釈迦の教えをイチから学び直す
最近ほんとうにいいニュースがないです。
進む円高、増える国の借金、格差の拡大、地方の衰退、年金の崩壊、ブラック企業問題、AIに奪われる仕事、少子高齢化。
老いたヤクザ国・アメリカの混乱と、ブチ切れまくった若いヤクザ国・中国の台頭。
戦禍の続く中東と、そこから逃れた難民がヨーロッパでコンフリクトを起こす。
そして排外的な極右、耳あたりの良いポピュリズムの台頭。
次にいったい何が起こってしまうのか、みんな極度の不安の中で日々を過ごしていることと思います。まじで、どう転んでも悪い方向に行くようにしか思えない。
こんな時、どうするんだ?どうなるんだ?とオロオロするんではなく、一人一人が意志をしっかり持ち諸問題に対し善処し一個一個問題を解決していくしかないです。
一挙に問題を解決してくれるような英雄など現れません。英雄めいたことを言う奴ほど危険な存在はありません。
さて、そんな「個が強い意志」を持つための具体的な手法を教えてくれるのが、ぼく個人的には仏教ではないか?と思っています。
今一度、お釈迦様が説く教えを再学習して、混乱の世に耐えうる知恵があるか探してみようというのが本記事の趣旨でございます。
1. 仏教の元となる思想
仏教の基本的な教えに行く前に、元々仏教が成り立つ前に存在し、仏教の源流となった教えを紹介します。
1-1. バラモン教
バラモン教は紀元前2000年〜1500年の間にインドにやってきたアーリヤ人の宗教です。
アーリヤ人は元々現在のロシア南部に居住していましたが、時間をかけて南下しインドにまで到達しました。アーリヤ人が話す言葉は英語やドイツ語の古い先祖にあたり、インドに入ってきてサンスクリット語になりました。
さて、インドにやってきたアーリヤ人は土着の人々を征服し、厳格な階級社会を作り上げました。それが現在のインドでも息づいている「カースト制度」です。
アーリヤ人は支配地域の階級を「祭司」「戦士」「一般民衆」の3つに区分し、それぞれの階級に属する者はそれぞれのルールに従って生きるよう定められました。
後にルールは厳格化され、支配者であるアーリヤ人と、非征服者である現地人との婚姻や食事は禁止され、非征服者は第4の階級(カースト)となりました。
カースト上位を独占したアーリヤ人は、神と交信するための様々な犠牲祭の様式を発達させていくのですが、儀式が複雑化していくにつれて、上位のカースト階級に属する者のみが宗教に関与する仕組みができあがった。
宗教を信仰するにはカネがかかるから、下層カーストの者は参加すらできなくなった。
そして祭司階級が大きな権力を持つようになり、複雑化した様々な儀式の解説書がまとめられると同時に、知識人たちにより哲学的な思索が試みられるようになっていきます。それは、「宇宙の始まり」とか「実在の本性」とかいったものです。
1-2. シュラマナ
紀元前900年から600年の間に、既存のバラモン階級以外に宗教上の諸問題に対し挑戦した一派が現れました。彼らのことをまとめて「シュラマナ」と呼びます。
シュラマナの思想家たちは、バラモン階級が「我々が神を取りまとめ宇宙を動かすための儀式」と称する様々な儀礼や犠牲祭は、それが直接的な影響や行為を表すものではなく、人の内面的な変容を象徴的に表したものにすぎない、と考えました。
そこでバラモン階級の様々な儀式を紐とき、個人に属する内面的な態度や行為に適合させ考察を行いました。
その結果生み出した概念が「アートマン」と「ブラフマン」です。
ブラフマンは宇宙を創造し維持している精神的な力であり、アートマンはブラフマンの一部で純粋な精神であり、不変・不死の存在である。
アートマンは不死であるから、人が死んで肉体が滅びても、アートマンは死なずに新たな肉体に「転生」すると考えました。輪廻の発明です。
当初はアーリヤ人は人生に対し楽観的な感覚を持っていたため、転生は良いことと考えていましたが、紀元前800年頃から「人生の喜びとははかないものであり、虚しいものだ」という感覚が一般的になりました。
そうなると、転生をどうにかして避けなければならない、という考えが生まれるようになったのでした。
さらにこの時期にもう一つ重要な「カルマ(業)」という考えも生まれました。
カルマとは因果のことで、簡単に言うと「善い行いをしたら自身に良い結果を起こすし、悪い行いをしたら自身に悪い結果をもたらす」というもの。
