実はその正体がよく分かってない石油
朝起きてシャワーを浴びて、スーツに着替えて駅に歩いて行き電車に乗る。
会社に着き、エレベーターを使って上がる。パソコンを付けて仕事を始める。
もし石油がなかったら。
この何気ない普通の1日の始まりは途端に成り立たなくなります。
シャワーは出ないし、電車も動かない。
エレベーターも動かないし、パソコンも付かないでしょう。
我々のこの豊かな生活を支える石油とはいったい何のでしょうか。
1. 石油とはいったい何か
ぼくが中学生のころ、担任の教師が授業中に
「キミたちが普段使ってる石油は昔の恐竜の死骸なんだぞ」
と言い、へぇ〜そうなんだ、と驚いたことがあります。
しかし、実は石油の正体はあまりよく分かっていません。その発生のメカニズムにはいくつか説が唱えられています。
生物が起源の「有機起源説」
もっとも有力なものが、植物プランクトンなどの死骸が海底や湖底に沈み細菌によって分解されて腐敗植物となり、地殻変動で地下深くに埋没し高い地熱と圧力を加えれて原油に変化する、という説。
一般的に広く知られています。
ただこれが正しければ、産地によって成分の変化が起きてもいいものですが、世界中どこで採れる石油も成分が同じなのです。
炭化水素が起源の「無機起源説」
ロシアの化学者ドミトリー・メンデレーエフが唱えたのが「無機起源説」で、
これは地球が出来た時に閉じ込められた炭化水素が、やはり地熱と圧力で原油に変化するという説。
これが正しければ、原油は地球の奥深くにあってそれが少しずつ地表に染みだしていっていることになります。
実際に枯渇した油田が放っておいたら再び油が湧いてくることもあるし、生物とは無縁の超深度でも見つかることがあるため、一定の説得力を持っています。
小学生レベルの発想ですが、ぼくたちの家の下を掘っていけばいずれ石油が出るということになるのでしょうか。
いずれにせよ、有機起源説・無機起源説のどちらが正しいかまだ決定的な決着はついておらず、我々の生活を支える石油は、未だに謎の物質なのです。
2. 近代以前に石油は使われていたか
古代から使われていた石油
石油が本格的に使われるようになったのはここ百数十年でしかありませんが、石油自体は古代から利用されていました。
例えば、紀元前2500年ごろのエジプトのミイラには防腐剤として石油成分が使われていますし、古代ペルシアでは灯り用として石油が利用されてきました。
ミャンマーでも古くから石油の採掘がされており、イェナンジャウンという町は古くから石油採掘の町として名が知られていました。
越の国の名産だった臭水(くそうず)
「日本書紀」には天智天皇の時代に、越の国(現在の新潟県)から「燃える水と土」が献上されたという記録が残っています。
独特のニオイを放つため、臭水(くそうず)と呼ばれました。草水が転用されたとも言われ、新潟県阿賀野市や柏崎市に「草水」の地名が残っています。
江戸時代の「大和本草」には越後各地で臭水が採れ、灯りに使われるとあります。
江戸時代の越後では地元の人たちには広く利用されましたが、各地に流通することはなかったようです。
そういえばNHKのタイムスクープハンターで、石油堀りの話やってました。これけっこう面白かったです。
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3. 石油以前の燃料
木材燃料
人類がエネルギーを取得するために多く利用してきたのは「木材」です。
燃焼効率は低いものの、なんにせよ入手が容易なことがあり、大量に使われました。
木材はいくつもの人類の文明を支えてきましたが、木材資源の枯渇によって衰退する文明も数多くありました。
例えばイースター島。
もともとイースーター島は木が生い茂る島でしたが、モアイの建設などのために大量に木を伐採した結果、燃料が枯渇。農業生産力がダウンし、少ない資源を巡って戦争が多発。ついにはカニバリズムを行うにまで文明が衰退してしまいました。
石炭の貢献と暗部
木材に頼らない燃料として、石炭はローマ時代から用いられてきました。
石炭は燃焼効率がよいので、木材に比べると優秀な燃料です。
しかし燃やした際に硫酸が発生し体に毒だし、不完全燃焼で生じる煙も大気汚染の原因となりました。
13世紀にはロンドンの町は石炭の煙で覆われて当時の社会問題になり、国王エドワード1世が石炭使用を禁止する令を出したりしています。
大気汚染都市・ロンドン
19世紀、石炭を蒸し焼きにして燃焼効率を大幅に上げた「コークス」の技術が発明されると、製鉄技術が一気にアップ。コークスは高温で石炭を熱することで排煙される有害物質の量を減らせることができたため、次世代の技術として期待されました。
イギリスは石炭を豊富に産するため、フランスやイタリアといったライバルを出し抜いて一気に工業国に。各地で立ち上るコークスの煙は、活発な工業力を象徴するものとなりました。
有害物質が少ないとはいえ、大量に使われると害は大きくなるもので、公害が社会問題となりました。
1952年には、石炭ストーブから出る酸性の煙がスモッグを起こし、1週間で4000人以上が呼吸器疾患などで亡くなる大規模な公害事件が発生。
現代の大気汚染都市といえば北京を連想しますが、昔のロンドンも似たようなものだったのです。
そのため、石炭の代替品として石油が登場した時、人びとは「クリーンで人にも地球にも優しい夢の燃料である」ともてはやしたのでした。
4. 石油時代の幕開け
石油を掘り当てた男エドウィン・ドレーク
油田を掘り当て石油製品の大量生産の先鞭をつけたのは、アメリカ・ペンシルベニア州のタイタスビルという小さな町でした。
