カリスマ指導者の夢の残骸
「イスラムの統一国家の実現」 と聞くとイスラム国(ISIS)を連想しますが、
そのような大イスラム国家の建設の主張はずっと昔から変わらず存在します。
イスラム国は武力でそれをやろうとしていますが、
平和的にやろうとしたのが「バース党」。
アラブの統一を掲げるバース党はエジプトのカリスマ指導者・ナセルをシンボルにしてアラブの連合国家を作り、最終的には全アラブ国家の参加を目指しました。
ところがわずか3年で内部分裂。 その後のアラブ連合の取組みも、ことごとくうまくいきませんでした。
なぜアラブ連合はうまくいかなかったのか。
これまでうまくいっているように見えたEUにも綻びが見え、実際にイスラムの統一を目指して武力闘争を続けるイスラム国が勢力を強めるいま、よい反面教師になるはずです。
1. アラブのヒーロー・ナセル
ナセル(1918-1970)は、エジプトの初代大統領にしてアラブ世界の絶対的カリスマ。
1952年、自由将校団を率いて王政を倒し、大統領に就任。
汎アラブ主義を唱えてアラブ諸国の団結を訴えると同時に、1955年のアジア・アフリカ会議ではインドのネルー、中国の周恩来、インドネシアのスカルノとともに、非同盟主義を唱えて、一躍第3世界のヒーローになります。
その後、スエズ運河の国有化を巡って起こったスエズ戦争(第二次中東戦争)では、イギリスとフランスを相手に政治的勝利をつかみ取り、その威信をますます高めていきました。
2. アラブの統一を掲げたバース党
バース党は1947年にシリアで「アラブの復興」を掲げサラーフッディーン・アル=ビータールらによって結党されました。
党の目標は「かつて世界をリードしていたアラブの栄光を蘇らせる」ことで、
そのため「列強が勝手に引いた国境を取っ払い、1つのアラブとして統一する」ことを目指しました。
党をリードしたのは欧米で教育を受けたインテリ層で、彼らが演説や新聞などで民衆を啓蒙して社会運動を進めていました。
党はシリアだけでなく、イラク、ヨルダン、レバノン、イエメンなどアラブ諸国に広がり、次々と政権を獲得。アラブの連合を唱える声は、大きなムーブメントとなっていました。
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3. エジプトとシリアが合体、アラブ連合共和国が成立
シリア・バース党は、アラブのヒーローであったエジプトのナセルを説得。歴史的なアラブ統一の先鞭を我々でつけよう、と口説きます。
ナセルも次第にその気になり、アラブ連合の意義を積極的に国民に宣伝。
一般のシリア人も、トルコやイラクなどの外圧をエジプトと連合することで跳ね返すことを期待し、積極的に賛成。
国民投票の結果、両国とも賛成99%という異常に高い数字で可決されました。
4. イニシアチブをエジプトに取られたシリア
エジプトが主導権を握る共和国
アラブ連合共和国の首都はエジプトのカイロにおかれ、大統領はナセルが就任。
国会では、ナセルの手足となって動く同調集団「国民連合」が結成されたり、
重要事項はナセルとその腹心たちで決定する仕組みになったりなど、結成から早くもシリアはエジプトにイニシアチブを取られ始めます。
シリアは国民連合でイニシアチブを取り、ナセルを操ろうと考えますが、
選挙の結果バース党員はことごとく敗北し、ナセルのイエスマンのみが当選。
シリアは国政から次第に閉め出されていきます。
シリアはさながら植民地に
ナセルはシリアに「エジプト式経済改革」を持ち込みます。
すなはち、すべての金融機関、私企業、農地の国有化を宣言。
さらに、エジプトとシリアの通貨を共通化すると発表がなされ、シリアの経済界は大パニックになりました。
政治的イニシアチブを持つカイロが企業すら操り、さらには通貨すら統一となれば、シリアの富は洗いざらいエジプトにかっさらわれてしまう!
5. シリア軍によるクーデーター
バース党、経済界を中心に反エジプト感情が高まる中、ナセルがさらに「シリアの直接統治」に乗り出すと発表。
事ここに至って1961年9月28日、ついにシリア軍がクーデターを起こし、1日で全土を掌握。シリアの独立を宣言します。
ナセルはこれに対し、空挺部隊を派遣して鎮圧をすることを検討しますが、
10月5日に独立を認め、ここにアラブ連合共和国は崩壊。わずか3年の命でした。
6. その後も続いたアラブ統一の試み
バース党は理念として「アラブの統一」を掲げているので、その後も何度かアラブ連合の結成を試みています。
シリア、イラク、エジプト
1963年、シリアはイラクのバース党とタッグを組み、 エジプトを加えて「アラブ連合共和国連邦」の結成を宣言。
しかしこのときは、政治的イニシアチブをシリアとイラクが頑に離そうとしなかったので、連合は決裂。
シリア、リビア、エジプト
1970年、ナセル亡きエジプトの後を継いだサダト大統領は、シリア、リビアと組んで「アラブ連合共和国連邦」を設立。
これはどちらかというと、第3次中東戦争のための軍事同盟の様相が強く、
連合軍はイスラエルに奪われたシナイ半島とゴラン高原を取り戻そうと軍を進めますが、逆にイスラエル軍にコテンパンにやられ、
その後リビアとエジプトの対立が表面化し、同盟は解消されています。
まとめ
「アラブ」と一口に言っても、そもそも民族も文化的背景も違うし、 経済状況も諸問題も違う。それらの国をひとつ並べにして均一化しようという試みが、そもそも無謀な気がします。
人口はエジプトのほうがシリアの5倍は多いのですが、シリアは豊かな農業国で国民所得は3割程度エジプトより高かったようです。
当時エジプトは社会主義方式の経済政策を採っていたので、ナセルはこれらの格差を埋めようとして強権を振るったと思われるのですが、奪われる方からしたらたまったもんじゃないですよね。
理念だけじゃ腹はふくれない!ってことです。
そしてこの、「富める者」と「貧しき者」の問題は普遍的で永久の課題であって、
EUもギリシア問題でそれが浮き彫りになっていますし、
現在は勢いがあるイスラム国も、いずれはこの問題に直面すると思います。