現世で大悪人がいい暮らしをして、善人が恵まれない暮らしをしている理由もこれで説明がつきます。つまり大悪人は転生後に必ず悪い扱いを受けるし、善人が恵まれないのは転生前に悪い行いをしていたから、です。
このような苦痛の輪廻転生を脱することが人間の解放(=解脱)であり、それを成すには宇宙の原理であるブラフマンと、各個人が持つアートマンを合一させなければならない。
そのためには断食・禁欲・不眠などの苦行を行うことで可能になると考えられました。
1-3. ジャイナ教
もう一つ、仏教に大きな影響を与えた教えが、マハーヴィラが拓いたジャイナ教です。
マハーヴィラは元々支配階級に属していましたが、解脱を行うために苦行の生活を始め、ついに悟りを拓くに至った。その後、信奉者を集めて教団を開き、教えを取りまとめました。
その教えの核となるのが「アヒンサー(非暴力)」です。
ジャイナ教では、殺生行為を最悪のカルマと考えます。
生き物を殺める行為は悪いカルマを大量に貯めこむことになる。
そのため、動物の殺生を禁じ菜食主義を徹底し、「これから貯まるカルマ」だけではなく、「既に貯まったカルマ」を取り除くことを目指しました。
2. ブッダの生涯
釈迦の生涯はここでイチイチ説明するまでもないので、最小限にとどめようと思います。
釈迦、ガウタマ・シッダールタは紀元前560年にシャキーヤ王国のガウタマ家の生まれ。現在のネパール・ルンビニーの町で、父シュッドーダナはその地方の王でした。
占い師は生まれたばかりのシッダールタを「偉大な王」か「偉大な宗教者」のどちらかになると予言。父王は「偉大な王」になることを望み、息子を徹底的に俗世から離れさせ、帝王学を叩き込みます。
29歳になったシッダールタは、ある日ふもとの街の様子を見に行きたいと言った。父王はふもとの街から貧者や老人、重病人を隠して王子を案内した。
ところが隠蔽は徹底されず、1人の老人が街に残っていた。
老人を初めて見たシッダールタは驚き、その後父王に黙って街にでかけ、死者や病人を目の当たりにする。そしてある時、1人の隠者と出会う。その隠者は「自分は世の諸悪から逃れた者です」と答えた。シッダールタはこの言葉に心を動かされ、自分もそうありたいと思うようになります。
そしてとうとう、愛馬にまたがって宮殿から逃げ出し、隠遁生活に入るのでした。
シッダールタは当初、シュラマナたちと同じような苦行を行い、当時著名だったアーラーダ・カーラーマとウドラカ・ラーマプトラという2人の師について瞑想を学びました。しかしシッダールタは悟りを拓くことができず、より厳しい苦行に打ち込んで悟りに到達しようと試みました。
ところが、シッダールタは気づいた。悟りを拓くのに苦行は役に立たない。
ちょうどその時、スジャータという娘が彼を聖霊と思い食べ物を備えた。シッダールタはそれを食べた。
これをきっかけにシッダールタは悟りの道を一からやり直すことにした。全ての事柄は「中庸」が大切である、ということに気づいたのでした。食べ過ぎは良くないが、食べなすぎもよくない。充分な休息も大事だが、休みの取り過ぎもよくない。
その後修行の仕方を改めたシッダールタは、インドのビハール州にあるブッダガヤの菩提樹の下で瞑想に入り、ついに悟りを拓くに至ります。
その瞬間から彼はシッダールタでなく、悟りを開き目覚めた人「ブッダ」となったのでした。
その後45年、ブッダは弟子を集めて救済の教えを説き続けた。ブッダが作った規範はヴィナヤ(律)、ブッダの言葉はスートラ(経)としてまとめられた。
これらの仏教聖典は、当時のインド人の口語であったパーリ語で書かれたため、爆発的に広がりました。バラモン教はもはや誰も読めないサンスクリット語で書かれていたし、そもそも救済の対象がバラモン階級のみだったため、一般民衆に仏教は広く受け入れられました。
PR
3. ブッダの教え
さて、前置きが長くなりましたがここからが本編です。
ブッダが説く教えを簡単にまとめていきます。
3-1. 「この世は物事の絶え間ない変化の結果」
ブッダは人間の本性を大きく3つに分類して説明します。これを「三法印」と呼びます。
まず一つ目は「無常(アニティヤ)」。
我々の身の回りにあるもので、永久に不変のものは存在しない。物事は常に変わり続けている。不動に見える海や山も常に変化しており、いつかは存在しなくなる。
次いで二つ目は「苦(ドゥフカ)」。