この町の地面から染みだしていた油に興味をもった弁護士のジョージ・ビセルという男が、「照明具の燃料として可能性がありそうだ」として出資者を集めて採掘に乗り出しました。
実際の採掘を請け負ったのが山師のエドウィン・ドレーク。
1857年、ドレークは採掘道具を揃えて油の染みだしたあたりを掘り始めます。
その後2年近く掘り続けるも一滴の油も出ない。
出資者の我慢も限界に近づき、1859年8月末をもって採掘を中止せよとドレークに手紙を出しました。
その期限の4日前、深さ21メートルに達していた採掘道具が石油の層に行き当たり突然動かなくなった。ドレークは見事石油を掘り当てたのでした。
これを受けてタイタスビルの町は蜂の巣をつついた大騒ぎになり、あちこちで土地の取引と採掘がスタート。
石油の大規模開発の時代の幕があがったのでした。
石油財閥の勃興
この新たな燃料は、ロスチャイルド家やメロン家など、当時の新興ビジネスマンを巨大な権益を持つ大財閥にのし上がらせることにもなりました。
中でも特に台頭したのがロックフェラー家。
アメリカで石油採掘が始まった当初、20代の若さだったジョン・ロックフェラーはスタンダード石油を立ち上げて石油ビジネスに乗り出し、またたくまに巨大財閥を築きあげてしまいました。
20世紀初頭にはスタンダード石油はアメリカの石油精製の9割のシェアを持つまでになり、独占禁止法を掲げるアメリカ政府とたびたび衝突。
ロックフェラー家はあらゆる手段でこれに反対しますが、1911年にとうとう最高裁の判断でスタンダード石油は解散させられ、エクソン・モービルや、BP、シェブロンといった34の企業群に分割されました。
それでも一個一個が超巨大な企業ですよね。
5. 戦争を変えた石油
第一次世界大戦に登場した石油動力兵器
石油は戦争のやり方を変えると同時に、国家戦略も大きく変えてしまいました。
第一次世界大戦で、イギリス軍は石油で走る戦車を初めて開発。1917年のカンブレーの戦いで目覚ましい成果を上げ、以降列強による戦車の本格的な開発がスタートします。
また当時の海軍大臣チャーチルが、戦艦や潜水艦の動力に石油を採用することに決定。導入された艦船は、石炭を動力とする旧艦船より高いパフォーマンスを発揮。
連合軍はドイツを海上包囲し石油を始めとした物資の供給を断ったことで、大戦の勝利を手繰り寄せたのでした。
石油が起こした第二次世界大戦
第二次世界大戦の時代になると、戦争はさながら石油争奪戦の様相を呈していました。
日本が太平洋戦争に踏み切った原因も、アメリカ政府による1941年8月の石油全面禁輸でした。当時石油の輸入をほぼアメリカに依存していた日本は、新たな資源獲得を目指してスマトラなどの南方に進出していくことになります。
これはドイツやイタリアも同じで、他の経済ブロックから石油資源を獲得できず、膨大な国内需要を満たしきれずに他地域に進出するという流れが戦争につながっていきました。
イタリアは石油の輸送ルートであったスエズ運河制圧を画策。ドイツはソ連の石油埋蔵地帯の獲得を目指しました。
資源が起こす民族紛争
石油と言えばアラブ諸国を連想しますが、この地帯で石油が本格的に発掘されるようになったのは第二次世界大戦後のこと。
ドバイの発展を見ると、いかに石油がもたらす富がすさまじいか分かりますね。
一方で石油を巡った紛争は世界中で絶えず、中央アジア、カフカス、アフリカ、南米などで地域紛争が絶えません。
民族問題や宗教問題とも複雑に絡んでいるので円満な解決というのはなかなか難しく、強権的に押さえつけることで暴力が噴出することを防ぐ以外の方法が見当たらないのもの事実です。
石油ピーク論は本当か
先述のぼくの中学教師は、
「あと20年で石油はなくなるんだぞ」
と言って子どもたちをビビらせていましたが、あれから15年近く経ちましたが一向にそのような傾向は見当たりません。
もともと1957年にアメリカの学者キング・ハバートが発表した論文「Nuclear Energy and the Fossil Fuels」で最初に発表された理論で、
これによると、アメリカの石油生産は1966年から71年の間にピークを迎えて以降は沈下し、資源は枯渇に向かうというもの。
2010年には国際エネルギー機関(IEA)が、2006年に世界の石油生産はピークを迎えていて、以降は沈下に向かうという予測をしました。
これらは理論的には決して間違いではないっぽいのですが、
シェールガスの技術が普及したこともありアメリカでも石油の生産力は上がっているし、液化天然ガスは引き続き世界的な需要の高まりもあって生産の上昇が見込まれています。
当面のところ、差し迫った石油枯渇の危機はないというのが実際のようです。
本当に石油の枯渇の瞬間が訪れた時には、そのころにはたして人類は新たな代替エネルギーを獲得できているでしょうか。
まとめ
これだけ毎日使っている燃料が、実際のところどこからやってくるのかよくわからないって何か怖いですね。星新一のショートショートを思い出しました。
一時期「次世代エネルギー」と騒がれていたバイオエタノールも食糧問題を考えると微妙だし、
燃える氷と言われるメタンハイドレードも、本格的に利用されるまでまだまだ時間がかかりそうだし、
やはり当面は石油に依存することになるのでしょう。
しかしわずか100年ちょっとの歴史しかないのに資源枯渇が唱えられるなんて、本当に人間のエネルギー消費量はすさまじいですね。
これから世界人口が増えて、今の我々のようなライフスタイルを多くの人が取り始めると、いったいどうなってしまうのか。ちょっとゾッとします。
参考資料:「炭素文明論」佐藤健太郎 新潮社