歴ログ -世界史専門ブログ-

おもしろい世界史のネタをまとめています。

絶滅寸前の西ヨーロッパの少数民族(前編)

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その存在が埋没する寸前の西ヨーロッパ少数民族

現在の西ヨーロッパの民族問題は「中東や近東、北アフリカからの移民」問題に尽きます。

国の枠組みを破壊するレベルのヤバイ勢いで人が増え続けており、世界の歴史的に見ても後の大転換点となるひとつの大きな潮流となっていると思います。

 かつて起こった20世紀の大規模な難民流出、ユダヤ、ベトナム、パレスチナ、ソマリア、ルワンダ、アンゴラといった難民と比較にならないほどの大きな影響を西ヨーロッパ社会に与えるはずです。

そんな中で、人知れず「ヨーロッパ」の中に埋没しようとしている少数民族がいます。西ヨーロッパは実は結構な数の少数民族がおり、カタルーニャ人、ブルターニュ人、ウェールズ人のように地域主義に結びつく強い少数民族もありますが、大抵はひっそりと目立たずグローバル化の中に溶解していこうとしています。

 

 

1. フリース人(ドイツ・オランダ)

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 古代ローマの時代から続くゲルマン系民族の末裔

フリース人は、フリジア人ともフリーセン人とも言われるエスニック・グループで、オランダ北東部・ドイツ北西部・デンマーク南部の沿岸地帯に居住します。独自の言語フリース語を話し、その話者は約50万人いると見積もられています。

 

↓フリース語話者のインタビューですが、パッと聞く感じはドイツ語とあまり違いが分かりません。きっと細かいところではかなり違うんでしょう。

www.youtube.com

フリース人が住むフリースラントの多くは湿地帯で、とても農業地帯とはいえなかったため、必然的に人々は交易や船乗りで生計を立てざるを得ませんでした。

8世紀ごろにフランク王国に征服され、シャルルマーニュ以降は建前上はホラントの支配を受けることになりますが、数の上では絶対的な多数だったため、半ば独立した共和国を維持しました。ハプスブルグ帝国領となった後も公然と力を持っていましたが、1648年にフリースラントがネーデルラント連邦共和国に加入して以降、オランダ化・ドイツ化が進んでいくことになります。

現在のフリース人の多くは、ドイツ語やオランダ語とフリース語の二ヶ国語を話し、場合によっては英語やフランス語など複数の言語を操るバイリンガルとして生きています。公教育でもフリース語は教えられ、教会や法廷でもフリース語は用いられてはいますが、フリース人がずっとフリースラントに住むわけではありませんし、言語の継承が懸念されます。

政治的には、1962年創設のフリーシアン国民党という政党がありますが、フリースラント議会ですら10%前後の議席数と僅かな議席しか保有していません。

 特に政治的・経済的に抑圧されているというわけではありませんし、フリース人は普通のオランダ人やドイツ人として生きています。フリース文化を維持することがフリース人にとって負担になるような事態が起きてしまうと、文化の維持はますます困難になっていくに違いありません。

 

 

2. ソルブ人(ドイツ)

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Credit: Allgemeiner Deutscher Nachrichtendienst - Zentralbild (Bild 183)

 ドイツ語圏の中に囲まれた「スラブ語の島」

ソルブ人は民族的には西スラブ民族に分類され、ポーランド人やチェック人、スロヴァキア人の親類筋に当たります。

 居住地はベルリンから南東に約50マイル行ったラウジッツ地方で、かつてはエルベ川とオーデル川の間のほとんどの領域を領有していました。しかし、ドイツ人の東方植民の過程で居住地の周囲をドイツ人に囲まれ、まるで孤島のようにスラブ語圏がドイツの中に残ることになってしまいました。

19世紀の民族主義の高まりでソルブ人はスラブ民族の一翼としての意識を高めますが、第一次世界大戦後のパリ講和会議でもソルブの自治は一考だにされない状況が続きました。1925年にソルブ人は率先してドイツ少数民族連合の設立に携わるなど、積極的に民族自治の活動に動きますが、ナチスの台頭によってソルブ人は弾圧され、あらゆる場面でのドイツ化とスラブ要素の排除が推進されました。

それ故、ソ連によるドイツ攻略を多くのソルブ人は歓迎しました。戦後はラウジッツ地方は東ドイツとなったため、ソルブ語やソルブ文化の保護が手厚く実施されました。

東西ドイツ統一後は「文化集団」としてのソルブ人の存在は認められていませんが、自治体でのソルブ語の使用や道路標識のソルブ語の併記などが認められています。

政治的には2005年に民族文化や権利の擁護を求めるヴェンディッシュ民族党が設立されますが、議席はなく脆弱な状態です。

 

 

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3. コーンウォール人(イギリス)

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 誇り高きケルト系民族の末裔

イギリスの地域主義と言えば、スコットランド、北アイルランド、ウェールズの3地域が代表格ですが、コーンウォールも少なからず地域主義が強い地域です。

コーンウォールとはブリテン島の南西部に突き出た半島で、ヨーロッパ先住民族ケルト民族の末裔が暮らしています。その血統はウェールズ人やブルターニュ人と近く、アイルランド人、スコットランド人、マン島人とはやや異なるそうです。

