支配を正当化する神話という文脈
集団の中で誰かが何か新しいことを始め、それが他の人にも影響を及ぼす場合、必ず「理由」の説明が必要です。
盗塁率アップのため、坂道ダッシュを毎日やりましょう。
社員のモチベーションアップのため、新オフィスに移転しましょう。
増え続ける社会福祉をまかなうために、消費税を上げましょう。
ところが昔から現代まで最ももめるのが「誰がトップになるか」です。
もめるから人類は「選挙」といういちおう公平なシステムを作り上げたのですが、
そんなものがない時代、トップの支配を正当化したのは「神話」でした。
様々な民族や勢力が入り混じった東南アジアは神話の宝庫で、かついかに為政者たちが神話を活用して支配を正当化しようとしたかがいきいきと伝わってきます。
1. スマトラ北部・パサイ王国の神話
北スマトラの物産の玄関口だったパサイ王国
13世紀終わり頃に成立したパサイ王国は、胡椒などを輸出する港市国家として繁栄しました。
北スマトラは龍脳や金などの豊かな産物を産した上、東南アジア島嶼で最も西に位置し西方世界とのアクセスが抜群。
そのため、多くのインド商人やムスリム商人がやってくるようになりました。
そのような国家の成り立ちを象徴するように、パサイ王国の神話「王国物語」は、「森林世界」と「西方世界」を結ぶ非常に興味深い物語になっています。
1-1. 森の動植物の力を持った初代王ムラ・シル
むかし、北スマトラ・スムルランガにラジャ・ムハンマドとラジャ・アフマッドの兄弟がいた。
ある日、ラジャ・ムハンマドと家臣たちは森で大きな竹を発見した。その竹を切ってみると、なんと中から可愛い女の子が出てきた。ラジャ・ムハンマドはその子を連れ帰り「竹姫」と名付け大事に育てた。
一方、兄弟のラジャ・アフマッドも森にでかけ、大きな象の頭に乗った男の子を見つけた。ラジャ・アフマッドは象が水浴びをしている隙に男の子を奪い取って連れ帰った。
「竹姫」と象の男の子は成長して結婚し、後にパサイ王となるムラ・シルが誕生した。
1-2. 内陸部の人たちの支持を得るムラ・シル
ムラ・シルは成長すると、不思議な力を使って大変豊かになった。
しかし弟と不仲になり、安住の地を求めてパサガン川の上流の内陸地を訪れた。
その地の人びとはムラ・シルを受け入れた。ムラ・シルは村人たちと闘鶏をして時をすごした。ムラ・シルは勝っても負けても気前よく金品を与えたため、村人は彼を讃え彼らの協力の下で海岸部に王国を樹立し、その地をサムドラと名づけた。
1-3. 夢枕に立った預言者ムハンマド
しばらくすると、メッカにいる預言者ムハンマドの耳にもサムドラの名声は届くようになった。
ムハンマドは部下に命じて、サムドラへイスラム教の教えを伝えにいくように命じた。
その頃ムラ・シルは不思議な夢を見た。
夢に1人の人物が現れ、口を開けるように命じた。ムラ・シルが口を開けると、その人物は口に唾をはきかけた。その唾は甘くおいしい味がした。
その人物は、ムラ・シルが今ムスリムになったこと、そしてスルタン・マリクル・サレーと名乗るように告げた。さらに40日後にメッカから船が到着するので、その船の人物たちの教えに従うように告げた。
その夢の人物こそ預言者ムハンマドであったのだった。
夢から醒めるとムラ・シルは既に割礼されており、信仰告白(※)を言えるようになっていた。
※ムスリムの5つの義務の1つ。「ラー・イラーハ イッラッラー ムハンマド ラスールッラー(アラーの他に神はなし。ムハンマドは神の預言者なり)」と唱えること。
解説
森の動物に育てられた男と、森の植物から生まれた女から生まれた男の子は、言わば森林世界の動植物を統べる存在であると言えます。
この神話は、もともと権力が森林世界の富を基盤としており、
それが内陸の人びとの支持を得た上で王国として成立し、
イスラム教徒との交易との中でムスリムを受け入れていったことを如実に表しています。
いかにも神話ですが、その背景はやたらリアルですよね。
2. マレー半島南部・マラッカ王国の神話
東南アジア貿易の中心都市・マラッカ
マラッカ王国はパサイ王国から海でさらに南に下ったところにあった国で、
