イスラエルの勝利とパレスチナ紛争の泥沼化
ぼくは学生の頃にイスラエルとパレスチナに行ったことがあります。
ユダヤ人居住区とアラブ人居住区の気味悪いほどのすみ分け、
パレスチナ自治区を囲って築かれた壁、
パレスチナ側で間違ってヘブライ語であいさつして怒鳴られたこと、
わずか数日の滞在でしたが、常に緊張状態にあることが嫌なほど分かりました。もはやどちらかがどちらかを滅ぼし尽くすまで憎しみの連鎖は終わらないんじゃないか、と思うほど。
ユダヤ人とアラブ人の対立と衝突は、オスマン帝国統治時代のパレスチナにユダヤ人が入植し始めた19世紀から続いてきましたが、周辺の国家を巻き込んだ大規模な戦争になったのは1948年の第一次中東戦争が最初でありました。
これに勝利したイスラエルは割り当てられた領土を死守し、独立国としての地位を高め国際的な名声を上げ、地域の大国への第一歩を踏み出します。
今回は悲劇のスタートとも言える、第一次中東戦争をまとめてみます。
1. 反英独立闘争期(1942〜1947年)
ユダヤ機構最高幹部ベン=グリオン登場
ベン=グリオン「世界中で枢軸国と連合国が派手にドンパチやっとるな。まあ、イギリス勝ってドイツ負けるやろな。しかしやな、この戦争が終わったらイギリスは100%国力が落ちとる。その時や。パレスチナを支配しとるイギリスを駆逐して、わてらユダヤ人が国を作るんや」
→ 1942年5月11日アメリカのシオン主義者が「ビルトモア宣言」を採択。パレスチナの地にユダヤ国家の建国を宣言する。
英首相チャーチル登場
チャーチル「1939年のマクドナルド白書あるやろ?あれ実効化するぜ。パレスチナでユダヤ人が土地の売買するの禁止ね。」
ユダヤ人A「はあっ!?ふざけんな!パレスチナは神が我々に下さった土地だ!」
ユダヤ人B「いまドイツに迫害されてる同胞たちをどうしろと言うんだ!」
→ ナチス・ドイツの迫害を逃れたユダヤ人が続々とパレスチナを目指すも、イギリスは上陸を認めずキプロス島やモーリシャス島に送り込む。
ユダヤ難民「頼みます、戦火のヨーロッパから船で必死で逃げてきたんです。約束の地パレスチナに住まわせてください」
イギリス政府「ダメなものはダメ。キプロス島に送り返すから」
シオン主義者A「同胞を助けなくては!そうだ、船自体を損傷させ出港させなくしてしまえ」
パトリア号事件発生
シオン主義者が仕掛けた爆薬が大爆発し沈没。多数の難民が水死。
シオン主義者B「何たることだ…。もはやイギリスはドイツと同罪だ!」
シオン主義者C「パレスチナを支配するのはイギリスでもなく、アラブでもなく、我々ユダヤ人だ。ユダヤ人以外全員殺す」
→ ユダヤ過激派イルグン、地下武装組織レヒ、イギリスに宣戦布告。
駐カイロ英大使モイン卿、レヒのテロリストに暗殺される
チャーチル「…私の親友モイン卿が殺されただと…。何ということだ…。オレは決めたぞ。シオン主義を許さない」
→ チャーチル、反シオン主義に舵を切る
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第二次世界大戦終了。
アメリカは唯一国土を戦火で荒らされることなく戦争景気で繁栄。
イギリス、ソ連、フランスなど他の戦勝国は国力を大きく消耗していた。
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アメリカ大統領ハリー・トルーマン登場
トルーマン「チャーチルよ。ユダヤ人の皆様、困ってらっしゃるでしょうが。パレスチナにユダヤ人10万人住まわせなさいよ」
→ トルーマンはニューヨーク市長選挙で民主党を勝たせるため、親ユダヤ的発言で大票田のユダヤ人票の取り込みを図った
チャーチル「トルーマンの馬鹿野郎、何言ってやがるんだ!そんなことしたらアラブ人と衝突してとんでもない流血事態になることくらい分かるだろう!」
シオン主義者「戦争が終わったら国が作れると思ったのに、相変わらずイギリスは認めやがらない。もう皆殺しにするしかないかなあ」
ベン=グリオン「おう、やれやれ、どんどん暴れろ。イギリスもじきに諦めるやろ」