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イングランドのコーンウォール征服は936年に始まり、コーンウォール人は長年に渡って闘争を繰り広げました。1497年には、ヘンリ7世の増税に反対し15,000のコーンウォール兵がロンドンに侵攻するといった事態も起きました。長い闘争の期間を経て戦いの伝統と武に対する美意識が根強くあり、現在でもコーニッシュ・レスリングが伝統的な格闘術として受け継がれているほどです。

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1549年、ヘンリ8世の宗教改革によってコーンウォールで大規模な反イングランド反乱が勃発。イングランドは大軍を送ってこの反乱を制圧し、以降コーンウォール語の抑圧とイングランド化が推進されるようになりました。

18世紀末の時点で既にコーンウォール語のみを話す話者は消滅し、現在でも細々と保護活動が続けられるのみで、コーンウォール文化の進展は進んでいないのが現状です。

地域の産業は乏しく、若者の多くはコーンウォールを出てロンドンで就職するのが多く、「自分のことをコーンウォール人だ」と考える人の割合も少ないのが実情です。

 

 

4. アイリッシュ・トラヴェラー(アイルランド)

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アイルランドの放浪者エスニック 

アイリッシュ・トラヴェラーという名で知られるアイルランドの放浪者集団は、北アイルランドを中心に約2万人程度存在します。

その発生理由は様々で、初期のトラヴェラーは職人集団で、仕事を求めて移動しながら生活する内に放浪的な生活を営むようになったグループもいれば、貧困や飢饉によって田畑を捨て移動生活をするようになった元小作農のグループもあります。

彼らは何か定職や居住地を見つけたら定住しようとするのですが、中には移動生活にそのアイデンティティを見出す者が現れ、アイルランド・トラヴェラーというグループが成立するに至りました。

元々アイルランドでは「土地所有」や「定住」に価値がおかれ、流浪人は蔑まれる傾向にあります。故に、同じカトリック信者の白人であるにも関わらず、トラヴェラーは差別的な待遇を受ける場合が多くあります。奴らは葬式にやってきて物乞いをする、とか奴らが村を通り過ぎたら家の物が減る、とか。

トラヴェラーは馬車やテントを居住とし、移動しながら適当な場所に留まって食や衣を得、また別の場所に去っていく生活を長い間営んでいました。イギリス政府とアイルランド政府は彼らの定住を推進しており、政府が用意した各地の居住地に散っていくため、トラヴェラーとしてのアイデンティティは徐々に薄れつつある傾向にあります。

 

 

5. ガリシア人(スペイン)

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Photo by Dario Alvarez

イベリア北西部に残る先住民集団

イベリア半島は歴史上様々な民族集団が侵入しました。ケルト人、フェニキア人、ギリシア人、ゲルマン人、アラブ人などなど。

その中で、先住民族のイベリア人にケルト人の血が混じった集団がローマ帝国時代や西ゴート王国時代に成立し、アラブ帝国のイベリア侵入時に半島の北西部山岳地帯に逃れて頑強に抵抗をしました。

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イベリア北西部にアラブに対抗する形で成立したアストゥリアス王国は、後にカステリーリャ王国と併合し、アラゴン王国と連合しレコンキスタの中心となっていきます。

それ故、ガリシアの地は「侵されていない純粋なスペイン」という認識が強く、キリスト教三大聖地の一つ、サンティアゴ・デ・コンポステーラもこの地にあります。

一方で、純イベリア的・ケルト的な異教文化も根強く息づきました

ブルターニュ人やアイルランド人のようなバグパイプを使ったケルト音楽を演奏し、伝統的なケルトのダンスをずっと継承してきました。またキリスト教を受容しつつも、魔術や精霊の信仰といったケルト人の宗教ドルイド教の伝統も受け継いでいます。

山岳地帯ということもありガリシアの地はスペインで最も貧しく、陶器製造・レース製造・サンダル製造などの伝統的な製造業と漁業が主力産業です。

政治的には自治州である程度の裁量が認められており、ガリシア国民党やガリシア民族主義ブロックなどの民族政党が政治を担っています。その中で言語や文化の保護活動がさされていますが、ガリシア語話者は年々減少しているのが現状です。

 

 

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つなぎ

西ヨーロッパはその複雑な歴史的経緯からして、様々なエスニック集団が勃興しては消えていく歴史を繰り返してきました。

その中で、かつては大勢力を誇ったものの、次第にその他のグループに押し負け、その中に溶解していくグループも数多くいました。既に絶滅した民族も多数存在します。

現代は古の民族がその歴史的な土地ではっきりと姿を表して存在する最後の年代であり、あと数十年もすると彼らもグローバル化やマジョリティ集団の中に溶けていくような気がしてなりません。

残りの5民族は後編に続きます。

 

 

参考文献

世界の少数民族を知る事典 ジョージナ・アシュワース,辻野功 明石書店

世界の少数民族を知る事典

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