パサイ王国より波が穏やかで航海に便利だった上、さらにマレー半島ジャワ島など近隣諸国の物産も手に入れられるため、多くの商人で賑わうになりました。
15世紀後半にポルトガルに滅ぼされますが、それまでは東南アジアの中で随一の繁栄を誇った王国でした。
その神話も各種勢力の指示の下王権が成り立っており、イスラムを受容することで西方との関係性を極めて重視している様が伺い知れます。
2-1. アレクサンダー大王の末裔の東方遠征
アレクサンダー大王は遠征先のインドで、王ラジャ・キダ・ヒンディと戦って勝利し、ヒンディの娘と結婚し息子を数人設けた。
息子の1人ラジャ・チュランは全インドを支配下に治め、中国を制覇するために東方遠征に出かけた。
ラジャ・チュランはシンガポールまでやってきたが、中国はもっと遠いと聞き遠征を諦めた。
そのかわりガラス箱をつくらせ、それにはいって海に潜った。
海の下には海の王国があり、ラジャ・チュランは海の王と出会い、自分は地上の王だと告げた。すると海の王はラジャ・チュランを向かい入れ、自分の娘と結婚させた。
それによって3人の息子が生まれた。ラジャ・チュランはその後インドに帰っていった。
2-2. 3人の降臨
ラジャ・チュランの3人の息子たちは成人し、南スマトラ・パレンバンの聖地ブキット・シグンタンに降臨した。その丘の頂上は黄金になり、稲穂は金粒になり、稲の葉は銀に、茎は金銅の合金になった。
パレンバンの首長は3人の降臨者を向かい入れた。
長男はやがて中部スマトラの王に、次男は北スマトラの王に、三男はパレンバンの王になり、スリ・トリ・ブアナと称した。
2-3. マラッカ王国の建国
スリ・トリ・ブアナはパレンバンの首長の協力を得て、対岸のビンタン島に赴いた。
ビンタン島を支配していた女王はスリ・トリ・ブアナを歓迎し、養子として向かい入れた。その後さらにスリ・トリ・ブアナは、ビンタン島の女王の協力も得てシンガポール島に上陸しようとした。
嵐が起きて海は荒れていたが、海の王の孫であるスリ・トリ・ブアナはこれを治め、無事にシンガポールに上陸し、ここにマラッカ王国を建国した。
解説
イスラム世界ではアレクサンダー大王はイスラムの布教のために戦ったと語り継がれていました。
そのため、アレクサンダー大王及びインド王の末裔であるとしていることが、いかに西方世界との関係を重視していたかを物語っています。
さらに海の王の娘と結婚したことで、海上を行き交う民への支配の伏線を設けています。
その息子たちが降臨したパレンバンは古代海洋帝国シュリーヴィジャヤで栄えた仏教の聖地です。ここに降臨したことでスマトラの仏教勢力に敬意を表すとともに、支配を言い渡しています。
長男と次男は北・中スマトラに赴いており、直接支配権はないもののこれらの地域と関係を大変重要視していることが分かります。
また、ビンタン島の女王はマレー半島南部・シンガポール周辺に影響があった人物であったと考えられ、彼女の養子に入ったことでそれらの地域の海の民への支配を宣言し、支配を証明するために荒ぶる海を沈めてみせたのです。
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3. タイ・アユタヤ王朝の神話
東南アジアの貿易センター・アユタヤ
アユタヤは現在のタイの首都バンコクから近い、チャオプラヤ川下流域の中洲に建設されたタイ族の王国。
豊かな林産品と米を産し、近隣の食料供給センターとして東南アジア諸国の交易船がやってくるようになりました。
すると、ヨーロッパやアラブ、インド、中国、日本など世界各地から東南アジア各地の富を求めて船が集まるようになり、一大貿易港として栄えました。
その神話「シアム王統記」は、アユタヤの王が周辺各国との関係を構築しつつ、自然を支配し版図を広げていく様を垣間見ることができます。
3-1. 中国からやって来た王
シャムは最初の王から712年に渡って王が不在で国が荒れていた。
そんな中、中国の王族の1人チャウ・オウエが宮廷から逃れ、マレー半島東岸のパタニに辿り着いた。
チャウ・オウエは現地の人を率いて北へと向かい、リゴール(ナコンシータマラート)に都市を建設した。その後さらに北のクエにも都市を作った。