→ ユダヤ武装組織イルグン、地下武装組織レヒ、地下武装組織ハガナ、パレスチナで破壊活動、爆破テロ、将兵暗殺を繰り返す
2. 国際連合主導期(1947年)
英首相クレメント・アトリー登場
アトリー「テロの応酬でパレスチナのイギリス人がどんどん殺されていく。無理ぽ。疲れた。もう嫌だよ。世界の皆さん、パレスチナはもはやイギリスの手に負えません」
→ 1947年2月19日イギリス、パレスチナ問題の自主解決を断念し、判断を国連に委ねる。
国際連合特別委員会「えーと、パレスチナはアラブ国家とユダヤ国家に分割して、エルサレルムは国連の信託統治領とする。独立まではイギリス領として、その間ユダヤ移民を受け入れる、ってことでどお?」
▼オレンジ:ユダヤ国家 黄:アラブ国家 白:国連領
ベン=グリオン「うーん、まあしゃあねえか、支持しよう」
シオン主義者A「ええ?何でパレスチナにアラブ国家があるの?アラブ人は全員追い出してユダヤ人が全部支配すべきなのに!」
シオン主義者B「まあ、でもしょうがねえよ。ベン=グリオンがこれを支持してんだから」
→ 国際シオン主義団体、国連案を支持
アラブ人「ちょ、ちょっと待ってよ。アラブ人は85万人もいるのに、なんで1万人しかいないユダヤ人の領土のほうが大きいんだよ!?」
アラブ連盟「この案はアラブ人に対する挑戦だ!仮にこれが実行に移されたら、アラブ諸国は直ちに軍事行動を起こし、事態の解決を図るだろう」
アジア・アフリカ諸国「いや、これ…。実行されたらマジでヤバくね?」
トルーマン「おい、てめえらゴタゴタ言うんじゃねえ。問題の解決にはこれしかねえの。国連加盟国諸君、君たちは賛成票を投じるだけでいいんだよ、分かったね」
→ アメリカ、国連加盟国にパレスチナ分割案に賛成票を投じさせるよう露骨な圧力をかける
1947年、11月29日 国連総会パレスチナ分割決議 賛成33対反対13(棄権10 欠席1)で可決
アラブ武装組織「こうなったら力づくでユダヤ人を排除する。アラブ人よ立ち上がれ!」
→ レバノン、エルサレム、北部ガラリヤ地方、南部ガザでアラブ人が武装蜂起
ベン=グリオン「いいかお前ら、我らの土地を絶対に守りぬくぞ。そしてアラブ人をパレスチナから追い出してしまえ」
地下武装組織メンバー「おお!!」
→ 地下武装組織が表に出てきてアラブ武装組織と戦闘開始。アラブ人の攻撃に対して反撃すると同時に、アラブ人に対し無差別テロを行うことで恐怖心を与えてパレスチナからの逃避を促した。
またユダヤ側は各地で連戦を重ね、分割案で定められたアラブ側へ侵攻した。
イギリス軍「もう早くこんな呪われた土地から出て行きたい…もう待てねえよ」
→ イギリス軍、1947年の暮れからパレスチナ撤退開始。
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3. 独立宣言・開戦
1948年5月14日 イスラエル独立宣言
ベン=グリオン「ユダヤ国家の樹立を宣言する」
…イスラエルの地は、ユダヤの民の発祥の地である。この土地から放逐されても、ユダヤの民はいつの日にか故地に帰って民族的自由を取り戻すよう、離散先の国々で祈り、また願い続けた。
…われわれ国民評議会の構成員は、英委任統治領の終了する本日、パレスチナに在住のユダヤの民と世界シオン主義運動を代表して、この厳粛な会合に参集し、ユダヤの民の本来的・歴史的権利をと国際連合の総会決議に基いて、パレスチナのにユダヤ国家の樹立を宣言し、イスラエル国と称する。
エルサレムのムフティー(最高宗教指導者)で、汎アラブ・反ユダヤ主義者のアミン・フサイニ登場
フサイニ「いいか、アラブ諸国は絶対軍事干渉するんじゃねえぞ。国連総会案は無効だけど、パレスチナはオレたちパレスチナ人の土地で、オレたちで何とか戦うからよ」
トランスヨルダン国王アブドゥッラー登場
アブドゥッラー「フサイニよ、何もできん男は黙らっしゃい。我こそはアラブの守護者なり!皆の者、イスラエルを打倒せよ!」
→ アラブ軍の名目的な司令官にアブドゥッラー国王が就任。パレスチナのアラブ側領域のヨルダン併合を目指して配下のアラブ軍団の侵攻を命令。
