カッコイイとは、こういうことさ
ジブリアニメ「紅の豚」の名コピーです。
かっこいい男は行動でそれを示すのである!ということですね。
外面はイケてるメンズはそこら中にいますけど、行動が伴い成果を出す容姿端麗な男というのはそういないものです。
しかもそれが時代を変えた偉業であり、かつ女性が気絶しそうなほどの容姿であれば、もう指折り数える程しかいないでしょう。
何が偉業か・どんな顔が容姿端麗かはそれこそ時代・地域・人によって異なりますが、今回独断で「歴史を動かしたイケメン」を7人集めてみました。
異論・反論あると思いますが、どうぞご覧くださいませ。
1. ジョージ・ゴードン・バイロン(イギリス)
イケメン過ぎて多くの女性を狂わせた男
ジョージ・ゴードン・バイロン(1788-1824)は、イギリス・ロマン主義を代表する詩人。
当時のイギリスに渦巻いていたご都合主義を批判し、世界の文学界に多大な影響を与えました。「チャイルドハロルドの巡礼」は特に有名です。
バイロンの女遍歴は当時から有名で、また関わった女を多く不幸に追いやったことで批判されました 。主立った愛人・婚約者を挙げると、
貴族女性ジェーン・エリザベス・スコット、貴族女性キャロライン・ラム、異母姉オーガスタ・リー、レディ・キャロラインの従姉妹アナベラ・ミルバンク、人妻マリアンナ・セガティ、マルガリータ・コーニ、グッチョーリ伯爵夫人テレサ…
キャロライン・ラムはバイロンにふられた後、憔悴して骨と皮だけになり、マルガリータ・コー二はバイロンに自宅から追い出された後、絶望のあまり運河に身を投げて自殺しています。
それだけバイロンは何人もの女を狂わせておきながらも、彼自身はかなり恋愛に対して冷徹だったようで、いくつもの恋愛にまつわる格言を残しています。
男の恋は生涯の一部だが、女の恋は全生涯だ。 - 「ドン=ジュアン」
女は最初、恋人を恋するが、次からは恋を恋する。-「愛の幻滅」
女は美しくて、甘ったるい嘘つきだ。男は、すぐに彼女を信じてしまうだろう。- 「女に」
バイロンなりの哲学があり、女のほうで勝手に盛り上がったり絶望されたり、あげく死なれたら批判がこっちにきて、全くたまったもんじゃねえ、くらいに思っていたのかもしれません。
これは危険すぎるイケメンですね・・・
引用:バイロン名言集
2. ベンジャミン・シーゲル(アメリカ)
俳優並みの容姿を持つイケメン・ギャング
ベンジャミン・シーゲル(1906-1947)はアメリカのギャング。
若い頃から闇世界に足を踏み入れ、強盗・恐喝・麻薬・殺人なんでもありの傍若無人ぶりでカリフォルニアの裏社会を牛耳る大物となりました。
シーゲルは当時まだ小規模だったラスベガスのカジノ街に目をつけ、需要が見込まれるカジノ客を目当てにした大規模なホテルの建設に着手。ラスベガスの発展に先鞭をつけた人物です。行動は終わってますが、ビジネス感覚はあったんでしょう。
性格は荒いが、派手でオシャレで社交的。カネ払いはよく女好きだし、何より俳優並のイケメンだったため、数多くの女たちが彼の元に群がり、愛人遍歴は相当なものでした。
シーゲルは大物ホステスのヴァージニア・ヒルを妾にしていましたが、最期は彼女は浪費癖が命取りに。
ホテルの建設費や売り上げを掠め取っていたことが組織の幹部連中にばれ、そのことで内部抗争に発展。最後シーゲルは自宅で新聞を読んでいたところを銃撃され殺されました。
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3. カエサル(ローマ帝国)
当時から有名な「ハゲの女たらし」
言わずと知れた共和制ローマの政治家・軍人。
子飼いの軍隊を率いて全ガリアを統一。その後は第一回三頭政治の一角となり、内戦を勝ち抜いた後は終身独裁官となり、ローマの帝政へ大きく舵を切った人物です。
カエサルの女好きは当時から有名で、「元老議員の妻の3分の1を寝取った」と噂があるほど多くの女をメロメロにした男でありました。
カエサルはかなり筆まめな男で、ことあるごとに女たちへ愛ある手紙を送っています。「ローマ人の物語」の塩野七生先生も、この女性への気配りが利くところがカエサルがモテた理由なのだろう、とメロメロな筆使いで書いています。
当時の軍隊の凱旋式では、軍団兵たちが将軍をからかう野次を飛ばす習慣がありましたが、カエサルのそれは
「夫たちよ、妻を隠せ!ハゲの女たらしのお通りだ!」
だったそうで、当のカエサルは「ハゲとは言い過ぎだろう」とこの野次を不満に思っていたようです。女たらしはいいんですね。
4. アルチュール・ランボー(フランス)
もっともピュアな「早熟の天才」
アルチュール・ランボー(1854-1891)はフランス象徴主義を代表する詩人。
16歳で家出しパリにやってきて、詩作をスタート。
その少年らしい瑞々しい感性と、純粋であるがゆえのある種の狂気、そして言葉の運用のセンスは圧倒的で、10代ですでに詩人としての名声を獲得していました。まさに天才。