あるとき、中国から2隻のジャンク船がやってきて蘇木を求めた。チャウ・オウエはしこたま持たせてあげた。帰国したジャンク船の船乗りが、中国皇帝にそのことを伝えると、皇帝は大変満足し自分の娘をチャウ・オウエの元に嫁がせた。
彼は以降、タウ・オウトンと名乗った。
3-2. アユタヤの竜退治
タウ・オウトンはチャオプラヤ河口で都市を建設しようとした。
ある日、人夫たちが穴を掘っていると地中より仏像が出てきた。タウ・オウトンは驚き、中国の宗教を捨てて仏教に帰依することにした。
その後チャオプラヤ川を北上すると、アユタヤの地にちょうどよい中洲の島があるのを見つけた。
こんなにいい土地なのに誰も住んでいないのには理由があるのだろうと、土地の隠者に理由を聞いてみた。
すると隠者は、アユタヤ中心のウー・タレンケンという所に池があり、そこに竜が住むため人が住めない。そして竜を倒すためには、自分とそっくりな隠者を池に投げこむしか手段がないとも言う。
さらに隠者は、自分で矢を放ってその矢を矢筒で受けとめること、一日に一回身体に牛糞をぬりつけること、角笛を吹くことができれば、アユタヤの地で健康に暮らせるとも告げた。
まずタウ・オウトンは隠者そっくりの人物を探すように部下に命じた。
次に川に船を出し、上流に向かって矢を放ち、流れてきた矢を矢筒に受け入れた。
そして牛糞の代わりに米の粉を身体に塗らせた。
さらにキンマの葉を固く巻いて筒を作り、それをビンロウジとともに食べれば角笛をふくのに似ているだろうと言い、部下にそのようにさせた。
隠者は一連のタウ・オウトンの行為を評価し、神が国を祝福するだろうと告げた。
ところが隠者に似た人物が見つからなかったので、タウ・オウトンは隠者を池に突き落とし竜を倒し、池を埋めてしまった。
タウ・オウトンはアユタヤの建設を始め、さらにチャオプラヤ川沿岸のピサヌローク、スコータイ、カムペーン、ナコンチャイシーなどの町を作った。
3-3. アンコールワットの建設
10年後、占星術師がアユタヤに大きな不幸が迫っていると予言した。
タウ・オウトンはアユタヤの民を連れてカンボジアに逃れ、そこで自然の力によって成長していく石で都市を建設し、それをレコーン・ロアン(アンコールワット)と命名した。
タウ・オウトンらはここで9年間暮らしたが、海岸からは遠く不便で、また占星術師の言う不幸も去っていたので、息子に統治を任せて人びとともに再びアユタヤに戻った。
タウ・オウトンはその後アユタヤの地で死去した。
解説
いかにアユタヤの王権が中国との関係を重視していたかが分かります。
王も王妃の出自も中国だとしています。
次に、アユタヤへの交通の要衝だったマレー半島の各都市を王のゆかりの地とすることで、支配の正当性を主張しています。
また、地面からブッダの像を掘り出すことで、仏教に基づく当地を行うことを宣言しています。
物語に登場する隠者は、言わば自然の神性を表したキャラクターであり、それを突き落として殺害し水の象徴である竜も倒すことで、チャオプラヤ川をも制したことを意味しています。
矢を矢筒に受け入れることは、人びとの結束を、
米の粉を牛糞の代わりに使うことは、稲作をつかさどりデルタ湿地帯の疫病を制することを、
ビンロウシをキンマの葉に巻くことを角笛を吹くことに例えることは、当時シャムの人たちに習慣化していたキンマをかむ習慣を正当化したことを、それぞれ意味しています。
また、物語ではタウ・オウトンがアンコール・ワットを作ったことになっていますが、もちろんこれは史実ではなく、実際はクメール人によって作られたものですが、
タイ族がカンボジアにまでその支配領域を拡大することへの正当性を主張していると思われます。
まとめ
世界の神話はその背景にあるものがなかなか理解しづらい部分も多いですが、
今回紹介した神話は本当に分かりやすいですね。
いかに「王や王族に国を支配する正当性があるか」で、小憎たらしいほど自然の力、宗教の力、そして周辺の土着勢力をうまく取り込んでおり、神話なんだけどある意味リアルな歴史物語に仕上がっています。
この他にも、マタラム王国やアチェ王国の神話も似たように非常に面白いのですが、長くなりすぎるので割愛します。
この続きはまた次回書きます。
参考文献:東南アジアの建国神話 弘末雅士 山川出版社