トランスヨルダン軍、エルサレムに進撃
エジプト国王ファルーク1世登場
ファルーク1世「これ以上ヨルダンの遊牧民どもに調子に乗らせるわけにはいかない。ここは我らエジプトが戦争で大勝利を収めなくては」
→ ヨルダンのハーシム家への対抗意識から、パレスチナに出兵を決定。国連決議でアラブ側に割り当てられたアラブ側の土地のうち、隣接した地域の併合を目指す。
エジプト軍、ガザ地方とネゲヴ砂漠に軍事侵攻開始
シリア軍、ガリラヤ湖付近の開拓農民に攻撃を加える
レバノン軍、旧委任統治領の境界を超える
イラク、サウジアラビア遠征軍ユダヤ領域に侵攻
3-1. シナイ半島・パレスチナ南西部
ファルークは北方の工業都市テルアビブのエジプト併合を目指し地中海沿いに北進。
しかし僅かな人数のユダヤ人農民兵の抵抗にあい、その後イスラエル軍の飛行機による空襲を受け、テルアビブの南方40キロに食い込んだところで進撃が停止。
別働隊はネゲブ砂漠を横断し、オアシス都市べエルジェバを陥落させ成果を上げる。
3-2. エルサレルム
アブドゥッラーが率いるアラブ軍団は、第二次世界大戦にも従軍した歴戦の手練れ。
開戦後ユダヤの抵抗組織ハガナとイルグンの部隊を破り、エルサレム旧市街を制圧。
その後エルサレム新市街の陥落を試みるも、ユダヤ側の抵抗にあい戦線が膠着した。
3-3. 中部戦線
対イスラエル最強硬派のイラクが送り込んだ機甲部隊は、パレスチナの東部中央から侵入し、真っ二つにパレスチナを横切って地中海の港町ナタニアに向かって前進。
イスラエル軍はベン=グリオンの指揮のもと必死になって抵抗し、ナタニアから10キロの地点で食い止めることに成功。戦線を膠着させた。
3-4. 北部戦線
北部ガラリヤ地方に侵入したレバノン軍は、独立宣言の翌日にユダヤ人の村を占領した。
3-5. ガラリヤ湖南方
シリア軍はガラリヤ湖南方のユダヤ人の農場を襲撃。シリア機甲部隊はユダヤ人農民が築いたバリケードを突破するも、火炎瓶やゲリラ攻撃で死にもの狂いで戦い、援軍もあってシリア軍を退却に追い込んだ。
スウェーデン人外交官フォルケ・ベルナドッテ登場
ベルナドッテ「みなさん、いったん落ち着きましょう。このままだと不幸が続くだけです。まずは4週間!4週間休戦して頭を冷やしてはいかがでしょうか?その間、イスラエルは戦闘員の入国はしてはいけませんよ」
ベン=グリオン「戦況危ういがな、受け入れざるを得んか…」
アブドゥッラー「むぅ、分かったよ」
4. 戦闘再開 - イスラエルの決定的勝利
ベルナドッテ「上手い落とし所を探っていきましょう。国連案ではユダヤ領とされたネゲブ砂漠と、アラブ領とされたガラリヤ、これを交換するのはどうでしょうか。あと、既にヨルダン軍が占領しているエルサレムはアラブ側に編入する。いかがでしょうか?」
ベン=グリオン「いかがでしょうかやあらへんがな。舐めとんのか!?」
アブドゥッラー「あ、それはいいね!ヨルダンの領土が増えるよ、ありがとう」
ファルーク「はあ!?我がエジプトが占領したネゲブ砂漠がヨルダン領になるだって?ふざけるな!」
シリア・レバノン「ガラリアがユダヤ領だって?ふざけるのも大概にしろ!」
1948年7月9日 4週間の休戦期間が終了、イスラエル軍が反撃を開始
北部戦線:ガラリヤ領域に侵攻したイスラエル軍、ナザレを制圧
中部戦線:テルアビブの東10キロのイラク軍を後退させ、エルサレム旧市街のヨルダン軍に攻勢をかける
南部戦線:イスラエル軍、エジプト軍が占領するネゲブ砂漠を中央突破する
ベルナドッテ「ちょい!ちょい待ち!ではエルサレム新旧市街を国際管理下に置くのはどうでしょう?」
ベン=グリオン「意味わからん!エルサレムはユダヤの土地で他の民族の手に渡ることはあり得へんのや!」
ユダヤ過激派「はあ…。ベルナドッテ、こいつもう殺すしかあらへんやん」
1948年9月17日 ユダヤ過激派がベルナドッテを暗殺する
国連「っざけんな!!ベン=グリオン!」
ベン=グリオン「あー、さーせんね、若い奴は血の気が多くてイカンね。以降はちゃんと手綱を抑えますさかい」
