歴ログ -世界史専門ブログ-

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画家が自殺する直前に描いた絵画10枚

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 我々は芸術家の心の機微を読み取れるか?

 芸術家という人種は、ぼくら一般人とは全く違う世界に住んでいるんじゃないかと思っています。

俗世と霊的世界のちょうど中間くらいに住んでいて、一般人には見えないものが見えて、その伝えづらい世界を音とか絵とか体とかで表現するのが芸術家という人種だと理解しています。(霊媒師とかそんなニュアンスではないです)

芸術家が自殺をする動機も、カネに困ってたとか恋愛のもつれとかありますけど、一般人からすると理解に苦しむ部分が多々あるように思います。有名な画家が死の直前に描いた作品には、おそらくその心の機微が何らか表現されているのではないでしょうか? 

 1. クリストファー・ウッド「シマウマとパラシュート」

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 飛び降り自殺をする直前に描いた生気のない絵

クリストファー・ウッドは20世紀前半のイギリスの画家。

個展がことごとく失敗に終わり、プレッシャーに押しつぶされそうになりアヘンに手を出してしまう。アヘンの効果が効いていた時は猛烈に作品を描きますが、同時に何者かに追われているという妄想にも取りつかれていました。1930年8月、最後の作品「シマウマとパラシュート」「虎と凱旋門」を母と妹に見せて昼食をとり、その後電車に飛び降り死亡しました。

この作品は超現実的で、手前のシマウマは生気がなくサイズ感も変で、まるで抜け殻のように見える。奥のパラシュートの人間もぐったりして死んでいるよう。周辺の風景も活気がゼロで、とにかく全体的に死の影がちらついているように見えます。

2. ジョン・ミントン「ジェームス・ディーンの最期」

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Image from "Composition: The Death of James Dean" TATE.ORG

 ジェームス・ディーンの死と自分自身を重ねた絵

 ジョン・ミントンはイギリス出身の画家で、雑誌のイラストレーションや各種のポートレイトなどを精力的に描き名声を得ました。

しかし、抽象表現主義の人気の上昇とともに仕事が激減し自信を喪失していき、それも影響してか精神的な病気を抱えるようになり、酒の量が増えていきました。

彼は1957年1月に自殺しますが、その最後の絵は2年前に交通事故で死亡した映画俳優ジェームス・ディーンの最期を描いたもの。ですが、実際のところジェームス・ディーンはカリフォルニア州の州道で事故にあっていて、こんな住宅が密集した中ではありません。

 

↓ジェームス・ディーンが死亡した場所の写真

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もともとのモチーフは、ミントンがスペイン・バルセロナで目撃した交通事故で、その後ジェームス・ディーンの死亡にショックを受けたミントンが、自分の作品(=自分自身)と「若者の怒り」を象徴したジェームス・ディーンを重ね合わせるようになっていったと思われます。

 

3. ニコラ・ド・スタール「ル・コンセール」

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Image from "Devant « Le Concert » de Staël : « Je ressens l’attente… »" La Croix

 自殺する数時間前に描いた未完の絵

 ニコラ・ド・スタールは20世紀前半のフランスの抽象画家で、比較的短いキャリアの間に何千枚もの絵画を描きました。死の直前の数か月ですら、147枚もの絵を描いています。すごい勢いですね。

1955年3月にフランス南部の町アンティーブにあるビルの屋上から飛び降りて死亡するのですが、その最後に描いた作品が、前夜に見たコンサートに触発されて描いた「ル・コンセール(コンサート)」。

通常コンサートでは演奏が終わってもピアノとコントラバスはステージに置いておかれるのですが、その演奏終了後の様子を描いたと思われる「未完の作品」です。

彼はコンサートを見た後家に戻り、この作品を描いて、スケッチを全部燃やし、遺書を書いた後に自殺しました。遺書にはこう書かれていました。

「私には絵を描き切る力がない」

大量に描いた絵も、彼にとってはすべて「未完」であり、絶望した末の死だったのかもしれません。

 