全ての物事は永遠ではなく、それゆえ何事も思い通りにはならない。物質的なものをあてすることは無意味なことであり、いずれ失敗に終わる。
最後の三つ目は「無我(アートマン)」。
人間はアートマンという永遠の本体を持たない。人間の内には不変の核が存在するというのはウソであり、肉体的にも心理的にも常に変わり続ける存在である。
転生は存在するが、個人の人格が次に受け継がれるわけではない。
つまり、この世の出来事は物事の絶え間ない変化のアウトプットであり、現在起こっていることは何か必ず先行する原因があり、完全なるスタンドアローンの物事はほとんど無い。
3-2. 人生の苦境から逃れる4つの真理
人間の存在に対し、ブッダも悲観的な考えを持っています。
その苦境から逃れる方法として4つの真理(四聖諦)を提示します。
1:人生は自分の思い通りにならない
2:なぜならば、それは「乾き(トリシュナー)」のせいであり、乾きは本性に対する無知(アヴィドヤー)から起こる
3:本性を知ることで世界から解放される
4:その方法は8項目から成る修業の道・八正道を実践するのみである
3-3. 八正道とは
八正道とは、ブッダが説いた効率のよい解脱のステップ論です。
まず最初の二段は、
一. 正しい見解
ニ. 正しい意志
効率よく解脱を行うには、修行者はまず世界の見方を変えなくてはいけない。世界は常に変化し、相互に作用しあう過程に存在すると見なくてはいけない。
そのように「一.正しい見解」を持った上で、仏教は存在を正しく分析していると判断し、解脱へ向かうと決心する。それが「ニ. 正しい意志」となる。
次いで
三. 正しい発言
ウソ、悪口、陰口など、他者に迷惑をかけたり傷つけたりするようなことを一切してはいけない。
四. 正しい行動
盗み、殺し、飲酒、強姦など、他者に迷惑をかける事柄やかける可能性のある行為をいっさい行わないと決意する。
五. 正しい生活
他者に危害が加わる方法で生計を立てることを禁ずる。具体的には、武器製造販売、屠殺、傭兵業、詐欺など。
六. 正しい努力
悪いことを行わないだけではなく、世のため・人のためになる善いことを行わなければならない。貧しい人に施しを行うなど。
七. 正しい精神集中
修行者はつねに気をつけて、自分の行動と思考を見失わないようにすべきである。
「歩いているときは歩いていることを自覚し、座っているときは座っていることを自覚する」ことが求められる。
八.正しい禅定
そして解脱に至る最後のステップが、禅定すはなち瞑想。
まずはサマディー(三昧)と呼ばれる瞑想を行う。
ここでは心を静め、安静状態を維持する。安静状態を得られると、より深く現実の本性を見ぬくことができるようになる。
その上でヴィパシナヤー(智慧)の瞑想に入る。ここで現実の本性が明らかになり、果てしない輪廻転生から解放される。
まとめ
釈迦の教えはどちらかというと、苦しむ魂の自己救済のための教えであり、世界をどのように良くするか、という考えには立脚していないように思います。
ですが、これを世の諸問題解決のプロセスとして考えなおしてみると学ぶ点が多いのではないでしょうか。
世にあふれる情報に一喜一憂し、あっちに流れてこっちに流れ、心と身体を消耗するのが俗世であるとするならば、そこから離れて自分自身のアタマで世界や人間を考え、人が持つべき本質的な生き方を理解し、その到達点を目指して一つ一つ世の諸問題に対処し続けていく。
人の心も変わり続けるから世の問題も常に変わり続ける。
どんどん降りかかってくる諸問題を一つ一つ片付けていくと、現在取り組んでいる問題は既に古くなっている可能性もあり、きっと理想の世界は永久に訪れないに違いない。
また例え仏教的な美徳を備えた理想の世界があるとしても、その理想の世界も世の発展に伴い次々と変わっていくし、地域によって、世代によって、あるいは個によって、理想は異なるはずです。
ですが意味があるのは、世界はすべて有機的に繋がっていて、自分が成したことは必ず誰かに対して影響を与えることを理解した上で、自身の行為の中で何が世に対して最善かを考えて行動に移し、不断に改善の努力とプロセスを積み重ねていくことではないでしょうか。
そのための心構えと2000年以上の知恵が、お釈迦様の手のひらにあるような気がします。
参考文献 仏教(21世紀をひらく世界の宗教シリーズ) ブラッドリー・K・ホーキンズ著 瀧川郁久訳 春秋社