→ ベン=グリオン、過激派を解散させると称し全ての武装組織を国防軍に編入。禁止されている再武装と防御施設構築、軍事訓練を進める。
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一方でアラブ側は、指導者同士の反目が頂点に。
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ファルーク「このままやったらネゲブ砂漠がヨルダンにかっさらわれる。みんな!パレスチナの長の正統権があるフサイニ殿の元にあつまれ~!」
→ エジプトが後援し、フセイニ支持者はガザに集まり「全パレスチナ政府」の樹立を宣言
アブドゥッラー「はあっ?何か勝手なことしよるのう。パレスチナの地はオレのもんなんだよ」
→ 反フセイニ派がエリコに集まり、アブドゥッラーをヨルダン・パレスチナ統一国家の指導者にする決議を行う
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そんな中、イスラエル軍は着々と再軍備を進め、短期間に強大な軍を構築していく
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エジプト軍「ちょっと、何でイスラエル軍がこんなところに防御施設作ってんのさ!停戦協定違反だろ!」
イスラエル軍「やーい、汚いアラブ野郎!悔しかったら攻撃してみろ」
エジプト軍「許せん!ユダヤ野郎め!これでも喰らえ」(ズバンズバン
ベン=グリオン「あーっ!国連さーん!エジプト軍が休戦協定破りましたーー!よって防衛のためにイスラエル軍は反撃をおこないまーす」
1948年10月15日〜22日 イスラエル軍 ネゲブ砂漠のべエルシェバを占領
1948年12月22日 シナイ半島の戦い イスラエル軍、エジプトのシナイ半島最大の町エル=アリシュに迫る
ベン=グリオン「よっしゃあ!このままシナイ半島も制圧したれ!」
イギリス「おい、イスラエルよ、待て!」
ベン=グリオン「は?なんだテメーは?外部のモンはすっこんでろや」
イギリス「外部ではない。これ以上エジプト領に攻め入った場合、我が国とエジプトの防衛協定の規定に基づき、貴国に宣戦布告を行うだろう」
ベン=グリオン「…チッ。分かったよ」
→ イスラエル軍、エル=アリシュの包囲を解いて撤退
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こうして第一次中東戦争は、イスラエル軍の大勝利に終わった。
戦後の停戦協定で、イスラエルはネゲブ砂漠全域、エルサレム新市街を支配。
アブドゥッラーはガザ地区とガラリヤを除くヨルダン川西岸を支配した。
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▼青:ユダヤ人地域 赤:ヨルダン領アラブ人地域 緑:アラブ人地域
まとめ
かなり長くなってしまいましたが、第一次中東戦争に至る各種の動向と、戦争の経過をまとめてみました。
バルフォア宣言とか、サイクス・ピコ協定とか、フサイン=マクマホン協定とか、第一次世界大戦期に結ばれた「イギリスの二枚舌外交」はあまりに有名なので、既にみなさん知っている前提で書きました。もしご存知なかったらお調べになってください。
政治の世界の話なので、卑怯だとか汚いとか、そんなこと言ってもしょうがないのですが、ユダヤ人の執拗さ、アラブ人の一貫性のなさ、イギリスとアメリカの無責任さに、本当に嫌になってきます。
しかし一連の流れを見ていくに、解決の可能性は本当に数%もなかったのだろうか、何をやっても最悪の流血の事態に突入せざるを得なかったのか、と思うほど状況は最悪のもの。こんな事態の中で、「平和が一番」などは虚しい戯れ言に過ぎない。
この戦闘を期に、単にパレスチナ問題だけにとどまらず、周辺の様々な利権や政治パワーを巻き込んで、中東戦争は戦われていくに至る。そこはまた今度書きたいと思います。
参考文献 冷戦下の中東紛争 大石悠二 新評論