現代に生きる独裁者たち
現代においては、一党独裁の国や独裁者におる専制国家はなかなか珍しくなってきています。
そんな中、独裁を続ける国には、どのような背景や理由があるのか。
このエントリーでは、現在に生きる独裁者たちを紹介します。
1. グルバングル・ベルディムハメドフ(トルクメニスタン)
「中央アジアの金正日」と言われた前大統領の後任
旧ソ連・中央アジアの国トルクメニスタンの第2代大統領。
前任の初代大統領サバルムラト・ニヤゾフは、極端な個人崇拝の独裁を行い、「中央アジアの金正日」とまで言われた男でした。
50メートルおきに自分の肖像を置かせたり、インターネットを禁止したり、地方の病院を全部封鎖したり、好物のメロンを讃える「メロンの日」なる祝日を作ったりなど、傍若無人に振る舞いました。
ニヤゾフの死去により、副大統領だったグルバングル・ベルディムハメドフが大統領に就任しました。
脱ニヤゾフの寛容政策
ベルディムハメドフは大統領就任後、インターネットや映画の解禁、地方の病院の復活、教育や医療の改革など脱ニヤゾフの政策を進めています。
しかし変わらず議会はトルクメニスタン民主党の一党独裁。
大統領は複数政党の議会の導入を否定しており、寛容にはなったものの独裁国家であることに変わりはありません。
またニヤゾフに代わり、ベルディムハメドフの偶像化も進んできているそうです。
豊富な石油・天然ガスで潤う国庫
トルクメニスタンは石油・天然ガスが豊富で、石油埋蔵量は世界第4位。
地下資源の輸出で国庫は潤っており、国民の所得も周辺国に比べると高い水準にあります。
独裁体制のもと監視が行き届いているので、治安・国民の生活は安定していると言えます。
ただ一党独裁が崩れてしまうと、周辺のテロリストや武装集団が乗り込んできて、地元の有力者とつるんで豊富な地下資源を奪われてしまう可能性も考えられます。
Turkmenbashi's Reign of Terror - YouTube
2.イルゼム・アリエフ(アゼルバイジャン)
父から座を引き継いだ世襲大統領
アリエフ大統領の父は、社会主義時代から30年以上アゼルバイジャンを率いたヘイダル・アリエフ。
アゼルバイジャン共産党を率いた後は、ソ連中央政界に移りソ連共産党中央委員会政治局員に就任。ゴルバチョフと対立して中央政界を引退しアゼルバイジャンに戻ります。
ソ連崩壊後の1993年にアゼルバイジャン大統領に就任。外資を引き入れてアゼルバイジャン経済の立て直しを図りました。
2003年に自らの病気を理由に大統領を辞職し、国営石油会社の副総裁であった息子のイルゼム・アリエフに大統領の職を引き継ぎました。
事実上の一党独裁
アゼルバイジャンには複数の政党が存在し、5年に1度国政選挙が行われていますが、与党である新アゼルバイジャン党が125議席のうち72議席(2010年度)を獲得し、事実上の一党独裁状態と言われています。
またヨーロパの監視団によると、選挙の当日に与党による不正があったされています。
大統領と石油利権
アゼルバイジャンの領土内には豊富な石油資源があり、輸出品の大半が石油や天然ガス、石油関連製品。
グルジアやトルコ(アゼリー人はトルコ系民族)への石油パイプラインの設置などで経済成長を果たしています。
前大統領ヘイダル・アリエフの時代から、大統領周辺と石油業界には太いつながりがあり、息子は国営石油会社の副総裁を務めていたこともあり、多額の金がアリエフ父子の懐に流れていると見られます。
3. アレクサンドル・ルカシェンコ(ベラルーシ)
ヨーロッパ最後の独裁者
東ヨーロッパに位置するベラルーシの住民はロシア系ですが、元々13〜18世紀までポーランド・リトアニア共和国に属していました。
19世紀のロシア帝国の拡張に伴い、ポーランドからの独立を目指す動きが加速。
ロシア革命後は、ソヴィエト連邦内の共和国である、白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国連邦となります。
ソ連崩壊後に連邦は、ベラルーシ共和国として独立。
1994年に、ルカシェンコは「ロシアとの併合」を公約にして大統領に当選。
ベラルーシの憲法では大統領の3選は禁じられていますが、2004年にはこれを可能にする憲法改正を問う国民投票を実施し、8割の賛成で憲法を改正。
2006年に3選、2010年の選挙で4選を果たしています。
このことからルカシェンコは「ヨーロッパ最後の独裁者」とまで言われています。
時代に逆行する社会主義市場経済
大統領に当選してからルカシェンコは社会主義市場経済を導入。
物価の統制、食料や生活品の安価な供給、国家による企業経営の介入など、時代に逆行するような経済戦略を採りました。
しかしこのような政策はロシアの財政支援が前提であって、いったんロシアとの関係が悪化するとたちまち崩壊してしまう脆弱なものでした。
ロシアに付かず離れず、絶妙な外交戦略
もともとロシアとの統合を公約に掲げていたため、1999年には将来の統合を目指す「ロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約」に調印しました。
ところがプーチンが大統領に就任以降、ロシア主導での統合を主張するプーチンに反発をし、EUとの関係改善を模索。
一時、ロシアとの関係は悪化し、天然ガスパイプラインの停止させられるという報復措置まで喰らいました。
しかしルカシェンコは巧みな外交手腕で、ロシア・EU双方から経済援助を約束させ、さらには中国からの多額の投資を受けるなど、国際社会の中でうまく立ち回っているようです。
まとめ
旧ソ連圏の国は資源が豊富な国が多く、しかも国内に少数民族を多く抱えている場合が多いため、社会を統制する必要上からの独裁が生じていると思われます。
さらに近隣にロシアやイラン、中国、EUなどの大国と隣接し、国内の諸勢力が外国勢力と結びついて内乱に陥る可能性も十分にあります。まさにウクライナがその例ですよね。
- 資源が豊かな国は、近隣諸国や分離勢力、テロ組織に狙われやすい
- 経済的に弱い国は、国内勢力が大国と結びつかないように警戒している
- 外からの圧力、内からの突き上げによって混乱が起こらないように独裁で秩序を維持させている