歴ログ -世界史専門ブログ-

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【現代史】敵国の英雄となった人たち

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 母国以外で活躍して有名になった人物

人は英雄に憧れるものですが、「憧れてほしい」対象というのもの人それぞれなのかもしれません。

全世界中の人の場合もあるし、自分の国の人の場合もあるし、ちびっ子限定の場合もあるでしょう。女性だけ、という人もいるかもしれませんがそれは英雄ってか単にモテたいだけかもしれません。今回紹介する「英雄」は、一般的に「敵国」として認知されている国で英雄になった人です。

 

 

1. ウィリアム・モーガン 1928-1961(アメリカ)

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キューバ革命に参加したアメリカ人

ウィリアム・モーガンはアメリカ人で、彼の友人の1人がキューバのバティスタ政権打倒を掲げるカストロ勢力に武器を密輸していたためキューバ人兵士によって拷問され殺害されてしまいました。

モーガンはバティスタ政権を憎み、復讐と政権打倒を掲げカストロ勢力に加わり共に戦いました。始めカストロは彼をCIAのスパイではないかと疑いましたが、命を投げ打った行動と仲間に対する献身的な努力が信頼を醸成していき、カストロ軍の中でトントン拍子に出世。カストロ軍が全土を制圧する頃には大隊を率いる程にまでなっており、革命成就後は彼は最高階級にまで出世。カストロ軍の外国人の中でモーガン以外にその階級にいたのはチェ・ゲバラ(アルゼンチン人)のみでした。

モーガンはカストロの革命は「バティスタ政権打倒」のための戦いであり、その後は民主主義のキューバが戻ってくると信じていましたが、その後カストロは社会主義政権樹立に向かって舵を切ったためモーガンは動揺しました。アメリカは社会主義国成立に加わったとしてモーガンの市民権を剥奪していました。

 1960年10月、モーガンは仲間と共に反革命勢力を扇動したとして逮捕され、翌年3月に処刑されました。証拠はなく、実際にどのような行動をしていたのかよく分かっていません。その2ヶ月後にキューバは社会主義国を宣言。

キューバ人の妻オルガもモーガンと共に逮捕されていましたが出所し、後にアメリカに亡命し夫の名誉回復に努めました。その結果、2007年には名誉回復が成されました。

 

 

2. 林弥一郎 1911-1999(日本)

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中国人民解放軍空軍の父となった日本人

 太平洋戦争終結後、多数の日本人兵士が中国国民党や中国共産党の一員となって戦争に復帰したことは有名な話です。生きて帰ることを恥じた人や、戦友を見捨てられないという思いで残留した人など理由は様々ですが、戦後に中国人民解放軍の空軍の創設に携わったのは林弥一郎という日本人。

終戦直後、林少佐は第2航空軍第101育飛行団第4練成飛行隊を率いていましたが、間もなく林彪、彭真、伍修權の3名が彼の元を訪れて人民解放軍の航空部隊創設のための航空学校創設事業への協力を依頼しました。林少佐は迷いますが、部下と多数決をとってこれに協力することにしました。

林少佐とその部下たちの手で創設された「東北人民解放軍航空学校」では、日本軍の九九式高等練習機やアメリカのP-51戦闘機を練習機に改造して中国人パイロットの訓練にあたりました。

国共内戦後、学校は「中国人民解放軍航空学校」となり、林少佐は空軍創設の父として尊敬を受け、人民解放軍の航空総隊服装隊長・航空学校参謀にまで出世しました。

1956年に日本に帰国し、日中友好協会の会長を務めるなどして日中友好に尽くしました。

 

  

3. ジョン・ラーベ 1882-1950(ドイツ)

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日本軍から中国人を守ったドイツ人

ジョン・ラーベと言えば「南京の真実」の著者として有名です。

南京大虐殺を否定する一部の右派からしたら目の敵のような人物ですが、中国ではジョン・ラーベは「中国人の命を多数救った英雄」と認識されています。

 ナチス党員であり軍需企業シーメンスの中国支社のトップだったラーベは、日中戦争時に南京にいたためナチス南京支部副支部長に就任。日本軍による南京攻略戦が始まると、ラーベは他の外国人十数人と協力して中国民間人の安全地区を設定。日本軍による民間人の戦争被害を最小限に食い止めようと奮闘。自らが所有する土地にも約600人の中国人をかくまい、ナチスのハーケンクロイツの旗を掲げて日本軍が攻撃してこないようにするなどして、最終的に約20万人ともされる中国人の命を救ったとされています。

彼の著書「南京の真実 」は批判も多いですが、彼が多くの民間人保護に奔走し実際に多くの命を救ったことは広く認められるべきかと思います。

彼の生涯は映画にもなっています。

ジョン・ラーベ~南京のシンドラー~ DVD

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4. ノーマン・ベチューン 1890-1939(カナダ)

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中国革命を支援したカナダ人

ノーマン・ベチューンはカナダ人の医者で、彼は共産主義の信奉者で母国カナダではカナダ共産党の党員でした。

1937年に日中戦争が始まると彼は中国の共産主義革命のためにその身を捧げる決心をし、単身渡中。中国共産党の解放地区に入り、兵士や農民のための無料の外科施設を運用し多くの中国人の命を救ったのでした。

