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死ぬという噂がある「呪いのお宝」伝説

トレジャーハンターを呪い殺してきたという噂のあるお宝

どこか人目のつかないところに秘匿されたお宝。

まだ見つかっていない眠ったお宝は、子どもも大人もお話だけでも大変ワクワクするものです。

しかし中には「呪い」がかけられれていて、トレジャーハンターを呪い殺すという噂があるものも少なくありません。有名な「呪いのお宝」をいくつかご紹介します。

 

1. カフエンガ・パスのお宝

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何人ものトレジャーハンターを殺した埋蔵金

カフエンガ・パスは、カリフォルニア州ロサンゼルス市にあるサンタモニカ山地の東端の峠です。

1864年、密入国のメキシコ人羊飼いディエゴ・モレノが、財宝をこの峠の道に埋めたと主張したことから呪いの話は始まります。

1862年、債務の返済を口実にフランス軍がメキシコに侵入。共和国は倒され、ハプスブルク家のマクシミリアンを皇帝とするメキシコ帝国が成立しました。

これに対し、大統領ベニート・フアレスは帝政に対する抵抗活動を開始したのですが、お話によると、フアレスの部下の諜報員が金、ダイヤモンド、真珠などの財宝20万ドル以上を抱え、武装闘争のための銃を買うためにサンフランシスコを目指したそうです。

ただしサンフランシスコにはフランスのスパイがあちこちに張っており、危険を感じた彼らは資金の一部を包んで地中に埋めた。メキシコ人羊飼いディエゴ・モレノはその様子をたまたま目撃し、掘り起こして盗んでしまった。モレノはロサンゼルスを目指して歩き、カフエンガ・パスで休息をとったところ、「宝物を持ったままロサンゼルスに入ると死ぬ」という夢を見たので、道沿いに埋めてしまった。

ところがモレノは、わざわざ手放したにも関わらず体調を崩し、友人のジーザス・マルティネスに宝物を埋めた場所を教えた。その後モレノは激しい痙攣を起こし、そのまま死んでしまった。モレノを埋葬したマルティネスは、継子のホセ・グミシンド・コレアとともに峠に向かい、目印の木を見つけたものの、掘り始める前に発作を起こし、倒れて死んでしまった。約10年後、大人になったコレアは再び宝物を探すことを決意したが、その前に義兄に銃殺された。

1939年、技師のヘンリー・ジョーンズという男が整備士ウォルター・コームズと、彼のおじで発明家のエニス・コームズと共に、金属探知機を使って宝物を掘り出そうとした。ところがいくら掘っても何も出てこなかった。それから1ヵ月もしないうちに、ヘンリー・ジョーンズはプロジェクトの失敗と離婚を苦に自殺した。

そもそもどこまで事実なのか、宝物があったのかすらよく分からない話ですが、心惹かれるお話です。

 

2. チャールズ島の呪い

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Photo by  Randal J. (RJFerret)

3度の呪いがかけられた小さな島のお宝

コネチカット州ミルフォードにある、現在は鳥が住む以外活用されていない小さなチャールズ島という島があります。

1639年、パウガセット族の酋長がこの土地をヨーロッパ人入植者と交換した時に呪いをかけたという言い伝えがあります。ヨーロッパ人に娘を誘拐されたことに腹を立てたとか、その他の不満があったとも言われています。

1699年、キャプテン・キッドという名で知られる海賊ウィリアム・キッドが、処刑される直前の最後の航海の途中でこの地を訪れ宝物を埋めたと言われています。彼はニューヨークのガーディナー島に宝物を埋めたことが知られていますが、実は一部をここに隠したのではないかとされています。

そしてチャールズ島には別のお宝伝説があり、実は16世紀にコルテスらスペイン人征服者によって処刑されたアステカの皇帝グアトモジン(Guatmozin)が所有していたお宝が埋蔵しているというのです。このグアトモジンという人物、いろいろ検索しても出てこないので、その存在自体が怪しいのではありますが。

