄酒がなくなると、いつも水を飲むわけにもいかないので、私もほかの人と同じようにし始めた。味は少々苦く、渇きを癒し、体をリフレッシュしてくれるが、酔うことはない。これを使うところでは、もっとも高価な品であり、インディオたちに大切にされている。

とりあえず飲んでみたけど、別にそんな進んで飲みたいもんじゃない、とでも言いたげな書き方です。

当時のヨーロッパ人の多くがカカオがメソアメリカで特異な存在であることを記述しており、実際に貢ぎ物として、儀式用として、また薬としても大切に用いられていました。

カカオは生産地が限られており大規模に生産できるものでもなく、また手頃な大きさで粒が硬く持ち運びに便利だったため、通貨として広くメソアメリカに流通していました。

 

 

2. 「カカオ10粒で女が買える」

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植物であるカカオがお金として流通していたということは、地域や年によって「お金」の価値が変動していたということになります。

生産地に近ければ近いほどカカオの価値は下がっただろうし、凶作の年は価格は高騰したと思われます。

1520年ごろに現在のニカラグアを旅したオビエド・イ・バルデスの記述。

ニカラグアのあの州では、兎が10粒のカカオ豆に相当する。4粒のカカオ豆で、ムノンサプトという素晴らしい果実の実を八つくれる。奴隷の値段は100粒前後で、奴隷の状態や買手と売手の交渉次第で前後した。あの国には、体を売る女がいる。ちょうどキリスト教徒の中に売春婦がいるように、彼女たちはそれで生活をしている。そのような女はグアテポルと言われ、売春婦と同じ意味である。女を買いたいものは8粒から10粒のカカオ豆を払う。

 

 所変わってメキシコのトラスカラ。

以下は1545年に、査察官が市場の品物の値段をカカオ豆を基準に定めた内容になっています。

  • 雌七面鳥=100粒 雄七面鳥=200粒
  • 野兎=100粒 小兎=30粒
  • 七面鳥の卵=3粒 鶏の卵=2粒
  • 採りたてのアボガド=3粒 熟れたアボガド=1粒

以下はいずれも、1粒で買えるもの。

  • トマト大1個、トマト小20個
  • 採りたての緑唐辛子2つ、熟れた唐辛子4つ
  • 採りたてのサボテンの実1つ、熟れたサボテンの実2つ 

ニカラグアでは兎が10粒で買えるのに、メキシコでは100粒も必要です。

場所も年月も違うので、これをもってメキシコのほうが物価高だった、と言うことはできませんが、なんとなくの相場観はわかると思います。

 

 

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3. 偽カカオの出現

カカオがお金として市場に流通していたので、現在でも偽札があるように「偽カカオ」もあったそうです。

あのカカオ豆のお金でさえ、他人を騙すために偽物がある。ある量の豆の中に偽物を混ぜた。偽物は、我々の豆と同じような皮をもつ豆の皮を取り除いて、土やそのほかのものを詰める。そして穴を見分けがつかないようにうまく閉じる。この偽物に騙されないように、カカオ豆を受け取った人は、数えるとき、一つ一つ手にとって、偽物が詰め込まれているかどうか、人差し指と親指の間に豆を挟み、押してみる。偽物はうまく中が詰まっていようと、本物とは違った肌触りがする

今も昔も人間は考えることは同じなんですね…。

そんなリスクをとって偽カカオ作りをするんなら、いっそのことカカオの木を栽培すればいいじゃないか、と思いますが話はそう単純ではない。

カカオの木は高温多湿のところでしか育たず、熱帯の低湿地帯しか育成条件が満たせない。また、湿り気のある土が必要ですが、あまり水気がありすぎるのもよくない。風にも弱く、太陽の光にも弱い。しかも植えてから実がなるまで6年もかかる。

気の短い詐欺師には到底できそうもありませんね。

 

 

4. カカオの価値変動

さて、カカオの価格の話に戻ります。

カカオ豆の粒はいくつかの単位で表され、ポワルリ(20粒)、シキピルリ(8000粒)などと呼ばれましたが、カルガ(2万4000粒)というのが一つ目安となる単位だったようです。カルガとは「荷」のような意味で、1カルガで1人の人が背負える、というニュアンス。

カカオ豆は1粒は平均1.282グラムといわれるので、1.282g × 24000 = 30.768kgということになります。

この1荷を単位として、年代別に値段がどう変化しているのかのリストがチョコレートの文化誌 P85〜87にあります。全部は多いので、いくつか抜粋します。

 

1528年 メキシコ市 6ペソ 一荷卸

1540年 メキシコ市 6ペソ 一荷卸

1545年 トラスカラ 15ペソ 一荷

1548年 ベラクルス 10〜11ペソ 一荷卸

1556年 メキシコ市 30ペソ 一荷小売

1569年 オアハカ 14.2ペソ平均 一荷

1574年 メキシコ市 20〜22ペソ 一荷

1576年 メリダ 18ペソ 一荷

1589年 メキシコ市 50〜60ペソ 一荷

1625年 メキシコ市 22〜25ペソ 一荷

 

カカオの値段は地域によっても異なるし、金貨と銀貨が不明なところもあり、小売と卸でも異なるため、単純な比較はできませんが、

5ペソくらいで落ち着いていた価格が1545年に3倍になり、その後下がってまた上がり30ペソにもなり、1589年には50〜60ペソにも跳ね上がり、その後再び25ペソにまで落ち着いた(といっても初めの5倍)という傾向が見て取れます。

 

 

5. なぜカカオ価格は高騰したのか

カカオの価格は人口と密接に関係していました。

スペイン人の到来によって疫病がもたらされ、免疫を持たない先住民が次々と死んでいく。また、奴隷狩りや強制移住などにより人口が激減していきました。

カカオの生産地であったソコヌスコでも、征服以前は3万人近くいた人口が、1524年〜26年には1万5000、1563年には1600と激減。

カカオの生産者も死んでいったので、1545年以降にカカオの値段が上昇していきます。カカオの実がなっても誰も収穫する者がいないといった事態に陥りました。

それまで主要産地だったソコヌスコやサポティトランが没落し、代わりに栄えたのがエルサルバドルのイサルコ。1545年ごろからエンコミエンダの所有者であるエンコメンデーロがカカオ農園を経営し始め、イサルコは一大産地になり各地へカカオ豆を輸出し、価格も下がり始めていきました。

ところが16世紀後半になるとイサルコでも人口減少が起こり、カカオの値段が急騰。

その後、新たにカリブ海諸島や南アメリカでカカオ豆の生産が始まり、再び価格が落ち着いて行ったと考えられます。

 

 

まとめ

カカオ豆はなんと、19世紀末までお金としてメソアメリカで流通し続けたそうです。

17世紀からヨーロッパやアメリカでチョコレートが嗜好品として認知され、貴族の間でブームに。

その後も需要は伸び続けたため、カカオ豆を持っておけば何らかと交換できる状態が続きました。他にも綿布や銅貨、金、錫などがお金として流通したそうですが、一番流通したのがやはりカカオだったようです。

メソアメリカの人々は血眼になったカカオを、我々は小銭で買い求めて食べることができるわけですから、なんて贅沢なんでしょうか。

現代のバレンタインにチョコレートをあげるという習慣は、昔のメソアメリカの感覚からしたら、ひどく現金なものに映るでしょうねー。

 

 

参考文献 チョコレートの文化誌 八杉桂穂 世界思想社

チョコレートの文化誌

チョコレートの文化誌

 

 

・ぼくが好きなオーストラリアのチョコ「ティムタム」

 

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