当時書いた「地獄の季節」「イリュミナシオン」 は、ランボーのピュアな感性が凝縮され彼の生き方そのものを象徴していると言われています。
彼の詩のいくつかはこちらのサイトで読むことができます。
16歳の時、ランボーは27歳の詩人ポール・ヴェルレーヌと出会います。
ヴェルレーヌは当時新婚で子どもがいたのにも関わらず、ランボーの底知れぬ魅力に取り憑かれ、 妻も子も忘れてこの16歳の少年と時を忘れて過ごしました。
18歳になったランボーが彼の元を去ろうとすると、逆上したヴェルレーヌは拳銃を2発発射。1発は左手首に命中し、ヴェルレーヌは逮捕されました。
いい大人すら魅了した少年の妖しい魅力…
何と言うか、ドラマですね…
5. パーシー・ビッシュ・シェリー(イギリス)
スキャンダルな愛憎劇に生きた詩人
パーシー・ビッシュ・シェリー(1792-1822)は、イギリスの詩人。
1番目のジョージ・バイロンと同世代で、同じロマン派です。
カトリックからの解放を訴えた「無神論の必要」を書き、危険思想の持ち主として警察にマークされる身に。
プライベートでも妻と子がいるにも関わらず、ウィリアム・ゴドウィンの娘メアリーと恋に落ち、妻ハリエットに「3人で暮らそう」と提案するほど、ちょっとぶっ飛んだところがあったようです。
シェリーとメアリー、そしてなぜか付いてきたメアリーの妹クレア・クレモントはヨーロッパ大陸に渡り、ジョージ・バイロンの元に身を寄せます。
クレア・クレモントはすぐにジョージ・バイロンに手込めにされてしまいました。
その後、妻ハリエットがシェリー以外の男の子を身ごもったまま自殺をすると、シェリーはメアリーと結婚。その後2人でイタリア各地を転々としますが、最後は船の事故で水死してしまいましたl。
6. ヨシフ・スターリン(ソ連)
稀代の独裁者の若かりし頃の「火遊び」
ヨシフ・スターリン(1878-1953)は、言わずと知れた革命ソ連の独裁者。
ボリシェビキの中心的メンバーとしてロシア革命を成し遂げ、レーニン死後の勢力争いに打ち勝ち独裁体制を敷き、枢軸国との戦争に勝利し共産主義圏をヨーロッパ各地に広げる一方で、国内では大粛清を敢行し大量の人間を殺害した男。
生まれは現在のグルジアで、29歳の時に同郷のエカテリーナ・スワニーゼと結婚し子どもを設けますが、すぐにスワニーゼは病死。妻の死を嘆き、生まれた子どもに対しスターリン生涯冷淡だったそうです。
その後、1910年の流刑中にマリア・クザーコヴァという女と不倫をして隠し子を設けたり、
1913年の北極圏の村に左遷された時には、リーディア・ペレプルイギナという名の13歳の少女と関係を持ち、2人の子どもを生ませたりしています。
野心に溢れたイケメンの革命家とか、そりゃモテるよなあ…
革命後モスクワに戻ったスターリンは、1919年に友人セルゲイの娘ナジェージダ・アルリーエワと結婚し、2人の子どもの父となりました。
しかし、2人の間に口論が絶えず、アルリーエワは突然謎の死をとげています。
ロシアではスターリンが殺害した、という信じている人が多いのだそう。
7. チェ・ゲバラ(アルゼンチン)
世界中の人に崇拝されるゲリラのカリスマ
ここで多く語る必要はないでしょう。
チェ・ゲバラ(1928-1967)はフィデル・カストロと共にキューバ革命を成し遂げた革命家。
現在でも反米・反権力・反圧政のシンボル的存在で、特に中南米では彼の存在は伝説の域にまで達しています。
彼のカリスマ性は圧倒的で、指導力、放たれる言葉の重み、そして口だけでなく実践する行動力、それは彼の「権力への抵抗」の生き方そのものであり、それが故多くの人たちが彼を崇拝してやみません。
彼の肖像がある種アイコン化されているように、その容姿は端麗で、相当なイケメンです。チヤホヤされたでしょうし、めちゃくちゃモテたでしょうが、彼自身は生涯妻のイルデ・ガデアを愛しました。
女好きではなかったと言えばウソになりそうで、
酒は飲まない。タバコを吸う。女を好きにならない位なら、男を辞める。だからと言って、あるいはどんな理由であっても、革命家としての任務を全う出来ないのなら、僕は革命家を辞める。
と語ったように、女は好きだったようですがその前に、革命家としての自分を第一に考えていたようです。
イケメン!!
まとめ
この中で誰がもっともイケメンか?と問われると、それこそ人によって違うと思います。全然イケメンちゃうやん、って言う人も中にはいるかもです。
女たらし、夜の帝王、気の利く男、ピュアな少年、野心家、理想家
それぞれ違った魅力がありますよね。
「私の王子様」は読者の方に決めていただくとして、
これを書きながら、やっぱりイケメンというのも才能の1つなのだよなあと思いまして、いまちょっとブルーな気分であります。
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