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エスカレーターの歴史

垂直移動に革命をもたらしたエスカレーター

エスカレーターはエレベーターと並んで、都市の人々の「垂直移動」に革命をもたらした製品です。

エスカレーターの登場によってより短時間に大人数の人々を建物の上・下の階層に移動させることができるようになり、建物の構造に大きな変化がもたらされ、都市の景観も大きく変わることになりました。

過去記事「エレベーターの歴史」も併せてどうぞ

reki.hatenablog.com

 

1.エスカレーターの発明

より大量に人を運ぶエスカレーター

商用のエレベーターが世に現れたのは1835年以降のことですが、エスカレーターの場合は19世紀後半になってからのことです。

エスカレーターの最初のアイデアは、1859年にアメリカの弁理士ナサン・エームズが取得した特許「An Improvement in Stairs(階段の改良)」に記されています。これは手や重り、蒸気で動く3つの車輪を中心にした「動く階段」とでも言うべきものです。しかしこの「動く階段」は早すぎるアイデアで、結局作られることはありませんでした。

 

エスカレーターが真剣に求められるようになるのは19世紀後半になってからです。

エレベーターの安全技術の確立も相まって、ニューヨークやロンドン、パリなどの大都市には高層ビルやデパートなどの高層建築物が相次いで建てられるようになりました。都市における人口の増加に伴い、人々を狭い都市内でどのように効率的に移動させられるかの都市計画の開発が急務となります。路面電車、高架電車、地下鉄が普及して都市内の移動が容易になり、都市内で消費される製品を運ぶ物流の新しい仕組みも生まれました。

そんな中で、エレベーターよりも「より大量に」人々を建物内で移動させられる仕組みが求められていました。

このような背景の中で、アメリカ人エンジニアのジェシ・リノは、「動く階段」の改良版に乗り出しました。

リノは当時ニューヨーク市の地下鉄計画に携わっており、「動く階段」の有用性を主張していました。しかし、ニューヨーク市がその計画を採用しなかったため、リノは独自に開発に乗り出しました。

彼が1892年に特許を取得した「傾斜エレベーター」は、1896年にコニーアイランドで実演されました。乗客は平行に並んだ鋳鉄製のベルトコンベアの上に立ち、25度の傾斜の動く階段で約1.5メートルの上の階に移動しました。2週間の実演期間の間に、約75,000人もの人々が「傾斜エレベーター」に乗り、センセーションを巻き起こしました。

この成功を受けて、翌年には世界で初めて、ニューヨークのブルックリン橋にリノ式斜行エレベーターが約1ヶ月間テスト設置されました。リノはその後、エレベーター製造大手のオーチス社に特許を売却しました。

 

その他のエスカレーター発明者

エスカレーターを「発明」したのはリノだけではなく、時代の要請に応える形で19世紀後半に複数の人物が似たような製品を作っています。

1889年にはリーモン・サウダーという人物が自動階段装置技術の特許を4つ取得しています。

ジェシー・リノが特許を取得したすぐ後に、ジョージ・A・ウィーラーという人物が、「入口と出口の段差が平らになる」動く階段の発明で特許を取りました。ウィーラーはこのアイデアを実用化しようとせず、1899年にチャールズ・ジーベーガーに売却しました。

ジーベーガーはすぐにエレベーター製造大手のオーチス社と契約を結び、このアイデアの製造に乗り出しました。ジーベーガーは、「エレベーター(Elavotor)」とラテン語で階段を指す「スカラ(Scala)」とを混ぜた「Escalator」という造語を作り商標登録しました。

蛇足ですが、英語の動詞「escalate(次第に増大する、発展する)」は「Escalator」から逆成された新単語です。

その後もリノの傾斜エレベーターもしばらく市場には残りますが、現在世界に普及しているものの大半は、ジーベーガーのエスカレーターの後継機です。

 

2. エスカレーターの普及の始まり

パリ万国博覧会での成功

エスカレーターは低層階と高層階のアクセスを容易にし、特に商業施設の大量集客と大型化を可能にする大発明でした。この革新性に注目したニューヨークのシーゲルクーパー百貨店は、1896年にリノの「傾斜エレベーター」を4台導入しています。

エスカレーターが国際的に紹介されて大注目を集めたのは、1900年のパリ万国博覧会のことでした。

この時代の万博は革新的な技術を世界に紹介し普及を促す機能がありました。1900年のパリ万博では、観覧車、動く歩道、トロリーバス、ディーゼルエンジン、電気自動車、乾電池、トーキングフィルム、磁気録音機など多くの技術的革新が展示されました。

中でもエスカレーターは大きな注目を集めた発明品でした。

博覧会ではリノの「傾斜エレベーター」のほか、ジェームス・M・ダッジとリンク・ベルト・マシナリー社、フランスのハレ社とイギリスのピアット社のエスカレーターが展示されてました。