4. マーク・ロスコ「無題」

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 原始の表現を追求した男の最期の作品

 ロシア系ユダヤ人で、アメリカで活動した画家マーク・ロスコは、20世紀半ばに一世を風靡した抽象表現主義の代表的画家です。

彼の作品は色とりどりの長方形がキャンバスの中に配置されたもので、その「オシャレな色彩感覚」で人気となりましたが、ロスコはそんな上っ面な捉え方を心から軽蔑しており、「神話や原始の世界から無意識のエネルギーとシンボルを得ること」をテーマとして持っており、そのアウトプットとして形にならない根源的な世界をキャンバスに表現しようとしました。

晩年になると、妻との離婚やうつ病に苦しむようになり、彼の作品は次第に荒れたものになっていきました。最後の作品が「黒と灰色の2層」からなる作品。

1970年2月に自宅で手首を切って自殺しました。

彼の絶望と苦しみが、この絵には表現されているのでしょうか。

 

 

5. ジョン・ウィリアム・ゴッドワード「ヌー・シュール・ラ・プラージュ」

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Photo by "Art Renewal Center"

 死の直前に描いた「逸脱作品」

ジョン・ウィリアム・ゴッドワードは19世紀後半のイギリスの画家で、新古典主義の大家として人気を得ました。その作品は古代ギリシアやローマをモチーフとし、クラシカルな服装のセクシーな女性、または半裸の女性のポートレイトが主で、古典的なモチーフと近代的な構図や色使いを用い作品を描きました。

しかし、パブロ・ピカソの「キュビズム」の登場で一気に人気を失い、起死回生を図って活動の場をイタリアに移すも、家族の支持を得られずに縁を切られ、さらに健康状態が悪化したことで家にこもりがちになり、絵を描かなくなってしまいました。

彼の最期の作品ヌー・シュール・ラ・プラージュ(ヌード・オン・ザ・ビーチ)は、彼が描いてきた古典的なテーマから逸脱し、「モダン・ヌード作品」となっており特に重要とされています。しかしこの作品を書いた数か月後、1922年12月に遺言を残して自殺しました。

「この世界はオレとピカソにとっては狭すぎる」

 

6. コンスタンス・メイエ「荒家の一家」

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 望みを絶たれた女の絶望の遺作

 18世紀のフランスの女性画家コンスタンス・メイエは1821年5月に自殺しました。その最後の作品は、荒れた家で悲しみに暮れるある家族の模様です。

なぜこの絵が描かれたかの理由は、彼女の仕事のパートナーであるピエール=ポール・プリュードンと彼女の関係を知らねばなりません。

プリュードンは17世紀末から画家の仕事を初めて評判になり、1801年には皇帝ナポレオン1世のお抱えの画家になっていました。メイエとはその時に出会い、互いに認め合う「ビジネス・パートナー」となりました。プリュードンがデザインを起こし、メイエが油絵を塗って完成させる合作をよくして、名の知れたプリュードンの名前で売ることで順調に売り上げを伸ばしていました。

しかし徐々にメイエも一人前の作家として認められるようになり、ソルボンヌに自分のアトリエを持つほどまでになっていきます。しかしその時にはプリュードンは人気を失い、子ども6人と不仲の妻を抱え貧乏にあえぐようになっていました。プリュードンの結婚生活はまったく上手くいかず、妻はうつ病に苦しみ死亡。メイエはプリュードンと結婚することを期待していましたが、プリュードンは亡き妻と「再婚はしない」と約束していたため、彼女の要望を拒否してしまう。絶望したメイエは遺作「荒家の一家」を描いた後に自殺しました。

プリュードンもその2年後に死亡し、彼らの亡骸はパリのペール・ラシェーズ墓地に葬られています。

 

7. リヒャルト・ゲルストル「裸の自画像」

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Work by Richard Gerstl

 孤独と絶望の中で最期に描いた自分の姿

19世紀末のオーストリアの画家リヒャルト・ゲルストルは、現代でこそ高く評価され著名な芸術家ですが、生前は全く評価されず、妻からも不倫相手のマティルデからも捨てられ、孤独の内にアトリエの鏡の前で首を吊って死亡しました。

彼の最期の絵は自らの姿を鏡を見ながら描いたもので、まるで吸い込まれそうな青の背景が印象的です。

その大胆な筆使いは意図してやったというよりは、単に「素早く描き上げた」というもののようですが、その勢いが狂気じみた魅力を醸し出しているような印象を受けます。

 

8. アーシル・ゴーキー「アゴニー」

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Image from "Agony – 1947" De spiegel van het onbewuste

