マイナーな国の驚きの近代史
アルバニア、と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
たぶん、ほとんどの人は何も知らないと思います。
歴史好きな人が、スカンデルベク(オスマントルコに抵抗した英雄)を知ってるくらいでしょうか。
ただ、この国はちょっと耳を疑うような驚きの歴史を歩んでいます。
アルバニアの基本情報
アルバニアはバルカン半島の南西部に位置し、ギリシア、マケドニア、モンテネグロ、セルビアと国境を接しています。
国土の70%は山岳地帯で、気温は温暖。
国民の大半がイスラム教を信仰していますが、若干キリスト教徒も存在します。
鉱物資源が豊かで、石油、銅、ニッケル、アスファルトなどが採れますが、設備が貧弱で充分に生産できていません。伝統的に農業従事者が多く、国民の3割程度が農民。
主力産業は衣類を中心とした軽工業。治政的にイタリアと強い繋がりがあり、イタリアのアパレル産業の下請けで食っているような状態です。
ただイタリア経済も芳しくなく、アルバニアの経済も後述する「ねずみ講の混乱」から低調な状態が続いており、豊かな西ヨーロッパへの移民希望者が相次いでいます。
1. 半年で国王が追放され無政府状態(1914〜1928)
中世、アルバニアは東ローマに属したキリスト教国でしたが、1478年にオスマントルコの支配に入り、1912年の第一次バルカン戦争のときまで続きます。
1914年にアルバニア公国として独立を果たしますが、新たに君主としてルーマニアより招いたヴィルヘルムは、国内のイスラム主義者の内乱によってわずか半年で国外に亡命。地方の豪族が独自に統治をする中世のような状態に。
2. ゾグー1世のもと近代化を進める(1928〜1939)
1925年、オスマン時代の総督の家系であるアフメト・ムフタル・ゾゴリが内乱を制して大統領に就任。
1928年にゾグー1世として国王に就任。ゾグー1世は、教育、法律、軍事など各種近代化を進めます。
ゾグー1世の統治下でアルバニアは大幅に経済成長を達成し、バルカン半島最貧国から最も成長著しい国と言われるまでになります。
3. イタリアに4日で占領され、イタリア領に(1939〜1944)
ムッソリーニ率いるイタリアは、安全保障上の理由とバルカン半島への足がかりを得るため、アルバニアに軍隊を派遣。
イタリア軍は上陸後2日で首都を陥落させ、4日後には全土を掌握。
ゾグー1世はフランスに亡命し、アルバニアはヴィットリーオ・エマヌエーレ2世を君主とあおぐ、イタリアの同君連合国となります。
イタリア支配下でアルバニアは枢軸国側として連合国に宣戦布告をしますが、アルバニア軍はお話にならないくらい弱かったようです。
というのも、アルバニア兵にはもともとやる気がなく、戦場に出ても脱走するか敵側に寝返る連中がほとんどだったようで、ドイツ軍やイタリア軍の足を引っ張るだけでした。
4. 独裁者ホッジャのもと、鎖国的な社会主義体制(1944〜1992)
近隣諸国にケンカをふっかける
第二次世界大戦後、アルバニアを掌握したのはソ連の援助を得たアルバニア共産党。首班のエンヴェル・ホッジャは王政を廃止し、アルバニア社会主義人民共和国を成立させます。
もともとスターリン主義者であったホッジャは、 1956年のスターリン批判を契機にソ連と袂を分かち、中ソ対立では中国を支持。
ワルシャワ条約機構を脱退し、隣国ユーゴスラビアのチトーも批判し、近隣諸国にケンカを売って回ります。
緊張が続く近隣諸国との関係を踏まえて、ホッジャは国民全員に行き渡るだけの銃を支給し、国土全体にトーチカを建設して近隣諸国の軍隊が攻めて来たときの民衆抵抗軍の組織を進めます。
それもこれもホッジャが自身の権勢を失いたくないために、国内の親ソ派・親ユーゴ派などを次々粛清していった結果でありました。
中国からの援助もなくなり社会主義政権は崩壊
その後、中国からの援助を受けるも経済はガタガタに。
中国で文化大革命が始まると、それに触発されてアルバニアは無神国家を宣言し、一切の宗教が禁止されます。
その後、鄧小平のもとで中国が改革開放路線に舵を切るとホッジャは中国を批判。
唯一の援助元を失い、経済は欧州の最貧国と言われるまでに困窮。
1989年、民衆の抗議運動をうけて独裁者ホッジャはついに退陣。
1992年には選挙によって、アルバニア民主党による、初の非共産党の政権が誕生しました。
5. 国民の半分がねずみ講にあい暴動に発展(1992〜)
ねずみ講が原因で内乱に
政権をとったアルバニア民主党は、外国からの援助や投資を呼び込み、積極的に市場経済への移行を図ろうとします。
一方で国内ではねずみ講が大流行。国民の大半がこのねずみ講に加入していたとされています。1997年、ねずみ講が破綻すると投資金の返還を求めて市民が大暴動を起こし、米軍やNATO軍が出動する騒ぎに。
ねずみ講暴動の原因
そもそもこのねずみ講は、隣国ユーゴスラビアの内戦が関係していました。
ねずみ講組織は、アルバニア国民から資金を集めて武器を購入し、ユーゴスラビアの戦闘組織に密売することによって利益を上げ、それを配当金として分配していました。
もちろん違法行為なのですが、当時のアルバニア政府は貴重な外貨獲得手段としてねずみ講組織の活動を黙認していたと言われています。
1997年、ユーゴスラビア紛争が落ち着き、投資先がなくなるとねずみ講は崩壊。莫大な額の投資金が一気にふっとび、怒った破産者が投資金の返還を求めて暴動に発展したというわけです。
この時の混乱を現在でも引きずり、アルバニア経済は不振が続いています。