万国博覧会の後、ニューヨークの百貨店ブルーミングデールズはすべての階段を「傾斜エレベーター」に置き換えました。1902年には同じくニューヨークの百貨店メイシーズが続き、パリの百貨店ボン・マルシェでは1906年にハレ社の「Fahrtreppe(ファールトレッペ)」を導入しました。

 

交通と職場の効率化

エスカレーターを歓迎したのは百貨店だけではありません。

1900年代初頭にエスカレーターはニューヨークとロンドンの地下駅に設置され、公共交通機関を大きく変えました。それまで地下鉄のプラットフォームに行くには階段を降りなくてはなりませんでした。しかしエスカレーターの導入によって女性・子ども・老人含む誰しも、かつ大人数輸送することができるようになりました。またより深い場所にプラットフォームを作ることも可能になりました。

導入当時は「動く階段」が恐ろしく、乗り込む勇気が出ずに後ろに並ぶ人を待たせてしまう人が続出していたようです。

また、エスカレーターは工場の効率化のための道具としても急速に普及しました。エスカレーターを使うことで工場作業員のシフトチェンジがスピーディーになり作業効率が増大しました。

 

日本でのエスカレーターの始まり

日本で初めてエスカレーターが設置されたのは1914年、現在の日本橋の三越本店でした。オーチス社からの輸入品で、開通式には当時の首相原敬が羽織袴で試乗しに来たほど注目度が高かったそうです。

日本で最初にエスカレーターの製造を開始したのは「日本エレベーター製造」という企業で、1928年から国産エスカレーターを製造しました。1940年に日立に買収されています。その日立は1921年から製造を開始し、1937年に大阪大鉄百貨店に初めて2台販売しました。

三菱電機は1922年から、米ウェスティングハウス社から技術を導入して製造を開始し、1928年に海軍用に納品し、民用には1936年に伊勢丹百貨店に5台納入しています。

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3. 初期エスカレーターメーカーの競合

20世紀前半にはいくつかの製造メーカーがエスカレーターを製造販売していましたが、ジーベーガーが取得した「エスカレーター」の商標登録はオーチス社が保有していたため、各メーカーはそれぞれ固有の名称で販売していました。

例えばピール社は「モーターステア」、ウェスティングハウス社は「エレクトリック・ステアウェイ」、ハウトン・エレベーター社は単に「Moving Stairs(動く階段)」と呼んでいました。

ヨーロッパでも19世紀末からエスカレーター製造メーカーが登場していました。

イギリスのピアット社は1898年にロンドンの百貨店ハロッズのナイツブリッジ店に「無段階式エスカレーター」を設置しました。

フランスのハレ社は、「ファールトレッペ」の製造販売により、エスカレーター製造における欧州のパイオニア的存在でしたが、販売権をHocquardt社(ホカルト)に売却。その後もエスカレーターの製造販売を続けましたがやがて他の大手メーカーに売上を抜かれることになりました。

 

オーチス社独占の崩壊

1950年、オーチス社の競合であるハウトン・エレベーター社は「ESCALATOR」という商標が人々の間で一般的になっているとして、米国特許商標庁にその取り消しを申し立てました。

米国特許商標庁は、オーチス社の広告などを確認し、「エスカレーター」という用語を特定の製品ではなく「一般物」として表現していると判断しました。その結果、この商標は取り消されました。

こうしてオーチス社以外も「エスカレーター」という言葉を使用できるようになり、エスカレーターが一般用語となったのでした。

 

4. 現代のエスカレーター市場

世界がますます都市化する現代で、エスカレーターの需要は高まることはあっても下がることはありません。安全技術や省エネ技術、屋外耐久性向上、IoT連携といった新たな技術の導入は進んでいるものの、エスカレーターの基本的なデザインはジョージ・ウィーラーの時代からほとんど変わっていません。

現在世界の5大エスカレーター製造企業は、オーチス社、シンドラー社、コネ社、三菱電機、ティッセンクルップ社です。

エスカレーターの元祖であるオーチス社は現在でもエスカレーター製造の大手です。しかし2023年現在No. 1の地位はシンドラー社(1979年にハウトン・エレベーター社を買収)です。

シンドラー社はスイスを本拠地にする世界最大のエスカレーターメーカー、世界第2のエレベーターメーカーです。シンドラー社が最初にエスカレーターを製造したのは1936年でしたが、ホートン・エレベーターを買収することで米国市場に参入。その10年後、ウェスティングハウスの北米のエスカレーター事業の経営権を取得し、シンドラーのアメリカ部門を設立しました。

 

この2社のライバルがフィンランドのコネ社です。フィンランドの老舗のエレベーター製造業者で、その技術を活かし1977年からエスカレータ製造に乗り出しました。1970年代には、スウェーデンのエレベーターメーカー、アセア・グラハムを買収し、フランス、ドイツ、オーストリアのエレベーターメーカーを買収し、ウェスティングハウスの欧州エレベーター事業を支配下に置くなど、買収によって国際的に拡大しました。1980年代にはパリのガルニエ宮やラ・デファンスなどに採用され、特にヨーロッパと中国市場で大きなシェアを持っています。