1721年、コネチカットの船員たちが、メキシコの洞窟に隠されたアステカの財宝を偶然発見。持って帰ってきたのだが、この宝を発見した5人のうち4人が死亡するという災難に見舞われたそうです。あわてて最後の一人は、お宝をチャールズ島に運び埋めたのだというのです。

その後、何世代にもわたって宝探しが続けられたが、宝は今も発見されていません。

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3. オークアイランドの呪い

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宝が見つかる前に「7人が死ぬ」という言い伝えがあるお宝

オークアイランドはカナダ、ノバスコシア州の沖合にある島です。

言い伝えによると、1795年に地元の少年が島の東側の地面のくぼみに気づき、仲間と掘ってみたところ、10フィートごとに木の台があり、90フィートの深さまで続く人工的な立坑を発見したと言われています。この立抗は「マネーピット」と呼ばれており、この穴を掘り進めたらお宝にたどり着くと考えられています。

どんな宝が埋まっているのかにも様々な説があり、キャプテンキッドの財宝、失われたシェイクスピアの写本、テンプル騎士団の隠し財産、キリストの血を受けた聖杯、とも噂されています。

過去200年間の間に多くのトレジャーハンターが採掘に挑み、古い陶磁器、謎の羊皮紙、ココナツ繊維の山など、お宝の存在を示唆するような遺物が発見されてきました。

中でも注目されるのが通称「90フィート・ストーン」と呼ばれる石です。

トレジャーハンター、ジョーサム・B・マッカリーが19世紀半ばに書いた手紙によると、1804年に約90フィートの深さで石が発見され、この石には暗号のようなシンボルが描かれていたそうです。この暗号の意味を巡っても議論があり、ある翻訳によると「40フィート下に200万ポンドが埋められている」だそうです。しかもある時を境にこの石も姿を消し、本当にそんな石があったのかもすらミステリーになっています。

このお宝が発見されるまでに7人が死ぬという噂があり、現在のところ6人が亡くなっています。

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4. ロストダッチマン鉱山

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Photo by Chris C Jones

呪いがかけられたと噂される金鉱

ロストダッチマン鉱山(あるいは金鉱)は、アリゾナ州フェニックスの東、アパッチ・ジャンクションに近いスーパースティション山地と一般に言われています。おそらくアメリカで最も有名なお宝埋蔵伝説のスポットで、毎年多くの人々が金鉱探しに訪れます。

伝説によると、1840年代にメキシコ北部のペラルタ(Peralta)一族がスーパースティションズで金鉱を開発したと言われています。彼らが金をメキシコに持ち帰ろうとしたところ、アパッチ族の待ち伏せにあい1、2人を除いて全員が殺されたそうです。

この時ペラルタ一族が発見した場所はよく分からなくなっており、場所を記した地図が紛失したり、以前鉱山に行ったことのある人が場所を失念したり、鉱区申請する前に災害が起こったりしました。

1870年代、「オランダ人」(実際はドイツ人)のジェイコブ・ワルツとジェイコブ・ワイザーが、ペラルタの子孫の助けで鉱山を発見したと言われるようになりました。

彼らは金塊を掘り当て、スーパースティションズ山地に1つまたは複数の場所に隠したと言われています。ところがワイザーはアパッチ族に殺されましたが、ワルツも健康を害し1891年に亡くなりました。

彼は、生前世話になった隣人のジュリア・トーマスに鉱山の場所を説明したと言われています。彼女はその話を手掛かりにお宝探しを行いますが発見できませんでした。その後も何十万人ものトレジャーハンターたちも、「ロストダッチマン鉱山」を見つけることはできませんでした。そのため、この山々を取り巻く迷信や伝説を助長しているのです。

金鉱にはアパッチ族の呪いがかけられているという噂があり、実際に何人もの死者が出ています。

 

5. 琥珀の間の呪い

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琥珀の間の調査をすると呪われるという噂

「琥珀の間」はかつて、ロシア、サンクトペテルブルクのエカテリーナ宮殿にあった、琥珀が豪勢に使われた部屋です。

もともとは1701年、ドイツのバロック彫刻家アンドレアス・シュリューターがプロイセン王室のために制作を開始したもので、ベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の一室に設置され、その後何人かの職人の手によって拡大していきました。

