多民族の島を一つの国家として統合する神話
このブログではインドネシアを単体で何回か取り上げています。
歴史・文化・風土などとても興味深く、ぼくは「人間のありよう」の大部分はインドネシアを知ることで分かってくるとすら思っています。
特に興味を持っているのが建国神話で、いかにして歴代の王が多民族を支配するために知恵を絞って支配正当化を図ったかが生き生きと理解できます。
前の記事で、スマトラ島・パサイ王国、マレー半島・マラッカ王国、タイ・アユタヤ王国の神話を紹介しました。
今回はその続きになります。
1. ジャワ島中部・マタラム王国の神話
オランダと妥協したジャワ島内陸勢力
16世紀に中部ジャワで台頭したマタラム王国は、豊かな農業生産力を背景に近隣の港市を影響下に組み入れていき、17世紀前半に中・東部ジャワを勢力下に収めました。
当時はすでに東南アジアに進出したオランダが、西部ジャワのバタヴィア(現在のジャカルタ)に拠点を持っていました。
マタラム王国はオランダと対立し、大軍勢でバタヴィアを包囲したこともありますが、結局駆逐することはできずに、次第にオランダと友好関係を築くようになります。
オランダはマタラム王家の王位継承の内紛が勃発するたびに内紛に介入し、新王の即位に協力する代わりに利権の拡大を要求。次第に支配を強めていきました。
このマタラム王国の神話では、人類の始まりからマタラム王家までのつながりと、オランダ人との融和的な関係を正当化する驚くべき神話が伝わっています。
2-1. 人類の始まりからマタラム王国の建国まで
人類の始まりはアダムであり、アダムの孫の1人アンワスがメッカに居をかまえてイスラームを信奉するのに対し、もう1人の孫ヌルチャハヤはサタンに導かれて異教の道に入り、インド人となった。
そしてインドのパーンダワー族の末裔の1人ジョヨボヨが東ジャワのクディリに王都を移し、ジャワの歴史が始まった。
東部ジャワを中心に王国が展開した後に、歴史の舞台は西部ジャワのパジャジャラン王国に移る。パジャジャラン王国はパムカスの時代に長男に王位を奪われてしまい、次男は東に逃れてマジャパヒト王国を建国する。
マジャパヒト王国はその後、イスラム勢力に滅ぼされるが、王室の子孫はムスリムになり、その1人であったパマナハンがアダムの孫のアンワスの末裔の女性と結婚し、息子を設けた。その息子がマタラム王国初代国王スナパティである。
解説
この「ジャワ国縁起」は、マタラム王国がインドとジャワの支配者の系譜と、イスラムの予言者の末裔の血をひくものとみなしました。
別の物語ですが、18世紀後半から19世紀初めにかけてスルタン王家がまとめた「スルト・サコンダル」によれば、
バタヴィアにオランダ東インド会社が拠点を確立しマタラム軍と対立したときのオランダの総督は、パジャジャラン王室の末裔である、としています。
マジャパヒトにジャワの中心が移ったのち、パジャジャラン王女のタヌラガがスペインからやってきたスクムルと結婚し、その息子ジャンクンがジャカルタの地の王となった、としました。
オランダのバタヴィア総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンこそ、そのジャンクンの末裔であるとみなしたのです。
マタラム王国と「バタヴィアのオランダ人王」は、パジャジャラン王家を介して血縁関係にあるのだとして、オランダの介入の正当化(言い訳?)をしたわけです。
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2. インドネシアの「建国神話」
「ひとつのインドネシア」という神話
以前、どのようにして多民族の島々は「インドネシア」になったかという記事を書きました。
この記事を要約するとこういうことです。
- オランダ支配が確立するまで、インドネシアは多民族の島々であった
- オランダが進めたインフラ整備やシステム化、教育、都市化によって、人々は漠然としたインドネシアという領域を意識するに至った
- インドネシア国家の体はオランダなしにはあり得なかったが、オランダという共通の敵がないとジャカルタ政府による統治の正当性が崩れてしまう
インドネシア国家の成立の文脈も、これまで述べてきた「神話の文脈」の1つとして位置づけられるのかもしれません。
1928年10月、バタヴィアで開かれた第2回インドネシア青年会議の席上、「ひとつの祖国・インドネシア」「ひとつの民族・インドネシア」「ひとつの言語・インドネシア」という三項目からなる「青年の誓い」が採択されました。
これを起草した詩人ムハンマド・ヤミンは「インドネシア、我が祖国」という詩でこのように歌っています。
美しき地の浜辺に座る。並の砕け散るところ。砂に散る白き波しぶき。
青き海原に島の見ゆ。すばらしき山並み。気高き水に囲まれてあり。
我が生地、その名はインドネシア。
風にそよぐ椰子を見よ。かすかに聞こゆる葉ずれの音。並の砕ける浜辺に育ち。穏やかなる陸地を囲み。寄せる波の歌を聴け。
父と母の大地をめぐりて。その名はインドネシア、我が祖国。
(土屋健治「カルティニの風景」)
美しい自然の風景を詠むと同時に、インドネシアという「祖国」は父母の代からずっと受け継がれてきた、いう新たな文脈がここで誕生しています。
後に共和国初代大統領となるスカルノは、インドネシア国民党の綱領を以下のように定めました。
三世紀にわたるオランダの支配と搾取により、経済・文化・生活にあらゆる面が立ち遅れ、現行法規はインドネシア人の抑圧を目指している。この社会を変え、人民の福祉の向上と文化を発展させる方向に進もうとすれば、インドネシアには、人民が選出した人民自身の政府が必要になる。人民の政府を作るには、まず人民を解放しなければならない。従って、党の第一目標は、インドネシアの解放と独立である。(増田与「インドネシア現代史」)
これにより、オランダは「インドネシア国家」を三世紀に渡って抑圧・搾取してきた存在であり、オランダを駆逐し、「本来あるべき姿に戻す 」ことが宣言されています。
これはインドネシア・ナショナリズムの芽生えであると同時に、新たな支配者による「支配正当性の宣言」であるとも言えると思います。
まとめ
オランダ人でさえ自分たちの神話的文脈の中に取り込んでしまうなんて、我々日本人にはできない発想ですね。
実はマッカーサーは、大陸に渡った天皇家の皇子の子孫であったのだ!
みたいなことですからね。まあ、つい70年前まで我々も「万世一系」とか「現人神」なんて言ってたわけなので、あんまり人のこと言えないわけですが。
2015年9月4日に行われた中国の抗日戦争勝利70周年記念でも、中国共産党による歴史の書き換えと支配正当の強化が行われ、我々はその「神話構築の文脈作り」をはっきり目の当たりにしました。
これは全くの他人事ではなくて中国共産党の「ウソ」を批判すればすむことではなく、場合によっては我々自身がそのような文脈に乗せられかねない。実際、中国に生まれ育ったら、そのような「書き換え」に全く気付かないかもしれない。
歴史の書き換えと偽りの文脈を見抜く知識と判断力を身に着けておきたいものです。
参考文献:東南アジアの建国神話 弘末雅士 山川出版社