ベチューン博士は手術中に切った指から感染症にかかり中国で死亡しました。

ベチューンは「白求恩(バイ・チィウエン)」という名で知られ、救恩という名は普通の中国人の名前としても好まれるし、中国では普通の人でも誰でも知ってる超有名人。教科書には「絶対的な無私の精神を私たちは学ばなければなりません」と書かれているそうです。

 

 

5. ドワルカナス・シャンタラム・コトニス 1910-1942(インド)

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中国軍に貢献したインド人外科医

べチューンだけではなく、中国共産党軍には世界各地から多くの共産主義の信奉者が支援に訪れていました。

インド人外科医ドワルカナス・シャンタラム・コトニスもその一人で、日中戦争勃発後に中国に入り、毛沢東の人民解放軍に加わり外科医として多くの兵士を治療しました。

べチューン博士の死後、ベチューン博士国際平和病院のディレクターとなり活躍。1940年には雲南で72時間ぶっつづけてに手術を行うというとんでもない離れ業をやってのけ、大いに賞賛を集めました。

不衛生な環境での無理な労働がたたったのか、コトニス博士は戦争が終わる前にてんかん発作で死亡。中国ではコトニス博士は柯棣华(クェア・ディファ)という名で知られ、国家のために命を捧げた偉人として銅像が建てられています。

 

 

6. レブ・コプレフ 1912-1997(ウクライナ)

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赤軍兵士の乱暴を止めようとして英雄になった男

レブ・コプレフはウクライナ系のユダヤ人のジャーナリストで、共産主義の信奉者であり、同胞を殺戮するナチスを心の底から憎んでいました。

1945年にベルリンが赤軍に占領されるにあたり、ナチスが崩壊する歴史的な瞬間を取材したいと現地を訪れました。ところが彼が見たものは、正義である赤軍がベルリン市民を無差別に殺戮し、女性をレイプする様であった。

コプレフは兵士たちに詰め寄り、「お前たちには恥はないのか!お前にも母や兄妹はいるだろう?」と問いかけた。兵士たちは言った。「オレたちはこのために長い間耐えて血を流してきたんだ」と答えた。

コプレフは赤軍の司令部に兵士の乱暴をやめさせるよう抗議をしますが、逆に逮捕されてしまい「敵への肩入れ」の罪で9年間刑務所に繋がれることになってしまいました。

コプレフは出所し、スターリン死後に彼の手記はソ連国内と西側諸国で出版されて反響を呼び、特に「敵国」ドイツで大変な好評を得ました。

1980年にはコプレフは西ドイツに留学し、そのまま国籍を取得して定住し、ドイツ人として死亡しました。

 

 

7. リヒャルト・ゾルゲ 1895-1944(ドイツ)

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ソ連の英雄となったドイツ人スパイ

ゾルゲは映画にもなったのでご存じの方は多いでしょう。

ドイツ系とロシア系の両親の元に生まれたゾルゲは共産主義の信奉者であり、ドイツで共産党に加入しコミンテルンの指示のもとで動くスパイとなりました。

ナチス党員のドイツ人新聞記者という肩書で日本に渡り、駐日ドイツ大使館の信頼を得て公式文書の閲覧も許可されるようになると、コミンテルンにそれらの情報を逐一報告していました。さらに、彼は近衛内閣のブレーンとなっていた尾崎秀実から日本政府の政策に関する情報も受け取るようになり、1941年6月にヒトラーが独ソ不可侵条約を破棄し侵攻する予定であるという重要な情報をスターリンに報告しました。

始めスターリンはこれを信用しませんでしたが、実際に6月にドイツ軍によるソ連侵攻が起こったためスターリンはゾルゲを信頼するようになり、次いで日本がソ連に侵攻してこないかを調べさせました。ゾルゲは尾崎から「日本軍は南方資源の獲得に関心があり北方侵攻に消極的である」という情報を取得しスターリンに報告。これによりスターリンは兵力の多くを対ドイツ戦に裂くことができ、戦争を優位に進めることができたのでした。

ゾルゲは1941年10月に逮捕され取り調べを受けた後に、1944年に死刑となっています。

彼の功績はソ連では高く評価され、「ソ連と日独の戦争防止に尽力した」として1965年には「ソ連邦英雄勲章」が授与されました。

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2003年にはゾルゲの生涯を描いた「スパイ・ゾルゲ」が公開されています。

スパイ・ゾルゲ [DVD]

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まとめ

アメリカ人からするとウィリアム・モーガンは隣国にとんでもない敵国家を作ってしまった売国奴に感じるかもしれないし、人によっては林弥一郎を「中国に味方した」と言って非難するかもしれません。

評価するのは個人だからどう思おうと勝手だけど、少なくとも彼らは大義や人道や情のために自らの身を投げ打って奔走したわけで、彼らの人間性まで否定されるべきではないと思います。

 

 

 参考サイト

関西日中平和友好協会  - 中国空軍創設秘話

"10 Great National Heroes Of Our Enemies" LISTVERSE 

 

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