1716年、ベルリンを訪れたロシア皇帝ピョートル大帝がこの部屋に惚れ込み、友好の証としてこの琥珀の間はロシアに寄贈されることになり、1755年、ピョートルの娘エリザーベトにより、サンクトペテルブルク郊外のエカテリーナ宮殿に移築させました。

琥珀の間は1917年の革命の際にも破壊を免れたのですが、1941年にヒトラー軍がバルバロッサ作戦の一環としてサンクトペテルブルクに迫った時、部屋を解体し、現在のカリーニングラードにあるケーニヒスブルク城の地下に移築されました。ヒトラーは琥珀の間はドイツのものであり、ロシアが不当に盗んでいると考えていました。

しかし連合軍の攻勢でケーニヒスベルクもイギリスとソ連の猛攻を受け、一説によると琥珀の間も再び解体され持ち運ばれたそうです。しかしその後どうなったかが不明で、戦火で焼けてしまったと考えるのが普通ですが、どこかに持ち去られたと言う証言もあります。

元ドイツ兵でアマチュア歴史家のゲオルク・シュタインは、人生の大半を「琥珀の間」を見つけることに捧げましたが、1987年にバイエルンの森で首を切られて殺されました。ロシアの対外情報部副部長のユーリ・グセフは、琥珀の間に関するソ連の情報を提供していた人物でしたが、1992年に謎の交通事故で死亡しました。

失われた琥珀の間は呪われている、と噂される所以です。

 

6. コ・イ・ヌール・ダイヤモンドの呪い

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Image by Chris 73

男性を不幸にするダイヤモンドとして世界的に有名

コ・イ・ヌール・ダイヤモンドは、186カラットのダイヤモンドで、これを保有する男性に破滅をもたらすと言われています。

このダイヤモンドはインドで生産されたもので、いつから存在するかも様々な議論があります。インドの伝承では、「このダイヤモンドを所有する者は世界を手に入れるが、同時に世界のすべての不幸を知ることになる」と警告しているそうです。
歴史上、この宝石はゴールコンダ王国、ハルジー帝国、トゥグルク朝、ローディー帝国、ムガル帝国、マラーター連合、ペルシャ王国、アフガニスタンのドゥッラーニー朝、シーク王国などが、このダイヤモンドを手にしながら崩壊していったと言われます。

シーク王国を打ち倒したイギリス東インド会社は、この宝石を所有したものの、わずか7〜8年後の1857年のインド大反乱で根底から破壊されました。
イギリス東インド会社は1850年、ヴィクトリア女王にこのダイヤモンドを授けました。インドの伝説を尊重し、以来このダイヤモンドは、常に英国王位継承者の夫人に贈られることになったのです。デンマークのアレクサンドラ女王、メアリー・オブ・テック、エリザベス・ボーズ=ライアンがこれまで所有してきました。
現在、ロンドン塔の宝石館に保管されている英国王室の王冠の中の宝石の一つとして飾られています。

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まとめ

「お宝」といいつつも、実際どういうものかよくわかっておらず、周辺情報は山のようにあるものの、肝心のお宝の情報となるとほとんどないに等しいのは興味深いです。

幽霊とかUMAなどのミステリーとも少し似ています。周辺情報はたくさんあるものの、目撃情報が全然一致しない。

おそらくお宝にかけられた呪いというものも、周辺情報の一部であって、お宝の神秘性を高める要素の一つなのだろうと思います。

 

参考サイト

"Curse of the Cahuenga Pass Treasure" Los Angels Times, CECILIA RASMUSSEN
"The Atlas Obscura Guide To Milford" Atlas Obscura

"What Is the Oak Island Money Pit?" HISTORY

"Legend of the Lost Dutchman" LOST DUTCHMAN STATE PARK

"THE MYSTERY OF THE AMBER ROOM: THE WORLD'S GREATEST LOST TREASURE" HISTORY UK