 不幸が続いた男の苦悩がこもった最期の絵

アーシル・ゴーキーは第一次世界大戦のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺を生き延び、父を頼ってアメリカに移住し美術を学び、画家として活躍するようになりました。

彼の作品の特徴は、抽象表現とキュビズムのあいのこみたいな作品で、何か本能に訴えかけるような根源的な力を持っているように見えますが、彼はこれをすべて「綿密な計画のもと」作り上げていました。天才が努力するとこんな作品を生み出せるんでしょうね。

ですが晩年は不幸が続き、妻に逃げ出されたり、アトリエが火災にあったり、癌を患ったり、世間が彼に与える高い評価にも関わらず、彼の苦しみはすさまじいものがありあした。1948年、ゴーキーは最期に作品を描き上げアトリエで自殺しました。

その作品が「アゴニー」で、彼がめったに使うことのなかった赤の色が全面に用いられています。これはアトリエを襲った火災を表現していると思われ、苦悩と怒りと絶望とやりきれなさが詰まった、ちょっと怨念めいた作品になっています。

これを家に飾ったら、まるでこの絵から炎が立ち上がってきて火事になりそうな迫力です。

 

9. ジャン=ミシェル・バスキア「ライディング・ウィズ・デス」

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Image from wikiart

 NYの若手芸術家が最後に描いた故郷の世界

 ハイチ系アメリカ人であるジャン=ミシェル・バスキアは、ストリートのスプレーアートから身を起こし、グラフィティアートをモチーフにした作品で人気を博してアンディー・ウォーホールとも懇意になり共作するほどでした。1980年半ばにはアート界で最も勢いのある若手としてチヤホヤされました。

しかし作品作りのためにヘロインとコカインの混合薬「スピードボール」を多用し依存症に苦しむようになり、わずか27歳のときに「スピードボール」と呼ばれるヘロインとコカインの混合物の過剰摂取で亡くなりました。

その死の数か月前に残した作品が「ライディング・ウィズ・デス(死に跨って)」です。

彼の後期の作品は「商業主義」であると批判を受けますが、この作品は彼の故郷であるハイチのブードゥー教の霊的世界の影響を強く受けていると言われています。

 

彼の生涯は1996年に映画化されています。

www.youtube.com

 

10. ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「ドービニーの庭」

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 ゴッホが死の1週間ほど前に描いた絵

 「自殺した画家」というとまっさきにゴッホを思い浮かべる人は多いのではないでしょうか。鮮やかな色使いと独特の筆のタッチで、日本でも多くのファンがいます。

ゴッホの最期の作品は、その不気味さからしばしば「カラスのいる麦畑」であると思われていますが、本当の最期の作品はゴッホが滞在していた旅館の近くにあった画家ドービニー宅の庭を描いた「ドービニーの庭」です。

ドービニーはゴッホが尊敬する画家のひとりで、中央にはドービニーの妻が描かれています。

ゴッホはてんかん又は統合失調症に苦しんでおり精神病院に入退院を繰り返していました。「耳切り事件」は有名ですね。

1890年7月27日、ゴッホは「銃弾を左胸に受けた」状態で発見され、しばらく意識はあったものの、29日に死亡しました。彼が自分で自分の心臓を狙って銃を撃ち自殺を図ったというのが定説ですが、他殺説も存在するそうです。

ちなみにこの作品は世界で3点存在し、それぞれ微妙に異なります。一つは広島県のひろしま美術館に収蔵されています。

 

まとめ

 芸術家たちの人生と苦悩の背景を知ってこの作品を見ると、なんとなく、彼らの表現したかったことが「分かるような気」がしますが、きっと1%も理解できてないに違いない。

怨念や情念に近い彼らの思いを理解するには、言葉だけだと不充分できっと霊感のような力が必要なんじゃないかと思います。

もしかしたらこれを描いた芸術家自身も、自分が何を描いたのかよくわからず、自分の作品を100%理解できてないということもあったかもしれません。

 

 

参考サイト

 "10 Final Paintings By Artists Who Committed Suicide" LISTVERSE

"Marie-Françoise-Constance Mayer (1775 - 1821)"THE Wallace collection

Christopher Wood (painter) - Wikipedia

ドービニーの庭 - Wikipedia

 

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