 

三菱電機は、世界で唯一の「スパイラルエスカレーター」の製造販売元として知られます。スパイラルエスカレーターとは、直線ではなく、カーブを描くことができるエスカレーターのことです。

構造上不可能と考えられてきましたが、三菱電機は1985年に開発に成功しました。それ以降も他社では真似のできない技術となっています。

詳しくはこちらの記事をご覧ください。

www.meltec.co.jp

 

ドイツの鉄鋼・工業製品製造メーカーのティッセンクルップ社は、1951年に初めてエスカレーターを製造し、その後1998年にアメリカのドーバー・コーポレーションからエスカレーター・エレベーター製造事業を買収し巨大化しました。ドイツで唯一エスカレーターを生産している会社です。

変わったところとしては、暑い地域向けに、手すりの冷却装置を設置したものや航空機の乗降用の移動式エスカレーターも作っています。

メーカーのサイトによると、サウジアラビア政府からの急な要請で2週間以内に2台のエスカレーターを納入し稼働させたこともあるそうです。日本メーカーだとこんな注文は受けられなそうですね。

各メーカー、それぞれ独自の路線で生き残りを図っているようです。

 

5. 安全技術の発展

エスカレーターの歴史は安全性の向上の歴史でもあります。

エスカレーターの乗り降りの際に、ヒールやスカート、ゴム靴が隙間に挟まって転倒する、幼児が手すりの入り込み部に不用意に手を入れて怪我をするといった事故が今も昔も起こっています。

エスカレーターが普及し始めたごく初期の頃、1906年には、イギリスの鉄道駅の傾斜エレベーターが「スカートが挟まってしまう」という苦情によって撤去されています。

この記事を書いているちょっと前の2023年1月にも、沖縄県浦添市で7歳の女児がエスカレーターから転落して意識不明の重体となりました。

これまでメーカーや業界団体は様々な技術的な工夫をしたりガイドラインを設置することによって、エスカレーター事故を防ぐための努力をしてきました。

現代では人が足を乗せるステップの素材を低摩擦で滑りのよいフッ素樹脂コーディングにすることで、「食い込まれ」を防止する工夫がなされています。

そのほかにも、降り口のシャッターが閉じた時にエスカレーターの運転を停止する安全装置。緊急時に手動で停止をさせる非常停止装置。幼児が手すりの入り込み部に手を突っ込んでしまった時に緊急停止をする装置。「デフレクター」と呼ばれる欄干の下部に沿って歯ブラシのような安全ブラシが取り付けられ、スカートの巻き込みを防ぐ仕組みなど、様々な安全装置の改良と発展が行われてきました。
「こちらは上りエスカレーターです」「ベルトにつかまり、黄色い線の内側にお乗りください」「お子様連れの方は手を繋ぎ、ステップの中央にお乗りください」といった自動アナウンスが流れる機体もよくあります。

メーカー側は努力をしていますが、利用者側はあまり安全対策が熱心とは言えないかもしれません。

現在ではまだ、エスカレーターの片側を歩く人のために開けるという習慣が非常に根強くあります。政府や自治体、JRなどの鉄道各社は「エレベーター内の歩行禁止」の啓発を強化していますが、特に都市部では普及がまだです。

エレベーター内の歩行は、人同士の接触の危険性が高くなり、連鎖転倒につながる危険な行為です。また片側が空いてしまうため輸送能力が低くなるという欠点もあります。皆が2列で停止したほうが、全体で見ると効率的なのです。

安全技術の発展も期待されますが、我々利用者側の安全に対する意識の向上が何よりも求められていると思います。

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まとめ

エレベーターは現在のシステムに至るまで、さまざまな基本設計が模索され、現在でも複数のシステムが存在しています。しかしエスカレーターは、様々な場所でのニーズに対応した技術革新は行われてきましたが、基本的にはジーベーガーのシステムが普及し基本構造が現在でも変わっていないという点が面白いところです。

今回はかなり端折ってまとめています。特に技術に関する内容は、専門的すぎることもあって大部分省いてしまいました。

詳しくは、国立国会図書館デジタルアーカイブで読める、後藤茂「エスカレーター技術発展の系統化調査」をご覧になってください。

 

参考文献・サイト

"エスカレーター技術発展の系統化調査"  後藤 茂

"The History of The Escalator" David A.Cooper, IEng,FIIExE,PEng,FIDiagE

"How the Escalator Forever Changed Our Sense of Space" Smithonian Magazine

"The wondrous world of the escalator" thyssenkurupp

"エスカレーターの歴史" 一般社団法人日本エスカレーター協会